愛されることはできても、愛することはできなくなっていく
私の頭の中には、消しゴムがある。(84頁)
あの夜、光の洪水みたいに空高くから降り注いでいたオレンジ色の光が、なんだか少し頼りなくて寂しそうだった。
身体がどんどん冷えてきて。
でも、もう動きたくなくて。
このまま時間が止まってしまえばいい、それだけ願っていた。(86頁)
どんどん、記憶がなくなっていくんだよ。
自分のことも分かんなくなるんだよ。
浩介のことも忘れちゃうんだよ。
私、嫌だよ。(88頁)
俺がお前の記憶になる。
薫が忘れたら、これまでのことを何度でも話すよ。
2人がどうやって出会ったか。
どんなことで笑ったか。
どんなことで喧嘩をしたか。
何度でも繰り返すよ。
その度に薫は俺に新しく恋をするんだ。
別れるなんて絶対に言うな。
薫は俺を信じさせてくれたんじゃないか。
何も信じられなかった俺に。
変わらないものがあるって。
信じられるモンがこの世にはあるって。
いまさら、逃げんなよ。(89~90頁)
でも、会社を辞めると、病気で失うものが現実に見えるようで怖い。(134頁)
僕の目の前に君はいる。
僕のことを知らない君が。
こんなに近くにいるのに。
手を伸ばせばこうやって触れられる、すぐそこに君はいるのに。
僕には、君をこの世に呼び戻すことができない。(164頁)
愛されることはできても、愛することはできなくなっていくのです。
心がすべて失っても、私の体は生き続けます。(168頁)
この手紙を書いている今も、次の瞬間には、自分が自分でなくなってしまうかもしれない。そう思うと怖い。(169頁)
28歳という若さでアルツハイマーの告知を受け、
私の頭の中は消しゴムになり、
記憶を失っていく主人公の切なさ、
愛おしさが伝わってくる。
「自分が自分でなくなってしまう」怖さに対峙しながらも、
記憶が残されたわずかな時間に、
自分の思いを彼に綴った最後の手紙に託す彼女。
「心がすべてを失っても、私の体は生き続けます」
「愛されることはできても、愛することはできなくなっていくのです」(168頁)。
「でも、会社を辞めると、病気で失うものが現実に見えるようで怖い」(134頁)。
「この病気が残酷なのは、肉体的な死よりも精神的な死が先にくることだ。
私の身体は残っても、私の精神はなくなってしまうのだ」(123頁)。
介護の世界に身をおいている自分、
アルツハイマーになった薫の気持ち、
頭の中が消しゴム状態となり、
精神(心)を失っていく怖さ、不安、苦悩、葛藤など、
あらためて認知症者が抱えている想いや不安をどれだけ理解していたのか、
自問自答していかねばならない。
愛した人、思い出が一杯つまった時空間さえも喪失していく。
記憶があるうちに彼にさよならを無言で去り、館山の介護施設に入居した彼女。
特別養護老人ホームやグループホームに入居してきた高齢者も同じ想いで家族に「さ・よ・な・ら」し、
人生の最後をそこで過ごす。
介護者は、特別養護老人ホームやグループホームはどんな場所として位置づけ、
日々認知症者にかかわっていくのか。
私が私でなくなっていくとしても、私で私であることに変わりはない。
ひとり一人違う私に対し、
介護者は“にんげん”のもつ優しさや想いを
どう特別養護老人ホームやグループホームのなかで実現していくのか。
介護者は、浩介と同じ気持ちになり入居者に話しかけることだ。
「俺がお前の記憶になる。薫が忘れたら、これまでのことを何度でも話すよ」
入居者が生きてきた人生(記憶)を呼び揺り動かしながら、
「お前の記憶」になり寄り添っていく介護。
そのためには、どれだけひとり一人が生きてきた人生や大切な人(家族)のことを知っていくことが求められる。
木村元子 『私の頭の中の消しゴム』 小学館文庫
私の頭の中には、消しゴムがある。(84頁)
あの夜、光の洪水みたいに空高くから降り注いでいたオレンジ色の光が、なんだか少し頼りなくて寂しそうだった。
身体がどんどん冷えてきて。
でも、もう動きたくなくて。
このまま時間が止まってしまえばいい、それだけ願っていた。(86頁)
どんどん、記憶がなくなっていくんだよ。
自分のことも分かんなくなるんだよ。
浩介のことも忘れちゃうんだよ。
私、嫌だよ。(88頁)
俺がお前の記憶になる。
薫が忘れたら、これまでのことを何度でも話すよ。
2人がどうやって出会ったか。
どんなことで笑ったか。
どんなことで喧嘩をしたか。
何度でも繰り返すよ。
その度に薫は俺に新しく恋をするんだ。
別れるなんて絶対に言うな。
薫は俺を信じさせてくれたんじゃないか。
何も信じられなかった俺に。
変わらないものがあるって。
信じられるモンがこの世にはあるって。
いまさら、逃げんなよ。(89~90頁)
でも、会社を辞めると、病気で失うものが現実に見えるようで怖い。(134頁)
僕の目の前に君はいる。
僕のことを知らない君が。
こんなに近くにいるのに。
手を伸ばせばこうやって触れられる、すぐそこに君はいるのに。
僕には、君をこの世に呼び戻すことができない。(164頁)
愛されることはできても、愛することはできなくなっていくのです。
心がすべて失っても、私の体は生き続けます。(168頁)
この手紙を書いている今も、次の瞬間には、自分が自分でなくなってしまうかもしれない。そう思うと怖い。(169頁)
28歳という若さでアルツハイマーの告知を受け、
私の頭の中は消しゴムになり、
記憶を失っていく主人公の切なさ、
愛おしさが伝わってくる。
「自分が自分でなくなってしまう」怖さに対峙しながらも、
記憶が残されたわずかな時間に、
自分の思いを彼に綴った最後の手紙に託す彼女。
「心がすべてを失っても、私の体は生き続けます」
「愛されることはできても、愛することはできなくなっていくのです」(168頁)。
「でも、会社を辞めると、病気で失うものが現実に見えるようで怖い」(134頁)。
「この病気が残酷なのは、肉体的な死よりも精神的な死が先にくることだ。
私の身体は残っても、私の精神はなくなってしまうのだ」(123頁)。
介護の世界に身をおいている自分、
アルツハイマーになった薫の気持ち、
頭の中が消しゴム状態となり、
精神(心)を失っていく怖さ、不安、苦悩、葛藤など、
あらためて認知症者が抱えている想いや不安をどれだけ理解していたのか、
自問自答していかねばならない。
愛した人、思い出が一杯つまった時空間さえも喪失していく。
記憶があるうちに彼にさよならを無言で去り、館山の介護施設に入居した彼女。
特別養護老人ホームやグループホームに入居してきた高齢者も同じ想いで家族に「さ・よ・な・ら」し、
人生の最後をそこで過ごす。
介護者は、特別養護老人ホームやグループホームはどんな場所として位置づけ、
日々認知症者にかかわっていくのか。
私が私でなくなっていくとしても、私で私であることに変わりはない。
ひとり一人違う私に対し、
介護者は“にんげん”のもつ優しさや想いを
どう特別養護老人ホームやグループホームのなかで実現していくのか。
介護者は、浩介と同じ気持ちになり入居者に話しかけることだ。
「俺がお前の記憶になる。薫が忘れたら、これまでのことを何度でも話すよ」
入居者が生きてきた人生(記憶)を呼び揺り動かしながら、
「お前の記憶」になり寄り添っていく介護。
そのためには、どれだけひとり一人が生きてきた人生や大切な人(家族)のことを知っていくことが求められる。