彦中三八ブログ 

彦島中学校を昭和38年3月に卒業した同期生のためのブログ。 掲示板「彦中昭和38年卒同期会」にもお立ち寄りください。

嵐山~亀岡間 秋のポタリング(続き)

2018年12月06日 23時09分30秒 | 全国各地
六丁峠を越え、急で曲がりくねった坂を下り終えて、目に飛び込んできたのは、
「真っ赤なカエデと水面に映える紅葉」への期待とは大きく違った光景でした。
色づきを前に茶色になって散った木々の葉っぱと、水が抜かれて水位の低くなった池。
大きく膨らんでいた期待は一気にしぼんでしまいました。



そして、走るにつれて目に飛び込んでくる、周囲の倒れた無数な杉の植林地帯。


中には幹の途中で無理やり引きちぎられたような木もありました。
その根元に処理された木が道端に並べられていて無念さが伝わってきます。


かろうじて通行の邪魔になる部分だけが処理された道路が静寂の中に続いていました。


聞こえてくるのは谷側の流れの音と自転車のタイヤが地面と接する音だけで、
空気さえもその与えた被害の大きさを恥じて黙祷しているようでした。
谷側の流れの音が大きくなって、小さな滝に至りました。

大きな岩の間を縫って流れ落ちるような滝があり、その音は多くの僧の絶えることの無い読経のようでした。
そのように感じたのは、「不動の滝」の道しるべを読んだからかもしれません。

滝の向かいに紅葉した木があり、そこだけ明るい空間が残っていました。

ゴッソリと地面から崩れ落ちたようなところもありました。これまで育ててきた林業者の嘆きが
聞こえてきそうなところもあります。


重苦しい気持ちを感じながら亀岡市の保津町に辿り着きました。
一軒の家のモミジが朱色に紅葉しているのが目に入り、ようやくホッとしました。


さてここから保津川沿いの道を経て嵐山まで戻るので、保津川本流そばまで自転車を進めていると、
対岸に何やら興味深いものが目に入ってきました。

蒸気機関車と連結された大物を運ぶ貨車と緩急車の編成です。
蒸気機関車となると、鼻の穴が大きくなる僕は、家に帰って早速調べてみると
(といっても思いつく単語を基に検索しただけですが)、早速記事が見つかりました。
「インド ヘンシェル製」1926年製造で、フィリッピンネグロス島の製糖工場で使われ、その後、
松山市の材木商等を経て、現在「保津川ライブスチームクラブ」所蔵のようです。
この保存場所の横に模型の線路を設け、ライブスチーム運転を楽しんでいるようです。動画もあります。
興味のある方は「亀岡」「日本にある蒸気機関車」で検索して行くと容易に行き当たります。

さて話を本題に戻して、保津川沿いに自転車を進めると、観光客を満載した保津川下りの舟が次々と通り過ぎていきます。
中には、僕を見つけて手を振ってくれる人もいました。思わず、僕も手を振ってしまいましたが。


対岸にはトロッコ亀岡駅があり、保津峡川下りの船乗り場とを結ぶ馬車が運行されていました。


いよいよ保津峡駅に向けて、川沿いの道を走ります。
暫くは、時折保津峡下りの舟を横目に行くことになります。


しかし、自転車を進めると、春とは状況がすっかり変わっているのが分かりました。

道路をふさいだ倒木を自転車担いで乗り越えてから、そうそう撮らねばと、振り向いてパチリでした。

そして道路をまたいで倒れている木の下を潜り抜けながら進みます。
地面も落石が散乱しているので、ほとんどは自転車から降りて進みました。

ところどころ、綺麗に紅葉が目と心を休ませてくれました。


トロッコ鉄道と山陰線の交差するところでは、ちょうど、京都に向かっている電車が通過するところでした。
トンネルの中を近づいてくる電車の音が聞こえてきたので、カメラを構えると程なく現れました。


しかし、難路を進んでいるので、ゆっくりトロッコ列車を待って撮るという心の余裕が無かったのが残念でした。
難路が続いているけれど、ここまで来て引き返しても、先ほど通ってきた愛宕谷川沿いを戻るのはロスが大きすぎるし、
このまま進んでも被害状況調査隊が通り抜けた跡をたどっているので、通り抜けられると確信して進め、
無事(少々疲れましたが)水尾に通じる道路に戻ることができました。
嵯峨清滝からの流れと保津川の合流場所まで戻ると、

