ひからびん通信

日頃思ったことなどについてコメントします。

諦めるなんて言わないでください

2010年05月25日 | 現代詩
 
諦めるなんて言わないでください
僕は今雨上がりの街を歩いて
君が住む都会の森に向かっています

途切れた返信を頼りに
埋葬したはずの過去の瞬間が少しだけ蘇る

うつろな時代を共有する君とのことだから
彷徨った道のりはあまりに深く
2人の隔たりは測りきれない

でも僕たちは,これからも後悔の河を逆流して
どこまでも如才なく生きていくしかないのだろう

超高層のビルの向こうに続くペイブメント
立ちすくんだ君の瞳が七月の雨に洗われ
人との繋がりを求めて孤独に行き交う人たちが
ダーリンと言って叫びながら愛に締め付けられている

片時の幻は過ぎ去り
舞い落ちる幾千の記憶の破片が
僕たちの罪を隠してしまう

あのターミナルでもう一度待ち合わせよう
でも誰もいなくなった季節外れの避暑地
にまた迷い込んでしまえば
やっぱり涙に咽んでしまうのだろうね

それでも静寂のソファーに深く深く埋もれ
未来からの風を受ける
君が蒼い海岸線を辿って
微かに光る懐かしの邂逅を想うと

僕たちに聞こえた最後の唄が
漂う夏雲の切れ間にゆっくり消えていった




平成三十年の空の色

2010年05月25日 | 社会問題
 (小説平成三十年が予想する日本の姿)
 堺屋太一の近未来小説「平成三十年」を読んだのは平成10年のころだった。
 この小説は,20年後の平成三十年の日本経済の姿を次のように予想した。日本は,官僚主導の政治の下,政治家は目先の国民受けの政策を提示するだけで,非効率な政治・行政部門が温存され,抜本的な体制の変革や構造改革を断行できないまま,日本の国力の低下が進行し,経済が崩壊していくというシナリオが描かれている。

 具体的には,①国際競争力の低下に伴い,1ドルが250円を切り,300円を窺う超円安の出現,②貿易・サービスの収支が1000億ドルの赤字に達し,国際収支が500億ドルの赤字にものぼる,③資源価格の急騰によりハイパーインフレが進行し,消費者物価が約3倍,ガソリン価格が1リッター千円となる,④消費税が12パーセントに引き上げられ,20パーセントが視野に置かれる,⑤所得税は地方税を含め50パーセントに据え置かれ,⑥年金・医療費等社会保障費の増大により国家予算は総額307兆円に膨張し,毎年77兆円の財政赤字は国債発行で補う,⑦国民1人当たりのGDPはアメリカの半分で,中国や韓国に抜かれつつある,⑧超少子高齢化の進行,地方の過疎化の深刻化と治安の悪化,⑨気象変動に伴う環境問題の悪化等様々な現象が同時並行的に発生し,日本は,何もできないまま衰退と崩壊に突き進むという最悪のシナリオであった。

 このようなシナリオが,産業情報省に勤務する主人公の木下和夫の視点を通して描かれていくのですが,総務省の情報通信部局と経済産業省が合併されて,その所管大臣に改革派の織田信介が就任し,その後改革の断行を目指して新党を結成して総選挙で大勝し,真の改革を推し進めようとするものの,ドラマは織田信介が航空機事故に遭って,死亡し改革は中断して幕を閉じるというものであった。

(変革の必要性)
 土地に植えられた種子が芽を吹き,葉をつけて成長し,やがて大きな木になって果実をもたらすが,その後次第に木は葉を落としながら痩せていき,次の種子がまた芽を吹き出す。 植物も人間も同じであり,時々の環境の中を生き抜いて花を咲かせて朽ちていくのだが,成長期を終えて衰退期に入ったところで,更なる成長を求めていくためには,今までと同じ方法ではおよそ困難である。

 しかし国民生活の困窮,文化の荒廃,治安の悪化,経済の混乱といった事象が現実に身に降りかからなければ,本当の変革は始まらないのだろう。
 現状の生活は,成長期に蓄えた貯金がまだあることから,それを取り崩しながらしばらくはやっていけるのでしょうが,貯蓄が底をつき始めてくるのが目前に迫っている。何の手を打てないまま批判を繰り返し,既得権益を守ろうとするだけだとすると,予想もつかないような困難が現実化するのであり,それは想像しただけで憂鬱になってしまう。

 その兆候はいたるところに垣間見ることができる。就職難,年金・社会保障制度の維持の困難,地域・学校における規範の崩壊,家庭内における殺傷事件の頻発,自殺の増加等の現象は,社会の内部崩壊が急速に進行していることを示唆している。

(変革の可能性)
 では,人間や人間が作る社会が生まれ変わるということは可能なのだろうか。
 現在の生活水準を落としてまで新しいことにチャレンジすることは,とても面倒なことであり,莫大な労力や時間が必要となり,まして成功の保証もないのなら,ふつうは現状を肯定して変革を求めることはしまい。成人病の危険は理屈としては認識できても,明確な自覚症状が出て初めて病巣の深刻さが分かるのであって,自覚症状が出てからでは抜本的な対応はできない。

 国民は,自治体や政府等に様々な施策や援助を求め続け,政府は政府で国民に痛みを伴う政策は打ち出せないままで事態を悪化させるだけである。一方の国民自身も,一応改革の必要性には理解を示すが,各論の具体化になると意見は分散・対立してまとまらない。

(改革と停滞の最後の決戦)
 しかし何年後かには,改革と停滞の最後の決戦が始まるだろう。
 どちらが勝利を収めるのかは分かりませんが,過去のように変革が成功に至る可能性はそれほど高くはないかもしれない。
 明治維新の時は,大胆な変革は成功を遂げたと言えるが,そのころの欧米・列強には各国の個別事情もあり,各国間の対立が継続していた。また日本は資源がなく,植民地とする国には適さず,さらに当時アメリカにしても南北戦争の渦中にあった事情があり,それらいろいろな条件が重なることにより,日本は中国やインドのような植民地化されることを免れることができた。
 また,昭和の戦後復興についても,アメリカがソ連による北海道・東北地方への侵攻に先んじて,日本全国の占領政策を遂行したことにより,ドイツや朝鮮のような分断がなかったこと,朝鮮戦争による特需の発生があったこと等の特殊な事情が重なった幸運があった。

 今後の変革がどのような形で行われるのかは,前提条件が確定できないので予想ができないが,少なくとも過去のように好条件がそろった形で成功に至る可能性は小さいように思えてならない。

 本当の改革・革命ができるとしたら,それはもっと先のことだろう。
 強い政治的リーダーシップと,それを支える国民の支持が重要だが,現在のところはそのいずれもない。
 堺屋太一の予想のすべてではないが,その多くが的中する可能性が徐々に高まりつつある。しかし必然としての変革が始まるには,まだまだ機は熟していない。