老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

ブログのタイトル変更 『老い楽の詩』から『老い生いの詩』へ

2024-01-03 08:00:00 | 老いの光影 最終章 蜉蝣
1994 ブログのタイトル『老い生い』に変更した



 老人という言葉の響きから、老人は負のイメージがあり、いつの間にか「できた」ことが「できなくなった」り、惚けてきたりする。

 鏡の前に立つと「おまえは誰だ」、と叫ぶ認知症老人の言葉に、自分に向けられた言葉なのか、とはッとさせられてしまう。顔躰は老醜の呈となり喪失の時代にある。そんな老いに抗い、老いは楽しく生き往くものだ、と捉え過ごしてきた。

 老いてもまだ仕事をせねばならない躰にあるけれども、死のことが気になりだしてきた。
老いの身にある自分。老い生いのはかなさと無力さを思う。

 物はいつか失くなる。貧しさのなかに育ち、「高度経済成長」とテレビに毒され生きてきた。いつの間にか、物欲に溺れ大切な心を見失ってきたのではないか。

 老いたいまになって気がついた。そんな生きることのはかなさとかなしさ。
この先、いつ人生の幕が降りるかはわからなさのなかで、おいおい(老い生い)の出来事を遺せたなら、と思っいる。

能登半島地震

2024-01-03 06:35:57 | 阿呆者
1993 能登半島地震被災者皆さま 心からお見舞い申し上げます



思わぬ能登半島地震が起こり
厳しい寒さのなか、被災者皆さまのことを思うと
いたたまれない気持ちになります。
何もできない自分の無力さに情けなくなります。

地震が起きた日だけは各局は報道されていました。
昨日は何事もなかったかのようにいつもの番組が流れている。

大災害に対し人間は無力ではあるけれど
人間の智恵(知恵)と共助で復旧し
一日も早く日常の生活に戻れることを願う。

私利私欲の政治家の皆さま
いい機会です。贖罪の気持ちで
裏金を震災復興の支援金に回して欲しいものです。