彦中三八ブログ 

彦島中学校を昭和38年3月に卒業した同期生のためのブログ。 掲示板「彦中昭和38年卒同期会」にもお立ち寄りください。

2021年11月20日 22時14分21秒 | イベント・出来事・生活
昨夜は月食でした。
皆さんは月食を眺められましたか?
僕も眺めました。
というより、
ハッと『今日は月食!!』と思い出し、
カメラを持ちだしてお月さんを眺めれば
既に月食の最盛期(という表現が正しいのか?)。

お月さんが赤銅色に輝いて(?/!)いました。

そして、今日また同じお月さんを眺めると、
何事もなかったかのように、ホボまん丸な姿をしていました。


お月さんは晴れていればどこからでもほぼ同じ姿を見ることができますが、
面白いのは(「興味深い」と言うのが良いのか)その周辺部分です。
望遠鏡かカメラのファインダーで拡大して眺めるとその周辺部は
コンパスで描いた「円形」ではなく、デコボコの地肌が眺められ、
お月さんも天体の一つなのだと改めて認識した僕でした。
皆さんはどのように眺められましたか?


by W

小学校新入生

2021年04月12日 23時37分53秒 | イベント・出来事・生活
小学校入学の季節ですね。

新型コロナの渦中、今年も小学校の入学式が色々な制約の中で行われたことでしょう。

親父の撮った古い写真を整理しようと眺めていたら、僕の本村小学校入学当時の写真が見つかりました。

自家(社宅)の前で撮った写真です。家の玄関より道路が高い位置にあるので、家はこの写真の右手に少しだけ写っています。
同期会で下関に帰るたびに、社宅のあった場所に立ち寄りますが、すっかり雰囲気が変わっていて、ドギマギしてしまいます。

近所に住んでいた同級生とも一緒に撮ってくれていました。

写っているみんなは今もお元気なのでしょうか・・

周囲の状況はすっかり変わっていますが、背後の山(ホーダイ山・老の山)はこれを見る限りあまり変わっていないようです。

同級生の顔を眺めて、名前をすぐに思い出せた人もいる一方で、「名前は何だっけかなあ」と首をひねる人もいます。
この写真は、親父の趣味でもあったスライド(幻燈写真)のポジティブフィルムで、もう半世紀以上前の為、カビによるシミも出ていたので、見易く修正しましたが、何分色全体が褪色していて、且つ全体に青っぽく変色していたので、昔の色から随分変わっていると思います。

ポジのスライド用写真なので、写っている人のご家庭に印画紙にプリントして配ったのかは知りませんが、写真をプリントしてはいなかったかもしれないので、懐かしいと思う人もいるかと思い、顔はそのまま無修正としました。ご容赦m(__)m

もし、全員の名前が分かる方がいたら、コメントでご教示願えればと思います。ヨロシク

また、同じころ、僕の入学を記念しての家族写真と思われるのもありましたので、蛇足ながらご紹介します。
写真の左隅に梅光女学院の建物が写りこんでいるので、日和山水源地脇の道路での撮影と思われます。

同じ場所付近からの写真はその後も結構あったと思うので、ここからの眺めは親父も好きだったのでしょう。


by W

蜂の巣

2018年10月18日 13時00分33秒 | イベント・出来事・生活
無茶苦茶に暑かった夏も過ぎ、気が付けば、はや10月の半ば。。。

今年の夏は暑かった。そのためか(?)、僕の周囲で葬儀が結構あり、続いて、秋にかけてその記念会(法事)も続いた。
ようやく待っていた秋風の季節になり、秋のサイクリングの計画にも取り掛かっています。

その前に、この夏の総括をひとつ。。。

今年の夏は、蜂がヤケに多かったと思いませんか。
庭のガレージ(と言っても、コンクリート地面にアクリル屋根を張っただけのものですが)にアシナガ蜂の飛んでいるのが目につきました。
一昨年8月に、ガレージの屋根の一角にいつの間にか作られた蜂の巣のことについて報告しました。

その時の写真です。

それで、また新に蜂の巣が出来たのかな?とガレージの屋根や、家の軒下、植木の枝を注意深く探したのですが、見当たりません。
隣の家の庭からかもしれないと思っていたのですが、やはりそれにしては多い、と思っていました。
今回はなんとなく、地面近くも飛んでいるなあ、と思って地面近くを見ると、もう何年も使わずガレージの隅に立てかけるように放置していた石臼の周辺に比較的多いと気づき、そっと臼の下を覗き込むと、中から、一昨年の夏に聞いたブーンブーンという警告の羽の音!!!
あわてて、そーっとあとずさりして、蜂用殺虫剤を手に取り、ブシューーーーと隙間目指して放射しました。

あっと言う間に数十匹の蜂が飛び去って行きました。
翌日、静かになった臼を引き起こすと、無人(無蜂)となった巣がデーンと鎮座していました。


ようやく秋風が吹き始めた頃、
夏の暑さに手入れを怠って、茂り過ぎた庭木の枝打ちを行ないました。
すると、また、アシナガ蜂が何匹も飛び回っているので、あの臼の蜂の巣から飛び出した蜂がまださまよっているのだろうか。
と思いつつも、枝打ち作業で、巣のある枝を作業してしまうと悲惨なことになる、と作業を中断して、二度目の蜂の巣探し・・・
すると、今まで気にも留めていなかった車を支える器具の周辺に多いようだ。
注意深く見ると、何と、器具の内側に蜂の巣が!!


