ふりかえれば、フランス。

かつて住んでいたフランス。日本とは似ても似つかぬ国ですが、この国を鏡に日本を見ると、あら不思議、いろいろと見えてきます。

フィヨンとコペ、それぞれの野望。

2011-10-20 21:18:36 | 政治
社会党の公認候補が決まった翌日、17日に行われた世論調査によれば、来年春の大統領選挙はフランソワ・オランド(François Hollande)とニコラ・サルコジ(Nocolas Sarkozy)の決選投票になる公算が高く、最終的には、62%対38%の大差でオランドが次期大統領になるという調査結果が出ています。社会党へ、17年ぶりの政権交代となります。

社会党予備選でのオランドの勝利など多くの政局を見事に見通している、あるフランス人も、2012年の大統領選はすでに終わったも同然。2017年がどうなるかに関心が移っている、と言っています。フランソワ・オランドが2012年から任期5年の大統領に。しかし、ユーロやEUを取り巻く環境が好転するとは考えにくい。誰が大統領であっても、その難局を乗り越えるのは至難の業。結果として、支持率は低下し、オランド政権も1期でその座を降りることになるだろう。従って、その後、2017年の大統領選挙に誰が立候補し、誰が後を引き継ぐかが、非常に注目される。すでに、そこに焦点を合わせて動き始めている政治家もいる・・・ということだそうです。

上記の世論調査が発表になるタイミングを見計らったかの如く、カーラ夫人が女の子を出産しました。おめでたいことです。“Félicitation !”なのですが、はたしてサルコジ大統領は赤ちゃんを抱く姿で、国父としてのイメージを付け加え、不利な情勢の一発逆転を狙うことができるのでしょうか。カーラ夫人は、生まれてくる子どもをメディアにさらすことは絶対ない、と語っていましたが。しかし、たとえ、メディアを通して父親・サルコジの写真が公表されても、支持率回復は難しい。そこまで国民との距離が乖離してしまっていると見る向きが多いようです。

こうした形勢は、フランス政界に身を置く人なら、よりリアルに感じているのかもしれません。社会党(PS)内は、オランド政権でどのポストを得るかで議員たちは動いているのでしょうが、野党に転落することになるであろうUMP(国民運動連合)では、2017年を見据えた動きが始まっているようです。

例えば・・・社会党の公認候補が決まる前、15日の『ル・モンド』が二人のUMP政治家の動きを紹介しています。

15日、地元のサルト(Sarthe)県に戻ったフィヨン(François Fillon)首相は、長い間当選を重ねてきたこの選挙区を離れ、2012年の下院議員選挙ではパリの選挙区から立候補することを公に認めた。
*フランソワ・フィヨンの獲得した主なポスト
 サーブル・シュール・サルト(Sablé-sur-Sarthe)市長:1983-2001
 サルト(Sarthe)県議会議長:1992-1998
 ペイ・ド・ラ・ロワール(Pays-de-la Loire)地域圏議会議長:1998-2002
 サルト県選出下院議員:1981-2002、2007(2002と2007は入閣のため辞任)
 サルト県選出上院議員:2004(入閣のため辞任)2005-2007
 なお、サルト県の県庁所在地はル・マン(Le Mans)で、フィヨン首相はここの生まれ(1954年3月)。そのためか、大のモータースポーツ・ファン。

しかしサルトでの発表の前、12日にフィヨン首相は、パリへのお国替えを非公開のセレモニーの場ですでに語っていた。「2012年の下院議員選挙では、パリ市民の支援を期待したい」と12日に述べたことを、フィヨン首相自ら、15日に行われたサルト県の市長村長会で公にしたというわけだ。「この私たちの県から選ばれて政治家活動を30年行ってきたが、そろそろ若い世代にバトンを渡したいと感じるようになった。次代を担う人たちに、その才能、情熱、新鮮な感覚を政治の場にもたらしてほしいと思っている」と、万感こみ上げる面持ちで語った。

「人生においては、常に新たな目標を定めるべきだと思っている。いつも同じことを繰り返していては、役に立たない人間になってしまうのではないか」と、フィヨン首相は付け加えたのだが、その時、会場は大きな拍手で包まれた。

首都・パリに選挙区を移したいというフィヨン首相の気持ちは正式な表明がなされないまま、4年前から何となく憶測されていたのだが、フランソワ・フィヨンはついに一歩を踏み出した。フィヨン首相がその意思を12日にパリ選出の議員たちに語った後、UMP幹事長のジャン・フランソワ・コペ(Jean-Fraçois Copé)もそのことを認めて、次のように語っている。「フィヨン首相のパリからの立候補には、ひとつの前提条件がある。協定を結ぶということだ。私はできる限りパリからの立候補を支援するが、幹事長としての役割も同時にしっかり果たさなければならない。」

フィヨン、コペ、この二人の政治家は、実は、2012年の選挙よりもさらに遠くを見据えている。つまり、ジャン=フランソワ・コペは2017年の大統領選への立候補を、そしてフランソワ・フィヨンは2014年のパリ市長選への立候補を、それぞれ考えているようだ。

しかし、この計画には障害が生じる可能性がある。フィヨン首相が狙っているのは、パリの5区、6区、7区をカバーするパリ第2選挙区なのだが、この選挙区を狙っているUMPの政治家がもう一人いる。パリ7区の区長であるラシダ・ダチ(Rachida Dati:マグレブ出身のイスラム教徒を両親に持つ、2007-09に法務大臣、2009から欧州議会議員、パリ7区長は2008から)だ。

「パリの選挙区から立候補したいなら、私に知らせるべきだと思う。どうしてフィヨン首相が私の選挙区を狙って攻撃に来るのか、理解に苦しむ」と、ラシダ・ダチは数日前に語っている。「パリは残念賞なのだろうか。やって来て、身を寄せるだけの場所。いや、パリは、そんな場所ではない」とも語っており、来年の下院議員選挙、パリではひと揉めありそうな状況だ。

・・・ということで、ジャン=フランソワ・コペは大統領を目指し、フランソワ・フィヨンはパリ市長を目指す。しかし、パリでは、かつてサルコジ大統領に寵愛され、フィヨン首相の下で法務大臣を務めたラシダ・ダチが、同じ選挙区からの立候補を狙っている。フィヨン首相があえてラシダ・ダチが望んでいる選挙区を立候補先に選んだのには、何か特別な理由があるのでしょうか。あるとすれば、それは何か個人的な理由なのか、あるいはUMPとしての理由があるのか、はたまたサルコジ大統領の何らかの意向が働いているのか・・・

サルコジ大統領誕生直後は、“omniprésent”で“bling-bling”な大統領の陰に隠れてしまい、その存在感のなさを揶揄されたりもしたフィヨン首相ですが、その誠実な対応ぶりから、やがて支持率は大統領よりも高くなり、一時は2012年の大統領候補になるのではと一部で喧伝されたフィヨン首相。結局、立候補することはありませんでした。しかも、その先の2017年には、党を押さえているジャン=フランソワ・コペがすでに手を挙げている・・・そこで、残念賞としてパリ市長の座をもらったのではないか。そのためには、市長選の2年前に、パリから下院議員に選出されている方が都合がいい。それは分かるが、だからと言って、なにも私の地盤を奪うことはないだろう! というのが、ラシダ・ダチの言い分なのかもしれないですね。

大統領選の社会党候補も決まったことで、「その後」へ向けての様々な動向が、今後伝えられることでしょう。誰が、脚光を浴びることになるのでしょうか。そして、フランス政界は、どこへ向かうのでしょうか。

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