彦中三八ブログ 

彦島中学校を昭和38年3月に卒業した同期生のためのブログ。 掲示板「彦中昭和38年卒同期会」にもお立ち寄りください。

記憶の不確かさ [福浦の金毘羅社]

2018年07月31日 10時43分06秒 | 彦島各地訪問
彦島道路を不通にした大雨の次は、
暑さで本来のコースを忘れてしまったような
台風の来襲。
そして今、神戸は灼熱状態・・・

同期会で下関を訪れた時、
色々と撮ってきた写真を前にして
フウとため息をついています。
せっかく撮ってきたのだからと
アップすることにしました。

「何十年ぶりか!」の福浦の金毘羅さんです。



高く長く急な階段。
この急さは何十年経っても
忘れてはいなかった。

各段の階段の高さと踏面との長さを比べて見ても
高さの方が水平部の長さよりも長い。
45度以上であるのは間違いない。

途中で振り返ってみると、

金毘羅社の前の道路の向うには、
福浦湾が見えています。
しかし、このあたりまで海が見えましたが、

もう少し上ると、
木立の葉っぱで視界が遮られていました。

階段の半ばあたりの脇道

を行けば、急な階段を避けて
緩い登り道に出るのかもしれません。
反対側を見ると、同じように小径があります。

どちら側を選べば、上に続いているのでしょう。
これらの脇道も記憶には残っていません。

初志貫徹でそのまま階段を登り、上を眺めると、
手の届きそうなところに上の鳥居が神々しく
輝いています。


頂上に到着です。

?????

何かが違う?
頂上からの眺望がありません。
福浦湾全体を見渡せると思っていたのは、
僕の思い込みだったのか。

拝殿の脇に小高い場所があり、
上に碑が建てられています。

ここからの眺望の素晴らしさを讃える碑らしいのですが、
危なっかしい石段を登らねばならないので、

あきらめました。

僕が中学時代に登った時から
この金毘羅さんの上からの眺望は
無かったのでしょうか。
眺望は僕の思い込みだったのでしょうか。

眺望の代わりに、社殿の周りを巡りました。
長い年月の間に倒壊したと思われるものや

拝殿の後ろの本殿を横から眺め

裏手に回ると、別の緩い小径がありましたが、
どこに辿り着くかわからなかったので、
自転車を置いてある、正面に戻り、
もと来た階段を降りることにしました。
で、写真を整理しながら、
中学時代に登り、長く急な階段は覚えていたが、
テッペンからその当時海を眺めたのか、
当時から既に海が見えていなかったのか
全く覚えていない。


階段下の鳥居を裏から眺めると、
『昭和四年十月建立』とあり、
『百年祭記念』とも刻んでありました。


この金毘羅さんが建立されてから百年目が
昭和4年ということでしょうかね。

昭和4年は1929年であり、
その百年前といえば、1829年。
その頃はどんな時代だったのか。
興味を覚え、ちょっと調べてみました。
・明治維新の約40年前で、
・高杉晋作が生まれる十年位前です。

古い歴史年表を探し出して眺めると
激動の時代の幕開けを暗示する出来事が。。。
 1827年、頼山陽が「日本外史」を著わし
 1828年、シーボルト事件があり、
 1829年にシーボルトが国外追放です。
 1830年に、伊勢神宮のおかげ詣り流行
清国のアヘン戦争より10年位前の時代です。
後に高杉晋作もアヘン戦争で苦しんでいる上海を
実際に見聞してきたのでしたね。
その時、買い求めてきた拳銃の一つが
坂本龍馬に贈られたのだとか・・・
福浦の金毘羅社がその頃に造られたというのは、
そんな世情の変化を微妙に感じ取ったからと
いうことなのか・・・深読みですかね。
でも、ちょこっと歴史を復習できました。



by W
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手入れ

2014年06月04日 23時27分52秒 | 彦島各地訪問
今年も同期会で訪れた下関。
例によって、老の山にも足を運んできた。

老の山に上ると最初に目に入ってくるのは、
いつものように、壕の跡に無造作に積まれた石。



本来、ここには、明治20年に建造されたことを示す記念碑が
はめ込まれていた壕があったのだ。
どんな気持ちでこの石組み(と言えるほどでもない積まれた石群)を
組んだのだろう。。。といつも思ってしまう。

