人は、ふるさとびと

お帰りなさい と迎えて
下さる神様は、私達の
ふるさとなんです。

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道(4)

2021-05-31 11:17:21 | スピリチュアル
      (前日からの続き)
我々にとって絶対必要なものは、つまり、目に
見える事実と同じ程、あるいはそれ以上の価値を
持つということをこれらの人々を通して、
私どもは知らされるわけなのであります。
さて、そろそろ話を展開していきましょうね。
いいですか、私の方をよく見て、よく見てっ
たってここには五井先生しかいないじゃないか
なんていう人がいたら、その人も唯物論者の一人
かも知れないね。
まあ、冗談はさておいて、必要ですから
もう一度だけくり返しますと、我々人というのは、
何も目の前にある物や会っている人や、事実、
私ははじめにこれらの人々が信じられる最大の
ものは自分自身だと申しましたけれども、しかし、
たとえば、空気や水や、そういう生きていく上に
これを失ったらどうにもならないものは、事実
以上として認めているわけですね。
そうしなければ生きていけない。

で、ね。
今日は先回の「道」の続き、それから、
その続きというのは、人間の救われ方について
説明をしなかったということを申しました。
ここで、くどい程目に見えるものと見えない
もの、見えていないけれども人が信じられるもの、
について述べたのは、ここから話がややこしく
なるんで、ここの所をはっきり覚えておいて
下さい。

それで、今迄の例で申しますと空気や水をある
と信じることによって、この今、私が言った
人たちは救われているわけです。

ところが、この救われ方というのはあくまでも
自己の生存範囲というか、生活範囲の枠の中での
救われであるわけです。

こういう枠を設けて生きている人にとっては、
明日、地球が滅びて空気も水もなくなってしまう
ということが、もし事前に事実として分かったら、
それだけで目の前が真暗になるでしょう。

今まで信じてきた空気や水がなくなってしまう、
それどころか人間の存在そのものがなくなって
しまうわけですから。
ということは、我々は何を拠り所にして
生きていったらいいのか─ということに
なるわけですが、もう少し誤解されない
ように、救われ、救いの範囲について説明して
いきましょう。
          (つづく)