静かに後ずさりして、スプレーを手にすると、思いっきり器具周辺と中に放射。
今回は、ブーンという威嚇音は聞こえず、あわてて蜂が飛び去って行きました。
更にスプレーを放射して、退散。
翌日、器具をひっくり返してみるとこれまた見事な巣が。

石臼から3メートルも離れていない場所でした。

何とか、枝打ち作業も終えて、風が植木の間を通り抜けるようになり、
スッキリした庭を眺めながら、何と自分の目は節穴だったのか!
と自戒したことでした。


by W

神戸港開港150年イベント= セイル・ドリル

2017年07月20日 00時37分45秒 | イベント・出来事・生活
先日の三連休、神戸港では開港150年記念として
帆船を使ったイベントが行われました。

その二日目の日曜日、昼過ぎから2時前までの
時間でしたが、少しだけ見物してきました。

歩いて神戸港のメリケンパークに向かいます。
海岸通り(国道2号線)を横切る歩道橋の上からです。


メリケンパークの入り口には巨大な鯉のオブジェが
お出迎えです。


鯉のオブジェの前を通り過ぎてメリケンパークに入ると、
最初に目に飛び込むのは震災で破損した岸壁のメモリアルです。
そして、その向うに帆船が目に飛び込んできます。


手前に見えるのがトップスルスクーナーの「みらいへ」
その向うにデーンと大きい帆船が海王丸。
1時から始まるセイルドリルを見るために続々と
人が集まってきています。
帆船の停泊している突堤は身動き取れないのでは
というほど人が集まってきています。


僕は2時から別の予定が入っているので、
人込みから抜け出せなくならないよう、
少し離れた場所も眺めてきました。


帆船型の遊覧船「咸臨丸」も人気でした。
海上から帆船を眺めようとしているのでしょう。
更に小さな帆船型遊覧船も人気のようでした。


「咸臨丸」はしばらくして出帆し、神戸港の沖へ
遊覧に出ていきました。

こういう帆船の姿は何か映画的で、郷愁のようなものを感じさせられますね。

少し歩き回ってから、海王丸を眺められる場所に戻ると、
セイルドリルが始まっていました。
「みらいへ」の展帆も開始されていました。


帆を展開するために、海王丸の作業員もマストの帆桁に
続々と登っていきます。


隣の「みらいへ」も横帆の展帆まで進んでいます。

「みらいへ」は帆桁には人が登らないでも
甲板からだけで操作できるのでしょうか、
マストには人の姿が見えませんでした。

海王丸も登りついたところから帆を縛っているロープを解き始めています。


隣の「みらいへ」はほとんど展帆作業が終わったようです。
メリケンパークからは全体像が見えず、
マストだけが見えていたロシアの帆船「パラダ」も
いつの間にか展帆が終わっている様子が「みらいへ」越しに見えます。


しかし、2時からの予定の為これ以上は無理。
後ろ髪を引かれる思いで、
最後の一枚、震災記念メモリアル越しの写真を撮ってメリケンパークを後にしました。


2時からの用事を終えた5時頃、家に向かう途中、
再度山ドライブウエーの途中にある市章山から
未練がましく、メリケンパークを眺めると
全ての帆船の帆は畳まれて、セイルドリル前の状態に
戻っていました。

よく見ると、もう一艘の帆船が係留されていました。
ロシアの帆船の前に、小さな3本マストのスクーナーがいます。
家に帰ってからネットで調べると
韓国の「コリアナ」という帆船でした。


by W


ロックオン その結末

2016年08月15日 22時10分18秒 | イベント・出来事・生活
夕方、ガレージで車をザーッと水洗いして、
黄色いスポンジをガレージの竿にかけていると、
頭の後ろで
「ブーン・ブーン」と異様な音が聞こえてきました。
何やろ?と音のする方に目をやると、
何と、いつの間にか出来た蜂の巣の背後の壁面に二・三十匹の蜂が
隊伍を組んで並んで羽を振るわせています。
僕が少し動くとその動きに合わせて隊列がその向きを変えます。
明らかに僕を標的にして警告音を発しています。
要するに僕は「ロックオン」された状態でした。
後で、その様子を写真に撮っておけばよかったと思ったのですが、
その時は、そんな余裕は無し。
子供のころから蜂には刺されっぱなしでしたから、
ここはあわてて動いては負けと思い、静かにその場を去りました。

そして、その翌日の夕方
巣の背後の壁面に隊伍を組んでいた蜂も視認されないことを確認し、
蜂の巣退治の新兵器(スプレー)を巣から4,5m離れた場所から
シューと噴射しました。
殺虫剤(殺蜂剤)の説明書きによると「10秒以上噴霧する」
とあったので、20秒ほど噴霧して、すぐさま、その場を後にしました。

そして今朝、
恐る恐る蜂の巣の様子を見たのです。

蜂の巣、またその周りは一変していました。
飛んでいる蜂は一匹もいず、巣の蜂も全く動きがありません。

巣の下には累々たる蜂のしかばね。


ガレージの途中の出っ張りにも無数の蜂の死骸。


地面に落ちた蜂の中にはまだ足を少しばかり動かしていたのも
居ましたが、完全に蜂の巣の活動は終息し
周囲を飛び交う蜂も見られませんでした。
蜂の巣の直径は20cm以上になっていました。

お盆というのに、なんという殺生なことでしょう。

しかし、知らずに過ごしていたら、
間違いなく近々僕は蜂の攻撃の餌食になっていたことだけは
確かでした。



by W

片桐竜次が「週刊現代」で特集される!

