彦中三八ブログ 

彦島中学校を昭和38年3月に卒業した同期生のためのブログ。 掲示板「彦中昭和38年卒同期会」にもお立ち寄りください。

西日本豪雨・・・彦島もプチ被害

2018年07月12日 16時22分24秒 | 彦中・各小学校
ひっさしぶりの投稿で、やり方をすっかり忘れちまって、
右往左往しています。

ご無沙汰しております。景山です。
これからはマサジーの名前で投稿します。

店ではお客さんからマサジーと呼ばれてましてね、
マサジーの方がこっちも落ち着くからです。

さてさてです。西日本の豪雨! すざまじかったですね。
中国地方では広島県、岡山県の被害が大きかったので、
マスメディアでも連日報道されていて皆様もご周知のことと
思います。

被害の大きかった地域以外の方はというと、それなりの被害、
それなりの後遺症があるのです。

で、彦島です。
彦島はねえ、彦島(旧有料)道路が今もって通行止めなんです。
彦島道路を日常、走行している人たちは大変なようです。

老の山の裾野が崩落して、彦島道路を覆ったのは6日の金曜日の
早朝のようです。


ようですっていうのは、アタシあんまり彦島の家に帰んないからなんです。
月曜日にやっと帰って、荷物を置くなり、すぐさま現場に急行しました。

だってね、現場はすぐ近くなんです。彦島道路の迫出入口まで、徒歩一分。
崩落現場まで徒歩三分の距離に私んちはあるんですからね。

入口の方にはガードマンさんが立っていました。
ガードマンさんの横をすり抜けていく「ずうずうしさ」は、
強心臓でならす僕でも、ちょっとね、持ち合わせていないんです、はい。


で、出口側の方から登っていきました。
上がりきって、ガードマンの人や作業員の人にとがめられたら、
「ありゃ、入ったらいけんのか、そりゃあ、すまんことしたのお、エヘヘ」
で、すますつもりです。
「泣く子とエヘラ笑いの年寄りには勝てはせず」です。
これ21世紀の格言! 今、作ったんだけど。


これが崩落現場です。土砂はすっかり片付けられていました。
こりゃー、明日から規制解除かなと思いましたが、いや待てよです。

地方では安全と社会の効率ってなことに対して、みんなが共有する
解がないことが多いように思います。

もし万一、再崩落が起きて被害が発生しようものなら、
現場責任者まで罪を問われかねません。

もうちょっと再開には日数がかかるだろうと思いながら
現場を離れました。


振り返ると彦島道路最終地点に向かう道路。
当たり前ですが、車一台通っていません。
こんなのは、海峡マラソンの時しかありません。

僕はこんな光景、結構好きです。

道は人が歩き、車が走ってこそ道であり得るのです。
道が道であるための重要な要件を欠いていて、
その不安定さを道が訴えているような感じです。


出口の最終地点、地道のバス道との接合付近の側溝は
大雨当時、土砂を含んだ雨水を吹き上げたようですね。

by マサジー

※ 書き始めたのが、11日(水)で、書き終えたのが12日(木)
  です。本日12日より彦島道路は再開しています。
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片桐竜次特集掲載号の発売日、一週間延びる

2015年03月06日 15時13分39秒 | 彦中・各小学校

すみませ~ん!

「週刊現代」の片桐竜次特集の掲載号の発売日が一週間延びまして、
3月16日(月)になったと連絡が入りました。

訂正、宜しくお願いいたします。

by K
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本村小学校(ただし6年前の)

2014年03月02日 22時14分08秒 | 彦中・各小学校
本村小学校の航空写真を眺めていると、
僕ら目線の写真があることを思い出し、
取り出してきました。

還暦同期会の一ヵ月後に再度訪れたときに撮った写真です。
すでに、同じような写真が投稿されたかもしれませんが、
いちいち確認するのも面倒なので、
重複を恐れずご紹介します。

