老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

505;人間最後まで残る欲望は何か

2017-11-02 11:30:27 | 老い楽の詩
人間最後まで残る欲望は何か 

“人間最後まで残る欲望は何か”
ときどき、ふと考えてしまうことがある。
人間最後まで残る欲望
それとも老人になっても残る欲望

最後に残る欲望は何か
人それぞれによって欲望の価値観があり
これが欲望に対する答えだというものがないような気がする

デイサービスや介護施設などで過ごされる老人たちからは
「食べる」ことが一番楽しみだ、と話される。
そうすると「食欲」が最後になるのかな。
人間、死期が近づくに連れ、水を飲まなくなり、最後はオシッコもでなくなる。
人間生きていくには、飲食する、つまり「食欲」が最後まで残るのかな、と思っている。

さくらさくらデイサービスでは
今、摂っている食事が最後の晩餐になるかもしれない。
そう思い、食事を作ったり、美味しく食べたり、食事介助を行う。
また、食べたいものを食べれるよう献立を考えたりする。
外に出かけ、在宅や施設で食べることができない味を楽しむ。

自分は特別養護老人ホームに入所したとき
面会のとき差し入れして欲しい食べ物は何か。
これが最後の食事です、と言われたとき
最後に食べたい物は何か。
ときどき思うことがあり、
食べたいものが諸々あり、まだ決められずにいる。

いま食べたい物は、子どものころ(北海道ニセコに住んでいた)食べた「やまぶどう」である。
秋の北海道ニセコに帰り、山に行き「やまぶとう」を食べたい。
ささやかな夢だけれど、いつ帰郷できるか・・・・。


食欲が最後に残された欲望であり
食べることが最後に残された楽しみなのか、と思っている。

いま、さくらさくらデイサービスに起きていることのなかで
男性老人ふたりの色欲(性欲)に遭遇し、いろいろと考えさせられ悩んでいる。
それはその人が生来持っていたものが強いのか、
老人によって性欲が強く欲望を抑えられない。
その場合周囲の人たちに不快な気持ちにさせてしまう。





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