ひからびん通信

日頃思ったことなどについてコメントします。

金子みすゞのリリシズム

2011年06月26日 | 現代詩
 かねこみすずは,1903年,山口県生まれの詩人で,わずか26歳で自らの命を絶っている。
 病に苦しみ,離婚も経験したみすずの人生は短いものだったが,彼女は,いくつもの心優しい詩を残している。

 なぜか夭折の詩人であった中原中也と共通する傷つきやすいということの「美しさ」は今も色褪せていない。
 
 東日本大震災の後,テレビに連日流れたみすずの言葉は,いつのまにか多くの人の心にとまり,忘れていた邂逅を目覚めさせてくれた。

  遊ぼうって言うと,遊ばないって言う。
  こだまでしょうか,いいえ,だれでも。
 
  見えぬけれどもあるんだよ,見えぬもんでもあるんだよ。

  誰にも言わずにおきましょう。
  朝のお庭の隅っこで,花がほろりと泣いていたこと。

  もしも泪がこぼれるように,こんな笑いがこぼれたら,どんなに,どんなに,きれ  いでしょう。

  みんなちがって,みんないい。

 みすずの詩に触れる感じることは,変わるものと,変わらないもののレトリックの中にひっそりと喜びと悲しみが同居しているということだと思う。
 ワンサイデットな世界のように見えても,実は,いつもそこには涙と笑いが混在しているんだと言っているように。

 嘘にもいろいろあるけど,その嘘の中に真実がわずかに姿を見せるということ,そんないろいろなことが人の営みの中で繰り返されていることが分かってくる。

 海岸線の形は,入り組んだ元の姿をすでに取り戻している。そして人も家も,結局,打ち寄せる波間を漂う流れ木のようなものであり,そこに帰り,少しずつ,瞳を閉じながら,暗闇の恐怖を忘れていくのだろう。
 
 世に言われるように,世間の厳しさは増すばかりでしょうか。

 もしかすると,少しも,何も,変わっていないのかもしれない。

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