後はまた、あの六丁峠に向けての厳しい登りになります。

前方の山の上に嵐山高雄パークウェイの展望台らしきものが見え、上から保津峡方面を楽しんでいるようです。


ようやく六丁峠までたどり着きました。


後は、ただ下り坂をブレーキを掛けながら嵐山までほぼノンストップです。
駐車場に戻ったのは16時45分頃。出発は11時だったので、5時間45分。距離計は36.6kmとなってたので、
グロスの平均速度は単純計算(昼食等休憩込みのグロス)で6.37km/hr! 通常は12km/hr程度です。
如何に悪路で難渋したかが分かります。と悪路のせいにしてますが、老いの何とかでしょうかね。[完]


by W
コメント

嵐山~亀岡間 秋のポタリング

2018年12月04日 22時11分53秒 | 全国各地
気が付けばもう師走。
最近、あれこれあって、撮りためた写真の処理が追い付かず、古新聞すれすれ、久しぶりのアップです。

先日、11月下旬に嵐山から亀岡まで往復で保津峡沿いにポタリングしてきました。

目的は、春に走った愛宕谷川(京都のデベソ山たる愛宕山から保津川に流れる川)沿いのカエデの緑の葉が池の水面に映えて美しかったので、紅葉もさぞ美しかろうと期待しての紅葉狩り。
車を渡月橋近くの駐車場に入れて、自転車を組み立てて早速スタート。
平日にもかかわらず紅葉を求めて嵐山駅周辺は混んでいました。保津峡沿いを走るトロッコ鉄道の嵐山駅も駅舎の外まで長い待ち行列。そんな中を自転車でトロトロ・ヨロヨロと走ってトラブルを起こすのも巻き込まれるのもゴメンと、写真も撮らずに抜けてきました。

街の混雑も化野の念仏寺辺りまで来ると、だいぶ減り、写真を撮る余裕も出てきました。

ところどころ緑が残っているものの、やはり紅葉は美しい。
更に進むと、愛宕山愛宕神社の一の鳥居。

ここも写真を撮っている人が何人もいました。その邪魔をしないように注意しながら鳥居前を通り過ぎ、最初の峠、六丁峠です。

この辺りは、杉の植林地帯なので、紅葉は少ないですね。
上を見上げると交差するように「嵐山高雄パークウェイ」が横切っています。
六丁峠を越えるといよいよ保津川流域です。

亀岡から東に流れていた保津川はこの付近で嵐山に向かって南下するように流れを変えるので、写真の上側が嵐山方面になります。
暫く行くと、トロッコ保津峡駅です。

駅への橋の上から遠くを見ると、トロッコの線路より少し高い段を山陰線の電車が通っています。

線路沿いや川の際は色付いた木々が連なっていますが、山は杉などの常緑樹が占めていることが分かります。


山陰線の保津峡駅が見える場所に着きました。

駅の下を満席状態の川下りの舟が下ってきました。

プラットホームには大きな望遠レンズを備えたカメラを構えている人が何人かいます。ここから少し離れた場所を通るトロッコ列車を狙っているのかもしれません。


保津峡駅を後にして、「柚子の郷」水尾です。
柚子がいっぱいなっていました。

眺めるだけでパスです。

亀岡に分岐して下っていく峠に到着です。

メインの道路は更に登っていきますが、そちらは来春のつもり。
亀岡方面は道路封鎖されていますが、二輪は通れるよう脇が空けられています。

ここから亀岡方面に向かって一気に坂を下っていきます。
(続く)


by W
コメント

蜂の巣

2018年10月18日 13時00分33秒 | イベント・出来事・生活
無茶苦茶に暑かった夏も過ぎ、気が付けば、はや10月の半ば。。。

今年の夏は暑かった。そのためか(?)、僕の周囲で葬儀が結構あり、続いて、秋にかけてその記念会(法事)も続いた。
ようやく待っていた秋風の季節になり、秋のサイクリングの計画にも取り掛かっています。

その前に、この夏の総括をひとつ。。。

今年の夏は、蜂がヤケに多かったと思いませんか。
庭のガレージ(と言っても、コンクリート地面にアクリル屋根を張っただけのものですが)にアシナガ蜂の飛んでいるのが目につきました。
一昨年8月に、ガレージの屋根の一角にいつの間にか作られた蜂の巣のことについて報告しました。

その時の写真です。

それで、また新に蜂の巣が出来たのかな?とガレージの屋根や、家の軒下、植木の枝を注意深く探したのですが、見当たりません。
隣の家の庭からかもしれないと思っていたのですが、やはりそれにしては多い、と思っていました。
今回はなんとなく、地面近くも飛んでいるなあ、と思って地面近くを見ると、もう何年も使わずガレージの隅に立てかけるように放置していた石臼の周辺に比較的多いと気づき、そっと臼の下を覗き込むと、中から、一昨年の夏に聞いたブーンブーンという警告の羽の音!!!
あわてて、そーっとあとずさりして、蜂用殺虫剤を手に取り、ブシューーーーと隙間目指して放射しました。

あっと言う間に数十匹の蜂が飛び去って行きました。
翌日、静かになった臼を引き起こすと、無人(無蜂)となった巣がデーンと鎮座していました。


ようやく秋風が吹き始めた頃、
夏の暑さに手入れを怠って、茂り過ぎた庭木の枝打ちを行ないました。
すると、また、アシナガ蜂が何匹も飛び回っているので、あの臼の蜂の巣から飛び出した蜂がまださまよっているのだろうか。
と思いつつも、枝打ち作業で、巣のある枝を作業してしまうと悲惨なことになる、と作業を中断して、二度目の蜂の巣探し・・・
すると、今まで気にも留めていなかった車を支える器具の周辺に多いようだ。
注意深く見ると、何と、器具の内側に蜂の巣が!!


