彦島道路を不通にした大雨の次は、
暑さで本来のコースを忘れてしまったような
台風の来襲。
そして今、神戸は灼熱状態・・・
同期会で下関を訪れた時、
色々と撮ってきた写真を前にして
フウとため息をついています。
せっかく撮ってきたのだからと
アップすることにしました。
「何十年ぶりか!」の福浦の金毘羅さんです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/19/50c1554621dfc450fc0c39500f5c99f9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/d1/c59e1592f8fedaf18aa4c78826a1ab61.jpg)
高く長く急な階段。
この急さは何十年経っても
忘れてはいなかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/d7/0ffea5253f007647c488e7a6435d9e16.jpg)
各段の階段の高さと踏面との長さを比べて見ても
高さの方が水平部の長さよりも長い。
45度以上であるのは間違いない。
途中で振り返ってみると、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/b7/12c6aceeb75b68114156bddc84d00c66.jpg)
金毘羅社の前の道路の向うには、
福浦湾が見えています。
しかし、このあたりまで海が見えましたが、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/8c/cc7b8d5e6fa01706b271a067ca03f0d3.jpg)
もう少し上ると、
木立の葉っぱで視界が遮られていました。
階段の半ばあたりの脇道
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/aa/698cccc5401e482ef9cb09b7f00dd555.jpg)
を行けば、急な階段を避けて
緩い登り道に出るのかもしれません。
反対側を見ると、同じように小径があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/46/89a1df47dc2c472f92e2bf230aafeeb8.jpg)
どちら側を選べば、上に続いているのでしょう。
これらの脇道も記憶には残っていません。
初志貫徹でそのまま階段を登り、上を眺めると、
手の届きそうなところに上の鳥居が神々しく
輝いています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/36/41efc6c4deefdce3c205abced52a645a.jpg)
頂上に到着です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/c5/b589afffa0eb2589e6304c67af59322d.jpg)
?????
何かが違う?
頂上からの眺望がありません。
福浦湾全体を見渡せると思っていたのは、
僕の思い込みだったのか。
拝殿の脇に小高い場所があり、
上に碑が建てられています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/9a/a6bec9476c7e4b43f82efed7830badd7.jpg)
ここからの眺望の素晴らしさを讃える碑らしいのですが、
危なっかしい石段を登らねばならないので、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/5f/df6f333e1c648004d8154e347354cd27.jpg)
あきらめました。
僕が中学時代に登った時から
この金毘羅さんの上からの眺望は
無かったのでしょうか。
眺望は僕の思い込みだったのでしょうか。
眺望の代わりに、社殿の周りを巡りました。
長い年月の間に倒壊したと思われるものや
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/c0/5a76146a12d19f1bbae986c3f32ef324.jpg)
拝殿の後ろの本殿を横から眺め
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/4c/ba49489063f00df84d144ada2660daec.jpg)
裏手に回ると、別の緩い小径がありましたが、
どこに辿り着くかわからなかったので、
自転車を置いてある、正面に戻り、
もと来た階段を降りることにしました。
で、写真を整理しながら、
中学時代に登り、長く急な階段は覚えていたが、
テッペンからその当時海を眺めたのか、
当時から既に海が見えていなかったのか
全く覚えていない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/f3/abb773bc47e2afbd645bae373f130fc4.jpg)
階段下の鳥居を裏から眺めると、
『昭和四年十月建立』とあり、
『百年祭記念』とも刻んでありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/b8/2ceb56d004182db38eda27c365e05863.jpg)
この金毘羅さんが建立されてから百年目が
昭和4年ということでしょうかね。
昭和4年は1929年であり、
その百年前といえば、1829年。
その頃はどんな時代だったのか。
興味を覚え、ちょっと調べてみました。
・明治維新の約40年前で、
・高杉晋作が生まれる十年位前です。
古い歴史年表を探し出して眺めると
激動の時代の幕開けを暗示する出来事が。。。
1827年、頼山陽が「日本外史」を著わし
1828年、シーボルト事件があり、
1829年にシーボルトが国外追放です。
1830年に、伊勢神宮のおかげ詣り流行
清国のアヘン戦争より10年位前の時代です。
後に高杉晋作もアヘン戦争で苦しんでいる上海を
実際に見聞してきたのでしたね。
その時、買い求めてきた拳銃の一つが
坂本龍馬に贈られたのだとか・・・
福浦の金毘羅社がその頃に造られたというのは、
そんな世情の変化を微妙に感じ取ったからと
いうことなのか・・・深読みですかね。
でも、ちょこっと歴史を復習できました。