近づいてみると、石の一つ一つが何かを訴えているように思うのは
僕だけだろうか。


今回はじめて気がついたのは、石組み以外にも
要塞の痕跡が目にすることの出来る形で残っていたことだ。
これは、僕らが防空壕と呼んでいた壕の天井部分だろうか。


その脇には、砲台を守る銃座群のひとつだったのだろうかと思われるものも
つつじの間に見ることが出来た。


まだいろいろと地下に残っているのなら、
改めて火の山のよう整備して欲しいと思ってしまった。

今から150年位前の先達が建造した遺跡を整備することは、
たんに建造物と言うことだけでなく、もっと広い意味で
大切なことではないだろうかと改めて思わされたことだ。

遠くから草刈機の音が聞こえてきたので見てみると
広場の雑草を刈っていた。
暑い中、ご苦労様と思いつつ眺めていたが、
出来たら、背の伸びすぎた松の林の頂もチョットばかり
剪定してもらいたいものだとまたおせっかいにも思ってしまった。

せっかくのこの響灘の見晴らし。
木々の額縁なしに眺めてみたいものだ。


by W
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ストリートビューで彦島散策、向井町編

2014年03月04日 11時40分24秒 | 彦島各地訪問
下関に戻って丸9年経ちますが、やっぱ、下関の景観はいい!と思います。
特に海が見える風景がすごくいいんです。

海がない京都市に、四十年近く住み続けたせいかもしれません。
京都に住んでいる間は、それなりの充足感や日々の発見があって、
何も不満は覚えることはなかったんだけどね。

それがね、下関に戻ってさ、たとえば自転車での散策中に
不意に現れる「海」に、心打たれるんです。
突然現れる海が、心に染みいるのです。

だからといって、下関で生まれ育った十八年間に、海に関心を持って
いたことなんて、全然なし。
思春期の心の荒れに対応するのが精一杯で、風景・景観に興味を
持つ余裕なんてゼロだったもんね。

こういうことって、どうなんでしょう。何なんだろうね。
いろんな角度から、いろんな方法で分析できるんだけどね。
でも、その解釈の開示はやめときますね。

ま、とにかく散策中に突然現れる海は、心に染みいるのです。

最近はカメラを持って、チャリで散策なんて余裕が無くなって、
ちょっといいなって風景を、カメラに納めるなんて機会が少なくなりました。

でも、グーグルさんのストリートビューがあります。こんなくそ田舎の彦島をね、
隅々まで写し、アップしてくれているんです。

でね、ストリートビューで、散策してね、道路から不意に見える
海をアップしてみようかと思ったわけです。

まずは彦島の向井町です。


向井町はいいよね。
まずは、彦島くささがまったくないんだよね。

それぞれの家の敷地も広く、バスが通るメインの通り以外の生活道路も
それなりに広くって、ゆったりしています。

そして何よりも道の傾斜がゆるやかなんだよね。これって、歩く人や
チャリンコに乗る人には、すごく大事なことなんです。

画像は向井小学校の西側のバス通り。海が見えてきました。

※向井小学校のこの土手、桜の季節はいいんですよ。


これはグーグルではなく、僕がかって撮った写真ですが、桜がキレイなんです。


そして、ゆるい下り坂をカーブしながら下りてきますと、田の首神社あたりで海が
だーんと広がるわけです。
この感じ、好きです。


バス通りだけではなく、生活道路に分け入っても、


関門海峡と海峡越しの風師山や、矢筈山が見えます。


矢筈山の隣の戸ノ上山も見えたりします。


この道は、彦島南公園直前の道ですから、彦島在住の方なら誰でも一度は
通っている道だと思います。

向井町は少しだけ高い所に位置していますので、海風の塩分に悩まされる
ことも少ないでしょうし、冬時期に響灘からの西風にさらされることも
少ない地域だと思います。
新たに彦島に住むことになりそうって方々、ここはお薦めの地域ですよ。

by K
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お盆の西山海水浴場

2013年08月31日 08時44分25秒 | 彦島各地訪問
今日で8月も終わり。
子供たちは明日もまだおまけの夏休みですね。

お盆の15日、
西山海水浴場、今はヒコットランドマリンビーチに足を運んできました。


お盆なので、それほど多くの人ではないのですが、
やはり砂浜は夏には欠かせないようです。
バーベキューを楽しんでいる日よけテントも
いくつか張られており、盛り上がっていました。


