緑の街の水先案内人

都城市で緑の街の水先案内人として移る日々を写真と日記で綴ります。

雨の日に黄泉国へ

2008年09月15日 16時55分57秒 | 健康
9月15日(月)

雨の日は死者を黄泉の国へ葬送する葬儀に参列しますと、しっとりと気持ちも沈んでどこか死者の声が聞こえて来そうな気配がします。都城ライオンズクラブに永年在籍された永山義光様の葬儀が午前十時からご近所の葬儀場で神式によりとりおこなわれました。ライオンズクラブの会長をされた一年間に幹事として役務を伴にしました。会員名簿をひもときますと第二八代会長で一九八八年の事です。当時は景気低迷のおり、都城市は住宅建設も一段落して、遊技場ブームもなく不動産バブルが始まる二年前の静かな盆地でした。


林を少し歩きますとすぐに汗ばんできます、湿度の高い霧島山中にさまざまな生物が根づいている根源が雨量四千ミリの気候風土にあります

こうして見ますと二〇年と言う年月は瞬く間と言った感があります。私の入会年月が一九八二年十月でしたから六年目の出来事です。故人は誠実な人柄で若い人の面倒見も良くて荒げた言葉を聞いた事がありませんでした。親戚代表アイサツで大隅半島の小さな町から都城市へ移転して来られたのが昭和三四年、その後に片平保育園を設立されて地域振興の一助を担われました。民生委員も二〇数年されたとの事ですから人柄が偲ばれます。


霧島屋久国立公園内白鳥山赤松林

だんだん知りあいの方が他界されてそれも壮年期に知り合った方が鬼籍に入られるのは死が当たり前の事として目前に近づくのを感じます。また、故人は死後にライオンズクラブアイバンク協会へ献眼されました。献眼されました眼球の角膜は目の不自由な方二人へ移植されます。片眼だけですが暗闇におられる二人の方へ光を差し上げる事になります。献血・献眼・献腎とライオンズクラブの奉仕活動の一環でもあります。生前に登録して死後に家族がライオンズクラブに連絡しますと献眼の処置が眼科医により執り行われ目の不自由な方へ移植が行われます。


霧島屋久国立公園内白紫池

台風の影響で雨雲が九州山口県上空にあるのでしょうか、朝から雨は止みそうにありません。そうだ、英会話の勉強をどこでするか?ラオス旅行の宿題でした。三二才から六七才にいたる四五年間を英会話が堪能でなくても何一つ不自由のない世界で生活しました事は良かったのやら!しかし、台北、バンコックの国際空港の滑走路が二本もある写真を見ますと四〇年前とすっかり様変わりした空の道を知らされる羽目になりました。



これから益々空の旅はさまざまな人々を運ぶのでしょう。世界共通語英会話が出来なければ仕事も出来ません。まだ仕事するのか?海外旅行するのか?と問われますと、YESと申し上げたい。ところで英会話を毎日聴ける場をまだ見つけていません。もう、耳から憶えられる分で十分です。



テレビではCSもBSも英語が氾濫しています。さて頭の切り替えになる英会話の時間はどこにあるのでしょう?ラオス滞在の五泊六日間でラオス語で耳に残った言葉があったかな?大半の言葉が耳を素通りしていきました。あれは何であったのだろう。通訳トゥモア君の存在が大きかった。そんな安心感が聞こえるものより話す相手の表情で心の中が描き得た、大方は当たらずとも遠からず、教育委員長や教育委員の表情は今でも憶えています。何とか校舎寄贈運動を立ち上げたいものです。それが黄泉の国へ旅立たれた永山義光氏へ対して、現世から冥界とをつなぐ糸にも思えます。

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