2015年03月05日 13時37分07秒 | イベント・出来事・生活
波多野貢二くんから連絡がありましてね。
彼の特集が「週刊現代」で、4ページにわたって掲載されるんだって。

「波多野貢二?」ってと思う人は、彦中の同期生じゃない方だと思います。
波多野くんの職業は俳優。
芸名は「片桐竜次」といいます
彼は彦島中学校の同期生なんです。だから、応援しています。
×3月9日月曜日発売の「週刊現代」だそうです。
3月16日月曜日発売の「週刊現代」だそうです。(追記:16日に延期だそうです)

読んでくださーい! そしてなんらかの方法で「拡散」を希望します。

「うーん、聞いたことがあるような、ないような・・・」という人も多いん
でしょうね。
でも、彼は「有名」なんですよ。顔はね。

では、ご登場いただきましょう。まずは若い時から。

これなんか今のイメージからすると爽(さわ)やかすぎるかな?

これなんかどう?

故川谷拓三さんとの2ショット。そう、「片桐竜次」も「ピラニア軍団」の
一員だったのです。「そうか!あの彼か! 彼が片桐竜次なのか」と
この辺で、思い当たった方もおられるかも。

映画俳優なんだから、イケメンか異形の人が多いんだけど、「片桐竜次」は
イケメンの方。

これなんか本来はイケメンだったってのが、お分かりいただけると思います。
故松田優作氏も下関市出身で、仲も良かったようで共演も多かったそうです。
このショットの雰囲気、もしかしたら松田優作主演の映画のワンシーンかも
しれませんね。

次は中年初期の「片桐竜次」

これは「地方記者・立花陽介」シリーズの1カットだと思います。
水谷豊さん主演のシリーズものでは、レギュラーで出演することが
多いです。

このシリーズは「片桐竜次」にとっては、珍しく「エエモン」の役です。
この辺で、50パーセントの人が「ああこの人が『片桐竜次』か」と納得
されたんじゃないでしょうか。

次は中年中期から現在に至る「片桐竜次」です。

そうです。人気テレビドラマ「相棒」で、内村刑事部長役を演じている
「片桐竜次」さんなのです。


これは「おみやさん」の方です。これも「相棒」と似たような役回りで、
渡瀬恒彦さんが演じるおみやさんに、嫉妬し妨害する上司を演じています。

ここまで御紹介すると、70パーセントの方が「片桐竜次」の名前と顔が
一致すると思います。

あとの30パーセントは、邦画やテレビドラマをあまり観られない方達だと
思いますので、応援依頼は遠慮させていただきますね。

あともう一枚。

これはやくざのボスあたりを演じているんでしょうね。
見事に表情が変わるもんですね。
「おぬしも役者よのー」と役者に向かって声を掛けたくなるようなショット
ですね。

************
顔は有名ですが、名前「片桐竜次」を憶えてもらい、字義通りに「有名」に
なってもらうのが、僕らの切なる願いです。

片桐、片桐、片桐竜次でございます。
どうか応援宜しくお願いいたします。

当ブログでの片桐に関する過去記事は以下のURLです。あわせてお読み
いただけると幸いです。
http://blog.goo.ne.jp/hikochu38sotu/s/%CA%D2%B6%CD%CE%B5%BC%A1

by K

片桐竜次 in Shimonoseki

2014年10月06日 14時16分19秒 | イベント・出来事・生活
Kです。ご無沙汰してました。涼しくなって体調が戻り、ルンルンです。これからは
ちょくちょく投稿できると思います。

もう、七年ぐらい前になると思います。僕は彦中の同期生に誘われて、彦中の同期会の
結成に関わることになりました。「もうすぐ還暦やけー、彦中の同期会を開こうと
思うんよ。ちょっと手伝ってくれんかいねー」って依頼でした。

「還暦?? うん!彦中!?」って感じだったけど、下関に戻ってきた以上、そりゃ
渡世の義理ってもんじゃありませんか、僕は「ええよ」と即答しましたのでござりまする。

初めての時は色々混乱がありましたが、中でも名簿の作成が大変でした。
なんせ、16クラス830人も在籍してたんですから、消息不明者だらけ。
色々なルートで消息不明者を潰していきました。

各自が調べてきた消息判明者の報告会は、毎回、雑談の嵐でした。
「どこの誰ベーは○×高校を出た後、△□会社に入ってのう、それが気がついたら
いつの間にか独立しちょってのー、それが、はあ、まあ、今じゃ△○会社の社長さんぞー!
のお!すごいじゃろ!」
 (すごいじゃろと言われてもねー、ワタシ今の下関は不案内、高校以外の固有名詞は
  分からんのです。トホホ )

「小学校の時、お前もおんなじ組やったろうが、△△は演歌の歌手になったんぞー」とか
「あいつはのう、XYZ放送のアナウンサーになってのー、ここいらでは、すごー
 有名なんじゃ、お前、知らんのか!?」とかいう問いかけに
 (ははーっ、知らんですんまへん!)

