ズッキーニの味噌煮込みBlog版

コンピュータのこと、食べ物のこと、なんでもないこと、とんでもないこと。

仮説その1 -- デバッグが下手なキミへ

2007年06月30日 18時07分08秒 | コンピュータ
 世界中のデバッグが下手なキミへ。書いている時間より直している時間の方がずっと長く、本当はこの職業を選んではいけなかったかも知れないキミへ。

 デバッグというプロセスは、仮説と検証の繰り返しでできている。根拠に基づいた仮説を立て、その仮説を正しく検証し、外れたらまた別の根拠に基づいた仮説を立てる。その繰り返しを我々はデバッグと呼んでいる。

 ところがどうやらキミは、それを知らないようだ。かわいそうに、だれも教えてくれなかったのだろう。アタシもそういえば、後輩たちにこういうことをきちんと教えた覚えがない。まぁ…ちょっとは「ゴメン」だな。

 キミのデバッグ(に、なっていないんだがね。見ていると)は、バグという怪物に武器を持たずに目をつぶり、ただ突進していくようなものだ。あちこち手当たり次第に押したり突いたりしているようだが、それでバグが直ったらそれはまぐれというものだ。直したのではなく、直ったと言うべきだ。

 まずは落ち着いて、現象をよく見ることだ。なにが起きているのか、あるいはなにが起きていないのか、期待と違っているところを冷静に、何度も何度も観察する。

 そうしているうちに、こうなっている原因はこれではないか…という仮説が浮かんでくる。自分が書いたプログラムだもの、わからないはずはない。他人が書いたものであっても、少なくとも該当する部分を何度も読んで理解していたら、仮説は立てられるものだ。

 仮説が立ったら、それを検証してみよう。いきなりプログラムに手を突っ込まなくても検証できる場合がある。たとえば「この仮説が正しければ、ここでプログラムにこういうデータを食わせるとこうなるはずだ」とわかる場合もあるからだ。

 それができない場合はプログラムの該当部分に手を入れるが、「いまデバッグのためにここに手を入れている」ということがわかるようなコメントを書いておくことを忘れないように。不幸にして仮説が正しくなかった場合は速やかにその部分を元に戻しておくことが(あとの混乱を避けるために)必要だが、コメントはそのために有効だ。

 これを何度か繰り返すと、原因はかなり絞られてくる。絞られてきたと感じたら作業をいったん止めて休憩するといい。熱くなった頭をちょっと冷やして、その先の作業でミスを起こさないようにするためだ。慌てることはない。「ゴールは近づいてる」(ZARD)のだから。

 エディタを開いてプログラムを突き廻すのは、よく観察して仮説を立ててからのことだ。デバッグのために朝から晩までキーボードを叩き続けているのはプロじゃなくてセミプロ。え? なんでセミプロ? そりゃ、朝から晩までキー(木)にしがみついて、オシッコの時だけ離れるから、蝉みたいなもんだろ。だからプロじゃなくてセミプロ。

 まぁ下手な冗談はともかくとして、これがデバッグの正しいやり方。見つめたり考えたりという時間をかけるのはまどろっこしいのだろうが、結局はこのやり方の方が作業時間は短くてすむ。慣れてくると、他人のデバッグ作業でも現象を聞いただけで原因がわかることもある。そうなるように自分の頭を鍛えていくわけだ。

 アタシにこのやり方を教えてくれたのは、いまでも師と仰ぐ天才プログラマK氏だ。

 そのときのことはよく覚えているが、狭い部屋で背中合わせで作業をしていたときのことだ。腕ずくデバッグをしていた若き日のアタシがバグ取りに苦戦しており、ときどきぶつぶつと独りごとを言っていた。師はいきなり振り向くと、説明するときのクセでアタシの目の前に人差し指を立ててこう言った。

「仮説その1。○○変数を初期化していない」。

 アタシは負けずに返す。

「○○変数が初期化されていなければ、そもそもここには来ない」。

 師は続けて、

「うーん…仮説その2。○○変数に足し込む値を間違えている」。

アタシ「そんな、、、あーっっっ」。

師「勝った」。(師よ、勝ち負けの問題ですか?)

