彦中三八ブログ 

彦島中学校を昭和38年3月に卒業した同期生のためのブログ。 掲示板「彦中昭和38年卒同期会」にもお立ち寄りください。

2021年11月20日 22時14分21秒 | イベント・出来事・生活
昨夜は月食でした。
皆さんは月食を眺められましたか?
僕も眺めました。
というより、
ハッと『今日は月食!!』と思い出し、
カメラを持ちだしてお月さんを眺めれば
既に月食の最盛期(という表現が正しいのか?)。

お月さんが赤銅色に輝いて(?/!)いました。

そして、今日また同じお月さんを眺めると、
何事もなかったかのように、ホボまん丸な姿をしていました。


お月さんは晴れていればどこからでもほぼ同じ姿を見ることができますが、
面白いのは(「興味深い」と言うのが良いのか)その周辺部分です。
望遠鏡かカメラのファインダーで拡大して眺めるとその周辺部は
コンパスで描いた「円形」ではなく、デコボコの地肌が眺められ、
お月さんも天体の一つなのだと改めて認識した僕でした。
皆さんはどのように眺められましたか?


by W

既視感

2021年08月16日 19時50分13秒 | 全国各地
とてつもなく熱くて暑かった先日、
淀川河口付近を歩いてきました。
いつものメンバーで淀川の右岸を歩きてきました。

右岸から見る大阪は、規模は全く違うし、近くに山も見えないけれど
川の流れが、海峡の流れのようにも見え、
唐戸付近から門司を眺めるような気分です。


河口の先端は、矢倉緑地公園。
公園に着くころは、暑さでグロッキー状態でした。
しかし、先端部に近づくと、海上を神戸と大阪を結ぶ湾岸道路が目に入ってきます。


さらに公園に近づくと、湾岸道路が大きく見えてきて、

なんだか、見たことのあるような景色!

そう、彦島大橋の橋脚の間から見える六連島の景色が思い浮噛んだのでした。。

規模は全く違うけれど・・・
強い郷愁が襲ってきました。
コロナの所為で今年も同期会は流れ、いつになったら行けるのでしょうか。


by W

小学校新入生

2021年04月12日 23時37分53秒 | イベント・出来事・生活
小学校入学の季節ですね。

新型コロナの渦中、今年も小学校の入学式が色々な制約の中で行われたことでしょう。

親父の撮った古い写真を整理しようと眺めていたら、僕の本村小学校入学当時の写真が見つかりました。

自家(社宅)の前で撮った写真です。家の玄関より道路が高い位置にあるので、家はこの写真の右手に少しだけ写っています。
同期会で下関に帰るたびに、社宅のあった場所に立ち寄りますが、すっかり雰囲気が変わっていて、ドギマギしてしまいます。

近所に住んでいた同級生とも一緒に撮ってくれていました。

写っているみんなは今もお元気なのでしょうか・・

周囲の状況はすっかり変わっていますが、背後の山(ホーダイ山・老の山)はこれを見る限りあまり変わっていないようです。

同級生の顔を眺めて、名前をすぐに思い出せた人もいる一方で、「名前は何だっけかなあ」と首をひねる人もいます。
この写真は、親父の趣味でもあったスライド(幻燈写真)のポジティブフィルムで、もう半世紀以上前の為、カビによるシミも出ていたので、見易く修正しましたが、何分色全体が褪色していて、且つ全体に青っぽく変色していたので、昔の色から随分変わっていると思います。

ポジのスライド用写真なので、写っている人のご家庭に印画紙にプリントして配ったのかは知りませんが、写真をプリントしてはいなかったかもしれないので、懐かしいと思う人もいるかと思い、顔はそのまま無修正としました。ご容赦m(__)m

もし、全員の名前が分かる方がいたら、コメントでご教示願えればと思います。ヨロシク

また、同じころ、僕の入学を記念しての家族写真と思われるのもありましたので、蛇足ながらご紹介します。
写真の左隅に梅光女学院の建物が写りこんでいるので、日和山水源地脇の道路での撮影と思われます。

同じ場所付近からの写真はその後も結構あったと思うので、ここからの眺めは親父も好きだったのでしょう。


by W

京の桜は満開

2021年03月30日 02時08分49秒 | 
先週、下関出身仲間と京都の伏見を街歩きしてきました。
歩いたのは、京阪電車の藤森(ふじのもり)駅から、中書島駅まで。