静かに後ずさりして、スプレーを手にすると、思いっきり器具周辺と中に放射。
今回は、ブーンという威嚇音は聞こえず、あわてて蜂が飛び去って行きました。
更にスプレーを放射して、退散。
翌日、器具をひっくり返してみるとこれまた見事な巣が。

石臼から3メートルも離れていない場所でした。

何とか、枝打ち作業も終えて、風が植木の間を通り抜けるようになり、
スッキリした庭を眺めながら、何と自分の目は節穴だったのか!
と自戒したことでした。


by W
コメント

記憶の不確かさ [福浦の金毘羅社]

2018年07月31日 10時43分06秒 | 彦島各地訪問
彦島道路を不通にした大雨の次は、
暑さで本来のコースを忘れてしまったような
台風の来襲。
そして今、神戸は灼熱状態・・・

同期会で下関を訪れた時、
色々と撮ってきた写真を前にして
フウとため息をついています。
せっかく撮ってきたのだからと
アップすることにしました。

「何十年ぶりか!」の福浦の金毘羅さんです。



高く長く急な階段。
この急さは何十年経っても
忘れてはいなかった。

各段の階段の高さと踏面との長さを比べて見ても
高さの方が水平部の長さよりも長い。
45度以上であるのは間違いない。

途中で振り返ってみると、

金毘羅社の前の道路の向うには、
福浦湾が見えています。
しかし、このあたりまで海が見えましたが、

もう少し上ると、
木立の葉っぱで視界が遮られていました。

階段の半ばあたりの脇道

を行けば、急な階段を避けて
緩い登り道に出るのかもしれません。
反対側を見ると、同じように小径があります。

どちら側を選べば、上に続いているのでしょう。
これらの脇道も記憶には残っていません。

初志貫徹でそのまま階段を登り、上を眺めると、
手の届きそうなところに上の鳥居が神々しく
輝いています。


頂上に到着です。

?????

何かが違う?
頂上からの眺望がありません。
福浦湾全体を見渡せると思っていたのは、
僕の思い込みだったのか。

拝殿の脇に小高い場所があり、
上に碑が建てられています。

ここからの眺望の素晴らしさを讃える碑らしいのですが、
危なっかしい石段を登らねばならないので、

あきらめました。

僕が中学時代に登った時から
この金毘羅さんの上からの眺望は
無かったのでしょうか。
眺望は僕の思い込みだったのでしょうか。

眺望の代わりに、社殿の周りを巡りました。
長い年月の間に倒壊したと思われるものや

拝殿の後ろの本殿を横から眺め

裏手に回ると、別の緩い小径がありましたが、
どこに辿り着くかわからなかったので、
自転車を置いてある、正面に戻り、
もと来た階段を降りることにしました。
で、写真を整理しながら、
中学時代に登り、長く急な階段は覚えていたが、
テッペンからその当時海を眺めたのか、
当時から既に海が見えていなかったのか
全く覚えていない。


階段下の鳥居を裏から眺めると、
『昭和四年十月建立』とあり、
『百年祭記念』とも刻んでありました。


この金毘羅さんが建立されてから百年目が
昭和4年ということでしょうかね。

昭和4年は1929年であり、
その百年前といえば、1829年。
その頃はどんな時代だったのか。
興味を覚え、ちょっと調べてみました。
・明治維新の約40年前で、
・高杉晋作が生まれる十年位前です。

古い歴史年表を探し出して眺めると
激動の時代の幕開けを暗示する出来事が。。。
 1827年、頼山陽が「日本外史」を著わし
 1828年、シーボルト事件があり、
 1829年にシーボルトが国外追放です。
 1830年に、伊勢神宮のおかげ詣り流行
清国のアヘン戦争より10年位前の時代です。
後に高杉晋作もアヘン戦争で苦しんでいる上海を
実際に見聞してきたのでしたね。
その時、買い求めてきた拳銃の一つが
坂本龍馬に贈られたのだとか・・・
福浦の金毘羅社がその頃に造られたというのは、
そんな世情の変化を微妙に感じ取ったからと
いうことなのか・・・深読みですかね。
でも、ちょこっと歴史を復習できました。



by W
コメント

西日本豪雨・・・彦島もプチ被害

2018年07月12日 16時22分24秒 | 彦中・各小学校
ひっさしぶりの投稿で、やり方をすっかり忘れちまって、
右往左往しています。

ご無沙汰しております。景山です。
これからはマサジーの名前で投稿します。

店ではお客さんからマサジーと呼ばれてましてね、
マサジーの方がこっちも落ち着くからです。

さてさてです。西日本の豪雨! すざまじかったですね。
中国地方では広島県、岡山県の被害が大きかったので、
マスメディアでも連日報道されていて皆様もご周知のことと
思います。

