老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1378;降り積もる雪と冬の雨だれを観ながら思う

2020-01-27 19:14:53 | 阿呆者
桜が咲いてから雪が降った年もあった

降り積もる雪と冬の雨だれを観ながら

雨は、過ちの過去を流し
雪は、汚れた過去を覆い隠す。

欲求は、自己実現まで高めていく。
しかし、欲をかきすぎると破滅する。
多くのものを欲したりはせず
いま有るものに満足し感謝すること。

人間、最後、棺に入ったとき
持参できるものはたかが知れている
人間、産まれてきたときは裸であった。
死ぬときは、火葬場で焼かれ灰となり、手にするものは何も無い。

欲に囚われず
大切なことは「足るを知る」こと
他者を羨むのではなく
自分がどういう状態にあっても
自分がいまこうして生きている(生命がある)ことに感謝
いまあるもので足りていることに感謝

降り積もる雪と冬の雨だれを観ながら
煩悩を捨てきれずにいる自分に呆れかえっている


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1377;「不自由」を抱えながら「自由」をめざす

2020-01-27 19:14:53 | 阿呆者
wifeもbeagle元気も自分も大好物の苺 / みぶハイウェイパークでとちおとめをゲット

「不自由」を抱えながら「自由」をめざす

今月4度目の自治医大付属病院外来受診
今日は循環器内科と感染症科と腎臓外科
結果は、👇 クレアチニンの数値は1.7と悪く
抗酸菌の治療目的の服薬と腎臓との調整がうまくいっていないのか
気になるところ

次回は2月6日受診予定となった
体重が1㎏増になったときは、即腎臓外科外来受診するよう主治医より話される。

多疾患で「不自由」さを感じる我が躰

いま躰のことで「不自由」さを感じているのは”両眼”と”心臓”である

両眼は、眼の真ん中が汚れているため(白内障)、
文庫本1ページを読むのに3分位かかってしまうため、
イライラ感と溜息をついてしまいたくなる。
陽が射すと活字が消えてしまい読めなくなってしまうことも。
PCの画面が白いとき、カーソルを見失ってしまう。

大動脈弁閉鎖不全症を患ってから、「走る」ことができなくなった。
坂道を歩くとき心臓に負担がかかり、歩く速度がガクンと落ちてしまう。
散歩のときwifeと元気において行かれてしまい、途中で待ってくれるのだが、
両下肢の筋力が落ちたことも手伝っている。

走れない理由は他にもあり、それは骨粗鬆症である。
走って転ぶと、骨折につながり、大変なことになる。
「転ばぬ先の杖」ということで、いまは「3本足歩行」にある。

両眼は蝉の鳴き声がする頃には白内障の手術ができるのかな、と
心疾患があり無理はできないけれど、それに囚われず、躰を動かし
元気な気持ちになる。

躰よりも心
大相撲初場所で幕尻優勝を果たした徳勝龍は、
「まだ33歳」、これからが勝負と話されていた。
「まだ67歳」、青春はまだ終わってはいない
自分も頑張らねば、と思った千秋楽。

上の苺は、3粒に見えますが、2粒です。4粒にも見えますが、
甘い苺です。
北関東道を走った際には、是非「壬生(みぶ)ハイウェイパーク」にお寄りくださいませ



コメント (2)
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