藤森から歩き始め、名神高速道と並行した道路を行くと、いきなり満開の桜に出合いました。思わずカメラを取り出してパチリです。京都南インターの近くのようですね。


名所旧跡にアチコチ寄りながら南下して歩いていると、高瀬川の堤防沿いの桜並木が満開でした。


更にしばらく行くと堤防斜面で菜の花が満開でした。


菜の花の向う側から北の方を眺めると、僕が勝手に「京都のデベソ山」と呼んでいる愛宕山が遠くに眺められました。


運河のような川筋ではユキヤナギも満開でした。


川筋に沿って歩くと、桜が満開で、柳の新緑が風になびき、桜の足元のユキヤナギが満開。まるでポスターの写真の様です。


川筋に沿って歩いていると向うから観光遊覧船がやってきました。船の中はやや密の感じでしたが、コロナは大丈夫でしょうか。ちょっと心配です。


川べりから上がって道路を歩いてくと、寺田屋騒動で有名な「寺田屋」があります。薩摩藩の粛清事件と、坂本龍馬襲撃事件のあった場所です。特に坂本龍馬襲撃では、高杉晋作が龍馬に贈ったピストルで難を逃れたことでも知られていますね。

しかし、この寺田屋の建物は、寺田屋騒動のあったものではなく、当時の寺田屋は鳥羽伏見の戦いの戦火で焼失し、その後に建てられたものらしいです。

彦島も桜が見頃でしょうか。それとも、もう峠を越えそうなのでしょうかね。
老の山の大改修後、桜がまた植えられていますが、少しは大きくなって、たくさんの花を咲かせているのでしょうか。


by W

久しぶりです

2021年03月04日 18時16分08秒 | 
気が付けば、前回投稿してから半年以上が経ってしまいました。
コロナ禍で同期会も見送られて気が付けば今年度の最後の月。
今年も同期会の開催は難しいかな…と思いつつ、下関・彦島にまつわる話題も乏しく、記事のアップが遅れているなあ、との思いにアップアップ…溺れかけています。
今日、近所の小学校の脇を散歩していたら、一番先に咲くという河津桜が、まだ貧相な姿ですが、満開でした。

彦島・下関・山口にまつわる話題は無いか、もう少し性根を入れて探してみるか…と思いつつ、写真を一枚アップします。


by W

まだまだ暑さが続きそうですね。

2020年08月28日 14時57分26秒 | 動植物・自然
8月も残すところわずかですが、皆さんお元気ですか。
今年は新型コロナウイルスによる影響で、もう小学校の授業も始まり、子供たちも大変ですね。
そんな中で、朝6時台の暑くならないうちにと犬を連れだして散歩していますが、
今年は、とりわけクマゼミがウルサイように思いませんか。
近くの小学校傍の遊歩道を歩いても、大変です。
ツクツクボウシも遠くから聞こえては来るのですが、クマゼミは全く負けていません。
遊歩道の樹を見上げれば、蝉の抜け殻が所狭しと並び、

足元を眺めれば、蝉のサナギが這い出てきた穴が無数に空いています。

毎日コロナ禍の状況報告がニュースの定番となっていて、
いつになったら心置きなく下関を訪れることができるのやら!?
と、過ごしております。


by W



半世紀前の下関

2020年07月11日 22時39分50秒 | 昔の彦島・下関
新型コロナウイルスで世の中が騒然とする中で、同期会も開催が見送られ、そうこうするうちに、九州や、中部地方では河川の氾濫と、とんでもない状況に落ち込んでしまい、その上、コロナも再び感染が広がるかもしれないとう状況になり、何とも言い難い気分ですが、皆さんお元気でしょうか。
少しでも、平穏だった(と思っていただけかも知れない)時代を振り返えってみたいと思っていた所、何と、半世紀以上前の写真が(少しですが)出てきました。
まだ、関門橋が無かった頃ですね。

撮影日の正確な日付は分かりませんが、DPEでプリントした日付が、印画紙の裏に残っていました。
撮影した日付は分かりませんが、「16.10.69」とあるので、おそらく1969年の夏なのでしょう。私が22歳の頃です。もう50年以上も前か!嘆

関門海峡を何枚か撮っていますが、横パノラマ写真にできず、2枚の写真として撮って残していました。
一枚に合成しようとしたのですが、色調を合わせるのがむつかしく、合成はあきらめて、そのまま2枚の写真として、ご紹介します。
おそらく、日和山の上からだと思います。
海峡の海面が良く見えていますね。




