彦中三八ブログ 

彦島中学校を昭和38年3月に卒業した同期生のためのブログ。 掲示板「彦中昭和38年卒同期会」にもお立ち寄りください。

心の奥に刻まれた風景・景色

2019年09月10日 01時06分30秒 | 下関各地訪問
「猛暑」が続いていて、今年の夏は報告できるような自転車散歩はできていません。
気が付けば、前回記事をアップしてから3か月が経ってしまいました。その上、この暑さでウダウダしているので、
一向に記事が書けない状態です。困りましたネエ・・・
ということで、これまでに撮った写真から
気付かされたことを一つ。

「下関・彦島」と言えば、僕の脳裏に浮かぶのは「砲台山から望むデベソ山」ですね。
しかし、還暦同期会で久しぶりに訪れた砲台山(老の山)からのデベソ山は、ボテっと太ったお腹にデベソも目立たなくなってしまっていました。
その代わり、と言っては申し訳ないが、唐戸から岬之町にかけての海岸からの海峡の景色が僕の記憶に深く刻み込まれているのを最近強く感じています。

下関海響館前一帯からの関門海峡の景色が
現在の僕の「下関の原風景」になっているようです。

目立たなくなった風師山のデベソに代わって、風師山の左に控えている三角山。
デベソ山に代わってではなく、頂上から左側になだらかな稜線に大きなアクセントとして、
風師山と一体となって眺められる雄大な姿が印象的です。
三角山だけでは単なる三角形の山ですが、風師山と一体となって関門海峡の景色を構成している。
ただそれだの山容なのです。が
しかし、最近、それとよく似た風景を目にすると「風師山と三角山の作る景色と同じだ! 懐かしいなあ」と思うようになっている自分に気づきます。

下の写真は、兵庫県の加東市にある日本の𦜝(へそ)公園近くで眺められる風景です。


一段高い山の頂から左になだらかに下がる稜線が終わるあたりで三角形の山。
この山を目にしたとき、海響館の傍の石造りのベンチに座って眺めているような気持ちになりました。
(加東市のへそ公園については、又別の機会にアップします)

そしてこれは兵庫県加西市から釜崎峠を経て市川町への坂を下る途中で目にした光景です。

大きな工場のような建物の屋根越しに なだらかな稜線とその左端に控えている三角形の山。
まさに、風師山と三角山を思い出させてくれたのです。

パターン認識のようですが、今後とも、このような景色を目にしたら、
その瞬間、私は、海響館の前の石のベンチに座って関門海峡を眺めている自分に戻ることでしょう。


by W
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華山自転車登山【下】

2019年06月15日 15時12分12秒 | 下関各地訪問
突然前進を阻んだ閉鎖ゲート!
地図をよく見ると、養魚場前の分岐と、本来の分岐点の角度が全然違う。
確認を怠ったばっかりに無駄なことをしたものだと思いつつ、養魚場のところまで戻りです。

この地図を頼りに青い線に沿って登山、ピンクの線に沿って下山する予定だったのですが、判断を間違えたのは赤い線の部分で、ほぼ星印の付近まで登ってしまいました。


改めて養魚場から右手をいくことに。
カーブを回ると、こんなところにも太陽光パネルが。


更に自転車を進めると、左側が少し開けた感じになったので、左後方を眺めると、華山が眺められ、どうやらその麓に向かって道がありそうな景色です。

田圃は田植えが終わっています。

華山への道への分岐点付近では、麦の刈り入れが行われていました。


作業していた人に、この分岐を華山方面に行くと華山頂上に出るかを聴くと、そうだとの答え。
早速、ここから川沿いに登って行けるようです。


道は急な曲がりを繰り返しつつ、次第に高度を上げていきます。
ここも台風の被害が大きかったようです。

傾斜が急なだけあって、あっと言う間に家々が下の方に小さく眺められるようになります。

切り倒された木々の切り株も数え切れません。
そして道路もさらに高度を上げます。

ようやく落ち着いた気分の山の道路となりました。

と思ったら、また、切り倒された大風の爪痕。

おかげで山頂が良く見えます。
華山の山頂はまだ先の様です。

更に進めると、狗留孫山方面からの道と合流です。

華山迄あと1.5km。
周囲は少し手の入った公園の様相ですが、そのまま華山方向に進めました。

家に帰ってから、グーグルマップで調べてみたら、この合流点から少し狗留孫山方向(合流地点から右手)に行くと、華山北側展望台があったようです。
しかし、国土地理の地図だけで準備してきたので、そのような情報は無く、直進してしまいました。
少しばかり、残念な気分です。