そんな状況下で片桐竜次の名前を聞きました。
「お前、波多野を知っちょるか?」
 (同じ組になったことないしな、小学校も違うしな。知らんなあ)

「そんならカタギリリュウジなら知っちょるやろう」
 (知らんなー、そいつ何組や?」
「ハハハ、馬鹿かお前は。片桐竜次は波多野の芸名っちゃ。片桐竜次は有名な俳優ぞ」
 (悪いなー。知らんことばかりで。そのうち調べて勉強しとくわな)

と、答えながらも、その後数ヶ月は調べることなく、うっちゃっていました。
 (830人もいたんだから、そりゃ、社長や歌手やアナウンサー、俳優になったのが
  いてもおかしくないよな。医師、学者だって、おかしくないだろうよ)

でも、集まる毎にカタギリリュウジの名前が登場するので、このまま知らないままで
通すのも皆に悪いなと思い、ググッてみました。

モニターに現れたカタギリリュウジの顔を見て驚きました。


おお、この役者かい!! この役者なら知ってるよー。映画やTVドラマにしょっちゅう
出てくる俳優やないかい。そうか、波多野くんなる同期生が俳優になり、茶の間のTVに
頻繁に登場している。そして芸名が片桐竜次っていうわけだ。

僕はパソコンに取り込んだ彦島中学校の卒業アルバムを開いて、波多野君を捜しました。
これです。

ハハ!今の彼と似てる!
当り前だけど。

ま、こんな経緯だったんです。


片桐竜次 下関の地域テレビに登場! 

テレビ局と言っても今はやりのインターネットテレビなんだけどね。(下関ホルモンTV)

片桐竜次の写真を写真を見せながら、「この俳優、知ってる?」と聞けば、多くの人が
「知っている」と答えると思います。
だけど、「で、この俳優さんのお名前は?」と尋ねたら、多くの人が「顔は知っているけど
名前までは・・」と答えると思うのです。うーん、その辺がちと残念に思っていたのです。

同期生だから残念と思うだけではないのですよ。うまい役者さんなのにもったいないでは
ないかと思うのです。

だから、同期会として波多野君=片桐竜次の活動を側面から何とか応援したいものだと、
前々から考えていたのです。後はチャンスとタイミングだと思っていました。

おおー!ついにチャンス到来!
先日、スペインバル「アル・ボルデ」にて、波多野君出席の下、「片桐竜次後援会下関支部(仮称)」
の決起集会を決行しました。この飲み会の様子は「下関ホルモンテレビ」によって、収録・
編集され、番組になっています。


「下関ホルモンてれび」のサイトで、波多野君と彼の応援のために駆けつけた同期生の姿を見たい方は
下の赤い字をクリックしてください。
下関ホルモンてれび特番2

「YouTube」の方で見たいって方、下をクリックしてください。
youtube特番2

スペインバル「アル・ボルデ」のサイトは以下です。
アル・ボルデ立上げ奮戦記

※番組はずいぶん前からアップされていたのですが、告知が遅れてしまってすみません。
 動画に登場してしまった自分の姿を見るのは、やっぱ嫌なもんですね。コンプレックスを
 持つほど自分自身の姿に関心はないのですが、モニターに登場する自らを客観的に見てしまうと、
 「こりゃー、鑑賞に耐えられない顔だな」と、ちょいうんざりしてしまうのです。
 それで、通しで全てを観ることが中々できなくて、今になってしまいました。すみません!

※当日の参加者は彦中の同期生とアル・ボルデのお馴染みさんが、半々ぐらいでした。

by K

読書寸評 「日本史の誕生」

2014年05月07日 10時10分32秒 | イベント・出来事・生活
この年齢になって、高校時代の「日本史」の授業を思い出してみると
(今にして納得したってことなんだけど)、たしかに不思議な授業だったと
思います。

歴史を物語としてみれば、始まりがあって、「今」があるんだって
ことを教えられたら、一貫とした「流れ」があってね,そりゃガキとしては
興味を持ったんだと思うんだ。

でも、授業は違った。縄文時代とか弥生時代とかの考古学上の「事実」を
さらりと書いて、突然の「推古天皇」や摂政の「聖徳太子」の業績の
「歴史的事実」を、これまたあっさりとした羅列として登場させたものだっと
記憶しています。

でも、それは「今にして分かった」ことであって、当時のガキとしては、
「こんなもんかな?」って感じでした。

当時の違和感として憶えているのは、教科書の記述してはあるのに、
「近代」を教えないまま、終わったことでした。

「おい、おい。それって困るんだ。大学受験では、近代の問題が出ることが
 あんのにさ、教えてくれないの?」と、真面目な受験生だったら困惑
しただろうね。

「もう教える時間がなくなってしまったから」と教師は言ってたけど、
「今にして思えば」、彼らは確信犯だったよね。

当時は、「右」と「左」の世界の空間が、それぞれ狭くって、なおかつ
「どちらか」を迫られた時代だったように思います。
そして、「左」の方が「開明的」「進歩的」「開放的」と思われていて、
「右」の方は「旧守」「古くさい」「頑迷」というイメージに、少なくとも
当時の若い世代は囚われていたと思うんだ。