 それ以来社内では、この「仮説その1」が大流行した。師はゲームのようにして、この手法をアタシに伝授してくれたのだった。おかげでプログラマを廃業せずにすんだわけで、ありがたいことなのだった。

 ということで「腕ずく派」の諸君。デバッグは仮説と検証の繰り返しである。努々(ゆめゆめ)忘れることなかれ。

創意工夫

2007年06月27日 09時53分09秒 | 食い物
ミート社社長、馬肉と牛脂で作った「牛カルビ」も販売か(読売新聞) - goo ニュース

 タイトルはもちろん冗談だが、それにしてもつぎつぎと出てくる衝撃の事実。良くこんなにいろいろとアイディア(?)が出たものだ。社員には「発想力だよ、発想力」と自慢していたと報道されているが、たしかにすごい発想力だとは思う。やっちゃいかん発想だが。

 こういう「偽装」ものが出てくるといつも思うのだが、つい前日まで我々の大多数は「やっぱり牛肉100%のコロッケはうまいよな」などと言っていたわけだ。食い物じゃないが、どこぞの温泉で薬を混ぜて白色の天然温泉を装っていたときだって、前日まで「やっぱり天然温泉は効くよなぁ」とありがたくなっていたので、わからないということがいいことなんだか、悪いことなんだか、わからない。

 もっとも中には「わかる」人もいる。どこやらのスーパーで「○○和牛」とブランド名を付けて出していた牛肉に「これは○○和牛の肉ではない」とクレームを付けたお客がいて発覚した。世の中にはちゃんとわかる人もいるんだなぁと感心したものだ。

 えー、で、どっち? わかる方がいい? わからない方がいい?

 え? そういう問題じゃなくて?

あぶりや(焼き鳥)

2007年06月20日 17時15分03秒 | 食い物
 金曜日一日中の会議のあとで慰労会をやろうと思い、「あぶりや」にホームページから予約を入れた。

 夕方その「あぶりや」から電話があって、「あのー、うち、焼鳥屋なんですが、大丈夫ですか?」という。大丈夫かと聞かれて返答に困っていると、「別の有名なお店と間違えられることがよくあるので…」と言う。

 あぁ、居酒屋の「炙りや」のことか。^^;

 大丈夫だよ。何度も行っているうまい焼き鳥屋で呑みたくて予約したんだ。そう言うと電話口で小躍りして喜んでいるように、向こうの声が弾んだ。

 ここは焼き鳥を、テーブルごとにある小さなホットプレートに乗せてくれる。少しの間なら熱いままで食べられる。それに「十四代」をはじめとして日本酒の種類が多く、日本酒ファンにはありがたい店だ。

 うまい焼き鳥、頼みますよ。

いどう秀子(本人)

2007年06月20日 16時56分13秒 | Weblog
 昼時に駅前通りから大通りの間を歩くと、ポケットがふくらむくらいのポケットティッシュがもらえる。嫁さんにその話をしたら、「水曜日はそこを通ってご飯を食べに行くこと」と厳命が降りた。犬の散歩用に、ポケットティッシュはいくらあってもいいのだ。

 水曜日は週の平日に一日だけ、嫁さんが弁当作りをサボる日。珍しく嫁さんの言葉が記憶に残っていて、駅を北口から南口に通り抜けて狸小路まで。ティッシュ三つ確保。そこから左に曲がって川を越えると二条市場。粥猫屋で500円のお粥定食を食べる。「寿司ドリア」のネタでしばし盛り上がる。

※ 「寿司ドリア」の話が聞きたい人は粥猫屋へどうぞ。これとは関係ないが、ちょっと目を離したすきにメニューがずいぶん増えている。

 帰りもおなじルートを逆に歩いていると、大通公園の一本手前の四つ角で国民新党の黄色い旗がはためいていた。通行人の邪魔になっているのを気にして旗を押さえているおばさんの横を通り過ぎようとしたら、そのおばさんがやおらアタシの前に立ちはだかった。あ、この顔はテレビで見たことがある、と思ったら向こうから「いとう秀子です。本人ですっ。」と言った。

 ちょっとビックリして「あ、ほんとだ。本物だ」と間抜けな応対をする。しっかり握手までしてしまったのだが、なんだね、やっぱり本物はオーラが出てるね。その周りだけ、ぱぁっと明るくなっている感じがする。たいしたもんだ(なにが?)。

 そこからまた歩いて、ティッシュ三つ確保。ティッシュの収穫と土産話を持って帰宅する。

 あれ? いとう秀子って国民新党だったか?

