ひからびん通信

日頃思ったことなどについてコメントします。

つかこうへいに捧げる改訂版熱海殺人事件

2010年07月14日 | 時事ニュース
 日本演劇界を代表する劇作家であり演出家であるつかこうへいが,6月10日,肺がんのため千葉県鴨川市内の病院で死去していることが12日分かった。 
 彼の代表作「熱海殺人事件」を新宿紀伊国屋ホールで初めて観ときはまだ僕が大学生のころのことだった。
 立見席から見たステージの上では役者たちが転げ回り,「ブスは生きる権利などない」などといった逆説的な台詞が機関銃のように飛び出し,言葉の意味を超えて僕の傷口をざっくりと広げた。
 あれから何十年も過ぎたが,君は,離れていく恋人を追いかけるように,悲しみの泉に還ってしまった。
 
 つかこうへいには,大部屋俳優の悲哀を題材とした「鎌田行進曲」,安保闘争で亡くなった樺美智子と機動隊員の純愛を描いた「飛龍伝」,そのほか「この愛の物語」「傷つくことだけ上手になって」「ストリッパー物語」「ハゲ・デブ殺人事件」「つかへい腹黒日記」「戦争で死ねなかったお父さんのために」「あえてブス殺しの汚名をきて」等多くの作品があるが,やっぱり熱海殺人事件のことを改めて語らなければならない。

 原作を一部修正して,この熱海殺人事件のあらすじをもう一度振り返ってみよう。
 物語は,集団就職で上京した工員大山金太郎が幼馴染の山口アイ子を誘って熱海に出掛けるものの,そこで大山がアイ子を殺害してしまう事件が発生することから始まる。
 大山は,東北訛りがあって人付き合いは苦手であり,決して女にもてるタイプではないが,今のような派遣切りにも遭うこともなく,まじめに働く純粋な性格の持ち主であり,故郷で介護師として働く幼馴染のアイ子のことをずっと想い続けていた。
 そんな大山が熱海でアイ子を殺害してしまったのはなぜか。

 配役は,事件の捜査にあたった警視庁の名物刑事二階堂伝兵衛を三浦洋一,伝兵衛をサポートする10年来の愛人で明後日結婚式を挙げる予定の水野朋子婦警を井上ハナ子,富山県警から赴任してきた妾腹の伝兵衛の弟熊田留吉刑事を平田満そして犯人の大山を加藤健一が務めていたと思う。

 取調室において伝兵衛らによる奇想天外な取調べが繰り広げられた。
 伝兵衛は,何の変哲のない3流の犯人を一流の殺人犯に仕立て上げようとして,厳しい取調べを連日行うものの,大山はなかなか口を割らない。

 焦った伝兵衛は,大山にシャブを注射して自白させようとするが失敗してしまい,逆に大山にやりこめられてしまう。
 取調べに行き詰まった3人の刑事たちは,大山の取調べを放り出して見栄えのいい過激派の内ゲバ事件にしゃしゃり出ようとするがまた大山の取調べ室に帰ってくる。
 そして仕舞いには,訳の分からないヒステリーの女裁判官がいきなり取調べ室に乱入して,「違法捜査がどうのこうの,すぐに取り調べの可視化をしろ」などと喚き出した。

 すると,今度は東京地検の裏のエースで,割りの天才と恐れられる検事ひからびんが,美し過ぎる事務官早乙女恭子を連れて伝兵衛たちの前に現れた。
 ひからびんは,警察が総力を挙げても自白させられずさじを投げてしまうような否認玉であっても,10分もあればたちどころに自白させてしまうという謎の取調べ術を持っていて,大山と伝兵衛の2人に何かひそひそと耳打ちしてさっと姿を消すのである。
 実は,ひからびんは,この後,人目を忍んで恭子と青山のカフェで食事をすることになっていた。
 しかし,そんなこととは知らず伝兵衛たちはあっけに取られたままひからびんを見送った。

 その後,取調室の中で再び大山の取調べが始まる。
 伝兵衛は,去り際,ひからびんが「奴の心のひだに塩を捲いて真相をえぐり出せ。お前も大山も同じ物語を信じていたんだ。」と言っていたことを思い出した。そして伝平衛は,大山に自分の影をかぶせ,地方出身者で散々苦労してきたこと,堂々めぐりしながらも一人の女を愛し続けたことを説く泣き落とし戦術に出た。すると大山も我を忘れて泣き始め,伝兵衛に同情して自白してしまった。
 
 事の真相はこうだった。大山が,一切の経緯を承知で,ソープランドのかぶせ屋に落ちぶれ果てていたアイ子に結婚を申し込んだが,アイ子は結婚なんかしたら2人の神聖な思い出が汚されるからといって,大山の申し出を断った。
 しかし本当は,アイ子は,的屋の親分に刺青を入れられた情婦であり,純情を装って田舎者相手のデリヘル業の成功を夢見て歌舞伎町に進出しようとしていたのであり,大山は,その嘘を見抜いて逆上し,アイ子の首を絞めて殺してしまったというものであった。

 そして劇場内には,ワイルドワンズの名曲「思い出の渚」が流れ出してエンディングを迎える。思わず,僕も,引き込まれて「君を見つけたあの渚で一人佇む,小麦色した可愛いひと,もう帰らないあの夏の日・・・」などと唄ってしまった。
 
 このように,つかこうへいの世界は,反権力であり,社会的弱者を描くものが多い。日常に潜む激しい情念を過激な言葉や立ち回りによる芝居によって表現し,心に沁みるようなやさしさを人に感じさせるところが絶妙な魅力である。
 それは,重松清や寺山修司にも通じるところがあるが,なぜか寂しく切ない。

 つかこうへいが活躍した時代は,ある意味激動する時代背景があったといえる。テーマはいつの時代にもある社会から取り残されそうになるものの刹那だった。
 
 つかこうへいはもういなくなってしまった。しかし熱海殺人事件は何十年経った今でも気にかかる作品であり,大山のような青年は形を変えて現代にもどこかにいるはずである。
 秋葉原の歩行者天国で無差別殺人を犯した青森出身の若者と熱海殺人事件の大山はどこかでダブっていないだろうか。今も昔も事件の成り立ちはつまるところ同じであって,夢破れていく若者の軌跡はいつも哀しい。