「時代はそうなんだけど、ちょっと違うよな」と思う、当時の聡明な中年の
人たちは、みんな沈黙していたんだということ、「今にして」思うんだ。

だからと言って、当時の多数派の「左」の人たちが、開放的に、磊落に
行動してたってこともなかった。
なんせ、地方都市だからさ、綿々と続いてきた「力」に無自覚には弱くって、
自己発信としては「左」、教職維持としては、「だんまり」を自然に
選択したんだろうね。

だから、日本史を教える教師は、近世までは教えるが、それまでを
熱心に教えたが故に、「たまたま」近代を教える時間がなくなった・・
と、毎年、「たまたま」だと演技したんだろなー。

ま、それで、僕たちの世代は、始まりも今も教えられてないのだって、
ことになる。
でも、それが悪かったってことでもない。時の政権が創作する「始まり」や
「今」を教えられる状況より、ましな時代だったとも言えるからです。


いい時代になったもんだと思います。こういう本が冷静に読める時代に
なってるんだよね。

・世界史(中国史)の一貫として、日本を読み解く
・「国」という概念を、ともすれば国民国家としての「国」と狭めないように
  しよう。
・当時の日本列島の「国」なんて、ちょっと大きめの集落を指す。城郭のない
 城郭都市だった。
・中国系の移民(つまり華僑)と、現地住民とのハイブリッド状態である、
 都市国家の連合体を、時の中国は「倭」といった。

等々ね。
やっと、日本列島の「古代」が腑に落ちましたなー。資料的に正しい
かどうかではなく、こういう切り口ではなくってはいかんのだという意味での
納得ね。

なお、卑弥呼がいた邪馬台国、この本では山口県の瀬戸内海沿岸のどこかの
可能性が強いと記されていた。
だからといって、山口県民がその情報にロマンを感じたら、痛いめにあって
しまいます。

邪馬台国が大和にあったのか、九州にあったのかっていう論争自体、迷妄の
世界からなりたっているんだという、身も蓋もない世界なんです。

by K

夢 四、再会

2014年04月24日 14時30分25秒 | イベント・出来事・生活
僕はパーティーに出ていた。
少しも緊張を感じなかったので、知り合いの多いパーティー
だったのだと思う。
それでも見知らぬ人も少しはいて、偶然近くになれば、
その都度お互いに自己紹介をした。

三人目のぐらいの挨拶の時、僕はその人を発見した。
初めは誰かとは全く分かっていなかった。
「おや、この人は白人なのに、表情や所作が日本人に
似ているところがあるな」と思い、その人の目を見た。

相手も同時にそのようなことを思ったようで、僕の目を見つめた。
「ということは僕も白人の容姿になっているのだ」と思った。
と同時に僕は全てを了解した。
相手も同様な確信を持ったようだった。

イメージも輪郭も以前とは全く違っていた。にもかかわらず
リアリティはすごくって、僕はこの人は昔の彼女なんだってことを、
すぐに了解したのだった。

遠い、果てしなく遠い追憶だった。たぶん日本の「スタジオ&
高校」のステージから、せいぜい実時間は十年ぐらいしか経過
していなかったと思う。でも遠いんだ。頭の中ではすごく遠い
過去の人。でもうずくような懐かしさに僕は動揺していた。

その人はテラスに僕を誘った。外はすっかり暗くなっていた。
僕は屋内のパーティー会場から死角になる椅子に座った。
そしてその人は僕の傍らに立って、僕をじっと見つめていた。

その人は僕に言った。
「今日、会えるなんて思わなかった。あなたの目を見た瞬間に、
 私はずっとあなたに会いたがっていたんだってこと、分かりました。
 でも、あなたのことを毎日想っていたわけではないのです。
 あなたのことは全く忘れていました。だけど、あなたに再会した
 途端に、私はあなたに会いたがっていたんだということが分かった
 のです」

「この人は僕と同じことを感じ、同じことを考えている」と思った。
言葉は必要ない。僕の気持ちもこの人に伝わっている、というより
僕たちの心は完全にシンクロしているんだと思い、僕は返事を返さずに
その人を見上げた。

その人は涙ぐみながら、「もう戻れないね」と言い、背をかがめて
見上げている僕のくちびるに軽くキスをした。
「そう、僕たちはあまりにも遠い行程をそれぞれに歩みすぎたんだ。
 戻れないのは確かだ。でも、それって切ない、切なすぎる!」
と思いながら、その人の軽いキスを僕は受け入れた。

このシーンで夢は終った。
夢の終りは、ある違和感で唐突に訪れたのだと思う。

切なさ、悲しさに覆われている「その人」の顔を、
「この人の顔、ジョン・ヴォイドに似ているな」と思ったのだ。
 この人ね。↓

(ジョン・ヴォイドって俳優を知らない方には、アンジェリーナ・ジョリーの
 お父さんって言った方がいいかも。年寄りのおいらには、こっちの方が
 初耳の情報だったんだけど)

また、涙ぐんでいる目の表情は、アレック・ギネスに似ていると思った。
特に映画「ドクトル・ジバゴ」で、ジバゴの義兄役の時の1シーン、生活に
困窮したジバゴが深夜、街頭で暖房のための木材を盗んでいる場に、
遭遇し、驚き、戸惑い、悲しみ、哀れむ時の目に似ていると思った。
この写真の右の人です。↓