ZARDの見られないビデオ

2007年06月20日 10時21分57秒 | Weblog
 「出逢いそして別れ」が特に好きなんだが、「見慣れぬ街 空に向かって傷ついても 一歩前進しなきゃね 」という歌詞が胸に突き刺さる。自分がまさにいま覚悟して「見慣れぬ街」に踏み出そうとしているところだから。おまけにこれを聞くと、坂井さん、スロープからあらぬ方向に「一歩前進」しちまったのかなぁなどと、アホなことを考えてしまったりもする。全然抜けていないな。

 ちょうどその時刻にいなかったものだから、録画予約しておいたNHKの追悼番組。まだ見ていない。もしかしたらずっと見ないかも知れない。嫁さんが韓流を録画しておいてあとで見ては消すので、間違って消されちまうかも知れない。その方がいいのかも知れない。

 ただまぁ、あの露骨なカメラ目線で終わる学芸会レベルのTVドラマの間にあの番組が挟まっているかと思うと、それだけはどうもイヤだ。イヤだが、いまだに手を出せないでいる。

 一歩前進しなきゃね。たしかにそうなんだよな。

ウィルコムEメールの拡張は…

2007年06月18日 15時03分19秒 | Weblog
 Eメールサービスの一部改訂についてで「2007年春以降に」という微妙な言い回しながら約束していたウィルコムEメールのメールボックス大幅拡張は、いったいどこに行ってしまったのだろう。

 新製品やら、それにしか対応しない新サービスは発表されているが、もともとあまり評判のよろしくないEメールの拡張はこれまで我慢して使ってきてくれたありがたいユーザ向けのサービスだ。

 ちゃんとしなさいよ。アタシは昨年11月からのユーザだからまだ我慢しているけど。

ゼスプリキウイのおまけ(黄色ゲット)

2007年06月17日 16時22分32秒 | Weblog
 ちょっと用があって午前中は小樽にいた。帰りに石狩のコープに行ったらゼスプリがホームページの予告どおりキャンペーン(「ロードショー」と呼ぶらしい)をやっていた。

 不器用なアタシが試食品のキウイと格闘している間に、嫁さんは売り物の袋を持ったり降ろしたりしながらゼスプリのジャンパーを着たお兄ちゃんとなにやら話をしている。カートにカゴを入れて近寄っていくと、なんと「黄色のストラップを二本よこせ」と言っている。さすがにおばさんは図々しい。^^;

 お兄ちゃんはなんとか黄色と黒を一本ずつで折り合いを付けようとしているのだが、嫁さんは頑として受け入れない。「黒ならたくさんあるもんねぇ」などとこちらに参戦を促す。こういう交渉は苦手のアタシも、そのために石狩まで回り道をした手前がんばらないわけにはいかない。「黒なら四本もあるしなぁ」などとウソをつく。

 お兄ちゃんはとうとう折れて、黄色を二本くれた。ヤケになったのか、ゼスプリ君防犯ベルと、プラスチックのキウイ専用スプーンもわしづかみで八本もくれた。スプーンは姪が子供を連れて遊びに来たときにアイスを食わせるのに使おう。防犯ベルはどうするかなぁ…。鈴木さんの首輪にでもぶら下げとくか(どういう意味がある?)。

 とにかく黄色はゲット。なかなかいい色だ。残念ながら黄緑はなかったが、いつか来るチャンスを待とう。

鈴木さんが帰ってきた

2007年06月15日 12時11分38秒 | Weblog
 いなくなった翌日の今日、昼近くになって鈴木さんが帰ってきたと嫁さんから電話があった。

 首輪に青いビニールのひもが付いていたらしく、たぶんどなたかが保護してくれたものだろう。放してくれたのならひもは取るだろうから、鈴木さんが引きちぎってきたのかも知れない。

 飼い犬がお礼も言わずに戻ってきたご無礼をお詫びしたいが、どこのどなた様か見当もつかない。重ねてご無礼ながら、この場でひとことお礼を申し上げる次第。

鈴木さんが帰ってこない

2007年06月14日 21時45分51秒 | Weblog
 嫁さんが買い物に出ていた昼過ぎに突如雨が降り、すぐ近くに雷が落ちたらしい。車庫につながれていた鈴木さんがよほど驚いたようで、鎖を引きちぎって逃げてしまった。それきり帰ってこない。

 ふだん歩かないところまで探しに行き、近所の犬好きのご夫婦も車を出して探してくれたのだが、まったく見つからない。音に驚いて逃げたのだからJR線路の方には行かないと思うのだが、そこも念のため探して空振り。もうトシで、ふだんはつないでいなくてもどこにも行かないくらいおとなしいので、あまり遠くには行っていないと思うのだが。

 どこかに身を潜めているのなら、明るくなってから帰ってくるかも知れない。取りあえず今日のところは捜索を終了。明日は帰ってきていますように。

 それにしても、どこまで行っちまったんだか。

ZARDの澄んだ声

2007年06月13日 22時13分45秒 | Weblog
 こういう表現がずいぶん目につく。もちろんその人の感覚だから否定する気はないし、否定のしようもない。

