彦中三八ブログ 

彦島中学校を昭和38年3月に卒業した同期生のためのブログ。 掲示板「彦中昭和38年卒同期会」にもお立ち寄りください。

下関市吉見本町

2012年04月25日 20時42分47秒 | 下関市吉見町

地図では赤い線の通りの写真を撮りました。
詳細な地図で見ると、どうやらここは昔商店街ではなかったのかと思う
雰囲気があるのです。


商店街なら吉見中の同期生が共通に覚えている建物やお店があるのでは


ないかと思ったのです。


ただ、アチキは吉見の町を全然知らないのでね、


撮った写真を取捨選択できないわけ。


だから撮った写真を全部載せてしまいます。


吉見中の書き手に地元の人がいませんのでね、アチキが代行屋です。


まあ、吉見出身の人以外は、適当に流して見てください。






これは郵便局ってことは彦島人の僕でも分かります。






海が見える路地ってのもいいですね!






これも路地です。












川にぶつかりました。


地図で調べても川の名前や橋の名前が分かりません。川はやはり「吉見川」
とでもいうのでしょうか。






川には美味しそうな、もとえ綺麗な錦鯉が泳いでいました。


なんだか高そうに見えるのですが、


そうでもないのかもしれませんね。


川のそばに老舗らしい醤油屋さんがありました。こちらの醤油ですから
やはり甘いお醤油なんでしょうね。


もうちょっと進んだ所で


撮影を終えました。


商店や元商店の面影がある家が見えなくなったからです。

by K

吉見町周辺 191号線沿い

2012年03月05日 17時10分23秒 | 下関市吉見町



賀茂島と釣り公園です。


「このラーメン屋も長う続いちょるのー」と、乗り合わせた彦中の同期生の
内の誰か一人は、必ず言いますね。

彦島の入口である「彦島口」に、同じく札幌ラーメンの店が長いこと、頑張って
いるのです。同期生30人ぐらいに「札幌ラーメンって好きか?」質問したことが
あります。「うんにゃ、俺は豚骨の方が好きっちゃ」と言うやつばかりで、いまだ
札幌ラーメンが好きって人に出会っていません。でも不思議に店は続いています。

だからこの吉見の店にも、彦島人は妙なシンパシーを抱くのかもしれません。


右に曲がれば、竜王神社や吉見温泉に行く交差点です。




懐かしい海岸線と感じられるかどうか分かりませんが、とりあえず海岸線の2枚です。

by K

竜王神社 石造物編

2012年02月29日 10時00分00秒 | 下関市吉見町

狛犬や鳥居、石灯籠等、石で造られたものの総称を、寺や神社では
何て呼ぶのでしょう。
とにかくこの吉見町の竜王神社には、石造物がいっぱいなのです。

ごとにあった神社の5つ、6つを近代になって、この竜王神社に
合祀したようです。そしてのそれぞれにあった神社が、そこそこの
体裁をなしていたのでしょうね。その石造物をゼーンブ竜王神社に
持ってきたようです。

だからといって、ゴチャゴチャしている印象はないのです。
石は静かです。何体集まっても静かなようです。




歌や句の石碑は達筆でも構いませんが、必ず横に楷書体のコピーの
立て札がほしいよね。読めないんだけど、もし有名な句や歌だったら
と思って、いつも結局写真を撮るんだ。


この楼門のそばの狛犬は


結構古そうだと思って、年号を確かめると、


うん、「天保」でした。


これは新しそうだと、裏を覗くと「平成6年」でした。蒲鉾店はずっと
繁盛してほしいですね。吉見町の神社・仏閣の維持は蒲鉾店の盛衰に
かかっているかもしれません。


楼門をくぐり、境内の中に入っても、石造物は多いのです。


拝殿の前の狛犬も


迫力があって立派でした。




神社の方から外に向かって撮った、鳥居の三連なんだけど、これいい!のです。


厳かと鄙が合体したような「のんびり、荘厳」って感じは写真では
伝わらないかもしれません。




この狛犬は造られてそこそこ時間は経っているけど、台座はもっと
新しそうです。


石たちは動き、語り合っているのです。石たちにとって人間の一年が一秒
ぐらいのものなのです。石たちに悠久のスパンをあてると、石たちが動いている
のが、見えるはずです。