後は比較的楽なのぼり道を進めると、徳仙の滝方面からの
道と合流です。徳仙の滝方面からの道を背にしています。

左の道がここまで走ってきた北ルートで、右側の道を進むとアンテナの林立する頂上に着きます。

華山の頂上です。


華山の山頂について、道の駅蛍街道西ノ市で買っておいた「鯖の巻きずし」を食べました。なかなかの太さで、美味しく食べ応えもありました。


山頂から南方面を眺めましたが、僕の第二の目的だった「華山山頂から夢タワーをクリアに撮るというのは、昨年に続いてモヤの為実現できませんでした。

思い起こせば、還暦で中学同期会が始まった時、山陽道を運転して下関にたどり着き、その足で初めて海峡ゆめタワーに登って感動のときを過ごしたことを思い出します。あれから一回り…12年!!
 華山の上から霞んで何も見えない海峡方面を眺め、しばし時の経つのを忘れてこの12年間を振り返ってました。

帰りは、これまで2度ばかり自転車で来た南ルートを、地球の重力に任せて下ります。
一切ペダルを回す必要はありません。注意すべきは、スリップ転倒と崖からの転落。スピードを抑制しつつ下山。それでも結構スリリングでした。
途中、この南ルートも、去年の台風の被害が大きかったことが分かります。

鹿も見かけましたが、写真に撮る間もなく、跳ねるように道を横切って崖を駆け下りていきました。

途中立ち寄った徳仙の滝です。

こんな狭い場所でどのように商売として「そうめん流し」をしていたのでしょうね。60数年前の話。

下山してから、長門鉄道跡の道路を道の駅に向けて快走です。
振り向くと、華山が「お疲れさん」と笑っていました。


☆覚え☆
道の駅スタート   9:10
頂上到着     11:35 [時間2:25]
起点~頂上    15.7km(サイクルメータ読み=ロスコース込み)
登り平均速度    6.5km/hr

頂上スタート   12:35
道の駅帰着    13:45 [時間1:10]
頂上~ゴール   13.2km
下山平均速度   11.3km/hr
 速度は、休憩、写真撮影等を含む時間で計算。
 頂上での昼食休憩時間は除いています。

【了】


by W

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華山自転車登山【上】

2019年06月14日 12時13分34秒 | 下関各地訪問
今年も中学校の同期会で下関に行ってきました。
もちろん、旧交を温めるのが主目的ですが、
併せてもう一つの目的は、華山を北から自転車で登ることでした。

華山は、南側から徳仙の滝を眺めてから登る南ルートで二度ばかり登っていますが、
今度は北ルートから登り、南ルートで降りるコースを行きたいと願っていたのです。

スタートはいつもの豊田町道の駅『蛍街道西ノ市』。
朝、新門司港に到着すると、どこにも寄らず、道の駅へ。

到着すると、早速自転車を組み立てて、弁当を買うのももどかしく道の駅を出発。
梅雨入り近しとの報道で心配した天候もまずまずで、道の駅から見える華山が、「さあ、来い」と僕を挑発しています。


道の駅を出て、木屋川を渡る橋の上から道の駅方面を眺めると、木屋川の河原に赤い鳥居が目に入りましたが、はて?
お社はどこにあるのでしょうか、不思議です。


木屋川を渡ると、先ずは、幼い頃、お袋に連れられてお袋の実家を訪れた時、小月駅から乗った長門鉄道の記念碑モニュメントを表敬訪問です。

華山に登りたいと思うのも、幼いころお袋に「華山に雲がかかっていると雨になる」等々と聞かされて育ったので、僕には華山は特別聖なるものとして埋め込まれているのかもしれません。

