彦中三八ブログ 

彦島中学校を昭和38年3月に卒業した同期生のためのブログ。 掲示板「彦中昭和38年卒同期会」にもお立ち寄りください。

華山3

2017年06月17日 02時16分33秒 | 下関各地訪問
これまで、足を踏み入れたことの無い、
華山の麓に昔から建っている神上寺に、
初めて足跡を残してきました。

山門を眺める階段状の参道まで
自転車で来ると、大きな字で「下馬」と書かれた
看板です。

自転車が発明された最初の頃、
「ホビー・ホース」と呼ばれていたらしいので、
ここは下馬とある以上、歩いて入るしかないナ。
と、自転車を停めて、参道を歩いて山門に。

山門のあるお寺では、そのお寺の仁王さんを写真に撮るのが
僕の趣味。
左側の仁王です。

そしてこれが右側の仁王。

だいぶ傷んでいるけれど、力強さは十分です。

山門の隅に神上寺の由来記が足元に置かれていました。


山門を潜り抜けて本堂までの参道を
登っていくと、遠くに古い鳥居と手前に橋のようなものが
目に入りました。

あの石の橋は何か外界との境界等の象徴なのだろうかと思いましたが、
脇に回ってみると、その橋の下は、ちゃんとした(?)小川で、
橋そのものでした。


木々は、夏を迎えて、緑の葉っぱが元気です。

紅葉の季節は、さぞかし美しいのでしょうね。
道を挟んで、イチョウとカエデが競い合っているところもあります。


登り切ったところに本堂がありました。

屋根の中央最上部に毛利家の紋が付けられています。


本堂前には広場が広がっていましたが、
この広場は何なのでしょかね。

この広場を歩いていると、ところどころに木の実を
まき散らしているようなものが目に入りました。

傍にはそのような樹もないなあ、と
よく見ると、シカの糞のようです。
十数年前、相生から山奥に入った播磨科学公園都市というところで
仕事をしていた時、夜になると、10頭くらいの鹿の群れが
道路を歩いているのを見て驚いたことがありますが、
このお寺も、夜になると、鹿の群れが歩くのでしょうかね。

この境内を歩いていると、赤色が印象的に目に飛び込みます。
参道の脇に列をなして鎮座している像達です。

どれもみな、赤い毛糸で編まれた頭巾を付けています。







「雪舟の庭」と書かれた案内板がありました。

指し示す方向に行くと、庵があり、その前に
庭が広がっています。

始めはどのような庭か、よく理解できなかったのですが、
しばらく眺めていると、小川や石組みが目に入ってきて、
庭園なのだと理解できるようになりました。

なかには大きな石を根が抱え込むように立っている樹もあります。

雪舟のいた頃は、この樹はどれほどの樹だったのでしょうかね。
まだ、生えていても、石を抱え込むほどではなかったかも
しれません。
振り返えって庵を見ると、にじりぐちを備えた茶室を伴った庵でした。

この茶室を伴った庵は雪舟の時代のものなのでしょうか。

境内を散策してから自転車に戻る途中で、
このような世界を目にしました。

切り倒された樹の幹の一部が放置されていて
その幹から生えた草木が静かな一つの世界を作っていました。
土台となる幹が朽ちるまでの・・・

神上寺を後にして、小月まで戻り、
少し休もうと小月駅の待合のベンチに腰かけると、
上部からチチチチと鳴き声が聞こえています。
見上げるとツバメの巣に4羽のヒナが仲良く並んでさえずっていました。

華山山麓神上寺の境内での静の生と
チチチチとエサを求めて鳴いているヒナの動の生
どちらも今を生きる「生」なのかなと思わされたことでした。

山の静かな寺の境内を歩いてきたからでしょうか・・・


by W

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