老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

寂しいと犬も話したがる

2024-01-17 22:14:49 | 老いの光影 最終章 蜉蝣
2008 話がしたい


       ときどき、beagle元気の頭を撫でながら「何を考えているんだ」、と尋ねる

83歳になるひとり暮らしの婆ちゃんがいる。
歯は数えるくらいしかない
髪は抜け落ち地肌が目立ってきた
(そういう自分も後ろから見ると毛は抜け落ちた)

糖尿病、心不全、脳出血があり
毎日インスリン注射をされているが
自己流で体調により単位数が変わってしまう。

いまは、貧血が進み、血糖値コントロールができていない。
そのため腎臓に負担がかかり、クレアチニンがかなり悪い。

主治医からは「2週間入院すれば、血糖値も安定するからどうかな」と
尋ねられるが、「入院できない」と断ってしまう。

自宅には14歳になる老柴犬と暮らしている。
「仲ちゃん(男の子)」と呼ぶと傍によってくる。
寂しいのか、寄り付き頭をすりすりし甘える。

犬は、人間(飼い主)の言葉はわからないけれど
表情を見て、犬も話しかけてくる。

ひとりでいる時間が長いため
彼女も誰かとお茶を飲みながら話がしたいのです。
訪問すると60~90分お邪魔虫をしてしまう。

貧血で動くの億劫で、おかずを作ることもできない。
食欲がないから、作る気もしない。

誰かのために作る、ということもない。

少しでも食べ病気に負けないようにしなくっちゃ、と思っている。
自分が入院したら「だれが仲ちゃんの散歩やご飯、水をあげてくれるのか」
仲ちゃんは彼女にとり、生きていく支えになっている。

躰が苦しくても辛くても怠くても、入院できない、と話す。

いまでも躰はぎりぎりのところにあるが
最後のぎりぎりの線を越える前に
仲ちゃんをどこかに預けることも必要になってくるかも

命ある仲ちゃんだから 自分が面倒を見るから入院してきなよ、と
安請け合いもできない。

仲ちゃんもお婆ちゃんのことを心配そうな仕草を見せる、
そう見えてしまう、思ってしまう。

いつも「また来るね」と席を立ち上がり
キャンバスのハンドルを握り出だすと
サイドミラーに仲ちゃんが映る。

見送りをしてくれる。
何故か寂しそうな感じに思ってしまう。

明日から、ランチ(弁当)が彼女のところに届く
週3回(月水金)は、市の事業で「あったかランチ(350円、糖尿病食、ご飯はつく)」が届き、
火木土は、468円(全額自己負担、おかず のみ)の糖尿病食が配食される。

「あったかランチ」は見守りも兼ね、本人の様子がおかしいときはケアマネに連絡が入る。

彼女は、「ケアマネの手を煩わせて、申し訳ない」、と詫びる。
「気にしなくていいよ。だれかが彼女のことを気にかけ見守ってくれる」

彼女はそう言いながら、躰がよほどしんどいから
他人の手を煩わせることを選んだ。

数ある弁当屋さんから
一番評判のいい弁当屋さんをお願いした。
(自分も食べてみて美味しいかった)。

弁当を希望する老人がいるときは、いつも美味しい弁当屋さんにしている。