∞ヘロン「水野氏ルーツ採訪記」

  ―― 水野氏史研究ノート ――

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【point】本ブログは、時代を区切らず総合的に「水野姓を名乗る人物の足跡を追う研究」を行っています。この外「水野氏」と関連した氏族など水野氏と何らかの関わりがあれば、本研究の対象としています。【comment】みな様からご意見・ご指摘・ご感想などのコメントを頂けると幸いです。なお「コメントを受け取らないよう設定された記事」へのコメントは「掲示板」にお願い致します。【access】サイドバーのアクセス状況「トータル閲覧数・訪問者数」については、「gooブログ アドバンス」が新設されてからの数値累計を入力したものであり、本ブログ開設時から63日間のアクセス数は含まれません。【since】2005-03-14(Blog), 1988-11-14(Network activity)

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A-1 >平 良兼と縁の地(5)

2005-07-03 08:53:04 | A-1 >桓武平氏高望王流
(7)平良兼の襲撃  未だ旅の脚を休めず、未だ旬月(短期間)を歴ざるに、件の介良兼、本意(もとから心に抱いていた)の恨みを忘れずして、尚し会稽の(敗戦の恥をすすごうとする)の心を遂げむと欲ふ。年頃(近年)構へ(準備)たる所の兵革(武器)、其の勢ひ常より殊なれり。 . . . 本文を読む

A-1 >平 良兼と縁の地(4)

2005-07-03 08:50:53 | A-1 >桓武平氏高望王流
6)将門上洛、恩赦により帰国  然る間(そのうちに)、前大掾源護の告状(告訴状=源護は子の扶・隆・繁と国香が将門により殺されたこと(既載)を朝廷に訴えていた)に依りて、件の護併犯人の平将門及び真樹(*1)等を召し進むべし由の官符、去んぬる承平五年(935)十二月廿九日の符、同六年九月七日に到来す(*2)。左近衛の番長(*3)正六位上英保純行(あなほのともゆき)、同姓の氏立(うじたち)(*4)、宇自加支興(うじかのともおき *5)等を差し(差し向けて)、常陸、下毛、下総の国に下さる(通達された)。 . . . 本文を読む