 しかしアタシは坂井泉水の声を、そう表現したことはあるかも知れないが、「澄んだ声」と感じたことはない。低音域は少しつぶれており、中音域はわずかにざらつき、高音域は切ない。どこも澄んだ声質(こえしつ)とは思わない。

 そういう声が、好きだった。坂井さん、アタシはあなたのそういう声がとても好きだったよ。

GWG折口会長の謝罪

2007年06月10日 19時39分17秒 | Weblog
 休日にしては珍しく朝からドタバタしていたので、昼過ぎに冷たいビールを飲みながら、録画しておいた報道番組をふたつまとめて見た。

 見終わって思ったんだがこの人、ヘマやって叱られたことがあまりないんじゃないだろうか。それともこれが、この人の切り抜け方?

 ほんとかどうか知らないが、「将軍さま」だの「皇位継承権」だの、北海道弁でいう「おだって(調子に乗って天狗になっている)んだべ、こいつ」と言いたくなるような話が周囲に飛び交っている人にしては、落ち着きのない態度。そして平身低頭。

 なんなんだか、ねぇ。

GWG折口会長の豪邸

2007年06月09日 10時25分01秒 | Weblog
 この前はたしか、東横インの社長だったか。金儲けをした(理由は後述するが、あえて「成功した」とは言わない)人に不祥事があると必ず、このように豪邸が「暴かれ」る。^^;

 自分のお金なら法に触れない限りどのように使おうと自由なので、豪邸でも大仏でもなんでも建てたらよろしい。「掃除が大変よね」というのは嫁さんの感想だが、貧乏させすぎたのでお金を出して掃除をしてもらうという発想がないようだ。

 掃除だけではなく大きな家には維持費もそれだけかかるが、それをまかなえるだけの資産があるのならまったく問題はない。プールがあろうとテニスコートがあろうとジャグジーがあろうと、他人にとやかく言われる筋合いはない。

    *

 アタシ、物欲というものがあまりない。

 金持ちというのは財布を気にせず寿司屋に行けることで、贅沢というのは毎年ノートパソコンを買い換えることだと思っている。方向音痴の自分が迷ってしまうような大邸宅や、使い途の見当もつかない広い庭がほしいなどとは思わない。だからそういうものを手に入れたがる人の気持ちはまったくわからない。

 知人と以前こういう話をしたときに、「そりゃオマエ、成功の証(あかし)ってヤツじゃないか」と言われたことがある。あぁそうなの、とそのときは納得したものだが、このごろちょっと考えるところがあって、この解釈も変だなと思うようになった。

 アタシの考える成功とは、お金持ちになることではない。夢をかなえた瞬間のことだ。夢がかなったのならそのほかに証など必要ないから、成功の証としての豪邸というのはおかしいということになる。いったいどうしてああいうものをほしがるのか、やっぱりわからない。さっぱりわからない。

 ところでなんで人は成功したがるのだろう。人のことはわからないから自分のことを考えてみると、それは夢をかなえた瞬間の至福の境地を味わいたいからではないだろうか。そしてできれば、いや必ず、自分の周りにたくさんの人がいて、一緒にその「成功」を喜んでもらいたいと思う。これはもうほんとに、至福だろう。

 ジェットヘリはほしい。自分を必要としている場所や人のところに早く行き着けるから。でも自分用のテニスコートは要らない。雨の日でも濡れないレインコートがあればいい。自宅の風呂にジャグジーも要らない。風呂にはジャグチがあればいい。設備の良い風呂に入りに行けるだけのわずかの時間と、気持ちとお金の余裕があればいい。

 なんでああいうものをほしがるのか、やっぱり、さっぱり、わからない。

サッポロW-DRY“ズバッとキレる”キャンペーン

2007年06月08日 22時50分37秒 | 食い物
 嫁さんが大のビール党なので、ビールがもらえる懸賞のたぐいは必ず応募することにしている。なんでもめんどくさがって「よく生きているのがめんどくさくないね」と言われるオヤジ(実は時々めんどくさくなる(ぉぃ))だが、こういうところでこまめに点数稼ぎをしているのである。

 サッポロビールのキャンペーンで、簡単なクイズに答えると6缶。自分のブログからトラックバックを送ると24缶のW-DRYが抽選でもらえる。普通こういうものはせいぜい2缶だから、6缶とは太っ腹。トラックバックを送るだけで24缶とは豪儀なものである(もうもらった気でいる)。

 当たりますように。