モニュメントからやや南に下がったところにある病院が今回のルートへの分岐点です。

病院背後の山の向うに華山が見え、「早よ、来んかい!」と吠えているようです。

病院から山へ入る道を進むと、すぐにかなりきつい登りですが、よく舗装されていて心配な点はありません。

急な坂道を登りきると、やや開かれた空間がありました。

でもそれは、去年の台風で被害のあった結果のようです。
しかし、道路は、舗装され緩やかに上り下りしており、快適です。

更に進むと、植林地帯は終わり、前が開けて、華山がデーンと姿を現しました。

しかし、それは、まだまだ華山の麓までは遠いことを示していました。

しばらく行くと、石の記念碑のようなものが目に入ります。

正面にまわると説明板が整備されており、これは庚申塚の一つでした。

特に左右に設けられている、間に樹の幹を挟んだ石塔の趣に興味をそそられました。

さらに進んでいくと、でっかい石を頂に乗せた鳥居が目に入ります。

「天満宮」とありましたが、階段がきつそうなので境内に入るのはパスして、先へ自転車を進めました。

そのまましばらく行くと、錦鯉の養魚場がありました。


自転車を停めて左を眺めると、より大きくデーンと華山がそびえています。

左への道はそのまま華山に通じているように思われたのと、右は華山から遠のくように思われ、地図をろくに確認もせず、無意識にというか、当然のように左に自転車を進めてしまいました。
が、その報いは突然やってきました。

舗装道路が地道になり、更に細くなり、
??と思う間もなく!!封鎖の門が

【下】に続く



by W
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斑鳩・法隆寺周辺散策

2019年03月01日 22時46分41秒 | 全国各地
掲示板の提供も終わり、アドレスをクリックしても空白の画面・・・
なんとなく下関との細いパイプが途切れた感じがして
心に涼しすぎる風が吹いてきたので久しぶりにブログをアップします。

気が付けば、雑草が生えたかの如くブログの先頭に広告が!!
気を取り直して、キーボードに向かうことにしました。

先日、下関出身の仲間と奈良の法隆寺周辺を街歩きしてきました。
JRの法隆寺駅を出ると、先ずは法隆寺と逆方向に歩いて、
大和川にそっての歩きです。
大和川の堤防の上は車道だし、風情もないので、堤防背後の家並の道を行きます。


しばらく行くと古い町並みは終わり、いやでも堤防の上に出ます。
振り返ると、自然なのか、剪定の成果なのかすっくと伸びる一本の樹!


最近の豪雨でゴミなどが流れ着いている大和川の河川敷は撮る気になれず、
堰堤を2kmほど歩くと、竜田川と合流です。


ここから竜田川に沿って北上し三室山に。
早めの昼食を山頂で取った後、登った道と違う道を下りたら、
『みむろ山』と歌の碑が嵌めてありました。

歌碑は読みにくいですね。
『嵐吹く三室の山のもみじ葉は
  竜田の川の錦なりけり』能因法師
『千早ふる神代も聞かず竜田川
  からくれないに水くくるとは』在原業平

更に、竜田川に沿って登っていくと、
川に大きなまっ黒な魚が…。おそらく鯉でしょう。


竜田川に沿ってのぼり、業平橋渡って、
何度か道を間違えそうになりながら奈良街道へ。
奈良街道に出たところに造り酒屋がありました。
美味そうなお酒がありましたが、

重く、割ってもいけないので、ぶつけても大丈夫なように
奈良漬を買いました。
暫く奈良街道を東に向けて歩いていると、
マラソン大会と出くわしました。


少し行ったところから山の方へ登っていくと、
藤ノ木古墳です。


更に登ったところから再び東に向けて歩いて行くと
雰囲気のいい土塀の道が続き、先に法隆寺の西大門です。


ここから法隆寺には入らず、法隆寺の塀沿いの山道をたどります。

いい具合に五重塔が見えてます。
丁度、2時の鐘がゴーンと一発。
「鐘が鳴り柿が食いたい法隆寺」・・とかワイワイ言いながら
山の道を歩きつつ迷ったようで、時間が押してきたので、
適当なところで、法隆寺に向かいます。
途中、斑鳩神社に立ち寄り、


さらに南下すると、今度は民家の屋根越しに
五重塔や伽藍が目に入りました。



入江泰吉の写真を思い起こすような風景です。
中門越しに五重塔と金堂を望み、


あとは、法隆寺駅へ。

電車で一駅、王寺駅まで行き、
いつもの如く打ち上げたのでした。

斑鳩の街で見かけたマンホールです。



by W
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嵐山~亀岡間 秋のポタリング(続き)