本村小学校に行くには、まずは正門への坂道を登る必要があります。

バス遠足のときは、校庭からバスに乗ってこの坂を降りていましたね。

坂道を登りきると校舎があり、
僕らが通った当時とほとんど変わっていません。
ただ、教室に換気扇が取り付けられているのが判ります。


プールも確かに新しくなっています。


体育館も立派にできています。
楠も健在でした。


校庭から毎日眺めていた光景の一部ですが、
水門方面です。


少し右に目をやって
水源地の山方面です。


もうすこし右に目をやると、
老の山へのバス停のあたりで、その向こうに玄洋中学校がみえます。
この山、昔は一面の段々畑でしたがね。


そして更に右に目をやると卯月峠方面になります。

もう6年も前の風景なので、その後、だいぶ変わっているかもしれませんね。
H君の住んでいた家もその後取り壊されていましたしね。

校舎の北側に行くと、僕が6年間通った道が残っていました。
しかし、当時はフェンスは無かったので、自由に往来できたのですが、
フェンスができていて、今では学校から直接通ることはできません。


校舎の裏側に回ってみました。

ここで、「世界一周」とかいう遊びをやっていたことを思い出します。

更に奥に行くと、大きな栗の樹があり、

栗の実がたくさん落ちていました。

一つ拾って帰りました。
拾ったときは500円玉より大きかったのですが、
6年の歳月は栗の実を1円玉サイズまでに小さくしてしまいました。

今も、僕の机の上に転がしています。
毎日それを眺めながら、彦島を思い出しています。


by W
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本村小学校の今昔

2014年02月20日 15時15分08秒 | 彦中・各小学校

昭和22年(1947年)10月の本村小学校の航空写真です。
もちろん焼失前の木造の校舎が写っています。
正門を入ってすぐ左の黒い屋根の大きな建物は、講堂です。


昭和36年(1961年)8月の航空写真です。
南側に校舎が増設されています。


現在の本村小学校の航空写真です。
プールの位置は変わっていませんが、戦前からのプールではなく、
新しいプールになっています。
体育館が運動場に対して妙に大きく感じます。

以下、本村小学校の沿革です。

明治7年4月 開校
明治40年10月現在地に校舎落成
昭和24年6月西山分校を三井金属彦島製錬所内に設置(翌年西山小学校として独立)
昭和28年1月木造校舎全焼
昭和33年10月児童数2,281人でピークを迎える。
昭和42年4月六連島簡易小学校が桜山小学校の六連分校に
昭和50年3月体育館竣工
平成16年4月開校130周年記念事業実施

私達が五年生だった時が、児童数では本村小のピークだったようです。
それがさあ、今(平成24年度)は児童数177人だそうです。
約十三分の一に減っているんです!

時代だなーって、感慨を述べてやり過ごすのは、我々年寄りの常套手段。

でも、「時代だ」って言えるためには、時代をしっかりと把握していなければ
なりませんよね。

※本村小学校の木造校舎の焼失前後の件については、以下の過去記事があります。
 (赤い字をクリックしてください)
本村小学校焼失
本村小 焼失前後

※木造の時代の江浦小学校の写真も、過去の記事があります。
江浦小学校の今昔

by K
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江浦小学校と角倉小学校の今昔

2014年02月18日 17時14分42秒 | 彦中・各小学校

昭和22年(1947年)10月の江浦小学校です。
江浦小学校の右上の丘にある空き地は、戦前にあった旧江浦小学校の跡地です。
戦後の一時期、丘の上の旧校舎は三菱造船の社宅に転用されていたそうです。


昭和36年(1961年)8月の江浦小学校です。


現在の江浦小学校です。旧江浦小学校跡地は県営住宅になっています。
木造からコンクリート造になっています。
1970年代の初め頃に建て替えられたようですね。


昭和31年(1961年)8月の角倉小学校です。竣工してから丸三年たった角倉小学校です。


今の角倉小学校です。
それぞれの校舎は延長されていますね。後は体育館とプールが新たに加わっただけで、
竣工時と大きな変化は見られません。

変わったのは学校周辺だよね。
航空写真の撮影日は運動会の日だったみたいですね。
by K
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彦島中学校の変遷

2014年02月16日 16時28分04秒 | 彦中・各小学校
Nくんが掲示板の方で、昭和22年(1947)当時の航空写真をアップしてくれたので、
周辺の当時の景観を懐かしく見させてもらいました。