僕の記憶では、お盆にはイラが出るので
海には入らなかったと思うのですが、
今年の暑さでは、そんなことは言っていられない
というところでしょうか。


ビーチの真ん中に突堤があるのですが、
そっちのほうが人気があるのでしょうか、老の山側のほうが多いようです。

こちら(↓)が西側(竹の子島側)です。



砂浜から老の山を眺めると、
西山海水浴場に遊んだ昔を思い出します。


南風泊(はえどまり)に足を伸ばしてみると、
河豚の日時計が2時半過ぎを示していました。
by W
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下関市 満珠荘の日帰り入浴

2013年04月17日 06時00分00秒 | 彦島各地訪問

火の山のチューリップ園の前に訪れたのが、この満珠荘です。
こじんまりとしている建物のように見えますが、それは満珠荘が斜面に
建てられているためです。


建物左側のアプローチを下りて、中二階のところからの写真です。
建物は三階建てなんです。


お風呂はきれいですよ。これは更衣室。


ほかの入浴客がおられましたので、浴室の写真はこの一枚のみですけど、
ほんと絶景なんです。
関門海峡を眺めながら湯船につかるのは最高です。

日帰りの入浴料金は、成人が600円です。
もちろん、シャンプーや石鹸、ボデーシャンプーが各蛇口に
用意されていますので、ま、オノコはタオル一枚持参すれば、
この極楽が堪能できるのです。


風呂から上がると、隣の休憩室がまたいいんですよね。

我々彦中の昭和38年卒の同期生は、この4月1日で全員がめでたく
65歳以上になったんだけど、65歳以上の人には更に朗報があるのです。

ここ満珠荘の日帰り入浴の料金は、65歳以上の人は200円引きの400円なのです! 
つまり銭湯より10円高いだけの料金で、この極楽を満喫できるのです。

ハハ、年を取ると良いことばかりですな。

by K
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彦島 関彦橋 橋の上の歩道編

2013年03月20日 11時48分54秒 | 彦島各地訪問
関彦橋の上を通ってみました。
彦島側の階段から上がりました。


大和町の方向を写しました。
左に水門が見えます。関彦橋をくぐっている道路は水門から東大和町に通じる道路です。

東大和町には「マックスバリュー」、「ダイキ(ホームセンター)」、「業務スーパー」
等があるので、彦島の住民には最近ではなじみ深い道路になっています。


先に進みます。


大和町側の階段です。


火野正平さんは、こっから上がってきたのですね。

それから、もう一つ気づいたことがあります。親柱です。


こんなところに、親柱が立っていたのですね。
度々、車で関彦橋を通る人でも、親柱に気づいていない人が多いかもしれませんね。
こっちはひらがな、


向いは漢字で「関彦橋」と書いています。


「どうして "橋の途中"に親柱が?」と思ってしまいますが、
理由は橋の下から見上げると分かります。


親柱は橋の末端にちゃんと設置されているのです。
理論的には正確なんですけど、でもねって感じです。

やっぱ、本土側は彦島口に、彦島側は浅野整形外科の辺りに、親柱を設置した方が
いいよね。人に見られない銘入りの親柱なんて、かわいそうじゃありませんか。


彦島方面に戻ります。




大和町側の階段です。タイル張りで、意外にきれいなのです。


彦島側の階段です。
僕は関彦橋の歩道はこの二つの階段と階段の間にだけあるのだと
思い込んでいました。

火野正平さんがチャリで関彦橋を下るシーンを見ながら、「へー!?彦島側に
歩道が続いているんだ!」と軽く驚きましたな。


行ってみると、ちゃんと最後まで歩道がありました。
でも、この交差点は人や自転車は渡れないので、水門方面や変電所方面から
来る人達は、ちょっと回り道しないといけないのです。
特に自転車の人はエッチラオッチラ関彦橋の坂を上るより、水門の方が楽なので、
当然水門の方を選びますわな。

それで、関彦橋の上を通る自転車を、あまり見かけないわけです。

彦島も縮小しながらも、変っていきます。
右のビルの浅野整形外科は変っていませんが、「サンキュードラッグ」があった
所は、セレモニーホールに、「サンシズカ」は「マルキ」になっています。

by K
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彦島 関彦橋 橋の下編

2013年03月19日 13時11分19秒 | 彦島各地訪問

彦島側なんですが、パチンコ屋さんと関彦橋の間に、うん!?