これらの狛犬、誕生して古そうに見えますが、


誕生したのは「文久」年間なのです。石の世界ではまだまだ、ヒヨッコなのです。


真ん中の鳥居なんですが、津森家や


安田家に家系図は残っているのだろうか。高校の同期生に、吉見出身の
津森や安田がおりましたな。
この×○右衛門さんが俺ン家の曾(ひー)の4乗ジーちゃんなんだ、
と言えるのでしょうか。


一番外側の


狛犬たちも何かを話していましたが、あいにく狛犬語を勉強していないもので、
翻訳できません。




「大綿津見神社」も、大正6年にここに引っ越してきたと、「由緒」に
書いてはりましたなー。

竜王神社、良いとこ、一度はおいで。
神々の語らいや、神々の使いの語らいが聞こえる、かもね。

by K

竜王神社 建物編

2012年02月28日 07時21分59秒 | 下関市吉見町

遠くのやや右側の山は自衛隊のある半島の方です。

いやー、吉見は賀茂島や釣り公園があるので、つい海の方に目が行くけど、


こうして、360度を時計回りに写していきますと、


田園風景もいいですよね。


山と平地のバランスがいいのでしょうね。


竜王山の麓に竜王神社があってね、田畑の間に長い参道があるんだ。
それが、素敵。イッツのびやか! イッツさわやか!って感じなのです。

彦島みたいな坂だらけの町から来るので、余計にいいのでしょうね。


鳥居や狛犬や石灯籠等の石造物が多くて面白いのですが、今回は「建物編」
でいきます。
立派な楼門です。




由緒です。若い時は読む気がしなかったけど、今なら読めるという
吉見出身の方は、読んでみてください。


拝殿です。


本殿です。


拝殿の木彫ですけど、


どれも丁寧な彫りなので、


吉見の町は昔からお大尽が多かったのかもしれませんね。


本殿の右にあるのが、


河内神社で、


本殿の左にあるのが、
(こっちは撮り忘れていたので、小さく写り込んでいたのをトリミングしました)


尾崎神社です。


七福神もお祭りしているようです。








吉見町出身で吉見町から遠く離れて暮らしている皆さん!
「そういえば、あのおばちゃんいたよなー。うわーっ、すっかり忘れていたけど、
 いたよなー」と思い出すごとに、故郷の思い出が立体的になってきます。
この「名簿」もそれらの一助になればと思い、アップしてみます。

※吉見町の皆さん、吉見町出身の皆さん、このブログのサイドメニューに、
 [カテゴリー]の欄があります。中に「下関市吉見町」を設けましたので、
 お楽しみください。まだ少ないですけどね。

by K

下関市吉見町 「吉見温泉センター」

2012年02月25日 08時38分40秒 | 下関市吉見町

ついに来ましたよ。吉見温泉センターです。


温泉郷とも書いていますが、近くに他の温泉施設があんのかしら?


さあ上ります。
見知らぬローカルな温泉に来ると、いつもワクワクします。
予想通りの温泉だったら嬉しくて、
予想以上だったら更に嬉しくて、
予想以下だったら、それはそれで案外楽しいのです。


あれー!? 先週の滝部温泉と同じく、閑にして散なのかよお。
でも今日は金曜日だ、ウイークデーなんだから、午前中はこんなもんかも
しんないねと、ツレと話しながら入場しようとすると、


入口で止められました。いやー、営業開始が10時からなんだとお。
まだ、10時まで30分以上あるぞ! どないしよう?と思案して、
隣に見えた神社を見学させてもらうかとなった訳。

それが、昨日アップの「ちょっと空き時間ができましたので、
吉見上八幡宮に・・」なんです。

八幡宮にお参りした後、10時前に戻りますと、アリャーです。
この写真の通りで、どんどん車が入ってきます。


それにしてもこの「吉見温泉センター」、初めての人は絶対迷うと
思うんだ。


奥のこっちの建物の方が、温泉だと勘違いすると思うんだ。


こっちは食堂だった。僕ら中に入ろうとして温泉は手前の建物だと
教えられたんだ。


こっちの安普請(失礼)に見える方が温泉なんだって。

営業開始と同時に、多くのお客さんがどっと入りました。男風呂だけで、
15人は入りました。女風呂もそれぐらいは入ったと思います。
そんなもんで、とてもカメラなんて迷惑なもんを振り回す訳にはまいり
ませんでした。


