生理的欲求と介護 ⑤ 「排せつ」 ⅱ
「排せつ」行為は、
他者に見られたくない恥部であり、トイレは秘密の空間にある。
また、空腹よりも「ウン・ション」は我慢ができない。
とくに紙オムツをするようになったら、人間お終いだ。
死んだ方がましだ、と老人は話す。
(オムツをして死んだ老人はまだ見かけない)
オムツのお世話になり他者に取り換えてもらうことは、
赤ん坊と同じレベルになり
大人から「半人前」の人間になってしまったことを意味する。
喉が乾けば、人間に限らず他の動物も水を飲むのも自然の摂理。
水を飲んだり食べたりすれば、尿や糞が出るのも自然の摂理。
「オシッコがしたい」「ウンチが出そう」、尿意・便意を感じたとき
誰しもトイレへ向かい、便器で用を足す。
これは当たり前の行為である。
そして大切なこと、それは誰もが洋式便器に坐って、用を足している。
要介護5の認定を受けていても、椅子や車いすに座ることができる人は
紙オムツに尿・糞をするのではなく、洋式便器に坐り用を足せるのである。
紙オムツから洋式便器で排便をした人は、紙オムツに糞は出したくない。
同じ排せつ介助を受けても、
他者から紙オムツを取り替えてもらう
トイレで、一連の排せつ行為のなかで、できないところだけを手助けをしてもらう
排せつ行為として、あなたはどちらがよいですか、と聞かなくても
オムツよりはトイレの方がよいに決まっている。
しかし老人が入院すると、
歩くのが大変だったり、排せつ動作に手間がかかったりすると
医療従事者は「バルンカテーテル」を挿入してしまう。
本来の看護とは何か。
自然に尿が出るのに、管で排出する。
肺炎は治癒したが、尿意は喪失し紙オムツになって退院。
もし、ナイチンゲールが生きていたら
彼女は安易に使うバルンを見て何と思うだろうか。
不必要にバルンを用いるのは、生理的欲求に反し非人間的なケアなのでは、と思ってしまう。
排せつ器官が駄目になり尿が容易に出ないときにはバルンは必要である。バルンを100%否定しているのではない。
私も術後安静のため、7日間バルンを挿入され、苦痛を体験。
一番苦痛だったのは、排便中、排便後にオシッコが一度に放尿されたとき
思うように管に尿が流れず、尿が溢れでたような感じで、尿道の痛みが耐えられなかった。
「排せつ」行為は、
他者に見られたくない恥部であり、トイレは秘密の空間にある。
また、空腹よりも「ウン・ション」は我慢ができない。
とくに紙オムツをするようになったら、人間お終いだ。
死んだ方がましだ、と老人は話す。
(オムツをして死んだ老人はまだ見かけない)
オムツのお世話になり他者に取り換えてもらうことは、
赤ん坊と同じレベルになり
大人から「半人前」の人間になってしまったことを意味する。
喉が乾けば、人間に限らず他の動物も水を飲むのも自然の摂理。
水を飲んだり食べたりすれば、尿や糞が出るのも自然の摂理。
「オシッコがしたい」「ウンチが出そう」、尿意・便意を感じたとき
誰しもトイレへ向かい、便器で用を足す。
これは当たり前の行為である。
そして大切なこと、それは誰もが洋式便器に坐って、用を足している。
要介護5の認定を受けていても、椅子や車いすに座ることができる人は
紙オムツに尿・糞をするのではなく、洋式便器に坐り用を足せるのである。
紙オムツから洋式便器で排便をした人は、紙オムツに糞は出したくない。
同じ排せつ介助を受けても、
他者から紙オムツを取り替えてもらう
トイレで、一連の排せつ行為のなかで、できないところだけを手助けをしてもらう
排せつ行為として、あなたはどちらがよいですか、と聞かなくても
オムツよりはトイレの方がよいに決まっている。
しかし老人が入院すると、
歩くのが大変だったり、排せつ動作に手間がかかったりすると
医療従事者は「バルンカテーテル」を挿入してしまう。
本来の看護とは何か。
自然に尿が出るのに、管で排出する。
肺炎は治癒したが、尿意は喪失し紙オムツになって退院。
もし、ナイチンゲールが生きていたら
彼女は安易に使うバルンを見て何と思うだろうか。
不必要にバルンを用いるのは、生理的欲求に反し非人間的なケアなのでは、と思ってしまう。
排せつ器官が駄目になり尿が容易に出ないときにはバルンは必要である。バルンを100%否定しているのではない。
私も術後安静のため、7日間バルンを挿入され、苦痛を体験。
一番苦痛だったのは、排便中、排便後にオシッコが一度に放尿されたとき
思うように管に尿が流れず、尿が溢れでたような感じで、尿道の痛みが耐えられなかった。