どうやら川らしいのです。こんなのあった? 知らなんだ!です。

帰って調べてみると江向川(えむかいがわ)という川でした。

それで、思いだしたんだけど、僕らが彦中一年生の頃、ロータリーから
変電所までの道路、延々と拡幅工事をやっていましたよね。
特に本村小学校校区の当時の彦中生は憶えている人が多いと思います。

その時、道路の真ん中の川を塞いでましたよね。
そうか、あん時、暗渠化された川の河口がここなんだと、分かった次第。


関彦橋の歩道に上がるための階段を撮っていた時、右端にある小屋、
この小屋、工事用の倉庫ぐらいだろうと思っていたのですが、ふと目をやると、


なんと!公衆トイレじゃありませんか! これも知りませんでした。

まあ、自分が使用することはないと思いますが、お孫さんを連れて歩いていて、
お孫さんが急に「オシッコしたい!」と言い出した時なんぞ、便利かもしれませんよ。


トイレの前の案内図も興味深い代物です。
何年前の看板でしょうか。半分以上のお店が閉めたり、移転したり、
空き地になったりしています。

その町にいながら、その町の20年前が分かるのです。いい町です、彦島は。


大和町側の関彦橋の下には、懐かしい物が鎮座しています。


旧関彦橋の欄干が置かれています。こういうものって、全く忘れているのですが、
見た途端に、そうや、そうやこれやったなーと思いだしますね。
人間の記憶って不思議ですね。


僕らが小学校四年生の時に、旧関彦橋はできたんですね。
細かいことですが、山口県の「県」が旧漢字ですね。当時は当用漢字が施行されて、
十年近く経ってたはずなんですが、こういう銘は旧漢字の方がまだおさまりがいいと、
思われていたんでしょうね。


僕ら素人は橋の手摺りも端っこの柱も、ぜ~んぶ「らんかん」と呼んでいますが、
正式には「親柱」と呼ぶようです。

by K
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彦島「関彦橋」

2013年03月18日 14時37分22秒 | 彦島各地訪問
たしか、一昨年の秋頃だったと思うのですが、火野正平さんが自転車の
旅をするやつ、そう、BS-NHKの「こころ旅」って番組で「下関彦島編」ってのが、
放映されたことがありました。

火野正平さんは予想していた「水門」からではなく、関彦橋から彦島入りしました。


これ、彦島側からの関彦橋へのアプローチを写したものです。


これは大和町側から遠くに見える関彦橋を撮ったものです。


これは彦島口(大和町)側から撮ったものです。

火野正平さんの関彦橋を渡るシーンには驚かされました。
関彦橋の歩道には車道と独立したアプローチの坂があったのです。
火野正平さんはその坂をスイスイと上がって行きました。

「ヘーッ! こんなアプローチ、あったんかいな!」と僕は驚きました。
「今の今まで知らなんだ」ことに驚きました。


これなんです!
「ほんまや、ほんとにあるわー」です。
つまり、視野には入っていたけど、認識してなかったってことですね。

ちょいと反省して、機会があれば関彦橋を詳しく見てみるかと思っていました。

自転車で通っている時、そのことをふっと思いだして、関彦橋をちょっと詳し目に
撮りました。

枚数が多いので、連載は数回になると思います。

by K
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彦島向井町の坂

2012年09月26日 06時00分00秒 | 彦島各地訪問

急坂が嫌だなと思い、迂回した時出会ったのがこの坂です。
いいじゃないか!と思い、チャリを停め、写真を撮りました。

ま、全国どこにでもある郊外の住宅地の光景で、皆様には何の変哲もない
道でしょうが、彦島に住む僕には新鮮に感じるのです。

坂のテッペンくまで行くと関門海峡が見えるのかなと、期待感を持たせる
僕にはいい道なんです。


彦島の造成された住宅地って、ひまわり台とか飛翔台とかさ、車がなかったら、
ヒーッ!、キツーッ!と連呼せざるをえないアプローチがあるのです。
そして、造成地全体もこじんまりしています。