同じような航空写真を国土地理院のサイトから引っ張りだして楽しんでいると
僕らが生まれる前後の彦中は「あれ!? 僕らが在学中とはちょっと違うんだ」
ってこと発見。


これ、昭和22年(1947年)10月に撮影された彦中なんだけど、
後の校舎は昭和22年当時は、まだ三分の一ぐらいしかなかったんですね。


昭和36年(1961年)8月の写真です。僕らが彦中二年生の時の航空写真です。
①運動場が奥に少し広がっていますね。
②それよりも、奥の校舎が増設(屋根の色が若干薄い)されているのが、分かります。

その増設された教室を、二年生の時は使用していたのを覚えています。
増設されてから推定でせいぜい十年ぐらいしか、経過していないはずなんだけど、
その校舎、教室に「新築感」ってなかったよね。それを不思議に思いました。


昭和44年(1969年)12月の航空写真です。僕らが22歳の頃です。
運動場はさらに奥に広がり、プールもできています。


昭和50年(1975年)3月の航空写真です。
①おう! 彦中激変です。昭和48年に彦中木造校舎は焼失してしまったのです。
②運動場の真ん中の青い屋根の建物は、仮設の教室だったのでしょうね。


昭和57年(1984年)5月の航空写真なんだけど、これはちと解像度が低いので、
分かりにくいですな。


そしてこれが、現在の彦中です。
①プールの位置も変わっています。運動場も限界まで、奥に伸張しております。
②校舎の位置も後退して、運動場がより広くなっています。
体育館は焼け落ちていませんから、その位置から分かります。

※知らないことが多くて、推測で書いておりますので、違う点がございましたら、
お気軽にコメントくださるよう、お願いいたします。

by K
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下関市立西山小学校

2011年09月27日 06時49分31秒 | 彦中・各小学校
西山小学校は敷地に余裕がある学校で、緑あふれる環境なのです。


桜並木もきれいで、毎春ここの桜は撮影しています。


「かしこく やさしく たくましく」こういうのは例外なくダサいものですが、
小学校というものはダサいのが当り前で、ダサくなくなったら小学校では
ないのかもしれませんね。


ありました! 「たくましい西山っ子」 本日のお目当てはこれなんです。


これ、最高です。見事なおっさん顔だしね。


今はやりの「ドヤ顔」を昭和58年から先取りしているではありませんか!
イッツクール!


もう一つ銅像がありました。比較のために置かれたケイタイにご注目ください。
ね、えらい小さな銅像でしょ。僕はこの銅像の名前を変更しました。
「萎縮する人」です。


池には水草があり、きれいな花が咲いていました。


花の名前を尋ねると、「ホテイアオイ」と教えられました。
え!? 金魚鉢に浮かんでいるあのホテイアオイ!?
へえ、こんなきれいな花が咲くのですか。

またかしこくなりました。

by K
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下関市立西山小学校の運動会

2011年09月26日 07時06分06秒 | 彦中・各小学校
西山小学校はいつも外から写真を撮るだけでした。
だって、OBでもないし、父兄でもないので、入りにくいですよね。


昨日、ついに中に入りました。運動会でして、この日なら大手を振って
入れます。


「光る汗流した分だけくいはなし!」って、なんだか微妙な標語ですよね。
「ほんとう?」って、チャチャを入れたくなるけど、小学生が作ったん
だろうから、「ふむふむ、本当だよね」なんて、もっともらしくうなずく
しかないよね。


入ってみると想像していた景色と違うもんですね。
三井化学の工場がくそリアルにでっかく迫ってきてるんですね。


それにしてもさ、開会式ってどうしてこんなに長くて退屈なの? 
これは日本全国共通ですね。


父兄はゴザを敷いて見学して、昼食はお重を家族で食べる、これぞ運動会
だと思います。いいよね。

京都は最悪でしたね。昼食の時間になると、生徒は教室に戻って給食を食べ、
父兄は一旦家に戻って昼食をとり再び学校に行かねばならないのです。
京都の小学校の運動会に初めて行った時、昼休みに僕は一人運動場に
取り残されたことがありましたね。「こんなん、運動会って言えるか!」
毒づこうにも誰もいないのだから、むなしく感じましたな。

by K
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奉安殿

2009年03月23日 16時59分41秒 | 彦中・各小学校
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田の首、塩浜、角倉、福浦からの通学路 (彦島)