被害の大きかった地域以外の方はというと、それなりの被害、
それなりの後遺症があるのです。

で、彦島です。
彦島はねえ、彦島(旧有料)道路が今もって通行止めなんです。
彦島道路を日常、走行している人たちは大変なようです。

老の山の裾野が崩落して、彦島道路を覆ったのは6日の金曜日の
早朝のようです。


ようですっていうのは、アタシあんまり彦島の家に帰んないからなんです。
月曜日にやっと帰って、荷物を置くなり、すぐさま現場に急行しました。

だってね、現場はすぐ近くなんです。彦島道路の迫出入口まで、徒歩一分。
崩落現場まで徒歩三分の距離に私んちはあるんですからね。

入口の方にはガードマンさんが立っていました。
ガードマンさんの横をすり抜けていく「ずうずうしさ」は、
強心臓でならす僕でも、ちょっとね、持ち合わせていないんです、はい。


で、出口側の方から登っていきました。
上がりきって、ガードマンの人や作業員の人にとがめられたら、
「ありゃ、入ったらいけんのか、そりゃあ、すまんことしたのお、エヘヘ」
で、すますつもりです。
「泣く子とエヘラ笑いの年寄りには勝てはせず」です。
これ21世紀の格言! 今、作ったんだけど。


これが崩落現場です。土砂はすっかり片付けられていました。
こりゃー、明日から規制解除かなと思いましたが、いや待てよです。

地方では安全と社会の効率ってなことに対して、みんなが共有する
解がないことが多いように思います。

もし万一、再崩落が起きて被害が発生しようものなら、
現場責任者まで罪を問われかねません。

もうちょっと再開には日数がかかるだろうと思いながら
現場を離れました。


振り返ると彦島道路最終地点に向かう道路。
当たり前ですが、車一台通っていません。
こんなのは、海峡マラソンの時しかありません。

僕はこんな光景、結構好きです。

道は人が歩き、車が走ってこそ道であり得るのです。
道が道であるための重要な要件を欠いていて、
その不安定さを道が訴えているような感じです。


出口の最終地点、地道のバス道との接合付近の側溝は
大雨当時、土砂を含んだ雨水を吹き上げたようですね。

by マサジー

※ 書き始めたのが、11日(水)で、書き終えたのが12日(木)
  です。本日12日より彦島道路は再開しています。
コメント

保津川ポタリング(その3)

2018年05月06日 07時36分54秒 | 全国各地
さて、これから保津川に沿って走り、トロッコ保津峡駅を経由して嵐山に向かいます。
途中、保津峡の狭隘部分になると川に沿っての
道はなく、山越えの林道になりますが、
来るときの「全面通行止」の看板を気にしながらの走行です。
先ずは、川沿いの道の入口にある先ほど立ち寄った神社の前です。

そこにも、「請田神社より先 通行止」の看板が。
とりあえず行けるところまで行くしかないと覚悟を決めて出発です。

しばらく行くと、水車小屋が目につきました。

建物の中、水車の力は何に使われているのでしょうね。

回っている様子を眺めていると子供に戻ったように楽しくなります。


堤防の上から流れを見ると、随分と広い河川敷であることが分かります。
下流の保津峡の狭さを考えると、これくらい広い面積を確保していないと大雨の時の氾濫防止に役立たないのかもしれませんね。


馬車が河川敷を走ってました。
きっと、トロッコ亀岡駅と保津川下りの乗り場とを結んでいるのでしょう。
軽快に通り過ぎていきました。

ここでも藤の花が立派に咲いていました。



しばらく進むと、鳥居が目に入り、「落石等危険」の標識が。
「通行止め」となっていないことに気を強くしました。

道路は保津川沿いに走っています。

先ほど見てきた保津川の河川敷の広さを思うと、川幅は一気に狭くなっています。
対岸はトロッコ鉄道の線路が走っています。


次第に川面が下の方に見えるころ、前方に鉄橋が見えてきます。
JR山陰線が保津峡を渡る鉄橋です。


猿が3匹、道路に座ったり、寝転がっていました。
カメラを取り出しているうちに、僕を気付いたのか立ち去っていきました。
写っているのは2匹です。一匹はこちらに気が付くと真っ先に山に駆け込みました。