泉質は「すこぶる」つきで良しです。ここもペーハー9.8でした。
どうやらアチキは、アルカリ度が高いほど好きみたいです。

ただ、ここも湯温は高く、41度ぐらいはあったと思います。うたせ湯の
方は38度ぐらいだったので、ぬるいのが好みの方は、打たせ湯の方に
入らざるをえないと思います。ただ、狭いので落ち着かないと思います。

安普請と失礼な書き方をしたのですが、意外や意外! 浴槽から見える
吉見の田園風景がすごく良いのです。

吉見出身で、吉見を遠く離れて住んでいる方へ。
久し振りに吉見を訪れる機会を得た時は、吉見温泉センターで入浴する
ことを、お薦めします。あなたの心の中の「昔の吉見」の風景に出会える
かもしれません。


湯治の場所として、地元の方に愛されている雰囲気が良いですね。
僕らが入っていた時間帯の午前10時から11時までのお客さんの平均年齢は
78歳ぐらいって感じで、64歳のおいら達が最も若くて、俺らが平均年齢を
下げちょるぞとツレが喜んでいましたね。

次、また友達誘って来ようと思いましたが、ただ一つ、なんとかしてほしい、
至急改善してほしいのが、脱衣室のこのビニールタイルです。

一見、イグサのように見えますが、もろプリントのビニールタイルなんです。
じっちゃんは浴室でざっと体を拭いてくるなんて、やわなことしてくれません
からね、もうビニールタイルはビチョビチョでツルリンと滑りそうで、
落ち着きません。

何よりも不潔感がたまりません。せっかく体をきれいに洗って上がったのに、
水虫でもうつされるんじゃないかと、不快な気分になんのよね。
これなんとかしてほしいですね。これさえなければ、ハナマルです。

by K

下関市吉見町 「吉見上八幡宮」

2012年02月24日 20時42分45秒 | 下関市吉見町
ちょっと空き時間ができましたので、吉見上八幡宮に行ってまいりました。


いい感じの鳥居と階段でした。鄙(ひな)がアチキを呼んでいるっといった
感じで、吸いよせられるように階段を登りました。


この鳥居だって文化の時代ですから、200年は経過していますよね。


石階段もいかにも江戸時代に作られたって感じ。


石段と石段の間に土があって、そのため階段が登りやすい間隔なのです。


階段を上がってみますと、拝殿がやたら横に長いのです。
こういう形の拝殿には、初めてお目にかかりました。
長すぎて左側の狛犬が写っていませんね。


向かって右の狛犬と石灯籠です。この狛犬、頭頂部が平たいですね。


向かって左側の狛犬と石灯籠です。こっちも頭頂部が平たいですね。


拝殿は横に長くて、昔は左右の神様を拝んでいたみたいです。


右は今も拝み続けている


「八幡宮」関連の神様です。


左は「大歳社」とありますので、「大歳神社」とつながりのある神様を、
以前は拝んでいたのかもしれませんね。
とにかく、この拝殿、大きな地震にでも襲われると、今にも倒れそうな
風情なのですが、ものごっつ、味がある建物です。

蝉時雨の真夏に訪ねてみるのも、一興かな、アチキも芭蕉の心境になれる
かなと思うほどの、「やつれ」「さび」を感じさせてくれる拝殿でございました。


本殿もすごく立派です。80年前ぐらいまでは、信仰心厚い、上地区の
方々が物心両面でこの神社を支えてきたのでしょうね。


地域の規模以上に立派な装飾が、その厚き信仰心を物語っています。
今まさに、これ以上放置しては神社が建物の面で継続できない状況に
至っていますが、彦島と同様で過疎化に伴う困難にさらされている
のでしょうね。