2018年12月06日 23時09分30秒 | 全国各地
六丁峠を越え、急で曲がりくねった坂を下り終えて、目に飛び込んできたのは、
「真っ赤なカエデと水面に映える紅葉」への期待とは大きく違った光景でした。
色づきを前に茶色になって散った木々の葉っぱと、水が抜かれて水位の低くなった池。
大きく膨らんでいた期待は一気にしぼんでしまいました。



そして、走るにつれて目に飛び込んでくる、周囲の倒れた無数な杉の植林地帯。


中には幹の途中で無理やり引きちぎられたような木もありました。
その根元に処理された木が道端に並べられていて無念さが伝わってきます。


かろうじて通行の邪魔になる部分だけが処理された道路が静寂の中に続いていました。


聞こえてくるのは谷側の流れの音と自転車のタイヤが地面と接する音だけで、
空気さえもその与えた被害の大きさを恥じて黙祷しているようでした。
谷側の流れの音が大きくなって、小さな滝に至りました。

大きな岩の間を縫って流れ落ちるような滝があり、その音は多くの僧の絶えることの無い読経のようでした。
そのように感じたのは、「不動の滝」の道しるべを読んだからかもしれません。

滝の向かいに紅葉した木があり、そこだけ明るい空間が残っていました。

ゴッソリと地面から崩れ落ちたようなところもありました。これまで育ててきた林業者の嘆きが
聞こえてきそうなところもあります。


重苦しい気持ちを感じながら亀岡市の保津町に辿り着きました。
一軒の家のモミジが朱色に紅葉しているのが目に入り、ようやくホッとしました。


さてここから保津川沿いの道を経て嵐山まで戻るので、保津川本流そばまで自転車を進めていると、
対岸に何やら興味深いものが目に入ってきました。

蒸気機関車と連結された大物を運ぶ貨車と緩急車の編成です。
蒸気機関車となると、鼻の穴が大きくなる僕は、家に帰って早速調べてみると
(といっても思いつく単語を基に検索しただけですが)、早速記事が見つかりました。
「インド ヘンシェル製」1926年製造で、フィリッピンネグロス島の製糖工場で使われ、その後、
松山市の材木商等を経て、現在「保津川ライブスチームクラブ」所蔵のようです。
この保存場所の横に模型の線路を設け、ライブスチーム運転を楽しんでいるようです。動画もあります。
興味のある方は「亀岡」「日本にある蒸気機関車」で検索して行くと容易に行き当たります。

さて話を本題に戻して、保津川沿いに自転車を進めると、観光客を満載した保津川下りの舟が次々と通り過ぎていきます。
中には、僕を見つけて手を振ってくれる人もいました。思わず、僕も手を振ってしまいましたが。


対岸にはトロッコ亀岡駅があり、保津峡川下りの船乗り場とを結ぶ馬車が運行されていました。


いよいよ保津峡駅に向けて、川沿いの道を走ります。
暫くは、時折保津峡下りの舟を横目に行くことになります。


しかし、自転車を進めると、春とは状況がすっかり変わっているのが分かりました。

道路をふさいだ倒木を自転車担いで乗り越えてから、そうそう撮らねばと、振り向いてパチリでした。

そして道路をまたいで倒れている木の下を潜り抜けながら進みます。
地面も落石が散乱しているので、ほとんどは自転車から降りて進みました。

ところどころ、綺麗に紅葉が目と心を休ませてくれました。


トロッコ鉄道と山陰線の交差するところでは、ちょうど、京都に向かっている電車が通過するところでした。
トンネルの中を近づいてくる電車の音が聞こえてきたので、カメラを構えると程なく現れました。


しかし、難路を進んでいるので、ゆっくりトロッコ列車を待って撮るという心の余裕が無かったのが残念でした。
難路が続いているけれど、ここまで来て引き返しても、先ほど通ってきた愛宕谷川沿いを戻るのはロスが大きすぎるし、
このまま進んでも被害状況調査隊が通り抜けた跡をたどっているので、通り抜けられると確信して進め、
無事(少々疲れましたが)水尾に通じる道路に戻ることができました。
嵯峨清滝からの流れと保津川の合流場所まで戻ると、