林道もさらに高度を上げて、川面やトロッコ鉄道の線路が下に眺められるようになります。
同時にこの道路も川から離れていくことになります。


倒木がところどころに見られるようになり、ここでは、障害となる部分を切り取ったようです。
倒木の数量が膨大すぎ、持って行くところがないので、
とりあえず、復旧工事の障害とならない程度に処理をしたという所でしょうか。


書くなら「落木注意」とすべきかな?と思わず突っ込みを入れてしまいました。
そのすぐ上を見ると、引っかかって落下を免れている木々がイッパイです。




林道も峠です。もうじきこの林道も終わる予感です。


峠を越えるとすぐに、最初に目にした「全面通行止」の看板の場所にでました。
水車のところから約30分でした。案外短かったようです。

写真には撮っていませんが、バレーボール級の落石がアチコチにあり、テニスボール級はゴロゴロしている箇所がいくつもありました。ハンドルを取られないように、パンクさせないようにと気を使いながらの走行だったので、写真を撮る余裕は生まれなかったようです。

ここからは元来た道を通って嵐山に向かいます。

藤の花がきれいに咲いている一方で、

多数の倒木がそのまま放置されれているのがアチコチに見られました。

トロッコ保津峡駅まで戻ってきました。

しばらく橋を渡りながら、小休止を兼ねて保津峡を楽しみました。

↑橋から上流の眺めです。

↑橋から下流の眺めです。

↑駅側から振り返ってです。
最後に、もう一度保津峡駅まえの橋からの一枚。 
なんとなく峡谷美と駅の跨線橋との取り合わせが面白く。。


保津峡駅から、往路で保津川を最初に眺めた場所まで戻ってきました。

保津川下りの舟が下っていきました。
川岸が10mの高さまでむき出しなのは、大水の時、そこまで水が流れるということなのでしょうね。

最初に通った峠、六丁峠まで戻ってきたころから
大変!雨が!! 北山しぐれ?!
なんて思っているうちに雨脚が強くなり、携帯してきたレインウエアを羽織る暇もなく本降りに。
しかも、ゴロゴロと雷様までが参加です。

天龍寺前の通りまで戻ると

観光客らは傘をさしたり、店先で雨宿り。

駐車場に到着しても、一向に雨脚の弱まる気配なく
自転車の解体撤収は土砂降りの雨の中ということになってしまいました。。。

終わり


by W
コメント

保津川ポタリング(その2)

2018年05月04日 21時41分19秒 | 全国各地
JR保津峡駅から水尾の「柚子の里」に向かい出発。
保津峡駅への橋の下を流れている水尾川に沿って緩やかな坂道を走っていると
「全面通行止」看板が目に入ってきました。

その道路は、亀岡からの帰りに保津川に沿って走ろうとしている道路のことだと思われるものでした。
もし通れないのであれば、亀岡からまた同じ道を引き返す他ないのか!?と
ちょっとショックです。看板をよく見ると、落書きがしてあります。

「4輪ムリ」
「2K先がけくずれ」
「2輪車通行可」
と読めました。
この落書きに気を取り戻して、予定通り進むことに。

途中で、水尾に至る歩道があることが分かりましたが、
林道の通行止めがあったので、用心して車道を行くことにしました。

谷の方に見えている歩道を眺めると、
道路との斜面に倒れた木々の処理でカットされたカケラと思われるものが散乱しています。
水尾川は相変わらず、道路の遥か下を流れています。

