老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1063;最期、何処で死に、どのような死に方を臨む(望む)か

2019-04-19 05:01:31 | 老いの光影 第4章
熟  睡

最期、何処で死に、どのような死に方を臨む(望む)か

夜明け前
外は暗闇の時空間
目が覚めた

beagle元気の寝息が
“スゥ” “ハ~” と聞こえてくる

元気の寝息から
いま自宅で末期癌と闘っている二人の老人のことが気になりだした

ひとりは肺癌の爺さん
もう一人は左上顎洞悪性リンパ腫の婆さん

どちらも食事も水分も摂らなくなってきた
顔は透けて白く見え始め
起きているのもやっと
自分の躰をどうしていいかわからないほど
ソファやベッドでよこになっている
怠いのであろうか

余命宣告の時間をとうに越え生き抜いてきた

末期癌の人を
自宅で見守る
それは
ひとりの生命を抱え込み
死と対峙する

日常生活のなかで
死に直面することがないだけに
死に直面すると戸惑い、狼狽えてしまう

最期の死の場面は
自宅ではなく病院にしたい、と
他者に委ねたい、と思ってしまう

爺さんの家族(妻、長女)も
婆さんの家族(長男夫婦)も
最期は
自宅ではなく病院を望んでいる

本人は自宅を望んでいるのか・・・・
そのことを尋ねることはできない

死を待つのか 死に向かうのか
人それぞれ

老人の死顔を多く見てきた自分
他人の死に慣れてはいけない、と自戒し
死は他人のことではなく
死は自分のことでもある
そのことを忘れてはならない

beagle元気の寝息から
二人の老人の死について思った

昨日婆さん宅を訪問したとき
婆さんは「もう死が近いのかな?」と呟きながらも
「まだ、死にたくない~」と強い口調で放していた










最新の画像もっと見る

コメントを投稿