亡くなった社長の葬儀連絡などで、昨日も今日も電話やメールでたくさんの人とやりとりをしています。
よく会っている人よりも、もう何年も直接は会っていない人の方が多いです。
そんな方達とは、一通り悲しいお知らせをした後は「今、どうしてるの?」とお互いの近況報告や、他の知人の消息の話になってしまいます。何年も会っていないのに、そんな違和感は全然感じなくて、昨日の続きのように話が弾みます。
そして、話しの最後にはお互い
「びっくりしたけど、久し振りに声が聞けて良かったわ」と電話を切ります。
(なかには、「あなたからの電話は、必ず誰か亡くなった話なんだから...」と言う方もいらっしゃいましたけれど。
それだけ、普段、無沙汰しているということですね。反省)
亡くなった方に生前に受けた恩をお返しすることもできず、亡くなった後のお手伝いを少しでも、と思って方々への連絡をしているのですが、どうも「亡くなった方のため」というよりは、その方のおかげでいろいろな旧縁を復活できているような気がします。
それは、亡くなった方が、最後にくれたプレゼントなのではないかな、と。
今回ばかりでなく、最近、悲しいお知らせが届くたびにそんなことを思っています。
よく会っている人よりも、もう何年も直接は会っていない人の方が多いです。
そんな方達とは、一通り悲しいお知らせをした後は「今、どうしてるの?」とお互いの近況報告や、他の知人の消息の話になってしまいます。何年も会っていないのに、そんな違和感は全然感じなくて、昨日の続きのように話が弾みます。
そして、話しの最後にはお互い
「びっくりしたけど、久し振りに声が聞けて良かったわ」と電話を切ります。
(なかには、「あなたからの電話は、必ず誰か亡くなった話なんだから...」と言う方もいらっしゃいましたけれど。
それだけ、普段、無沙汰しているということですね。反省)
亡くなった方に生前に受けた恩をお返しすることもできず、亡くなった後のお手伝いを少しでも、と思って方々への連絡をしているのですが、どうも「亡くなった方のため」というよりは、その方のおかげでいろいろな旧縁を復活できているような気がします。
それは、亡くなった方が、最後にくれたプレゼントなのではないかな、と。
今回ばかりでなく、最近、悲しいお知らせが届くたびにそんなことを思っています。