老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

474;憐れな女性の話

2017-10-15 07:46:31 | 老いびとの聲
憐れな女性の話

「生理的欲求と食べる」を書いてきて
職場で気になる50代の女性がいる。
彼女の人生観は、「損得」に徹し
「無駄」なこと
つまり自分にとって「無意味」なことは関わらない。

極力友達とのつきあいはしない。
何故?
つきあいとなると「お茶飲み」もあり
お金がかかるから、ということになる。
職場で自分が入社したときには「歓迎会」をしてもらったことは忘れ
後輩が入社されたときは、歓迎会会費を出すのが惜しく、出席しない。

成人した息子と二人暮らし。
息子には結婚するな、と話している。
何故?
結婚すると親戚つきあいがあり、金がかかるので・・・。
だから息子はいまも友達はひとりもおらず。

「食べる」ことになると、
本当に憐れな彼女に映り寂しくなり悲しくなる。
どう言葉をかけていいか、
男の自分が言葉をかける訳にもいかず、ただただ唖然としている。
例えばこんなことがある(いつもある)。
同僚やお客様からお土産(お菓子)を頂く。
本人も含め職場仲間が5人、お菓子が10個とする。
彼女は一人で6個食べても平然としており、
それも陰に隠れるように台所に屈みながら食べている。
他人よりも多く食べれたことで「得」した気持ちになる。
彼女からはお土産や差し入れをすること(自分から身銭をきること)はない。
「損」することはしない。

老人(利用者)と外食に行くときも、たかりのような言動。
彼女はメニューのなかで、一番最低の価格を注文する。
ある婆さんが、ステーキを注文した。
「それ全部食べれる。食べきれないでしょ」と言葉をかけるやいなや
ステーキの真ん中部分を箸てつまみ、食べてしまう。
婆さんもあんぐりで、開いた口が塞がらない。

彼女は
外食にもいかず
行ってもドリンクバーを注文することさえためらう
着飾ることもなく化粧することもない
勿論旅行などは論外
職場の新聞折り込みのチラシを見て
休憩時間に食材のバーゲン品を買いに行く

だから老人とのかかわりを見ても
プラスアルファの気持ちで
介護にかかわるようなことはない
責任逃れは上手
友だちつきあいがないから
相手を思い遣る気持ちが希薄なのかもしれない
自分がよければそれでいい

こうして憐れなひとりの女性のことを書いている自分が
いちばん憐れなのかもしれない