新型コロナウイルスで世の中が騒然とする中で、同期会も開催が見送られ、そうこうするうちに、九州や、中部地方では河川の氾濫と、とんでもない状況に落ち込んでしまい、その上、コロナも再び感染が広がるかもしれないとう状況になり、何とも言い難い気分ですが、皆さんお元気でしょうか。
少しでも、平穏だった(と思っていただけかも知れない)時代を振り返えってみたいと思っていた所、何と、半世紀以上前の写真が(少しですが)出てきました。
まだ、関門橋が無かった頃ですね。
撮影日の正確な日付は分かりませんが、DPEでプリントした日付が、印画紙の裏に残っていました。
撮影した日付は分かりませんが、「16.10.69」とあるので、おそらく1969年の夏なのでしょう。私が22歳の頃です。もう50年以上も前か!嘆
関門海峡を何枚か撮っていますが、横パノラマ写真にできず、2枚の写真として撮って残していました。
一枚に合成しようとしたのですが、色調を合わせるのがむつかしく、合成はあきらめて、そのまま2枚の写真として、ご紹介します。
おそらく、日和山の上からだと思います。
海峡の海面が良く見えていますね。
九州への出張帰りに下関に立ち寄って撮った写真を、2014年に『何年前の下関だろう』として写真をいくつかご紹介しましたが、その時の写真と比べてみても、まだビルが少なかったことが分かります。
ビルの屋上の大きな看板も「住友生命」だけだったことが分かります。
下関のメインストリートです。茶山口付近でしょうか。
山陽電軌の電車もまだ健在です。
基本的にあまり変わっていないように感じるのは現在を余り知らない私だけかもしれませんが・・・
自動車も懐かしいデザインのオンパレードですね。
老の山に登っての写真も関門海峡を2枚の写真にして撮っていました。
大和町もほとんど昔のままですね。
その中で目立つのは下関駅前の焦げ茶色の山口銀行のビルですね。
そして何より、嬉しいのは、風師山のテッペンがホントにデベソであったことです。
目を西に転ずると、(今は無い)新しいベンチ越しに六連島が見ます。
当時は下関駅西口にあった大丸(今は駐車場になっているところですね)の屋上からも写真に撮っていました。
丁度、ガードを抜けて西口の停留所に向かうサンデンバスが写真に写っています。
西口のバス停でバスを待っていると、時々、蒸気機関車から2ミリはあろうかという大粒の煤がバラバラバラと降ってきたことを思い出します。
関門海峡方面を望むとこんな感じです。
残念なのは、この角度から右、即ち、大和町方向の写真は撮っていなかったようです。
漁港も撮っていました。
大歳神社(だったかな)の境内から、何という名前だったが思い出せませんが、小さなデパートの屋上越しに懐かしい下関駅舎です。
あの、大きかった三角屋根の中は広いコンコースで、東口と西口がそのままつながっていて、西口と東口は完全に一体だったのが良かった。
「中華第一楼」も懐かしいですね。
専門大店も懐かしい。ここで、レコード「帰ってきた酔っ払い」を買ったのを思い出します。
by W
少しでも、平穏だった(と思っていただけかも知れない)時代を振り返えってみたいと思っていた所、何と、半世紀以上前の写真が(少しですが)出てきました。
まだ、関門橋が無かった頃ですね。
撮影日の正確な日付は分かりませんが、DPEでプリントした日付が、印画紙の裏に残っていました。
撮影した日付は分かりませんが、「16.10.69」とあるので、おそらく1969年の夏なのでしょう。私が22歳の頃です。もう50年以上も前か!嘆
関門海峡を何枚か撮っていますが、横パノラマ写真にできず、2枚の写真として撮って残していました。
一枚に合成しようとしたのですが、色調を合わせるのがむつかしく、合成はあきらめて、そのまま2枚の写真として、ご紹介します。
おそらく、日和山の上からだと思います。
海峡の海面が良く見えていますね。
九州への出張帰りに下関に立ち寄って撮った写真を、2014年に『何年前の下関だろう』として写真をいくつかご紹介しましたが、その時の写真と比べてみても、まだビルが少なかったことが分かります。
ビルの屋上の大きな看板も「住友生命」だけだったことが分かります。
下関のメインストリートです。茶山口付近でしょうか。
山陽電軌の電車もまだ健在です。
基本的にあまり変わっていないように感じるのは現在を余り知らない私だけかもしれませんが・・・
自動車も懐かしいデザインのオンパレードですね。
老の山に登っての写真も関門海峡を2枚の写真にして撮っていました。
大和町もほとんど昔のままですね。
その中で目立つのは下関駅前の焦げ茶色の山口銀行のビルですね。
そして何より、嬉しいのは、風師山のテッペンがホントにデベソであったことです。
目を西に転ずると、(今は無い)新しいベンチ越しに六連島が見ます。
当時は下関駅西口にあった大丸(今は駐車場になっているところですね)の屋上からも写真に撮っていました。
丁度、ガードを抜けて西口の停留所に向かうサンデンバスが写真に写っています。
西口のバス停でバスを待っていると、時々、蒸気機関車から2ミリはあろうかという大粒の煤がバラバラバラと降ってきたことを思い出します。
関門海峡方面を望むとこんな感じです。
残念なのは、この角度から右、即ち、大和町方向の写真は撮っていなかったようです。
漁港も撮っていました。
大歳神社(だったかな)の境内から、何という名前だったが思い出せませんが、小さなデパートの屋上越しに懐かしい下関駅舎です。
あの、大きかった三角屋根の中は広いコンコースで、東口と西口がそのままつながっていて、西口と東口は完全に一体だったのが良かった。
「中華第一楼」も懐かしいですね。
専門大店も懐かしい。ここで、レコード「帰ってきた酔っ払い」を買ったのを思い出します。
by W
半世紀も経てば、火の山もすっかり変わりましたね。
(今年は下関を訪れてませんが)
1枚目はどこで撮ったのか詳しくは思い出せません。昔あった望遠鏡か何かが設けられていた展望台かな?などと思ってますが、どうでしょうかね。
数年前の台風で大破した大きな展望台もすっかり撤去されて、時代の変化を感じますね。