向井町は町の全てが造成された、比較的新しい住宅地なんです。

勾配もなだらかで、家々の区画も生活道路も広くって、なんとなく
伸びやかな感じがするんです。

そのせいか、空も広く感じます。彦島に新しく住む人にはお薦めの町かな。


ま、とにかく、この坂はいいよね。

by K
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ああ! 卯月峠

2012年06月05日 01時31分06秒 | 彦島各地訪問

ここは卯月峠のテッペン近くなんですが、ここ2週間、斜面に黄色い花が
咲いています。


今はこの花が群生していますが、季節によってはコスモスがドドーッと
咲いていたりするのです。


この黄色い花なんですけど、もちろん名前なんて知りません。
こんな花の群生をガキの頃には見た記憶がありませんので、最近、雑草化した
花かもしれませんね。

追記:メールでお知らせいただきました。大金鶏菊(オオキンケイギク)と呼ばれる
   そうです。


土手の土の上の、植物の勢力争いの結果なんだろうと思っていたのですが、
よく見ると、崩落防止の工事がされている斜面でした。
こういう斜面では、植物は「共生」っていうのができずに、「ゼロサムゲーム」の
世界しか表現できないのかもしれませんね。


最近、廃屋になりかけの家が取り壊されて、更地になった所があります。


階段を登ってみました。
家があった時はともかく、手すりのない階段は、家という主がなくなった今は、
道路側に吸い込まれて落ちそうな気分になり、ちょっと怖いもんですね。


でもね、その更地から望む「卯月峠」は今までとまた違った角度で良かったです。
高校生のタチコギもさ、ナンダサカコンナサカ!なんて言っているような感じ。


卯月峠ッていったら、僕にはすごく思い入れの強い道なんですね。
「強い思い入れ」はあるけど、その原因は?とシバシ考えてみると、親父と
一緒に歩いた道なんですよ。

僕は中学生の時ぐらいから、親父が大好きでね、それは親父が死ぬまで
変わらなかったんだけど、親父は親父は僕が生まれて以来、ずっと僕が好きだった
みたい。

ところがお互い不器用でね、お互い相手に届く言葉・態度で好きだってこと伝えて
なかったんだよね。だから、お互い好きなんだけど、齟齬だらけだったんだ。

ところが、僕が21歳の頃だったと思うんだけど、本村の親戚で飲み会があってね、
ちょうどお互いの酔いっぷりのレベルが一緒の水準になったんだろう、僕達親子は
肩を組んで、卯月峠を越えて迫町の家まで帰ったんだ。

それ以降もお互い愛情表現はしていたんだけど、それぞれの一方通行に
終わってたなー。だから、
おお、あの時の卯月峠だけは、お互いの愛情が同時的に届いたんだ!
っていうね、ちょっと甘酸っぱい記憶があるんだ。

皆さんにもそれぞれ、そういう道、そういう景色がおありなんでしょうね。

by K
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彦島 旧本村本町

2012年05月25日 13時52分01秒 | 彦島各地訪問
一人で本土に行く時はたいていチャリンコです。
用事が済めば、帰りも自転車で帰るのですが、たまに仲の良い
友人とバッタリ出会い、そのまま飲んでしまうことがあります。

「適度」という言葉を辞書に持たない僕は、そういう時痛飲する
わけですが、そうなると帰りはチャリンコを路上に放置して、タクシーで
帰らざるを得ないわけです。


翌朝ね、もちろん二日酔いでケダルイ朝ね、「ああ、そうだ、自転車取りに
行かなきゃ」と思うのだけど、「自転車取りに行くのにタクシー使うのは
馬鹿みたい」と思うのです。だからといって、「中々来ないバスを待って、
乗ったら乗ったで、停留所の間隔がチマチマとしてやたら短いバスに乗るのも、
うっとうしいな」と思うわけです。

でね、「おうそうだ、いっそのこと、歩いて行ってみよう」と思い立った
わけです。

本村側はバス通りではなく、間道を通ってみました。地図では赤いラインを
入れた道です。


昔はこの辺りの道は完全な山道でした。小学校の先生はこの道を通ったら
いけませんと言ってました。母親は「あの道は通ったらいけんよ、コトリ(子盗り?)が
出るけーね」と言ってました。

