アボルダージュ!!

文芸及び歴史同好会「碧い馬同人会」主宰で歴史作家・エッセイストの萩尾農が日々の思いや出来事を語ります。

いつの間にか「東京電力」の株主?     萩尾農

2011-04-14 | その他
なりたくもない殿さま企業の株主に、いつの間にか、なっていた・・・ショック!
私ばかりではない、東京都に住民登録をしている人々は全て、あの東京電力の株主ということになる―
「え~!私はあんな会社の株など絶対に買わないよ!」
・・と言いたいが、ホント、いつの間にか、「株主」と同じことだった。
あまり知られていないらしいが、東京都は東京電力の大株主。
4267万株を所有して、第5位。第6位三井住友銀、7位みずほ銀・・・と大銀行を抜いての堂々、大株主だ。
その株の購入資金は当然、都民の税金だ。だから、購入した覚えは無くても、都民は、知らない間に「株主」ということになってしまった。
けれど、個々の株主は配当がいくらあったのか、また、この度の原発事故で急落した株価によって、どのくらいの損失を被ったのか、何も知らされていない。
2~3日前の時点で、損失は726億円だそうだ。都民の財産は大幅に失われたことになる。
ちなみに、一昨年の配当は年間25億円ほどとの事だが、報告は都民には一切無い。配当金の使途についても当然、知らされない。
電力会社の株式を保有する自治体は他の府県もあり、それぞれ筆頭株主のようだ。
それらが明らかになってくると、何だか、電力会社と行政機関との密かなつながりが・・・と思考の中で、疑惑がものすごく大きく膨らんだ。
いずれにしても、都民は東京電力の株主、大阪市民は関西電力のトップ株主、富山県民は北陸電力のやはり、筆頭株主・・・・・。
勿論、事故もなく、本当に、嘘偽りなく、原発が「安全な供給源」ならば、電気を使っている身としては、その会社の株を購入して支援するのは当然なんだけれど・・・。
新聞に書いてあった東京都の場合は、株主総会で会社提案の議案に反対したケースは過去には無く、総会への出席も「都合のつく職員」が出席していたらしい。そこでの対応も議会への報告義務は無い、だから、議会でも東電の株については議論されたこともないそうだ。
「私は今でも原発推進派です。」
と3月も終わりの頃、福島県知事と会見した石原都知事はそのように言い、記者会見でも、また、週刊誌でも、こういう事態の中で、
「日本のような資源のない国で原発を欠かしてしまったら経済は立っていかない」
と公言している。
私個人の思いを述べると
「原発がああいう状態になっている時に、なぜ、原発推進派の人間が当選したのか~!」ーと、なる。
都知事は、当選後、政策について聞かれた際、
「今までどおりだよ」
と答えた(怒!)
立候補の際も政策も今後のビジョンも提示しなかった。それでも、当選してしまう「不思議な選挙」だった。こういう時期に選挙などやるべきでなかった。都民にとって大事な、「命綱」ともいうべき、自治体の首長を、我々はその政策もわからないままに選ばなければならなかったのだから・・。
話がそれたが、都は前述の東電株の下落による都民の資産を減らしてしまったことについても説明責任があるはずだが、説明は・・しないだろうなぁ。第一、都民そのものが、自分がいつの間にか「東電の株主」だったことを知らないし・・。

東北大震災、それに続く原発事故で、今まで見えなかった事が明らかにされ、気がつかなかった事に気づかされた。
東京は消費するだけの地域で、地方がなければ、生きていくこともできないのだ―と、気付いた人も多かったはずだ。
多かったと信じたい。
まさか、気がつかないで、のうのうと買い占めして、電気も使い放題・・という都民はいない―と、堂々と言えない事が、なさけない。

