(1)中核メカニズム
注意欠如・多動性障害(ADHD)の中核メカニズムは、動機づけ特性。
1)制御や熟慮に必要となる、努力を要する動機づけ(effort)の、自己調節困難を、
4)外的に、努力不要で得られる動機づけを取り入れて、補償している。
(2)努力を要する動機づけの不足
1)授業に集中できない
2)授業中に立ち歩く、よそ見をする
(3)外部から取り入れて、補う
3)立ち歩いて、よそ見をして、気分転換
4)授業に取り組む
(4)空白時間・待ち時間
ADHDのある子どもは、環境内の刺激を取り入れて、デフォルトの動機づけ状態の低さを、補おうとしている。
そのため、手持ち無沙汰の空白時間・待ち時間(刺激や活動が少ないので)が、最も苦手。進行のテンポがゆっくりの活動よりも、速い活動の方が、課題への取組みが良い。
また、単調な課題に対する集中力は、他児よりもかなり短い。5~10分が限界。課題や活動をユニットにして入れ替えるなども、メリハリや気分転換になる。
(5)ADHDについて
ADHD のある子どもの問題行動は、デフォルトの動機づけ状態の低さを補うための退屈しのぎの機能が出発点。実際の教室の授業場面では、他児が皆静かに着席 しているので、1)自分1人だけが容易に注目されて嬉しがり、2)近くの席のお友だちにちょっかいを出して嫌がられたり、3)先生に叱られてわざと反抗して面白がったりと、1)~3)にあるような人に注目されたり構って貰ったりして喜ぶことも、(出発点の)デフォルトの動機づけ状態の低さを補う機能を果たしている。このような強化の随伴性の悪い流れ(悪循環や誤学習)を変えることが、実践的な介入や指導の焦点。ADHDのある子 どもは、基本的に悪い子ではなく、人懐っこく、構って欲しい気持ちが強いので、叱られて反抗することが唯一の関わりになり、悪い子として人に認められることは、本人にとっても不本意。また、やる気がないことの原因が、授業の内容についていけず、活動を上手に行う自信がない場合は、「わかる・ できる」ための手立ても併せて必要。
(6)自閉症とADHDの併存について
不注意や多動がみられる場合、まず1)小児神経疾患を疑い(これは障害ではなく病気、直ちに治療が必要)、次にADHDではなく、2)自閉症や自閉的傾向、3)虐待による反応性愛着障害のことが考えられる。たとえば乳幼児健診で、ことばの遅れと多動が指摘された場合、そのお子さんはADHDではなく、自閉症であることが多い。自閉症の子どもの多動の特徴は、1)自分のこだわりのあることにマイペースであること、2)感覚の過敏性や、3)状況理解の困難、4)状況に不安や心理的ストレスがある場合、居心地の悪さが多動として表現されること。ADHDでは外見はHyper(過剰)だが脳内の活動はHypo(過少活性:デフォルトの低さ)であり、自閉症では脳内の活動がHyper(不安やパニックなど)の違いがある。注意力については、ADHDでは大雑把で細かいところに注意が向かず、自閉症では細かいところに注意が向くものの、全体を統合して意味を捉えることが苦手など、違う。
また、仮にADHDやLDと診断されていても、年齢とともに自閉的傾向に診断変更されることもある。自閉症の診断基準の「三つ組」をすべて満たすのではない自閉的傾向は、できるだけ早期に発見することが望まい。発見が遅れるほど周囲との人間関係がこじれて、思春期の二次的症状や、成人期の症状の複雑化へと進展するリスクがある。例えば、小さい頃は、思ったことをそのまま口にしても笑って許されたり、他人のルール違反を指摘して大人に報告すれば褒められるが、大人になれば、本当のことでも言ってはいけないことがあり、他人のルール違反はあえて指摘しないなど、暗黙の大人ルールがある。小さい頃の環境では、自閉症の特性が隠れてしまうことに注意が必要。
発達障害(LD、ADHD、自閉症)は、純粋例や典型例がある一方で、相互に高率で併存し、併存例では臨床像が類似している(はっきりとどの障害ともいえない微妙な状態)。併存例の子どもの指導方針としては、純粋例や典型例の指導原則を柱にして、その子の特性に合わせて微調整をする。学校教育においては、その子の医学的な診断名というよりも、認知特性の個人差に基づいて指導する。