水尾の集落に近づいたようです。

段々畑や柚子の木々が眺められるようになりました。

水尾の集落に入りましたが、相変わらず道は厳しい坂道です。

清和天皇陵も近くにあるようですが、自転車でたどり着けるかわからないのでパスしました。

柚子の里の中を通り抜けていきます。

道路はどんどん高度を上げていきます。
水尾川もぐっと細くなり、源流に近づいているようです。

しかし、道路は容赦なくさらに高度を上げていきます。

先ほど通過した水尾の郷が木々の隙間から小さく眺められるようになりました。

道路の傾斜は相変わらずです。

電足君でなければとっくに音を上げていたことでしょう。

山々の頂がすぐ近くに見えるようになりました。


神明峠に到着です。


「峠」と言いながら、この先まだ登りが続いています。
峠の道標がなければ、気付かずに更に登っていることでしょう。
分岐の道標です。

まだ道路が整わない時代、亀岡から京に抜ける道路から見れば、この場所が亀岡と京との境としての峠だったのでしょうね。
この道標の左側は急な坂道が亀岡に下っています。

道標で示された亀岡方向に進むと、

大雨で倒壊した木々がまだ残っている坂道をグングン下っていきます。

カエデの若葉に目を奪われます。

秋の紅葉時期になったら是非来たいと思います。
池の水面が鏡のようです。
対岸に白馬がいれば東山魁夷の絵の様です。

こんな景色を独り占めできるのは幸せです。

この林道に沿って流れている愛宕谷川の流れる音が静かな林道を一層静かに思わせてくれます。
いつまでも、ここにいたい気分にさせてくれます。

しかし、いたるところで、水害の爪跡が残されています。




林道を抜けると保津の町です。

古い神社で一休み。

保津の町を抜けると近代的な真新しい橋を渡ります。

もちろん、渡るのは保津川。

この下流があの保津峡とは思えないほどの広さです。

亀岡駅に到着です。

駅舎もモダンです。
大きな建設用クレーンが2本動き回っており、駅の北側周辺で再開発が進んでいるようです。

プラットホーム越しに駅の向う側の様子です。



看板を見ると、「京都スタジアム(仮称)」だそうです。
「平成32年春オープン予定」とありました。
平成はそれまでに終わってしまうんですよねえ。
年号はどう変わっているのでしょうか。

遅い昼の食事を保津川の堰堤に設けられいるベンチに座り、
河原でゲートボールに興じている人たちを眺めながら食べました。


(その3)へ続く


by W
コメント

保津川ポタリング

2018年05月02日 23時24分00秒 | 全国各地
5月の連休で観光客が爆発的に増える前に…
と、明日から連休が始まるという金曜日に
保津川にできるだけ沿って走るというポタリング(自転車散歩)してきました。

嵐山~亀岡間は初めてのコースなので、コースを調べていると、結構きつい坂道がありそう。
最近膝が痛く正座もままならない状態なので、状態をこれ以上悪くしないよう
電脚(でんどうアシスト)君のお世話になることに。
しかし、キツイ坂道以外はアシストオフで行きますヨ。

スタートは京都の嵐山。
亀岡から嵐山まで保津川下りが有名ですが、往復とも自転車で攻めることにしました。
JR保津峡駅まで行き、途中、水尾を経て神明峠から愛宕谷川を下り亀岡駅に出て、
そこから改めて保津川に沿って嵐山に戻ってくるというコースを走ってみることにしました。

先ずはスタート地点の嵐山。
渡月橋に近い場所に一日最大600円の空いているコインパーキングを探して駐車。
早速自転車を組み立てて出発です。
渡月橋は連休前というのに人でいっぱいです。

お坊さんもスクーターで連休前を忙しそうです。

天龍寺前のメイン通りは、歩道が狭いせいか、車道にまであふれています。

車道は信号が変わるたびに団子になって車が来るけれど歩道に逃げることもできず、
車が来ると、流れが一息つくまで待ってこの混雑から逃れることに集中です。

修学旅行生も大勢いました。あの若さがウラヤマシイ
中学の時修学旅行で京都に来たのだが、嵐山まで来たかどうか全く覚えていない。

何とか天龍寺前の道路の雑踏を過ぎて、
化野(あだしの)の念仏寺へつながる道に進みました。

人力車のお兄さんも頑張ってます。
ほぼ直角にくねくねと曲がる道を行くと、綺麗な石畳の道路と閑静な家屋が続く道になります。

いつの間にやら小奇麗な通りになってました。
更に先に進み念仏寺の近くになるとまたお土産屋さんがあり、修学旅行生が品定めしていました。

そして、そのすぐ先に念仏寺への階段にでます…

が、ここもパスして先へ。
更に先に進むと大きな鳥居が見えてきます。
鳥居越しに平野屋という食事処が目に入ります。

僕が「京都のデベソ山」と勝手に呼んでいる愛宕山への入口にあたるのでしょうかね。
平野屋は結構な老舗なのだそうですが、パス。
鳥居前を左にそれていく道を進みます。

その先にはかなり厳しい坂が待っていました。
電脚君にしてよかった!!

険しい坂道を登りつめると六丁峠という峠に出ます。

その先は今度は急な下り坂が待ってます。
帰りが思いやられます。

しかし、藤の花がきれいに咲いていました。
さすが京都の藤の花。自然に咲いている藤も房が太く長く、どことなく雅びているようです。

遠くに目をやると、いつの間にか深山に分け入っているではないかと思うほどです。


急な坂を下りると橋を渡りトンネルを抜けます。
橋とトンネル入り口は一気に抜けてしまったので、トンネルを出て振り返っての写真です。

そこから保津川が眼下に見えます。

気持ちの良い水の色と流れの音です。
そこからは保津峡と並行して道路が伸びていますが、残念ながら道からは保津川は良く眺められません。

しばらく進んで、ちょっと視界が開けたところに、保津川の対岸にトロッコ鉄道保津峡駅が見えました。

橋を渡っての景色は帰りの楽しみにして先を急ぎまあす。

道路は崖に沿ってクネクネしていて、時折車とすれ違い、ヒヤッとします。
振り返って見てもわかる通り、山側は崖、

保津川側は木々が茂っていて、視界がありません。


再び視界が開けたところに出ると、眼下にJR保津峡駅が見えます。
写真を撮る準備をする間に、保津川下りの船が下ってきました。
上手い具合に電車と川下りの船が同じ画面に納まりました。