彼女は男性になっていた。ということは、僕は女性に変身しているのか!?
と、夢の中の我が身を俯瞰したが、僕は男性のままだった。

「これって同性愛?」と、一瞬おぞましさに包まれかけたが、
「いやいや、 僕はすごくナチュラルにあのキスを受け入れていたよな」
と思い返した。

「この夢、すげーヤバ!」と半覚醒状態の僕はあせっていた。
僕は覚醒の世界では、全くのノンケなんです。
そりゃー、数年に一度ぐらい、オカマバーを訪れてね、話術の達者な
おかまさんと話す時は、楽しいと思うけどね。だけど、一度たりとも
「彼女」たちに性的な幻想を持ったことはないのです。

おー、嫌だな。勘の悪い心理学者に、「あなたは無意識の世界では
ホモセクシャルに対する願望がある」なんて、分析されたらウゼーよ。
なんとか結着をつけなくてはと焦ったのです。

で、僕はうつらうつらしながら、直前まで見ていた夢を反芻したのです。
だから、この夢を記憶できたのだと思います。

[終わり]
by K

※しばらくネットが不通だったので、アップできませんでした。
 最終回のアップをお待ちになっていた、ごくごく少数の方々へお詫び申し上げます。
 どうもすみませんでした。

夢 三、セレブ修行 樹脂からプラスチックへ

2014年03月16日 13時50分47秒 | イベント・出来事・生活
僕たちは南仏だか、エーゲ海の島だかに、到着した。
「セレブってことになると、やっぱ、西欧が本場ってことだよな。
 上等だ!」とタラップから降りた僕は乗ってきた船を振り返った。

船は、真っ白な豪華遊覧船だった。
ポアロさんが登場するTVドラマで見た船の形に似ているような気がした。
※覚醒後、検索してみましたが、船の画像は発見できませんでした。
 が、ドラマの名前は判りました。名探偵ポアロシリーズの「ナイルに死す」です。
 
 このおっちゃんが出演しているドラマね。

この遊覧船、船首が丸っこくて、船底も平で喫水も浅い、こんな船で
外洋を航海できたもんだと、ちょっと不思議な感じがした。

僕たちと書いているけど、乗船中や上陸後のある程度の期間までは、
彼女と一緒だったような気がする。
たけど、初めから別々の行動を強いられていたのかもしれない。

何故なら、このシーンでは彼女は確としたイメージでは、一度も
登場していないからだ。
ただ、「修行」の前期ぐらいまでは、行動を共にしていたいたような
感覚は残っているのだ。「一緒感」とでも言おうか、そんな気配は
記憶している。

僕たち(あるいは僕)は色々なレッスンを受けた。
が、個別のレッスンの課目はまったく憶えていない。

教えられた通りに行動するだけでは、その課目の卒業は許されないのだ。
教えられたという痕跡をみじんも感じさせない、自らが自然に会得した
行為に見えて、初めて卒業を許されるのだ。

だから修行した全ての課目を、僕は憶えていない。
言葉を自然に獲得した幼児期のことを思いだせないように、僕は
修行の内容を思いだせないのだ。

ただ、最後のレッスンだけは憶えている。
ドッジボールぐらいの大きさの樹脂を僕は与えられ、「それを君の手だけで
鍛練しなさい」とだけ告げて、教師は去った。

まあ、とにかくやってみましょうかと、僕は渡された樹脂と向き合った。
樹脂はある程度の弾性もあり、粘りけもあったが、べたつきはなかった。

「いい子だ。でさ、君は何になりたいの?」僕は樹脂に語りかけた。
なでたり、軽く押したりしながら、話しかけた。まるで猫の背中を
なでるような感じでね。

「何になりたいなんて!? そんなこと分からないわ。今はあなたに
 こうして触っていただくと心地いいだけよ。ただ、心地よさが私の
 中で、満杯になったら、次の欲求が生まれると思うの。その時になったら
 またお伝えするわ」
 
喉をゴロゴロとは震わせなかったが、樹脂は満足そうに答えてくれた。
樹脂はステップ毎の終わりに、僕に「ご要望」を伝えた。

合計で20ステップぐらいの工程だったと思う。僕は樹脂さんの
ご要望に応えて、いろんなことをした。

陶芸の粘土をこねる作業のような工程。
パン生地の空気抜きみたいに、作業台に何度も叩き続ける工程。

大きな木槌でたたき伸ばし、広がった樹脂さんを折り重ねて、また
木槌で叩きのばす作業を繰り返す。

電動のサンダーや研磨機で削ったり、磨いたりもした。

このステップはもう終りだと思うのに、樹脂さんの「ご要望」が
聞こえないので、僕は訊きました。

「次はどうしてほしいのですか」
樹脂さんの声が消えていた。
僕は樹脂さんを見た。

樹脂はプラスチックに変っていた。
プラスチックのゼンマイバネになっていた。
ぐるぐる巻きのゼンマイバネは直径が30㎝ぐらい、幅は4㎝ぐらいの
大きさだ。

そうか、樹脂はプラスチックに変成したのだ。だけど、樹脂さんは
樹脂の属性に依存していたからおれなくなったなったんだろう。
すっと消えるなんていいね。いい消え方だよね。
樹脂さん、さようなら。また会えたらいいね。

それにしても樹脂からプラスチックに変わったゼンマイバネは
恐ろしく綺麗な色を見せていた。緑色や青色の系統のあらゆる名称を
捜しても、当てはまる名称がないと言ってもいいほどの美しさだ。
この世のものとは思えない素晴しい発色だった。
(ハハ、この世の世界の出来事ではないのにね)

