彦中三八ブログ 

彦島中学校を昭和38年3月に卒業した同期生のためのブログ。 掲示板「彦中昭和38年卒同期会」にもお立ち寄りください。

戦い前夜(日)

2013年05月03日 00時47分59秒 | 彦島のルーツ
昨日(5/1)から下関に来てます。
昨年、自転車で彦島を回っているうちにパンクのため
中断したことがあったので、今回は
パンクで自転車で回れなかった海士郷方面を回ってみようと思い、
自転車を車に積んで下関に乗り込みました。

自動車は昨年と同じく、西山海水浴場(ヒコットランドマリンパーク)の
駐車場に停めて行動開始です。


さあ、出発です。

西山海岸からだから、当然?、卯月峠経由です。
H君の家のあった辺りから風師山方面を眺めました。


H君、昔と変わってますか?


海士郷に入ると、その変貌に写真を撮るのが辛いです。
ようやく撮ったのが、渡船場への道でした。
なんとなく、往時をしのばせる建物が残ってましたからね。


漁港を眺めていると、なな何とヨットが入ってきました。
ヨットハーバーでもどこかにできたのでしょうか。


なおも行くと、何艘もの漁船に白い旗が掲げられていました。

この写真は、対岸に渡ってからその場所を撮ったものです。

そして、海士郷の対岸には赤い旗がたくさんはためいていました。




近くにいた年配の女性に聞くと、
明日(5月3日)に行われる源平船合戦の準備が整ったようです。
何で彦島が赤ではないのかと思ったのですが、
紅白は毎年交代交代だそうで、今年は彦島が白、源氏方だとのことでした。

どうやら大きな船は御座船なのでしょうね。

余談ながら、私が本村小卒と自己紹介すると、
「本村小学校は、今は寂しい限りです。
全校生徒、1年から6年まで合わせて150人なのですよ」と。

僕の学年は各組50人以上で6組ありましたから
その半分で1年生から6年生か!と しばし絶句でした。

そのショックでか、その後は写真の数も少なく、
田の首に足を(車を?)延ばしましたが、
山本修次君のお墓も田の首の突堤からの写真で
失礼してきました。


by W

彦島が神々の出身地!?

2013年01月10日 22時00分53秒 | 彦島のルーツ
おもろ!
以下は「彦島」を検索中に偶然に見つかった論文の一部ですが、
ざっと目を通すと、冒頭の「おもろ!」になったわけです。


彦島出身の古代の「神々」が、古事記や日本書紀の神代巻に
埋め込まれてるんだって!

下関市稗田町が稗田阿禮の出身地だという解釈も面白いですね。

やりましょう! 研究会立ち上げて彦島や下関のルーツを探って
みようではありませんか。

以下がとりあえす探し出した「私考・彦島物語」の論文です。
まともに読むと漢字だらけで頭が痛くなるので、読みやすい文章から
読み始めようかなと思っております。

「私考・彦島物語 I 筑紫日向の探索」「私考・彦島物語 II 國譲り(前編)」
「私考・彦島物語II 國譲り(後編)」「私考・彦島物語III 外伝伊都々比古(前編)」
「私考・彦島物語IIIー外伝伊都々比古(後編)」「私考・彦島物語IIー外伝I、胸形の三女神・多紀理媛(前)」
「私考・彦島物語II・外伝2 多紀理媛と伊勢神宮1」

by K