今後はどうすればよいか。
原発に関して、本日、作家の高村薫氏が新聞の社会時評に書いていた。
本当にその通りだと思ったので、転写させていただいた。

『世界有数の地震国でチェルノブイリと比較されるほど深刻な事故を引き起こした日本の商業原発はもはや、どんな理由をつけても存続させるのは無理だろう。今回、私たちは原発が安全か否かという半世紀にわたる論争がいかに無意味だったかを学んだ。問題は安全か安全でないかではない・・要は私たちが受け入れるか否か、だけなのだ。将来的に原発を捨てて電力不足に苦しもうとも、次の大地震と原子力災害に怯えて生きるよりはいいと思えるか、否か。いま私たちは、未来のためのそんな選択を迫られるほど決定的な地点に立っていると思うべきである。このまま漫然としていては、中途半端な復興と、経済の縮小衰退が待っているだけである。決断の一つや二つしないでどうするか。
私たちはいま、十六年前とは比べものにならない厳しい未来を予感し、不安と不透明感に包まれている。欲しいのは小さな安心である。原発の不安がひとつ取り除かれたなら、代替エネルギーへの転換に向けて多くの新産業が動き出す。それが希望を生み、被災地にも仕事をもたらす。折しも統一地方選挙が行われているが、政治家はいまこそそうした希望を語るときだろう』

以上、全体文の一部である。
3月10日まであった、物があふれ、必要以上の電力を消費し、オール電化などと踊らされ、便利に慣らされたこの国の国民の生活は、もう戻らないのだと一人一人が自覚をしなければならない。
スーパーもデパートも空港ロビーも駅も電車内も薄暗くなった。
しかし、それで、不便を感じるか、それで、買い物ができないと思うか。確かに外が明るい陽光のさす日は店内に入った途端、ひどく暗く感じるが、目が慣れれば、何の不自由もない。
明るすぎた都会の夜も、ネオンが消えた。しかし、夜は本来は暗いものだ。人々は明日のための眠りにつくものであったはずだ。
今、根底から、考え直す時だ。
高村氏の言うように、中途半端な復興ではだめだろう。
さまざまな価値もきっと変わる。
いろいろな面で、私たちは「決断の一つや二つ」・・・そう、決断の一つや二つを「しないでどうする」―という時なのだ。

今回、政府や国政に携わる者たちよりも、各自治体の必死な活動が胸を打つ。
自らも被災者でありながら、各市町村の首長や職員の人々は寝食を削り、町民市民県民のために動いている。
私は、災害時の自治体の力と言うものを初めて知った。自治体がいかに頼りになるか、目の当たりにした。
それなのに、政府内では重鎮であった者が首相非難を公然と言い放ち、野党は協力拒否をし・・等々・・・「何をやっているのか!」という状態だ。
政府の責任、前政権の責任(これはある!原発を推進してきた事も、年金問題も、解雇、非正規雇用、市場原理主義等々、現政権になってから起こったことではない)それらの責任問題をどうするか・・・等々は、今、この未曾有の災害が起こり、原発の収束もつかない人災までも起こっている、まさに「国難」の時期に、どうこう言いたてている場合か。
そんな些細な事(そう、この被災状況をみれば、些細なことだ)に時間を潰している時か。そんな簡単な事もわからないのだろうか、この国の政治を行う者たちは・・。
アア、そうか、もしかしたら、「国難」だという事がわかっていないのかもしれないーと、思って、本当に、顔面蒼白、ぞっとした。

また、長くなってしまった。
連日、いろいろなことが明らかになり、もう、目をそむけていることはできないから、また、書くことにする。本日はこの辺りで・・。
そうそう、桜は満開になり、そろそろっ散り始めているが、先日、掲載した我が家の雪柳もあのあと、「これでもか!」というほどに咲き誇った(笑)ので、ちょっと、画像を載せてみた。

《追記》
4月26日、午後6:30=9:00『原発事故報道を検証するシンポジウム』が東京都新宿区西早稲田2-3-1 早稲田奉仕園キリスト教会館6階会議室で開かれる。申し込み&問合せは
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