ゼンマイバネに語りかけても、ゼンマイバネは沈黙していた。
まだ、命が宿っていないようだった。

「いいよ、今のこの美しさだけで充分だ。『ゼンマイバネさん』と
 話しかけられるようになるには、時間がかかるかもな。その時
 また話そうよ」

[続く]
by K

夢 二、「教室」

2014年03月13日 17時30分28秒 | イベント・出来事・生活
教室に戻ってみると、そこは高校だった。
僕たちはどうやら高校三年生のようだった。

グループ学習でもやっていたのだろう、男女が数人ずつ
向かい合わせで座っていた。彼女は席についても、美しく発情した
ままだった。熱視線を僕に送り続けていた。

幸いお互いの机のおかげで、他の生徒から見られることはなかったが、
彼女は爪先で僕の脚に触ろうと、何度も試みた。

僕だって若い男だ。その好情は嬉しくもあり、彼女の要請に応えたい
という衝動に何度もかられた。

でも、「ここじゃ、やばいんじゃない?」という、コドナのような
冷静さを、あの世界の僕は持たされていたようだ。

数時間か数日間かは今では確認できないが、彼女の一向に衰える
ことのない僕への熱情に、映画界を取り仕切る真のボスたちは
お手上げだと思ったようで、このままでは彼女のこれまでのイメージを
維持できない、破綻は近々訪れると判断した。

「路線変更だ」
呼び出された僕たちに映画界のボスは言った。
「君たちには本当のセレブになってもらう。修行の結果、真の
 セレブになったなら、君たちの恋愛はオーケーだよ」

彼女は今のパッションが、受け入れられる唯一の道だと思ったのだろう、
すぐさまその「修行」の提案を受け入れた。

僕は「それは違うんじゃない?」と思いながらも、反論の言葉を
持ち合わせていなかったので、「抗えない大きな世界に巻き込まれる
のも人生だし、青春かもしれない」と思い、消極的だか積極的だか
よく分からない理由を思いつき、ボスの提案を受け入れた。

そうして僕たちは修行の旅に出た。

[続く]
by K

夢 一、「前室」

2014年03月11日 10時22分08秒 | イベント・出来事・生活
不思議な夢を見ました。普通は覚醒時にはすっかり忘れている
のですが、月曜日は定休日、だらだらと寝ていい日なので、
半覚醒状態で、だらだらとその夢を反芻(はんすう)しました。
で、記憶してしまったわけです。ちょっと場違いかもしれないけど、
こういうのもたまにはありかな?と思い、アップしてみます。

シーンからいうと、四つありますので、たぶん、四回連続の
シリーズになるかもしれません。Kがグヂャグヂャまた書いて!
と呆れる人は即パス! 思いっきりグチャだからね。パスしなよ。

[前室]
僕は教室の前室に呼ばれた。「またですか」って気持ちになって、
僕は壁にもたれかかって、「事態」を待った。

彼女が動揺と興奮をマックスに抱え込んで、前室に飛び込んできた。
二、三人のスタッフも彼女を心配して後を追ってきた。
彼女は僕を見つけるなり、僕の胸に飛び込んできた。

上野樹里みたいな表情をしている子だった。

ちなみに覚醒している世界では上野樹里の演技は好きではない。
ゆるい演技だと感じる。世の中なめている演技だと感じる。
ま、若いので仕方がないのだけどね。

飛び込んできた彼女は、数秒後、体の向きをかえて、後頭部を
僕の胸に持たれかけて深呼吸をしていた。

中堅の女優が前室に入ってきて言った。
「あなた、いい加減にしなさいよ。あなたのその態度、どれだけ
みんなに迷惑をかけてるのか、分かってんの?」

中堅女優は若村麻由美に似た顔だった。
この人も覚醒時の僕は好みではないんだよね。
綺麗な顔をしてるんだけど、フェロモンが感じられないっていうか、
演技に人間力を感じないっていうか・・・って女優なんだ。

中堅女優は彼女の表情を、そして僕にもたれかかっている状況を
見て、眉間の皺を消した。
「仕方ないわね、落ち着いたら連絡してね」と言って、前室から去った。

そうだ、この映画は彼女のプリミティブさで成立するのだ。
それは内心、みんな分かっているのだ。

彼女の動揺や興奮を全て抱え込まなきゃ、この映画の魅力は
ないのだってこと、みんな分かっているのだ。

中堅女優の去り際、僕に「任したわよ」という目線を送った。
そうなんです。僕は彼女の感情のコントロール役として、価値が
あるとされているみたいなのだ。

どこの馬の骨かも分かんない若造だけど、とにかく彼女の心の
安定には役立つんだから、ま、許すかって位置づけの僕みたい。

コントロール役と言ったって、僕は彼女の心の全てを
コントロールできるわけではない。彼女の興奮を鎮めるのが、
僕の役割みたいなのだ。

僕は僕の胸に持たれている彼女の顔を見下ろした。
どうやら、この世界での僕は185㎝以上の人間らしかった。

見下ろした彼女は上野樹里から一変して、崇高な表情になっていた。
崇高だし、凛々しいし,そして何よりも抱きすくめたくなる
可愛さを感じた。

あ、そうか! この表情を映像に止めたくなって、映像作家は
夢中になるんだなと、瞬間かつ全面的にと理解した。

僕は凛々しく崇高な彼女、その彼女の無意識下で現してしまう
いとおしさ、可愛さに初めてシンクロして、可愛いな、キスしたいなという
衝動が生まれた。ただ、僕は十分にその時は抑制的だった。

