タイガーマスク現象が,全国に広がり始めた。
孤児院に育った少年が,社会に巣立ち,その後プロレスの道に進み,「虎の穴」での厳しい修行を経て,覆面レスラーとして活躍する傍ら,自分の素性を隠しながら孤児院にファイトマネーを寄付し,孤児たちを勇気付けるという漫画「タイガーマスク」の主人公が伊達直人である。
その伊達直人が,何十年か経った今,再びみんなの前に姿を現した。
伊達直人という匿名の善意は,何の連絡を取り合うこともなく,無言の雄たけびを上げ始めたのだ。
全国各地の養護学校の子供たちに,ランドセル,ノート,鉛筆等のプレゼントを送り届け,最も弱い立場にある孤児たちに救いの手が届き始めた。
伊達直人の中には,母子家庭に育つ高校生,90歳の年金生活者,競輪選手等いろいろな階層の人がいるが,そのほとんどが,ひっそりと孤児たちにプレゼントを送り届け,名も告げずに姿を消していく。
打算や策略が渦巻くささくれだった現実社会であるからこそ,この心のこもった贈り物が孤児たちだけでなく,多くの人の心を揺さぶる。
私が,通っていたS市内の中学校の近くにSホームという養護学校があった。
そのホームから同じ中学に通ってくる子供たちとも友達になって,山裾にあるSホームに遊びに行ったことがあった。
そこで私は,孤児たちが置かれた環境の一端に触れたものであるが,ホームの先生の指導はとても厳しく,孤児たちもそれをよく受け入れ,考え方もしっかりしていたように記憶している。
もちろん,友人の孤児たちは,そこだけが唯一の生活基盤であるから不平不満は言えなかったのだろうが,自分の境遇をよく理解していたからこそ,ホームの生活の規律は維持されていたようだ。
ただ,そのころは,日本が高度成長期にあるものの,まだ中学校の1学年の生徒の中で,高校に進学するものは,全体の約3分の2であり,残りの100数名は就職していた。
したがってSホームの生徒たちの多くは,ホームを出たら高校には進まず,地元の工場等で働くのが普通だったのである。
ホーム出身の友達の中にI君がいた。I君は,私と同じバレー部に所属し,長身でアタッカーを務めていたが,私より勉強もよく出来て,将来は大学に行きたいと言っていた。
I君は,とても責任感が強く,リーダーシップもある生徒だった。
その後I君は,中学を卒業後,ホームを出て,神奈川県内で働いているという噂を風の便りを聞いたことがあるが,今どうしているのかは分からない。
また同じくホーム出身のK君という友達は,私と同じ高校に進学し,朝,K君と待ち合わせ一緒に自転車通学したものだった。
入学式には,父兄席の片隅に,身なりのしっかりした年配のK君の父親と思われる男の人が立っていたことも記憶している。
そして高校入学後,K君は,学校の近くにアパートを借りて一人暮らしをしながら高校に通っていた。
私との付き合いはだんだん疎遠になっていったが,K君は,少しぐれてしまい,他生徒と喧嘩ばかりして停学処分を受けることもあったものの,そんなK君は,大人になって今,実業家として活躍しているそうだ。
孤児たちの中には,暴力団の組員になったり,底辺でもがくような生活をするだけのものも多く,それが現実ではあるが,力強く生き抜いていくものもいる。
人間が背負った生い立ちは,厳然として否定できないものであり,それに押しつぶされて切り捨てられることもままあるが,世の中には,彼らを見放すことなく,陰でエールを送り続ける人が結構多いというのも,また社会の縮図である。
今回のタイガーマスクの登場で,そのような少年時代の思い出が甦った。
孤児院の実際を知る人は私も含め少ない。
孤児院に寄付行為をする人の多くは,何らかの形でそのような境遇にある子供たちと接点を持っていると思われるが,そのすそ野がもっと広がることを願う。
人は,それぞれ自分の生活のことでいっぱいであり,他人の境遇に思い至ることはなかなかできない。
だからこそ,様々な生い立ちを背負いつつ,伊達直人という名を借りて行う精一杯の善意が人の心を打つのだろう。
私も,どのような形かは分からないが,心優しき伊達直人でありたい。