後はまた、あの六丁峠に向けての厳しい登りになります。

前方の山の上に嵐山高雄パークウェイの展望台らしきものが見え、上から保津峡方面を楽しんでいるようです。


ようやく六丁峠までたどり着きました。


後は、ただ下り坂をブレーキを掛けながら嵐山までほぼノンストップです。
駐車場に戻ったのは16時45分頃。出発は11時だったので、5時間45分。距離計は36.6kmとなってたので、
グロスの平均速度は単純計算(昼食等休憩込みのグロス)で6.37km/hr! 通常は12km/hr程度です。
如何に悪路で難渋したかが分かります。と悪路のせいにしてますが、老いの何とかでしょうかね。[完]


by W
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嵐山~亀岡間 秋のポタリング

2018年12月04日 22時11分53秒 | 全国各地
気が付けばもう師走。
最近、あれこれあって、撮りためた写真の処理が追い付かず、古新聞すれすれ、久しぶりのアップです。

先日、11月下旬に嵐山から亀岡まで往復で保津峡沿いにポタリングしてきました。

目的は、春に走った愛宕谷川(京都のデベソ山たる愛宕山から保津川に流れる川)沿いのカエデの緑の葉が池の水面に映えて美しかったので、紅葉もさぞ美しかろうと期待しての紅葉狩り。
車を渡月橋近くの駐車場に入れて、自転車を組み立てて早速スタート。
平日にもかかわらず紅葉を求めて嵐山駅周辺は混んでいました。保津峡沿いを走るトロッコ鉄道の嵐山駅も駅舎の外まで長い待ち行列。そんな中を自転車でトロトロ・ヨロヨロと走ってトラブルを起こすのも巻き込まれるのもゴメンと、写真も撮らずに抜けてきました。

街の混雑も化野の念仏寺辺りまで来ると、だいぶ減り、写真を撮る余裕も出てきました。

ところどころ緑が残っているものの、やはり紅葉は美しい。
更に進むと、愛宕山愛宕神社の一の鳥居。

ここも写真を撮っている人が何人もいました。その邪魔をしないように注意しながら鳥居前を通り過ぎ、最初の峠、六丁峠です。

この辺りは、杉の植林地帯なので、紅葉は少ないですね。
上を見上げると交差するように「嵐山高雄パークウェイ」が横切っています。
六丁峠を越えるといよいよ保津川流域です。

亀岡から東に流れていた保津川はこの付近で嵐山に向かって南下するように流れを変えるので、写真の上側が嵐山方面になります。
暫く行くと、トロッコ保津峡駅です。

駅への橋の上から遠くを見ると、トロッコの線路より少し高い段を山陰線の電車が通っています。

線路沿いや川の際は色付いた木々が連なっていますが、山は杉などの常緑樹が占めていることが分かります。


山陰線の保津峡駅が見える場所に着きました。

駅の下を満席状態の川下りの舟が下ってきました。

プラットホームには大きな望遠レンズを備えたカメラを構えている人が何人かいます。ここから少し離れた場所を通るトロッコ列車を狙っているのかもしれません。


保津峡駅を後にして、「柚子の郷」水尾です。
柚子がいっぱいなっていました。

眺めるだけでパスです。

亀岡に分岐して下っていく峠に到着です。

メインの道路は更に登っていきますが、そちらは来春のつもり。
亀岡方面は道路封鎖されていますが、二輪は通れるよう脇が空けられています。

ここから亀岡方面に向かって一気に坂を下っていきます。
(続く)


by W
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蜂の巣

2018年10月18日 13時00分33秒 | イベント・出来事・生活
無茶苦茶に暑かった夏も過ぎ、気が付けば、はや10月の半ば。。。

今年の夏は暑かった。そのためか(?)、僕の周囲で葬儀が結構あり、続いて、秋にかけてその記念会(法事)も続いた。
ようやく待っていた秋風の季節になり、秋のサイクリングの計画にも取り掛かっています。

その前に、この夏の総括をひとつ。。。

今年の夏は、蜂がヤケに多かったと思いませんか。
庭のガレージ(と言っても、コンクリート地面にアクリル屋根を張っただけのものですが)にアシナガ蜂の飛んでいるのが目につきました。
一昨年8月に、ガレージの屋根の一角にいつの間にか作られた蜂の巣のことについて報告しました。