当時の僕らは全員がトム・ソーヤかハックルベリーフィンだったから、
「行っちゃいけません」は、ヤンチャ坊主にとっては「面白いことがあるから行きなさい」に
聞こえるもんなんでね、こんな辺は本村中町から遠征して結構遊んだんだよねー。

写真の三軒の家、すごいですねー。
家を建てるってことは、一生に一度の「オオゴト」だから、一所懸命にそれぞれに
検討したんだろうね。外観の色も検討したと思うんだ。
だけど、三軒連なってのイメージは持たなかったんだろうね。

僕はこういうの、「期せずして、こうなっちゃた」ってこと、 大好きです。
ま、自分の家ではかなわんと思うだろうけどね。


彦島は無茶苦茶な町名変更をやられたけど、本村の各町は増しでした。
本村卯月町が1町と2町に別れただけで、後は旧町名と今の町名の区割りは
大体一緒だからです。

そして自治会はこのように旧町名を使っているから、分かりやすいのです。

江浦町とか迫町とかは、訳分からん乱暴な変更だったもんね。


この間道は峠道でして、峠を下り始めると専立寺(せんりゅうじ)と
西楽寺の本堂の屋根を一枚の写真におさめられる場所があり、こんな
ショット、皆に紹介したことがないことを思い出し、パチリ。

奥のクレーンはサンセイ(元林兼造船)のクレーンです。
さらに奥の霞んだ山々は、「デベソ山」をはじめとする北九州門司の山です。


本村後山町(現本村町6丁目)辺りで、蝶々が蜜を吸ってました。


おいしいんでしょうね。

写真を撮りながら、たらりたらり歩いて、下関駅西口までわずか40分しかかかりませんでした。
万歩計では4,000歩ぐらいだったと思います。痩せなきゃってことで、ウォーキングなんぞ
試みている人に言いたいですね。

用事があって本土まで行く時、車やバスに乗らずに歩いてみたらどうです?
適度な有酸素運動になるし、金もかからず、時間もわざわざウォーキングの
時間を設けるより、節約できにと思います。
そして何よりも歩いている最中に「彦島再発見」があるのが、いいよね。

by K
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老の山の梅

2012年02月20日 23時02分12秒 | 彦島各地訪問
土曜日、我が家でそこそこ飲んで、後、豊前田(ぶぜんだ)に出撃して
しこたま飲んだ僕とNは、再び我が家に舞い戻りそのまま沈殿したのだ。

翌朝の日曜日、絵に描いたような軽い二日酔いの気だるさから脱する
には、そりゃ、外の空気が一番だってことで、僕らは西山海水浴場や
老の山に行きました。


老の山の頂上だ。いつも見える島は決まっている。一番大きく見える島は
六連島(むつれじま)だ。
ま、見る度に見える島が代わっていたら、それはそれでクラクラするん
だろうね。


六連島の前をちょいと派手めな船が横切ろうとしていました。


ズームしてみると、


ユートピア・ラインと書いてて、これはこのブログを始めた頃、「by T」が
アップしてた船かもなと思いました。
上海-下関間のラインは、商業的に未だに成り立っているんでしょうか。
続いているんでしょうかねー?


頂上からちょっと下がったところが、梅林。
もう遅いかもと思いつつ、訪ねてみると間にあったみたい。


老の山の梅は早いので有名なのですが、今年はうーんと寒かったですからね、
なんとか持ちこたえて、僕らが訪れるのを待っていてくれました。


ほとんど終りかけの状態でしたが、なんとか絵になるところを捜して写しました。
後、4・5日で完全に散るかもね。

by K
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わが生地 彦島本村中町

2012年02月17日 15時21分26秒 | 彦島各地訪問

地図はかっての本村商店街です。この商店街のすぐ裏に、我が家がありました。
今は駐車場になっています。
地図の赤い線で囲まれた「元ミタニのアイスキャンデー屋」と、赤紫色(今の
色でいうとマゼンダ)の「by K」の家の跡が駐車場になっています。