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孤児院に育った少年が,社会に巣立ち,その後プロレスの道に進み,「虎の穴」での厳しい修行を経て,覆面レスラーとして活躍する傍ら,自分の素性を隠しながら孤児院にファイトマネーを寄付し,孤児たちを勇気付けるという漫画「タイガーマスク」の主人公が伊達直人である。
その伊達直人が,何十年か経った今,再びみんなの前に姿を現した。
伊達直人という匿名の善意は,何の連絡を取り合うこともなく,無言の雄たけびを上げ始めたのだ。
全国各地の養護学校の子供たちに,ランドセル,ノート,鉛筆等のプレゼントを送り届け,最も弱い立場にある孤児たちに救いの手が届き始めた。
伊達直人の中には,母子家庭に育つ高校生,90歳の年金生活者,競輪選手等いろいろな階層の人がいるが,そのほとんどが,ひっそりと孤児たちにプレゼントを送り届け,名も告げずに姿を消していく。
打算や策略が渦巻くささくれだった現実社会であるからこそ,この心のこもった贈り物が孤児たちだけでなく,多くの人の心を揺さぶる。
私が,通っていたS市内の中学校の近くにSホームという養護学校があった。
そのホームから同じ中学に通ってくる子供たちとも友達になって,山裾にあるSホームに遊びに行ったことがあった。
そこで私は,孤児たちが置かれた環境の一端に触れたものであるが,ホームの先生の指導はとても厳しく,孤児たちもそれをよく受け入れ,考え方もしっかりしていたように記憶している。
もちろん,友人の孤児たちは,そこだけが唯一の生活基盤であるから不平不満は言えなかったのだろうが,自分の境遇をよく理解していたからこそ,ホームの生活の規律は維持されていたようだ。
ただ,そのころは,日本が高度成長期にあるものの,まだ中学校の1学年の生徒の中で,高校に進学するものは,全体の約3分の2であり,残りの100数名は就職していた。
したがってSホームの生徒たちの多くは,ホームを出たら高校には進まず,地元の工場等で働くのが普通だったのである。
ホーム出身の友達の中にI君がいた。I君は,私と同じバレー部に所属し,長身でアタッカーを務めていたが,私より勉強もよく出来て,将来は大学に行きたいと言っていた。
I君は,とても責任感が強く,リーダーシップもある生徒だった。
その後I君は,中学を卒業後,ホームを出て,神奈川県内で働いているという噂を風の便りを聞いたことがあるが,今どうしているのかは分からない。
また同じくホーム出身のK君という友達は,私と同じ高校に進学し,朝,K君と待ち合わせ一緒に自転車通学したものだった。
入学式には,父兄席の片隅に,身なりのしっかりした年配のK君の父親と思われる男の人が立っていたことも記憶している。
そして高校入学後,K君は,学校の近くにアパートを借りて一人暮らしをしながら高校に通っていた。
私との付き合いはだんだん疎遠になっていったが,K君は,少しぐれてしまい,他生徒と喧嘩ばかりして停学処分を受けることもあったものの,そんなK君は,大人になって今,実業家として活躍しているそうだ。
孤児たちの中には,暴力団の組員になったり,底辺でもがくような生活をするだけのものも多く,それが現実ではあるが,力強く生き抜いていくものもいる。
人間が背負った生い立ちは,厳然として否定できないものであり,それに押しつぶされて切り捨てられることもままあるが,世の中には,彼らを見放すことなく,陰でエールを送り続ける人が結構多いというのも,また社会の縮図である。
今回のタイガーマスクの登場で,そのような少年時代の思い出が甦った。
孤児院の実際を知る人は私も含め少ない。
孤児院に寄付行為をする人の多くは,何らかの形でそのような境遇にある子供たちと接点を持っていると思われるが,そのすそ野がもっと広がることを願う。
人は,それぞれ自分の生活のことでいっぱいであり,他人の境遇に思い至ることはなかなかできない。
だからこそ,様々な生い立ちを背負いつつ,伊達直人という名を借りて行う精一杯の善意が人の心を打つのだろう。
私も,どのような形かは分からないが,心優しき伊達直人でありたい。
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