九州への出張帰りに下関に立ち寄って撮った写真を、2014年に『何年前の下関だろう』として写真をいくつかご紹介しましたが、その時の写真と比べてみても、まだビルが少なかったことが分かります。
ビルの屋上の大きな看板も「住友生命」だけだったことが分かります。

下関のメインストリートです。茶山口付近でしょうか。

山陽電軌の電車もまだ健在です。
基本的にあまり変わっていないように感じるのは現在を余り知らない私だけかもしれませんが・・・
自動車も懐かしいデザインのオンパレードですね。


老の山に登っての写真も関門海峡を2枚の写真にして撮っていました。



大和町もほとんど昔のままですね。
その中で目立つのは下関駅前の焦げ茶色の山口銀行のビルですね。
そして何より、嬉しいのは、風師山のテッペンがホントにデベソであったことです。

目を西に転ずると、(今は無い)新しいベンチ越しに六連島が見ます。


当時は下関駅西口にあった大丸(今は駐車場になっているところですね)の屋上からも写真に撮っていました。

丁度、ガードを抜けて西口の停留所に向かうサンデンバスが写真に写っています。
西口のバス停でバスを待っていると、時々、蒸気機関車から2ミリはあろうかという大粒の煤がバラバラバラと降ってきたことを思い出します。

関門海峡方面を望むとこんな感じです。



残念なのは、この角度から右、即ち、大和町方向の写真は撮っていなかったようです。
漁港も撮っていました。


大歳神社(だったかな)の境内から、何という名前だったが思い出せませんが、小さなデパートの屋上越しに懐かしい下関駅舎です。

あの、大きかった三角屋根の中は広いコンコースで、東口と西口がそのままつながっていて、西口と東口は完全に一体だったのが良かった。
「中華第一楼」も懐かしいですね。
専門大店も懐かしい。ここで、レコード「帰ってきた酔っ払い」を買ったのを思い出します。


by W


ストロベリー・ムーン

2020年06月05日 22時31分19秒 | 動植物・自然
今日は満月
「ストロベリー・ムーン」だそうです。

月の出頃には名前通り、赤い月が見えるかも・・・
と思っていたのですが、気が付けば、22時を回っていました。
そこであわてて撮った写真です。



平凡な満月の写真でしかありませんが・・・

ちなみに、「ストロベリー・ムーン」という名は、
アメリカの先住民がそう呼んでいただけで、
6月の満月が赤く見えるということではなさそうでした。


by W

静かな京都の街を歩いてきました (その3)

2020年04月08日 01時20分13秒 | 全国各地
哲学の道から離れて、次の目的地、真如堂に向けて歩いていると、小さな川の向うに面白い?樹が生えていて、思わずパチリです。
根元が一つで幹が二つに分かれて生えているように見える「相生の松」とは違い、根が二つで一つの樹木となったよう、或いは、一本の樹が、歩いて移動しているようにも見えました。


次の目的地真如堂へは、ぐるっと回っていくのですが、近道を進みます。とはいえ、急な坂道は、四条河原町から歩いてきた爺さんにはちょっとしんどかった。


坂道を登りつめると境内です。
振り返って見ると、大文字山がすぐそこに見えています。

ここから見る、大文字焼は迫力でしょうね。
この境内も、大文字焼の時はいっぱいの人だかりかもしれませんね。

境内は広く、我々の他には誰もいないようです。


お寺の塔は、均整が取れて、どこの塔も美しいですね。どこのお寺もそうですが、個々の建物はほぼ対照的な均整の取れた建物だけれども、それらが配された境内は、非対称でありながら、全体として静的にも動的にもバランスが取れているのを見ると、ただただ脱帽ですね。

我々以外にひと気が無く、それぞれはひっそりと建っています。


境内を進むと、会津藩の墓地がありました。

幕末の京都と聞くと、は長州の犠牲が脳裏に浮かびますが、京都守護職として会津藩士も大勢が犠牲になったのだと改めて知らされます。


墓地を抜けると隣の金戒光明寺に出ますが、お墓のお寺という感じです。
しかし、高台にあるので、京都の人にとっては、死後はここに葬られて京都と共に死後も生きるという気持ちになるのかもしれませんね。

階段を降りて振り返っても、全山お墓という感じですね。

階段を登りつめたところに三重塔がありますが、我々は、この三重塔のところから降りてきました。
この墓地の中に、アフロヘアの仏像で有名な仏像があります。修行に打ち込んでいる間に髪の毛が伸びたんだそうですが、分かりますか?