by W
暑さで本来のコースを忘れてしまったような
台風の来襲。
そして今、神戸は灼熱状態・・・
同期会で下関を訪れた時、
色々と撮ってきた写真を前にして
フウとため息をついています。
せっかく撮ってきたのだからと
アップすることにしました。
「何十年ぶりか!」の福浦の金毘羅さんです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/19/50c1554621dfc450fc0c39500f5c99f9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/d1/c59e1592f8fedaf18aa4c78826a1ab61.jpg)
高く長く急な階段。
この急さは何十年経っても
忘れてはいなかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/d7/0ffea5253f007647c488e7a6435d9e16.jpg)
各段の階段の高さと踏面との長さを比べて見ても
高さの方が水平部の長さよりも長い。
45度以上であるのは間違いない。
途中で振り返ってみると、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/b7/12c6aceeb75b68114156bddc84d00c66.jpg)
金毘羅社の前の道路の向うには、
福浦湾が見えています。
しかし、このあたりまで海が見えましたが、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/8c/cc7b8d5e6fa01706b271a067ca03f0d3.jpg)
もう少し上ると、
木立の葉っぱで視界が遮られていました。
階段の半ばあたりの脇道
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/aa/698cccc5401e482ef9cb09b7f00dd555.jpg)
を行けば、急な階段を避けて
緩い登り道に出るのかもしれません。
反対側を見ると、同じように小径があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/46/89a1df47dc2c472f92e2bf230aafeeb8.jpg)
どちら側を選べば、上に続いているのでしょう。
これらの脇道も記憶には残っていません。
初志貫徹でそのまま階段を登り、上を眺めると、
手の届きそうなところに上の鳥居が神々しく
輝いています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/36/41efc6c4deefdce3c205abced52a645a.jpg)
頂上に到着です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/c5/b589afffa0eb2589e6304c67af59322d.jpg)
?????
何かが違う?
頂上からの眺望がありません。
福浦湾全体を見渡せると思っていたのは、
僕の思い込みだったのか。
拝殿の脇に小高い場所があり、
上に碑が建てられています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/9a/a6bec9476c7e4b43f82efed7830badd7.jpg)
ここからの眺望の素晴らしさを讃える碑らしいのですが、
危なっかしい石段を登らねばならないので、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/5f/df6f333e1c648004d8154e347354cd27.jpg)
あきらめました。
僕が中学時代に登った時から
この金毘羅さんの上からの眺望は
無かったのでしょうか。
眺望は僕の思い込みだったのでしょうか。
眺望の代わりに、社殿の周りを巡りました。
長い年月の間に倒壊したと思われるものや
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/c0/5a76146a12d19f1bbae986c3f32ef324.jpg)
拝殿の後ろの本殿を横から眺め
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/4c/ba49489063f00df84d144ada2660daec.jpg)
裏手に回ると、別の緩い小径がありましたが、
どこに辿り着くかわからなかったので、
自転車を置いてある、正面に戻り、
もと来た階段を降りることにしました。
で、写真を整理しながら、
中学時代に登り、長く急な階段は覚えていたが、
テッペンからその当時海を眺めたのか、
当時から既に海が見えていなかったのか
全く覚えていない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/f3/abb773bc47e2afbd645bae373f130fc4.jpg)
階段下の鳥居を裏から眺めると、
『昭和四年十月建立』とあり、
『百年祭記念』とも刻んでありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/b8/2ceb56d004182db38eda27c365e05863.jpg)
この金毘羅さんが建立されてから百年目が
昭和4年ということでしょうかね。
昭和4年は1929年であり、
その百年前といえば、1829年。
その頃はどんな時代だったのか。
興味を覚え、ちょっと調べてみました。
・明治維新の約40年前で、
・高杉晋作が生まれる十年位前です。
古い歴史年表を探し出して眺めると
激動の時代の幕開けを暗示する出来事が。。。
1827年、頼山陽が「日本外史」を著わし
1828年、シーボルト事件があり、
1829年にシーボルトが国外追放です。
1830年に、伊勢神宮のおかげ詣り流行
清国のアヘン戦争より10年位前の時代です。
後に高杉晋作もアヘン戦争で苦しんでいる上海を
実際に見聞してきたのでしたね。
その時、買い求めてきた拳銃の一つが
坂本龍馬に贈られたのだとか・・・
福浦の金毘羅社がその頃に造られたというのは、
そんな世情の変化を微妙に感じ取ったからと
いうことなのか・・・深読みですかね。
でも、ちょこっと歴史を復習できました。
by W