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よりみち散歩。

日々の暮らしのなかで心に浮かぶよしなしごとを、こじんまりとつぶやいています。お役立ち情報はありません。

百田尚樹「賭けられた女」

2014年01月23日 | 読書
これは本当に面白かったです。

短編なので5分もあれば読めますが、ラスト1行を読んで
「えええ?」と思ってもう一度最初から読み返しました。

あまちゃん脚本家の宮藤氏も同じ行動を取られたとか…。
いや~、びっくりな展開です。

「永遠の0」も「プリズム」も面白かったけど、
短編もいいですね、百田さん。

図書館になぜか「ボックス」の下巻のみがあったので
借りてみました。

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サザエさんの東京物語

2013年09月15日 | 読書
『サザエさん』を描いた、長谷川町子さんの妹、
長谷川洋子さんのエッセイを読みました。

サザエさんといえば、理想的な家庭の象徴であり、日曜夕方のオアシス番組でもあり
――とにかく、国民的漫画であることは間違いありません。


しかし、長谷川一家は、マンガのように穏やかではなかったようです。

晩年、末妹の洋子さんは、長姉・鞠子さんと次姉・町子さんと絶縁し、莫大な遺産も放棄しています。

エッセイにその詳細は描かれていませんが、どうやら「いつも三姉妹仲良く同居」を当然と思っていた二人の姉に対し、「独立宣言」をした妹の態度が不快だったようです。

「60歳過ぎまで主体性なく、母や姉たちのいうがままだった自分に呆れていたのだ」

自由のよさを知った洋子さん。
60歳過ぎで目覚める、変化に挑戦する、というのも凄いことです。

年を重ねるほどに、パターンを崩すのは困難になるから。


「サザエさんのうち明け話」では語られていた洋子さん、
町子さんの遺作となった「サザエさん旅日記」では、
わずか1コマしか出ていません。

まるで存在そのものがなかったかのような描きぶりに、
町子さんの嚇怒が込められているような気がするのです。

個人的な感想ですが、洋子さんという方は、頭もよく、
常識的な感性をもっていた唯一の女性だったと思います。

他の3人は、ある意味、女傑。天才。常人離れしています。

母の貞子さんは、強烈なクリスチャンで、全財産をつぎ込んでも、
世のため人のために尽くしてしまう。
ときには、娘が大事にしていたペットのにわとりまでつぶして、人に与えてしまう。
(町子さん、この件で号泣したそうです)

寄付自体はいいことですが、やるなら「自分のお金」で、と思うのは私だけ?
子どもが稼いだお金を親が湯水のように浪費するのは、善行であれ、
男に貢ぐのであれ、たいして違わない気がします。


長姉の鞠子さんも、ぶっとんでいます。
夫が戦死したという連絡を受けた時、

「あの人は死んだら自分の足で私に伝えにくる。
 来ないんだから、生きている」

とめちゃめちゃな理屈で旦那の実家にも足を運ばず、葬式も出なかったらしい。

(旦那さんを愛していたというよりも、よほど会いたくない人物が
嫁ぎ先にいたのかな、と邪推しています。結婚後も実家暮らしだったし。)

平成の今でも眉を顰められる行為を、戦中にやるなんて、なかなか個性的な人物です。

町子さんの天才ぶりは周知のことなので、割愛します。



こんな個性的な3人と生活した洋子さん。

好きな数学を学びたいといえば、町子さんに「国文科にしなさい」と進路変更を強制され。

大学進学するも、貞子母に頼まれた菊池寛が「面倒みるよ」といったら、大学を中退させられ。

結婚後も旦那さんはマスオさん状態(同居)で、何かと干渉され。

旦那さんが他界した後は、母親の「跡取りがいないから籍を抜きなさい」に従い。


洋子さんは可愛い良い子(支配下にあって従順な性質)であることを強要され続けていたのでしょう。

愛が深い分、しがらみを外すのはつらかったでしょう。
愛が強い分、庇護下から抜け出す妹を憎んだのでしょう。


町子さんが亡くなった時、鞠子さんは
「マスコミには知らせるな、特に洋子には何もいうな」
と緘口令を敷いたそうです。

その鞠子さんも、2011年1月に鬼籍に入りました。

愛が濃いほどに、憎しみも深く、深い縁で結ばれた間柄であっても、
いえだからこそ――掛け違えたボタンをはめなおすのは難しいのだと、しみじみ思います。


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『あさきゆめみし』の幸せな女性

2013年09月05日 | 読書
図書館で、愛蔵版『あさきゆめみし』を発見し、
何故か最終巻から遡って再読してしまいました。



紫の上を失い悲嘆に暮れる源氏→女三宮を娶り、嘆き悲しむ紫の上→
風流貴公子ぶりに素直に嫉妬する紫の上

結末からの逆読みはほぼ初めてですが
「後悔するんだから、やめておけばいいのに」
と違う意味で源氏に苛立つやら、もの悲しくなるやら…
なかなか興深いものがありました。


さて、10年以上前に某サイトで「源氏物語で最も幸せな女性は?」
というお題を出されたことがあります。

「幸せ」の定義にまず頭を捻りました。

平安時代の常識で考えるか、
自分の憧憬に当てはめるか、
みな薄幸だから、敢て消去法ではかるか――。



私は「自分がもし『あさきゆめみし』の女人になるなら誰にする?」
と改題し、結果花散里を選びました。


決して美人でも目立つ女性でもないけど、人柄が優しく敵を作らない。
夫(源氏)との距離も、ほどほど。紫の上とも仲良し。
手先が器用で、趣味も悪くない。
育ての息子(夕霧)との母子関係も良好。

そして執着心が少なく、いつも微笑んでいる
これが重要です。

源氏にかかわる女性は、概ね憂き目に遭遇し、よく落涙していますが、
この花散里が涙を見せたのは(あさきにおいては)
源氏が須磨に流されたときだけ、だったと思います。


執着心と矜持の高さでは、六条御息所が筆頭にあがりますが、
読み返すと紫の上も伯仲ではないでしょうか。

源氏の愛が薄くなったとしても、彼は情をかけた女を見捨てることはない。
明石女御や秋好中宮、その他大勢に慕われ、また比類なき才能に恵まれながら、
「源氏の最愛の人」であることが、唯一の支えだったのが非常に残念で…。

他の女人たちがあっさり現世を捨てることができても、
彼女だけは出家を最後まで許されず、
何一つ、思うままにならずに身罷った紫の上。

不足なき容貌、性質、才能を天から受けた反面、
これほどの悲運もあるまい、という状況を己の心から作り出した女性ゆえ、
紫の上は大好きですが、ああいう生き方はしたくないなとも感じるのです。

…だいたい、源氏の最愛の人は「源氏本人」だと思いますし。
藤壺よりも、紫よりも、自分好き~!なオトコですよ、あれは。


そういう男であれば、花散里くらいの距離感が一番楽で、
疲れないだろう…としみじみ思いますね。



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