でも、バッドタイミング! 彼女はその時閉じていた目を
見開いて、僕の「可愛いな」と思う電波を受けとってしまったのだ。

たちまち、彼女は僕に恋情を抱いて、僕を欲するようになった。
「今ね、あんたは、興奮状態だからたちまち好意を僕に持ったんだよ。
それは違うんじゃないの」と思い、僕は慌てた。

オトナのスタッフたちは、僕たちの異変を感じて、僕たちを
教室に戻した。
(続く)by K

下関市もストリートビューが楽しめる!

2013年09月30日 21時21分45秒 | イベント・出来事・生活
掲示板「彦中昭和38年卒 同期会」でも報告させていただいたのですが、
下関市もグーグルマップのストリートビューが楽しめるようになりました。

いやー、面白いっすね。

僕はうろ覚えの下関本土の路地を訪ねて楽しんでいるのですが、ま
ここは遠く離れて久しい同期生諸君のために、彦島の景色を切り取ります。


彦島道路から見える、西山海水浴場と六連島(むつれじま)です。
なんで、あの西山海水浴場が人工海浜になったのか?なんてこと、
出戻りのワタクシに質問するのは勘弁してくださいよ。

ま、そんなことはともかく、海っていいよね。


弟子待海岸からの関門海峡です。
僕の一番好きな関門海峡ビューの地点です。
堤防から顔を突き出して見る200度ぐらいのパノラマは最高です。
これは一部だけどね。


これは彦島ではないけど、長府ーみもすそ川間の9号線から見える
関門海峡もいいです。
「お、いよいよ海峡だ!」と思う船乗りの緊張感、高揚感が伝わってくる
ような気がするのです。

※三枚の写真ともどもgoogleのストリートビューからハードコピーしたもの
 です。

派手な車

2013年08月15日 16時30分44秒 | イベント・出来事・生活
Y君が彦島でやけに派手な車と遭遇したそうだ。
で、注視すると、なんとグーグルマップのストリートビューの撮影車だったんだって。


ネットで探してみました。派手だと言ってたので、このタイプの撮影車だと思います。

京都はいの一番にアップされたので、あ、俺ン家のベランダ写っている! 
ハハ、洗濯物、干しているやないかなんて早くから楽しめたんだけど、
下関は2号線と9号線の一部のみで、後は放置されていたんだよね。

おう、おう、やっと彦島に来たか!って感じ。

下関や彦島から遠く離れてお住まいの方へ
朗報ですぞ。

懐かしの商店街、懐かしの通学路の「今」がまもなく見られます。
ここまで変わったのか! ここは昔とちっとも変わらないな等々の
感想と共に故郷の今を、まもなく見ることができます。

by K

ヒッサシブリに遊園地ができます。

2013年06月11日 00時49分00秒 | イベント・出来事・生活

数日前、豊前田通りを唐戸方面に自転車で通っている時のことでした。
三百目を少し過ぎた辺りに、豊前田通りとバス通りが接近している所が
ありまして、直にアルカポートや門司の風師山が見えるのです。

そういえば、アルカポートに遊園地を作るって、市が発表してたな、
どうなってんだろうと横を向くと、ふいに現れたのがこの光景です。

あっちゃー、もう作業始まってんのかー! 
道路工事はメッチャ遅いので、公園や施設の新設工事がやたら早く
感じられるのでしょう。


おまけに最近引退した二階建てバスも鎮座しちゃってる!


ふむふむ、こういうことなんだって。


9月にできるそうですよ。

僕はこういう比較的、規模の小さい遊園地の新設は賛成です。
子育ての頃、琵琶湖西岸にあった堅田の遊園地が廃園になって、不便を
感じたことがありました。

この種の遊園地は、3歳から10歳ぐらいまでの子供には絶対必要なものと
思うんです。
かってあったデパートの屋上の遊園地や、長府の遊園地が、僕達の大切な
思い出として残っているように、この遊園地が今の子供達に、素敵な夢を
与えてくれる存在になるよう、応援したいよね。


海側から撮りました。要するに唐戸市場のチョイ南が、今の水族館で、
そのまた南に、この遊園地ができるんです。


話はそれますけど、僕はこういう高所作業が大好き。鳶職や、
高層ビルの窓拭き作業に、なんで就業しなかったのかと、わが人生を悔いながら、
うらやましく高所作業を眺めるワタクシメでございました。


あ、W君、もう一つ南のブースに繋がれている巌流島行きの渡船を
発見したんだけどね。どうせ乗るなら、こっちの方がいいよ。

こっちの方が、確実に船上のデッキで撮影できっからね。
船内は窓ガラスが邪魔して、撮影がうまくできないんだ。ただし、こっちは
土日と祝日のみの運行だったとと思うので、、気を付けてね。

ま、とにかく、静かに突然来関というのは止めて、次回はみんなと遊ぼうよ。
そしたら、情報の選択の誤りもないし、皆と爆発的な交遊も楽しめると思うな。
Wくんに告ぐ。「事前に連絡せよ」でございます。

by K