よりみち散歩。

日々の暮らしのなかで心に浮かぶよしなしごとを、こじんまりとつぶやいています。お役立ち情報はありません。

サザエさんの東京物語

2013年09月15日 | 読書
『サザエさん』を描いた、長谷川町子さんの妹、
長谷川洋子さんのエッセイを読みました。

サザエさんといえば、理想的な家庭の象徴であり、日曜夕方のオアシス番組でもあり
――とにかく、国民的漫画であることは間違いありません。


しかし、長谷川一家は、マンガのように穏やかではなかったようです。

晩年、末妹の洋子さんは、長姉・鞠子さんと次姉・町子さんと絶縁し、莫大な遺産も放棄しています。

エッセイにその詳細は描かれていませんが、どうやら「いつも三姉妹仲良く同居」を当然と思っていた二人の姉に対し、「独立宣言」をした妹の態度が不快だったようです。

「60歳過ぎまで主体性なく、母や姉たちのいうがままだった自分に呆れていたのだ」

自由のよさを知った洋子さん。
60歳過ぎで目覚める、変化に挑戦する、というのも凄いことです。

年を重ねるほどに、パターンを崩すのは困難になるから。


「サザエさんのうち明け話」では語られていた洋子さん、
町子さんの遺作となった「サザエさん旅日記」では、
わずか1コマしか出ていません。

まるで存在そのものがなかったかのような描きぶりに、
町子さんの嚇怒が込められているような気がするのです。

個人的な感想ですが、洋子さんという方は、頭もよく、
常識的な感性をもっていた唯一の女性だったと思います。

他の3人は、ある意味、女傑。天才。常人離れしています。

母の貞子さんは、強烈なクリスチャンで、全財産をつぎ込んでも、
世のため人のために尽くしてしまう。
ときには、娘が大事にしていたペットのにわとりまでつぶして、人に与えてしまう。
(町子さん、この件で号泣したそうです)

寄付自体はいいことですが、やるなら「自分のお金」で、と思うのは私だけ?
子どもが稼いだお金を親が湯水のように浪費するのは、善行であれ、
男に貢ぐのであれ、たいして違わない気がします。


長姉の鞠子さんも、ぶっとんでいます。
夫が戦死したという連絡を受けた時、

「あの人は死んだら自分の足で私に伝えにくる。
 来ないんだから、生きている」

とめちゃめちゃな理屈で旦那の実家にも足を運ばず、葬式も出なかったらしい。

(旦那さんを愛していたというよりも、よほど会いたくない人物が
嫁ぎ先にいたのかな、と邪推しています。結婚後も実家暮らしだったし。)

平成の今でも眉を顰められる行為を、戦中にやるなんて、なかなか個性的な人物です。

町子さんの天才ぶりは周知のことなので、割愛します。



こんな個性的な3人と生活した洋子さん。

好きな数学を学びたいといえば、町子さんに「国文科にしなさい」と進路変更を強制され。

大学進学するも、貞子母に頼まれた菊池寛が「面倒みるよ」といったら、大学を中退させられ。

結婚後も旦那さんはマスオさん状態(同居)で、何かと干渉され。

旦那さんが他界した後は、母親の「跡取りがいないから籍を抜きなさい」に従い。


洋子さんは可愛い良い子(支配下にあって従順な性質)であることを強要され続けていたのでしょう。

愛が深い分、しがらみを外すのはつらかったでしょう。
愛が強い分、庇護下から抜け出す妹を憎んだのでしょう。


町子さんが亡くなった時、鞠子さんは
「マスコミには知らせるな、特に洋子には何もいうな」
と緘口令を敷いたそうです。

その鞠子さんも、2011年1月に鬼籍に入りました。

愛が濃いほどに、憎しみも深く、深い縁で結ばれた間柄であっても、
いえだからこそ――掛け違えたボタンをはめなおすのは難しいのだと、しみじみ思います。


にほんブログ村 その他生活ブログ 人間関係へ

にほんブログ村



最新の画像もっと見る