2008年03月20日 07時21分53秒 | 彦中・各小学校
この道路、今は彦島の幹線で、車の交通量が最も多いのです。
畑だらけだった当時の風景は、どこにもありません。

聞き取りをして、なるべく昔の面影を残しているポイントを
捜しましたが、わずかでした。
とにかく、思いっきり変わっています。




①福浦口からスタートです。「早田酒店」は今も残っています。
ま、これは皆、知っていることですね。




②福浦口交差点周辺では当時のままというのは
キムラタクシーさんだけだと思います。




③スーパー「イズミ」のあたりは、埋め立てが完成していなくて、
空き地だったそうですね。
























⑧左上に見えるのは、康楽寺です。




⑨康楽寺を正面から撮ってみましょう。今はコンクリート製の
お寺に建替えられています。














⑫左手前の家は、昔は「タグチのお好み焼き屋さん」だったそうな。
運動部の男子生徒が部活帰りに、よく寄っていたそうです。




⑬この辺、当時と同じたたずまいの家が残っています。




⑭杉田等から来る通学路との合流地点です。



これから先は前回アップした「弟子待・杉田方面の生徒の通学路」と、
同じです。

by チーム弥生
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弟子待・杉田方面の生徒の通学路 (彦島)

2008年03月16日 15時32分53秒 | 彦中・各小学校
この通学路と福浦口から来る通学路が、難しいのです。
当時と道は大体同じでも、周辺の景色は全く変わっています。
「ここ、どこ?」「え1?あの通学路!? 変わったわね!!」で
終わりでしょうね。懐かしいと感じるのは、わずかに彦中に
上がる坂ぐらいでしょう。


航空写真(昭和36年、僕達二年生)
青い線が弟子待・杉田方面の生徒の通学路です。
赤い線の迂回路もたまには通ったかなと推測したのですが、
聞くと、やはり青い線の道を通っていたようですね。




地図
写真の番号を入れています。登校時、彦中に向かってを
イメージしてください。各写真も大概その方向で写しています。
例外は⑥と⑩で、それらは撮った方向に矢印を入れています。




①交差点
道路を渡って左側が江浦小学校、右側が元三菱のアパート、
今は県営住宅になっている所です。
以前、江浦小学校の全景写真を撮りましたのは、
県営住宅の奥の方の外階段からでした。




②左手前の門は江浦小学校と同じ敷地内にある幼稚園の門です。




③左は江浦小学校のフェンスです。







⑤左右の道は昔はありませんでした。航空写真で矢印を入れた
所です。堀越からJR関門トンネル、江浦小に向かう通学路が
延長されてできた道です。




⑥右を向いて、関門トンネルの方に抜ける道を撮りました。







⑧左手、この辺にツツミ(溜め池)があったそうです。
坂の途中にありますので、当時は高い土手があったそうです。




⑨ここで、田の首、塩浜、福浦方面から来た生徒と合流します。




⑩合流地点を反対側から撮りました。
右側が塩浜・田の首に行く道、左側が弟子待方面に行く道です。
登校時、ここで同級生に出会い、「ヨーッ」や「やぁー」
「おはよう!」の声が、当時は行き交っていたのでしょう。




⑪もうすぐ彦中です。




⑫彦中に上がる坂です。




⑬今はこれが門になっているのかな?




⑭上がって見ましょう。








⑯彦中です。ほら門がないでしょう。


by チーム弥生
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通学路 江の浦地区編 (彦島)

2008年02月20日 21時44分38秒 | 彦中・各小学校
やはり、地図をつけた方がいいみたいですね。
④の写真が今回の通学路のスタート地点の予定だった
のですが、その手前の道の写真がありましたので、追加。

ほとんどが彦中に登校している方向で写真を撮っています。
例外は②⑨⑯です。それらは地図に矢印を入れてますので、
参考にして下さい。




①バス通り、八光たばこ店から少し入ったところです。




②横町を見ると、昔の雰囲気です。




③河野商店です。



④ここから本番です。手前左、江の浦商店街から続く道から来た
生徒達が合流します。




⑤もうすぐ関門トンネルです。




⑥関門トンネル入口そばを通ります。




⑦トンネルの上を通ります。突き当たり、左に曲がると
江浦小学校に行けますね。



⑧彦中生徒は右に曲がります。




⑨少し進んで、トンネル入口を振りかえってみました。



⑩沿道、桜の並木のようです。昔はあったのですか?