JRの電車が去った後、遠くで別の列車の音。
視線をあげると、ちょっと向こうにトロッコ列車が通っていました。


そこを過ぎると、水尾方面とJR保津峡駅への分岐点です。

JRの保津峡駅に立ち寄ることにしますが、そこから駅の方を眺めると、
深い渓谷に駅のあることが分かります。

下の方に目をやると遥か下に谷川が流れています。
なぜこんなに深い谷川がここにあるのか?
ブラタモリ的な問が湧いてきます。



保津峡駅です。

電車がやってきて停まりましたがだれも降りてきません。
乗り込む客もいませんでした。

駅前のロータリーです。

自動車がいくつか停まっているのは、近くの集落からの通勤用でしょうかね。
他にお店も何もありません。

バス停がポツンと立っています。

これから向かう嵯峨水尾(柚子の里)行のみで、一日に5本。
自治会運営で運転手不在時は不通とありました。
水尾まで3.6km、
ほぼ坂道なので、歩いて行くとなると、一時間位でしょうか。

分岐点に戻り、さて、これから左手、水尾の柚子の里に向けて出発です。


続く


by W
コメント

京都・鴨川~大原を訪ねてポタリング(自転車散歩)【続き】

2018年04月18日 06時07分20秒 | 全国各地
これから三千院に向かう前に
道路から寂光院への分岐点に戻り、
案内図を再確認です。


個々の寺院は特に拝観するつもりではないので、
どの小径でもよいのですが、
階段があるかどうか、長い階段があるのは
しんどいなあとちょっと考え込んでしまいました。
狭い階段を自転車を押しながら、
人とすれ違うのは申し訳ないのでネ。

きれいに咲いた樹を撮っていた人が

入っていった道を僕も入ってみることにしました。

その先は、鉄の小さな橋でした。

要所要所には案内板が設置されておりました。


小さな橋を渡ると菜の花のさきみだれた小径に続いていて
「大原女の小径」と命名されているようです。

三千院に続く坂道には小物屋さんなどが。


そして小川に沿っての道は、カエデの若葉が
歓迎してくれています。


小川に沿う道を自転車を押しながら登ると、
三千院の正面に接する道に出ます。

ここには、より規模の大きい土産物屋さんや
お食事処が軒を連ねています。

この道に面するように三千院の山門?がありますが、
険しい階段が立ちはだかっています。

階段の上に上がってみたい気持ちもありますが、
自転車を置いておく場所を見つけられず、パス。
このままこの道を自転車を押して進むと、
赤い橋が架かっており、
その橋の袂にも下から上がってくる小径があります。

その小径の周りも新緑が眩しいカエデが並んでます。

三千院前の道もその先もカエデの緑が目に眩しい。


ここで引き返すことにして、再び三千院の門の前にでる道ですが、
緩い階段の脇には嬉しいことに自転車やバイクの為の
スロープが設けられています。

先ほど通ってきた赤い橋から上流を眺めると、
そこにもカエデの木々が新緑に覆われてなんだか、ホッとします。

三千院に至る道々で眺められたカエデは、
これらが紅葉すると壮観だろうなと思わせるに十分でした。
今回のポタリングで、大原一帯のイメージが少しは
掴めたかなと引き返すことにしました。
今度は紅葉の時期に来よう!!!

そこかしこに葉桜になりつつある桜の木々と新緑に覆われた
カエデの織り成す自然に圧倒されながら下山です。


途中、こんな自動車を見かけました。

こんな山道を運転するのは大変だろうと思います。
あまり運転していないようにも見えました。
よく見ると、前のフェンダーに傷が見えます。やっぱりなあ。
タイヤの空気も減っているようだし、
それ以来使っていないのかもです。

北山駅近くで買って持ってきていたお弁当をまだ
食べていないことに気づき、
大原を流れていた高野川の畔でお弁当を食べることにしました。


ベンチの正面からは満開の桜が対岸に眺められました。

その桜の横には新緑で覆われた木があり爽快です。


食べ終わってから、しばらく高野川に沿って下ると、
叡山鉄道の八瀬比叡山口駅です。
丁度、「出町柳」行の電車が止まっていました。

「出町柳」とは、おお!懐かしい。

一年間だったけど京都に暮した初日
食材を買いに出たのが出町柳。
カツを揚げながら売っていた店があったので、
2~3人が並んでいたけど、そこに並んで待ちました。
僕の番となった時、揚げていた店の人が
「おうちは?」と聞いてきたので、
思わず、住むことになった方をさし「アッチ」と答え、
あわてて「ミンチカツ」と言い直したのでした。
50年以上も昔の事になってしまっているのに
今でも鮮明に覚えている。
実生活で京都弁に出くわした最初でもありました。
その出町柳に向かって電車が出発していきました。