時間が迫ってまいりましたので、心残してここを去りました。


階段の途中にも狛犬がいました。


こっちの狛犬は、ちょっと出目ですね。


階段を下りて、道路の向い側にも狛犬が鎮座いたしておりましたが、
ここは、お旅所だと思います、たぶん。

by K

下関在住の漫画家の原画展

2011年10月29日 04時30分14秒 | 下関市吉見町
揚野さんの二人展を見て、最近できた「サブウェイ」で、「パーティトレイ」
を買って、さあ帰ろうとしたら、一階コンコースに気になる展示が
ありました。


下関在住の漫画家の原画展なんだそうです。
気になるじゃありませんか。あまり時間がありませんでしたが、
ちょっとだけ見させてもらいました。


まずは「にくきうー」さんの、ラフから完成画までの流れです。


漫画を書くことまでを含めて好きな人には


すぐに飛んでいって見たいと思うものかもしれませんね。


ただ、僕は古い世代の人間なので、この傾向の「絵」には馴染めません。


次は「関よしみ」さんのコーナーです。
吉見中学出身の僕らと同学年の皆さん(←ここクリック)、吉見を愛する人が
ここにもおられましたよ。


関よしみさんは人気ホラー作家だそうですよ。


ウィキの略歴から推定すると年齢は五十代前半の方だと思います。


最後が遠野一実さんの絵なんですが、僕はお三方の中ではこの方の絵が
一番好きですね。


作風がそれぞれ全く違う個性的な少女漫画出身の三人の作家が、下関に
在住しながら活動しているのは面白いことですよね。

下関出身の芸能人は多いと思っているのですが、少女漫画家もそこそこ
多いのかもしれませんね。他には水野英子さんと文月今日子さんしか
知りませんが、なんせ水野英子さんは大御所ですからね。

少女漫画は最近は読んでいませんが、岡崎京子さんの「リバーズ・エッジ」
を読んだ時には衝撃を受けた記憶があります。どなたか、岡崎さんの
他の作品を持っておられたら貸してくださーい。

by K

下関市吉母町訪問

2011年04月17日 05時32分54秒 | 下関市吉見町
同行四人中、二人が吉母町をまだ訪ねたことがなかったので、
行ってみました。僕ももちろん初めてです。
僕の吉母町に対するイメージは、「のんびりした漁師町」でした。


浜は人口海浜になっていました。ただ砂は西山海水浴場と違って、
元からあった砂を使っているようで、きめ細かいこの地方特有の砂で、
これは無条件にいいです。




元の浜を知らないので、何とも言えません。


マリーナと海水浴場とを分けるこの突堤の観客席のような段差は
何のためにあるのかな。デザインとか「親水性」とかの言葉で
説明されるんでしょうね。


マリーナのヨットを陸揚げする所です。


奥の囲いの中が漁港です。


突堤から浜辺を写しました。ビルは吉母小学校だと思います。


後の山々は変っていないと思いますよ。


吉母町と吉見町を分けるこの岬、眼の崎は変ってないはずです。

人口海浜にするのは色々な理由があるのでしょうが、こういう大きな工事を
したい部署があり、業者があるということが最大の理由じゃないかと思います。
いいじゃないですか、千年も放置すれば概ね元に戻るんですから。


たぶんこの道路から右が昔の海岸線だったんでしょう。


この写真では道路の左側が昔の海岸線だと思います。
昔を知っている人にはこの辺は昔の面影を感じるかもしれませんね。


夏の海水浴場の民宿の料金です。利用したことがないので、参考になります。

by K

吉見町の天狗乃宮

2010年09月25日 04時48分58秒 | 下関市吉見町

吉見の賀茂島を見るために、191号線からそれて、しばらく行くと写真の建物が
目に入りました。


そして次に目に入ったのがこの看板。「修験道(しゅげんどう)と、書いとるぞ! 
おもろそうやないか」と僕は言いました。その時、皆の反応がかんばしくなかったら、
僕は遠慮するつもりでした。僕一人の興味のために、「賀茂島」見物に寄り道させて
いるのに、更にっていうのは、悪いですからね。
ところが、僕以上に修験道に関心を持っている連れがいたのです。
それで、賀茂島を見た帰り道に寄ってみました。


僕はとびっきり不信心な人間です。だからと言って、宗教を否定するものでも
ありません。「ああ、僕は不信心になる環境下で育ったんだろうな」と思うのみです。
アラブのどこかの国で生まれ、敬虔な信仰心を持つ両親のもとに育っていたら、
「聖職者になりたい」と一途に思う青年になっていたかもしれません。


そんな門外漢の僕が、一番関心を持っているのが、修験道なのです。


なんだか、修験道は日本人のフィーリングに一番合っているように思うのです。


ここは神社なんだろうか?


