棲家の窓から見える枯木
「土」に帰る {2}
孤独死
誰もが、最期は穏やかに、安らかに、眠るように逝きたい、と思う
予期せぬ不慮の死は、家族に言葉を遺すことも出来ない。
一人暮らし老人の「孤独死」が、よく問題視される。
子ども夫婦と同じ屋根の下に暮らしていても、「孤独死」する老親もある。
遠くに住む子どもの世話にならず
伴侶と築きあげてきた棲家は、
老親にとり自分の躰の一部でもある。
住み慣れた家の壁や襖、柱には家族の思い出が刻まれている。
陽に焼けた畳の上で死にたい、と思う一人暮らし老人は
自分の亡き骸など諸々の処分について
仏壇に書き遺し「死の準備」を行う老親。
一人暮らし老人は、自宅で「死ぬ覚悟」(死ぬ準備)を決め
“ひとり死ぬ”ことを「孤独死」とは思ってもいない。
自分の身の始末は、自分でつける、という
一人暮らし老人の思いがある。
「孤独死」は、寂しく、可哀想であると、同情や憐れみの言葉はいらない。
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二階に長男夫婦が暮らす階下で
89歳の老母は深夜息を引き取った。
彼女が最後に交わした言葉は何であろうか
駆けつけたとき
彼女は電気敷き毛布も無い煎餅蒲団の上で
右側臥いの状態で冷たくなっていた。
窓のカテーンは閉められておらず枯れた庭木が見え隠れしていた。
人間、死ぬ瞬間(とき)、何も感じないのであろうか
痛みはないのか、暗闇に入っていくのか
生きている者の想像でしかない
死ぬ間際に見る「最後の風景」は何であったのか。
凍える深夜の寒さに震え
意識朦朧としながらも掠れた聲で
息子の名を呼んだのであろうか。
自分は死期が近づいたとき
どんな風景を見るのか、ふと思ってしまう。