最後の寄り道は宝ヶ池公園

池の畔の八重桜、
桜餅のようで、美味しそう。

宝ヶ池公園を出ると、ずっと向うの方に「京都タワー」が。

ほとんど新幹線でしか見ていなかったタワーが、
自転車を漕いでいて見えると、
「何であんなところに???」と思われたのでした。

やっと「北山通り」まで戻ってきました。

あと1kmほどでスタート地点です。
スタート地点に戻ったのは16時半でした。
出発したのが11時半だったので、
約36kmで、丁度5時間。
三千院界隈ではほとんど押して歩いたためか、
グロスで通常の2倍近い時間を要した自転車散歩でした。

また近いうちに京都をポタリングしたくなりました。
しかし、街中は自転車で走るには車道は車が多いし、
歩道には人が多いし、どこに行こうかなあと悩んでいます。

この項、完


by W
コメント

京都・鴨川~大原を訪ねてポタリング(自転車散歩)

2018年04月15日 20時59分33秒 | 全国各地
桜の季節はあっという間に過ぎてしまいました。
一度、その季節に訪ねてみたいと思っていた大原
今年も逃してしまいました。

それでも、まだ、どこかに残っているかもしれない……
と相変わらずの未練から、
大原をポタリング(自転車散歩)してきました。

京都府立植物園北側のどこかのコインパーキングに車を停めて
鴨川伝いに北上し、
鴨川から枝分かれした静原川に沿って登り、
大原の里に入り、寂光院、次に三千院に。
その後、鯖街道を南下して蛍が池を経て、
出発点に戻って来ようというコースです。

幸いすぐに空きのあるパークが見つかり、
そこに車を停めて自転車を組み立てて早速出発です。

近くのコンビニで弁当とお茶を買ってスタートです。
出発地点と定めたのは鴨川に架かる北山大橋のたもと

そこから鴨川河川敷に設けられた道を
ウォーミングアップをしながらゆっくりと北上です。


鴨川には鴨が泳いでいました。

京都に暮らしていた時(一年間だけですが)、
気分が落ち込むと鴨川に出て、
ハーモニカを吹いていたことを思い出しながら、北上です。
正面に、京都五山の送り火の山が見えてます。


暫くすると、河川敷の道はなくなり、
堤防上の一般道路を走ります。


川幅も次第に狭くなり、いよいよ山間部に入ります。


更に川に沿って走ると大原方面への分岐に差し掛かります。

コースを右の鞍馬・貴船方面に入ります。


落葉樹も若葉が萌出て新緑がきれいです。
更に進むと叡山電鉄鞍馬線と交差です。


この踏切を超えて道なりに真っすぐ進みますが
峠に向けて坂道が続きます。
程なく峠「江文峠」に至りました。
大原まであと3km。

バスの停留所がありました。

利用する人がいるにはいるのでしょう。
一日に3本は止まるようです。

ですが、クマが出没するようです。

神社参りも命懸けですね。
クワバラクワバラ…

峠を越えて大原の里に近づくと、こんな料理屋の看板が。

鬼平が「どうでい、お前さんも食ってみるかえ」と出てきそう。

順調に自転車を進めると、
寂光院と三千院への分かれ道

先ずは、寂光院を目指して直進。
進みながら右の前方の三千院方面の眺めです。

初めての大原なので、違っているかもと思いつつ。
どうやら、大原の里も桜の盛りは終わっているようです。
それでも、所々に満開の桜が残っています。

しかし、それ以上にカエデの若葉が存在を主張しているのに気付きました。

菜の花も満開です。


あれこれ見とれているうちに、はや寂光院方面への分岐です。


「左寂光院」の道標に従って、山里に分け入ります。


次第に駐車場が目立ってきて、
そこそこ車が入っています、金曜日なのに。


最初に目についたのは高倉天皇皇后の陵入り口です。

きつい階段が目に留まります。

さらに進むと寂光院への入口に到着です。
白い塀の途切れたところの右が拝観口です。



みんなこの階段を上っていくのでしょうね。

ポタリングが目的なので、拝観はパス。
観光地の定番です。

荘厳区域というより、遊園地?と思ってしまいます。

寂光院から分岐点までの戻り道での一コマです。

カエデの若葉と残りの桜と女が一人・・・
しかし、最近はみんなスマホをいじりながらですなあ。
この後三千院へ向かいます。

続く


by W
コメント