お寺なんだろうか?と思うのは、


明治以降に僕たちに植えつけられた「常識」なんですよね。


これは拝殿で、


これは本殿と呼ぶのでしょうか。見事な神仏習合と思うのです。
日本人の自然な宗教心にマッチしているのではないかと思うのです。
「今」の歴史観では、明治維新が陽、太平洋戦争が陰となっており、戦前・戦中の
宗教弾圧の方に関心が高いのですが、こと、宗教に関しては、維新直後の「神仏分離令」
「大教宣布」、その後の廃仏毀釈運動の方が罪が大きいのではないかと思うのです。

当時の小賢しいインテリは、民衆の自然な宗教心を、残酷なほどに削いだのだと思います。


ここはどうやら、「石槌大権現天狗乃宮石槌本教吉見教会」が正式名称のようです。

by K

賀茂島

2010年09月14日 23時44分45秒 | 下関市吉見町
角島にドライブに行く途中、運転する連れが「どこでも行ってみたいところが
あるんなら、どこでも寄るぞお」と言ったので、僕は一番に「吉見の賀茂島
っちゅう島を見てみたいんや、行ってくれるか」と、頼みました。

僕の高校時代の同期生で、吉見中学の同期会の掲示板を立ち上げた奴がいるのです。
その彼が、その掲示板で「賀茂島の夕陽は『全国的』に有名だと思っていますが」と
書き、写真を載せていたことがあったのです。

僕は、直ちに彼に電話をして、「全国的ってことはありえんぞ。同じ下関やなのに
彦島の人間に5人ぐらい聞いてみたけど、誰一人、賀茂島は知らんやったぞ」と
言いました。

こんなことは、どこでもよくあることです。彦中の同期生でも、ここいらの地域の
「ぶち」という言葉が全国区だと思っている人がいましたね。
関東北部の人が「だんべ」という語尾は、全国的に有名だなんて強弁しても、
僕ら西に住む人間には、「だっぺ」と「だんべ」を使用する地域の違いは、全く
分かりません。その違いを教えられても、そのそれぞれの地域の違いをイメージ
できない限り、憶えられるもんじゃありません。

ただね、「全国区ブランドではないか」と思いたいほど、彼が素晴らしい景色だと
思う「熱」は感じたのです。


で、行ってみました。点、点、点と見える島が、賀茂島です。


三つの小島がならんでいるように見えますが、繋がっており一つの島です。
いい感じの島ですね! 彼が薦める夕陽の時は格段にいいのでしょうね。


ちなみに、これが彼が夕陽の時の賀茂島を写した写真です。いいよね!
彦島は本州の西の果ての下関の更に西なんだけど、海に沈む夕陽を見ることが
できない所なんだ、そしてまた夕陽が海に沈む美しさを、知らないまま育ったんだと、
実感させられます。
島なのに、小さな島なのに十代までの僕たちは、内向きに過ごしていたんだと、
ちょっとセンチメンタルに悔恨。


僕たちが「賀茂島」を見るために寄ったのは、「下関フィッシングパーク」」です。
ま、僕らが「吉見の釣り公園」と、言っているところです。


吉見「湾」を囲む半島の左側に見える建物群が自衛隊で、その右側の建物群が
水産大学校です。吉見っていったら、この二つの施設がある所っていうのが、
僕らのイメージでしたね。


僕らが訪ねた時は、蓋井島(ふたおいじま)への渡船が出発する頃でした。
近い時期に、もイッペン、蓋井島探検のために来っからね。そん時は宜しく。

by K