この前はたしか、東横インの社長だったか。金儲けをした(理由は後述するが、あえて「成功した」とは言わない)人に不祥事があると必ず、このように豪邸が「暴かれ」る。^^;
自分のお金なら法に触れない限りどのように使おうと自由なので、豪邸でも大仏でもなんでも建てたらよろしい。「掃除が大変よね」というのは嫁さんの感想だが、貧乏させすぎたのでお金を出して掃除をしてもらうという発想がないようだ。
掃除だけではなく大きな家には維持費もそれだけかかるが、それをまかなえるだけの資産があるのならまったく問題はない。プールがあろうとテニスコートがあろうとジャグジーがあろうと、他人にとやかく言われる筋合いはない。
*
アタシ、物欲というものがあまりない。
金持ちというのは財布を気にせず寿司屋に行けることで、贅沢というのは毎年ノートパソコンを買い換えることだと思っている。方向音痴の自分が迷ってしまうような大邸宅や、使い途の見当もつかない広い庭がほしいなどとは思わない。だからそういうものを手に入れたがる人の気持ちはまったくわからない。
知人と以前こういう話をしたときに、「そりゃオマエ、成功の証(あかし)ってヤツじゃないか」と言われたことがある。あぁそうなの、とそのときは納得したものだが、このごろちょっと考えるところがあって、この解釈も変だなと思うようになった。
アタシの考える成功とは、お金持ちになることではない。夢をかなえた瞬間のことだ。夢がかなったのならそのほかに証など必要ないから、成功の証としての豪邸というのはおかしいということになる。いったいどうしてああいうものをほしがるのか、やっぱりわからない。さっぱりわからない。
ところでなんで人は成功したがるのだろう。人のことはわからないから自分のことを考えてみると、それは夢をかなえた瞬間の至福の境地を味わいたいからではないだろうか。そしてできれば、いや必ず、自分の周りにたくさんの人がいて、一緒にその「成功」を喜んでもらいたいと思う。これはもうほんとに、至福だろう。
ジェットヘリはほしい。自分を必要としている場所や人のところに早く行き着けるから。でも自分用のテニスコートは要らない。雨の日でも濡れないレインコートがあればいい。自宅の風呂にジャグジーも要らない。風呂にはジャグチがあればいい。設備の良い風呂に入りに行けるだけのわずかの時間と、気持ちとお金の余裕があればいい。
なんでああいうものをほしがるのか、やっぱり、さっぱり、わからない。
自分のお金なら法に触れない限りどのように使おうと自由なので、豪邸でも大仏でもなんでも建てたらよろしい。「掃除が大変よね」というのは嫁さんの感想だが、貧乏させすぎたのでお金を出して掃除をしてもらうという発想がないようだ。
掃除だけではなく大きな家には維持費もそれだけかかるが、それをまかなえるだけの資産があるのならまったく問題はない。プールがあろうとテニスコートがあろうとジャグジーがあろうと、他人にとやかく言われる筋合いはない。
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アタシ、物欲というものがあまりない。
金持ちというのは財布を気にせず寿司屋に行けることで、贅沢というのは毎年ノートパソコンを買い換えることだと思っている。方向音痴の自分が迷ってしまうような大邸宅や、使い途の見当もつかない広い庭がほしいなどとは思わない。だからそういうものを手に入れたがる人の気持ちはまったくわからない。
知人と以前こういう話をしたときに、「そりゃオマエ、成功の証(あかし)ってヤツじゃないか」と言われたことがある。あぁそうなの、とそのときは納得したものだが、このごろちょっと考えるところがあって、この解釈も変だなと思うようになった。
アタシの考える成功とは、お金持ちになることではない。夢をかなえた瞬間のことだ。夢がかなったのならそのほかに証など必要ないから、成功の証としての豪邸というのはおかしいということになる。いったいどうしてああいうものをほしがるのか、やっぱりわからない。さっぱりわからない。
ところでなんで人は成功したがるのだろう。人のことはわからないから自分のことを考えてみると、それは夢をかなえた瞬間の至福の境地を味わいたいからではないだろうか。そしてできれば、いや必ず、自分の周りにたくさんの人がいて、一緒にその「成功」を喜んでもらいたいと思う。これはもうほんとに、至福だろう。
ジェットヘリはほしい。自分を必要としている場所や人のところに早く行き着けるから。でも自分用のテニスコートは要らない。雨の日でも濡れないレインコートがあればいい。自宅の風呂にジャグジーも要らない。風呂にはジャグチがあればいい。設備の良い風呂に入りに行けるだけのわずかの時間と、気持ちとお金の余裕があればいい。
なんでああいうものをほしがるのか、やっぱり、さっぱり、わからない。
えっ、貧乏人のひがみだって?
でも、楽しいよん。