彦中三八ブログ 

彦島中学校を昭和38年3月に卒業した同期生のためのブログ。 掲示板「彦中昭和38年卒同期会」にもお立ち寄りください。

六連島探検記 お宮さんとお寺さん編

2010年08月07日 00時00分01秒 | 下関各地訪問

「六連八幡宮」です。石段を上がって社を見たかったのですが、
ここを通りかかったのは、今回の行程の初っぱなでして、真夏の炎天下に
最初からフルスロットルで張り切ると、還暦越えの五人のオッサンには、
ちときついかもしれんと断念。
味のあるいい石段ですね。



「西教寺」です。浄土真宗本願寺派のお寺です。西本願寺系、いわゆる
「お西さん」のお寺です。


ここに「お軽さん」の石碑があります。お軽さんは「妙好人お軽」とも呼ばれます。
妙好人(みょうこうにん)とは浄土宗、特に浄土真宗に見られる市井の人で
阿弥陀仏の本願に目覚め、救われた人を言います、と書いてましたね。

ぶっちゃけて乱暴な言い方をしますと、エリートのお坊さんではない
無学な庶民が、信心に目覚め、信心を深め、その精神世界がピュアな高みに
到達した人のことを言うのです。

「お軽さん」のことを知らない人のために、もっとも簡略な「お軽さん」の
紹介文を下関市のホームページでみつけましたので、以下。

~お軽さんは、享和元年(1801)に大森岩松の次女として生まれ、
少女時代は島一番のお転婆娘であったそうですが、17歳の時、
島の幸七という者と結婚しました。ところが、身持ちが悪く家を
顧みない夫であったため、人生に悲観して一時は死のうと思ったほどでした。

しかし、西教寺で住職の法話を聞くうちに生きる望みを取り戻し
深く仏に帰依して、「長門のお軽」として加賀のお千代、大和の清九郎とともに
真宗の三同行と呼ばれるようになりました~

江戸時代末期から明治時代にかけて、お軽さんは大スターだったのです。
もっと詳しく知りたい方は「六連島 お軽」で検索してください。

妙好人とは教団にとって、布教の理想形ですよね。これまた乱暴な言い方
ですが、共産主義国家における「労働英雄」のようなものかもしれません。

しかし底の浅い共産主義国家の「労働英雄」とは違って、「お軽さん」の
石碑には西本願寺派の人々を中心に、今も訪れる人が絶えません。
「お軽さん」は今も愛され続けています。


「同行碑」のそばに歌碑がありました。てっきり「お軽さん」の歌だと
思って、撮ったのですが、帰って調べると違ってました。

~俳画で有名な博多の仙涯和尚がおかるの歌に感動してこう読んだそうです。
信を得し人のよろこぶ言の葉は 仮名にあらわす経陀羅尼(讃歎文)~

おい、おい! この歌碑も権威付けにいいだろうけど、まずはお軽さんの
歌が先だろうと思いました。お軽さんが今に残るのは、素朴だけど
味わい深い歌をたくさん残したことにあるのだからね。


近くにこの石碑もありました。六連島がビン雲丹の発祥地だそうですよ。
城戸久七ジッチャンが初めて世に送り出したようです。

ビン雲丹は下関の名産の一つですが、最近は日本酒があまり飲まれないように
なったので、人気は今一つです。
でも、スパゲティのソースの材料としては抜群なんですよ。

一番安い練りウニで充分です。練りウニに生クリームを適量加えて、
フライパンで加熱したらソースの完成! ヘタなカルボナーラより
断然おいしいソースができます。一度試してください。

by K

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