ここです。冨田文具店の方から写しました。


駐車場の区画で言えば、商店街に面した方の「3番」と「5番」の方が
「ミタニのキャンデー屋」でした。僕が中学生の頃は、家族で三谷家に
もらい湯させてもらってました。


右側の区画が我が家の跡です。


左奥は僕が住んでいた頃は「はたなか呉服店」でした。
正面奥はオフクロの実家「植田食料品店」でした。

我が家跡の区画はそこそこの広さに見えますが、そんなことはありません。
隣家との境が裏口への私道になっていましたので、互いに50㎝ぐらいは
内に敷地を引っ込めていましたしね。

憶えている間取りから計算してみますと、一階が8坪きっかりで、二階が
6坪の狭い家でしたが、回りの家も似たようなもんでしたので、狭いとは
思っていませんでした。
ただ、最も広い部屋が4畳半だったのです。今では信じられない狭さです。

井戸の回りで遊んだし、オフクロやおばちゃん達は文字通り井戸端会議に
毎日夢中でした。ただし、井戸は僕が物心ついた時には、すでに使われて
なくて、すぐ近くにあった共同水道を使っていました。


もう一度、同じ地図です。この地図の範囲に彦中の同期生が、たぶん20人
ぐらい住んでいました。今は一人も住んでいません。
新しく住みはじめる人はほとんどおらず、廃屋寸前で取り壊し、駐車場に
することが繰り返されています。

地図に平仮名で記した「みたに」から右の昔の商店も、みんな引っ越して
いってます。
寂しいです。寂しい限りです。

でも、
「よしたけ」のチカちゃんが、迫町で美容院を開いています。
「ゆりの金物店」のイサムちゃんは、塩浜の交差点のところで、金物屋を
開いています。
今は、薬局になっている所、昔は西村の自転車屋さんでした。その西村さんは
今は荒田口でホンダの代理店でバリバリやっておられます。

彦島に残っておられる方、頑張ってくださいね。

by K
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西山海水浴場 寒いと海の色は変わるのか?

2012年01月19日 06時29分07秒 | 彦島各地訪問
一昨日の下関は今冬一番の冷え込み(2.2℃)でして、そういう日は嬉しくなる
質なので、夜明けと共にホイホイと西山海水浴場に出かけました。

寒さ知らずの子供のことを「風の子」と言ったりしますが、寒さ好きの年寄りを
「風の老人」と呼んでもいいのにね。ま、そんなに寒さ好きのジジイはいない
だろうから、そんな言葉はないんだろうけど。
とにかく、寒いのは大好きなのです。


で、その西山海水浴場なんだけど、朝日に照らされて海の色がやたら綺麗でした。
左が南風泊(はえどまり)と竹の子島で、右の石油タンクがある島が
六連島(むつれじま)です


海の色が今までとは違って、すごく明るいのです。大昔小学生の時使った
サクラクレパスの「ソライロ」を思い出しました。
左の島が六連島で右が蓋井島(ふたおいじま)です。


右の本土の山々は鬼ヶ城や竜王山等々です。


砂が白く縁取られているのは、霜のせいです。暖かい彦島では珍しいんですよ。


今冬初めてイソシギを見ました。

by K
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彦島 バス停「堀越」

2011年10月24日 07時01分55秒 | 彦島各地訪問
少し前に、僕達が中学生の時にはなかった彦島のバス停を、取り上げ
ましたが、そうすると今度は古くからあるバス停で、すごーい懐かしい
バス停を取り上げたくなるものです。

で、今回は、バス停「堀越」です。


三年前に一度ちらっと取り上げましたが(ここクリック)、あの時との
違いは、お店をもう開けてないことです。自販機での煙草の販売は続けて
おられるようですが。




本村や江浦は高齢化や過疎化が進み、昔のままの家がそのまま残っているか、
そっくりなくなって駐車場になっているかのどちらかで、懐かしくもあり、
寂しくもありっていう風情なのです。


八光さんの方は下関行きの方のバス停です。






で、こっちが海側、下りの方のバス停です。


こちらも医院の建物以外は


ディープです。


そういえば、「堀越」というバス停があったよなと、ぼんやりと思い出された
方へ。地図です。「堀越」は「ロータリー」から一つ先のバス停です。
思い出されました?

by K
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