老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

「傘がない」

2024-01-08 20:49:41 | 老いの光影 最終章 蜉蝣
1999 認知症老人は、「いま」生きている


      東北の玄関口(白河の関)、8cmほどの積雪。6時20分頃の朝焼けです{散歩風景}

認知症老人は、「いま(今日)」、生きている。
昨日のことを振り返ったり
明日のことを考えたりはしない。
いま、自分はどうしてよいか、わからず、困っている。

「まだ、ご飯を食べていない」
「さっき、夕ご飯食べたばかりでしょう」
「いや、食べていない」、と訴える。

「食べたでしょう」と、説明したところで、
当の本人は”いま、ご飯を食べたい”、そのことが一番の関心事であり問題なのだ。
「いま、ご飯を炊いているから、あと10分で炊き上がるから、待ってね」、と言葉をかけると、気持ちが落ち着く。
「さっき、食べたでしょう」、と話したところで、余計に言動が不穏になってしまう。

19歳の頃、井上陽水「傘がない」が流行した。
 ♪ 都会では自殺する若者が増えている
  今朝来た新聞の片隅に書いていた
 だけども問題は今日の雨 傘がない
 行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ ♪


雨が降っている。彼女に逢いに行きたいが、傘がない。
いま、自分にとり一番の問題は、傘がない。

認知症老人から、「財布がない」「通帳がない」などと不安な様相で話しかけられたとき、
いつも井上陽水の「傘がない」の歌詞が思い浮かぶ。

認知症老人も井上陽水と同じ気持ちにある。
「自分にとり一番の問題は」、財布がない、通帳がない。
認知症老人は、いま財布がない、通帳がない、それを見つけるために生きている。

明日のことよりも、いま起きている問題を解決することが最優先なのだ。
それが解決しない限り、前に進めない。
認知症老人だけでなく、誰でも同じ気持ちにある。

認知症老人は、懸命に「いまに、生きている」
自分はどうだろうか。
老いの世界に足を踏み入れた自分。
老いの季節を一日生きていくと、死の影が一日近づいてくる。

老いはいつ死んでもおかしくない齢にある。
認知症老人と同じく、自分も「いま(今日)を大切に、いまやるべきことをやらなければならない」、
そう自省していても時間を無駄に消費してしまう。

いまを必死に生きている認知症老人の後ろ姿から、
自分は、「いま、生きているか」、ともう一人の自分に問いかけてみた・・・・・」





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