⑫このあたりは大分昔と雰囲気変わっているのでは?




⑬このゆるやかな坂を登り切れば、もうすぐ彦中です。




⑭左建物手前の坂を上れば、彦中です。




⑮今の彦中と東門です。




⑯通学路本村編とは逆に、門の方から彦中へ取りつく坂の
写真を載せます。E木君、桜の木はありますが、木が若い。
僕らの時代の桜ではないようですね。


by チーム弥生
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本村小学校出身同期生の通学路 (彦島)

2008年02月18日 20時20分46秒 | 彦中・各小学校
僕だけでしょうか? 通学路を思いだす時、何故か登校時の風景なんです。

水門の手前50mぐらいのところで右の道に入ります。
右の新築中の家の奥に見えるのが「中原印刷」です。



左手の建物はファミレス「ジョイフル」の裏手です。
昔、映画館「コトブキ」があった場所です。




左の道はロータリーに抜ける道でしたね。




坂のテッペンです。




彦島カトリック教会です。エントランスはシックで落ち着いた感じです。
左の建物の窓がゴシック調にでも、もっと装飾されたら、
更にいい感じになりそうです。聖母園幼稚園は、かってここの敷地内に
ありました。今は緑町に移っています。




この家並みは全く変わっていません。
この内の一軒は「Z前君」の家だったような記憶が。
彼は彦中に上がる前に転校していったけど、
絵の才能が小学生の水準をはるかに越えた生徒だったことを憶えています。




Y君の店が見えてきました。Y君は小学校3年生の時に
江の浦からここに引っ越してきたんだけど、そのまま江浦小学校に
通ったそうです。ですから、この店が同期生の家だとは、去年まで
知りませんでした。




途中、ちょっとはしょりまして、E木君が書いてた昔あった橋を渡った
あたりから撮った写真です。ここまで来ると彦中はもうすぐです。




石垣だけは昔のままです。




右手を見上げれば、彦中の火災の時、唯一残った僕らの時代の「新校舎」
が見えます。撮影者は相変わらず、思いだせないんだけど、ハハ。
(「新校舎」ではありませんでした! 四階建てではなかったですよね。2/24追記)




正面のアパート(昔はマンションなんて言ってなかったよね)は
僕らの時代からありましたね。




はい、この坂を登りきれば、彦中です。


by チーム弥生
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昔の彦島中学校

2007年12月23日 14時58分12秒 | 彦中・各小学校
昭和36年、2年生秋の運動会。
トレパンにブルマ姿。ジャージという言葉はまだありませんでしたね。




朝礼。ウンカのごとくですね。




彦中航空写真。




当時では珍しいカラー写真。校舎の色が僕達の記憶と違います。
E木君にでもカラー調整してもらうと、それらしくなる可能性あります。


E木君、とりあえず校舎の派手な色を押さえてくれました。うーん、やっぱりこっちの方が昔に近いね。(12月26日追加)




僕達の一年生の時に在籍されていた先生方の集合写真です。

By K
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彦中38年卒業生の卒業9年前の聖母園のクリスマス

2007年12月21日 22時30分23秒 | 彦中・各小学校
昭和38年に彦中を卒業した人たちが
まだ小学校に上がる前、聖母園の年長児として
最後のクリスマスを過ごしたときの写真です。

この写真で舞台に立っているのは、
これから9年と3ヶ月の後、ほとんどが彦中を
卒業していくことになった園児です。

舞台は浦島太郎、楠公、聖劇の3場面ですが、
この中に、あなたの友人、あるいはあなた自身の
もういまから50年以上も前の姿があるかもしれません。

浦島太郎


楠公さん「青葉茂れる桜井の♪」


聖劇「イエス様がお生まれになりました…」

by W
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