その時の写真です。

それで、また新に蜂の巣が出来たのかな?とガレージの屋根や、家の軒下、植木の枝を注意深く探したのですが、見当たりません。
隣の家の庭からかもしれないと思っていたのですが、やはりそれにしては多い、と思っていました。
今回はなんとなく、地面近くも飛んでいるなあ、と思って地面近くを見ると、もう何年も使わずガレージの隅に立てかけるように放置していた石臼の周辺に比較的多いと気づき、そっと臼の下を覗き込むと、中から、一昨年の夏に聞いたブーンブーンという警告の羽の音!!!
あわてて、そーっとあとずさりして、蜂用殺虫剤を手に取り、ブシューーーーと隙間目指して放射しました。

あっと言う間に数十匹の蜂が飛び去って行きました。
翌日、静かになった臼を引き起こすと、無人(無蜂)となった巣がデーンと鎮座していました。


ようやく秋風が吹き始めた頃、
夏の暑さに手入れを怠って、茂り過ぎた庭木の枝打ちを行ないました。
すると、また、アシナガ蜂が何匹も飛び回っているので、あの臼の蜂の巣から飛び出した蜂がまださまよっているのだろうか。
と思いつつも、枝打ち作業で、巣のある枝を作業してしまうと悲惨なことになる、と作業を中断して、二度目の蜂の巣探し・・・
すると、今まで気にも留めていなかった車を支える器具の周辺に多いようだ。
注意深く見ると、何と、器具の内側に蜂の巣が!!


静かに後ずさりして、スプレーを手にすると、思いっきり器具周辺と中に放射。
今回は、ブーンという威嚇音は聞こえず、あわてて蜂が飛び去って行きました。
更にスプレーを放射して、退散。
翌日、器具をひっくり返してみるとこれまた見事な巣が。

石臼から3メートルも離れていない場所でした。

何とか、枝打ち作業も終えて、風が植木の間を通り抜けるようになり、
スッキリした庭を眺めながら、何と自分の目は節穴だったのか!
と自戒したことでした。


by W
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記憶の不確かさ [福浦の金毘羅社]

2018年07月31日 10時43分06秒 | 彦島各地訪問
彦島道路を不通にした大雨の次は、
暑さで本来のコースを忘れてしまったような
台風の来襲。
そして今、神戸は灼熱状態・・・

同期会で下関を訪れた時、
色々と撮ってきた写真を前にして
フウとため息をついています。
せっかく撮ってきたのだからと
アップすることにしました。

「何十年ぶりか!」の福浦の金毘羅さんです。



高く長く急な階段。
この急さは何十年経っても
忘れてはいなかった。

各段の階段の高さと踏面との長さを比べて見ても
高さの方が水平部の長さよりも長い。
45度以上であるのは間違いない。

途中で振り返ってみると、

金毘羅社の前の道路の向うには、
福浦湾が見えています。
しかし、このあたりまで海が見えましたが、

もう少し上ると、
木立の葉っぱで視界が遮られていました。

階段の半ばあたりの脇道

を行けば、急な階段を避けて
緩い登り道に出るのかもしれません。
反対側を見ると、同じように小径があります。

どちら側を選べば、上に続いているのでしょう。
これらの脇道も記憶には残っていません。

初志貫徹でそのまま階段を登り、上を眺めると、
手の届きそうなところに上の鳥居が神々しく
輝いています。


頂上に到着です。

?????

何かが違う?
頂上からの眺望がありません。
福浦湾全体を見渡せると思っていたのは、
僕の思い込みだったのか。

拝殿の脇に小高い場所があり、
上に碑が建てられています。

ここからの眺望の素晴らしさを讃える碑らしいのですが、
危なっかしい石段を登らねばならないので、

あきらめました。

僕が中学時代に登った時から
この金毘羅さんの上からの眺望は
無かったのでしょうか。
眺望は僕の思い込みだったのでしょうか。

眺望の代わりに、社殿の周りを巡りました。
長い年月の間に倒壊したと思われるものや

拝殿の後ろの本殿を横から眺め

裏手に回ると、別の緩い小径がありましたが、
どこに辿り着くかわからなかったので、
自転車を置いてある、正面に戻り、
もと来た階段を降りることにしました。
で、写真を整理しながら、
中学時代に登り、長く急な階段は覚えていたが、
テッペンからその当時海を眺めたのか、
当時から既に海が見えていなかったのか
全く覚えていない。


