∞ヘロン「水野氏ルーツ採訪記」

  ―― 水野氏史研究ノート ――

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A-5>新居館と多度神社

2005-11-19 14:42:01 | A-5>景清系水野氏
§新居館  康安元年(1361)、水野又太郎良春が、志談村(名古屋市守山区上~下志段味)から新居に移り、山林を切開いて建築した居館(現新居町西浦)である。この新居(あらい・荒居)という地名は中世に多く、新開地を意味する。館は、現在の洞光院裏山の墓地から多度神社参道の東側付近にかけての丘陵地にあった。居館の裏山に自らの氏神として多度神社を勧請した。新居に天道社が勧請されたので天道と呼ばれた。その後、尾張徳川家初代藩主・徳川義直が狩りをする際、行殿(仮殿)が置かれたので御殿と称せられるようになる。 . . . 本文を読む