白い円で囲んだところにありますが、階段を上から降りてきたので、気付かず、下から眺めて気付いたのですが、戻るのも面倒なので、どんな仏像か関心のある方は、
「アフロヘアの仏像、金戒光明寺」で検索してみてください。

この辺り一帯は、平安神宮の背後にあたる地域で、聖護院門跡など大きな社寺が軒を並べていますが、観光客向けの看板や案内板、注意書きなどが所在なさそうに立っているだけで、ひっそりと生活している感じでした。

こういう空間は、なにかそれだけで、落ち着いた気分にさせてくれるので、好きですね。

下関の長府もこのような空間に近いですね。
清潔に保たれており、ひっそりとしていても、人の営みが感じられます。


交通神社というのもありました。日本で唯一だそうです。(海外にもあるとは思えませんが)


訪れた2月の京都はひっそりとしていましたすが、コロナウイルス禍が続いている4月の今もほとんど変わっていないのではと思います。
広大な空間に大きな伽藍がひっそりと建っているのも良いもんだと、京都歩きの余韻に浸りながら、帰路に着いたことでした。
この原稿を書いている時、兵庫県も緊急事態対象県となりました。一刻も早くコロナウイルス禍が終息することを祈らざるをえません。


by W

静かな京都の街を歩いてきました (その2)

2020年03月09日 22時25分48秒 | 全国各地
白川沿いに、つい最近まで賑わっていたであろう白川沿い歩いて、いよいよ白川とはお別れです。

白川に架かっている小さな橋の上から比叡山が正面に眺められます。
何気なく撮った写真ですが、家に帰って写真を整理して気付いたのですが、そこに着物を着て靴に袴という女性を写真に撮っている人が写りこんでいました。アチラさんは、「あの爺さん早う どかんかいな」と思っていたかもしれません。
この橋を渡るとすぐに知恩院の寺域への門があり、いよいよ知恩院です。

知恩院は、いつもたくさんの大型バスと内外の観光客でにぎわっているのですが・・・

山門への道路は、大型バスどころか、観光客もほとんど見当たりません。道を占拠しているのは馬関シックスです。
大きな山門の前に出ましたが・・・

ほとんど人がいません。
階段を上がってみても、拍子抜けするほど閑散としていました。

それでも、寺院空間を堪能して、「お帰り口」にそって下山です。

続いて、隣の青蓮院に面した道を北上です。

古い大きな樹木に圧倒されます。

拝観よりも「街歩き」がテーマです。青蓮院には立ち寄らず、そのまま北上して南禅寺への道を蹴上(ケアゲ)に向かって歩きました。

蹴上の交差点に出ましたが、歩いているのは我々だけといった感じ。
この道も我々が占拠しているようです。

琵琶湖からの疎水の底を潜り抜けて南禅寺へ向かいます。
琵琶湖疎水の下を抜けるトンネルです。

お気づきですか、トンネルを形成しているレンガが斜めに積まれているのを。
「ねじりまんぽ」とよばれ、レンガをねじったように斜めに積み上げて強度を増しているとのこと。普通にレンガを積んだ場合に比べてどれだけ強度が増しているのか知りません。

程なく、南禅寺前の駐車場です。

ガランとしてますが、誰もいないというわけでもなさそうです。
水路閣。写真を撮っている人が私以外に居るには居る(分かりますか)のですが、閑散を通り越してますね。

南禅寺から哲学の道をたどりました。

すれ違う人もほとんどいませんでした。

途中、一人ポツンと橋の欄干に腰かけて鉛筆画を描いている人がいました。
通り過ぎて後姿の一枚です。
写真の右端の道路端に白く写りこんでいるのは、彼の作品群を広げた台です。一枚一枚値がつけられていましたが、ほとんど人が歩いていないこの場所で、果たしてこの日の売り上げはどうだったのでしょうかね。他人事ながら気になるところです。

人が殆どいない「哲学の道」ですが、ちょっと脇に入ったここだけはそこそこにぎわっていました。
「大豊神社」の一角、「大国社」です。
今年の干支ネズミの石像が人気でした。


続く


by W