階段下の鳥居を裏から眺めると、
『昭和四年十月建立』とあり、
『百年祭記念』とも刻んでありました。


この金毘羅さんが建立されてから百年目が
昭和4年ということでしょうかね。

昭和4年は1929年であり、
その百年前といえば、1829年。
その頃はどんな時代だったのか。
興味を覚え、ちょっと調べてみました。
・明治維新の約40年前で、
・高杉晋作が生まれる十年位前です。

古い歴史年表を探し出して眺めると
激動の時代の幕開けを暗示する出来事が。。。
 1827年、頼山陽が「日本外史」を著わし
 1828年、シーボルト事件があり、
 1829年にシーボルトが国外追放です。
 1830年に、伊勢神宮のおかげ詣り流行
清国のアヘン戦争より10年位前の時代です。
後に高杉晋作もアヘン戦争で苦しんでいる上海を
実際に見聞してきたのでしたね。
その時、買い求めてきた拳銃の一つが
坂本龍馬に贈られたのだとか・・・
福浦の金毘羅社がその頃に造られたというのは、
そんな世情の変化を微妙に感じ取ったからと
いうことなのか・・・深読みですかね。
でも、ちょこっと歴史を復習できました。



by W
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西日本豪雨・・・彦島もプチ被害

2018年07月12日 16時22分24秒 | 彦中・各小学校
ひっさしぶりの投稿で、やり方をすっかり忘れちまって、
右往左往しています。

ご無沙汰しております。景山です。
これからはマサジーの名前で投稿します。

店ではお客さんからマサジーと呼ばれてましてね、
マサジーの方がこっちも落ち着くからです。

さてさてです。西日本の豪雨! すざまじかったですね。
中国地方では広島県、岡山県の被害が大きかったので、
マスメディアでも連日報道されていて皆様もご周知のことと
思います。

被害の大きかった地域以外の方はというと、それなりの被害、
それなりの後遺症があるのです。

で、彦島です。
彦島はねえ、彦島(旧有料)道路が今もって通行止めなんです。
彦島道路を日常、走行している人たちは大変なようです。

老の山の裾野が崩落して、彦島道路を覆ったのは6日の金曜日の
早朝のようです。


ようですっていうのは、アタシあんまり彦島の家に帰んないからなんです。
月曜日にやっと帰って、荷物を置くなり、すぐさま現場に急行しました。

だってね、現場はすぐ近くなんです。彦島道路の迫出入口まで、徒歩一分。
崩落現場まで徒歩三分の距離に私んちはあるんですからね。

入口の方にはガードマンさんが立っていました。
ガードマンさんの横をすり抜けていく「ずうずうしさ」は、
強心臓でならす僕でも、ちょっとね、持ち合わせていないんです、はい。


で、出口側の方から登っていきました。
上がりきって、ガードマンの人や作業員の人にとがめられたら、
「ありゃ、入ったらいけんのか、そりゃあ、すまんことしたのお、エヘヘ」
で、すますつもりです。
「泣く子とエヘラ笑いの年寄りには勝てはせず」です。
これ21世紀の格言! 今、作ったんだけど。


これが崩落現場です。土砂はすっかり片付けられていました。
こりゃー、明日から規制解除かなと思いましたが、いや待てよです。

地方では安全と社会の効率ってなことに対して、みんなが共有する
解がないことが多いように思います。

もし万一、再崩落が起きて被害が発生しようものなら、
現場責任者まで罪を問われかねません。

もうちょっと再開には日数がかかるだろうと思いながら
現場を離れました。


振り返ると彦島道路最終地点に向かう道路。
当たり前ですが、車一台通っていません。
こんなのは、海峡マラソンの時しかありません。

僕はこんな光景、結構好きです。

道は人が歩き、車が走ってこそ道であり得るのです。
道が道であるための重要な要件を欠いていて、
その不安定さを道が訴えているような感じです。


出口の最終地点、地道のバス道との接合付近の側溝は
大雨当時、土砂を含んだ雨水を吹き上げたようですね。

by マサジー

※ 書き始めたのが、11日(水)で、書き終えたのが12日(木)
  です。本日12日より彦島道路は再開しています。
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保津川ポタリング(その3)

2018年05月06日 07時36分54秒 | 全国各地
さて、これから保津川に沿って走り、トロッコ保津峡駅を経由して嵐山に向かいます。
途中、保津峡の狭隘部分になると川に沿っての
道はなく、山越えの林道になりますが、
来るときの「全面通行止」の看板を気にしながらの走行です。
先ずは、川沿いの道の入口にある先ほど立ち寄った神社の前です。

そこにも、「請田神社より先 通行止」の看板が。
とりあえず行けるところまで行くしかないと覚悟を決めて出発です。

しばらく行くと、水車小屋が目につきました。

建物の中、水車の力は何に使われているのでしょうね。

回っている様子を眺めていると子供に戻ったように楽しくなります。


堤防の上から流れを見ると、随分と広い河川敷であることが分かります。
下流の保津峡の狭さを考えると、これくらい広い面積を確保していないと大雨の時の氾濫防止に役立たないのかもしれませんね。


馬車が河川敷を走ってました。
きっと、トロッコ亀岡駅と保津川下りの乗り場とを結んでいるのでしょう。
軽快に通り過ぎていきました。

ここでも藤の花が立派に咲いていました。



しばらく進むと、鳥居が目に入り、「落石等危険」の標識が。
「通行止め」となっていないことに気を強くしました。

道路は保津川沿いに走っています。

先ほど見てきた保津川の河川敷の広さを思うと、川幅は一気に狭くなっています。
対岸はトロッコ鉄道の線路が走っています。


次第に川面が下の方に見えるころ、前方に鉄橋が見えてきます。
JR山陰線が保津峡を渡る鉄橋です。


猿が3匹、道路に座ったり、寝転がっていました。
カメラを取り出しているうちに、僕を気付いたのか立ち去っていきました。
写っているのは2匹です。一匹はこちらに気が付くと真っ先に山に駆け込みました。


林道もさらに高度を上げて、川面やトロッコ鉄道の線路が下に眺められるようになります。
同時にこの道路も川から離れていくことになります。


倒木がところどころに見られるようになり、ここでは、障害となる部分を切り取ったようです。
倒木の数量が膨大すぎ、持って行くところがないので、
とりあえず、復旧工事の障害とならない程度に処理をしたという所でしょうか。


書くなら「落木注意」とすべきかな?と思わず突っ込みを入れてしまいました。
そのすぐ上を見ると、引っかかって落下を免れている木々がイッパイです。




林道も峠です。もうじきこの林道も終わる予感です。


峠を越えるとすぐに、最初に目にした「全面通行止」の看板の場所にでました。
水車のところから約30分でした。案外短かったようです。

写真には撮っていませんが、バレーボール級の落石がアチコチにあり、テニスボール級はゴロゴロしている箇所がいくつもありました。ハンドルを取られないように、パンクさせないようにと気を使いながらの走行だったので、写真を撮る余裕は生まれなかったようです。

ここからは元来た道を通って嵐山に向かいます。

藤の花がきれいに咲いている一方で、

多数の倒木がそのまま放置されれているのがアチコチに見られました。

トロッコ保津峡駅まで戻ってきました。

しばらく橋を渡りながら、小休止を兼ねて保津峡を楽しみました。

↑橋から上流の眺めです。

↑橋から下流の眺めです。

↑駅側から振り返ってです。
最後に、もう一度保津峡駅まえの橋からの一枚。 
なんとなく峡谷美と駅の跨線橋との取り合わせが面白く。。


保津峡駅から、往路で保津川を最初に眺めた場所まで戻ってきました。

保津川下りの舟が下っていきました。
川岸が10mの高さまでむき出しなのは、大水の時、そこまで水が流れるということなのでしょうね。

最初に通った峠、六丁峠まで戻ってきたころから
大変!雨が!! 北山しぐれ?!
なんて思っているうちに雨脚が強くなり、携帯してきたレインウエアを羽織る暇もなく本降りに。
しかも、ゴロゴロと雷様までが参加です。

天龍寺前の通りまで戻ると

観光客らは傘をさしたり、店先で雨宿り。

駐車場に到着しても、一向に雨脚の弱まる気配なく
自転車の解体撤収は土砂降りの雨の中ということになってしまいました。。。

終わり


by W
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