最近、ストーカーや迷惑メール、黙秘権、プライバシーの権利、守秘義務などに様々な規則が出来ているが、場合によっては日常的な人間の動作
や考え方までも意図を超えて秘匿したり見えなくするので、同調したり真似て合わせる事が難しく、過去の考えや動きの情報と印象や状況が異なるような乱雑な環境雑音や昔とプロセスが異なっている事がある分業して高度化した特殊な状況に大抵いる他人の事を良く考えるという事が物理的な障壁により事実上不可能である状況、そもそも必要な人数が少数である事などで人づきあいは上手くは出来ないと考えられる人が増えている。
問題の解消を試みた事があったのだが、付き合いが無いのが異常な状況と定義されていて、その解消手段を試みることこそが弱者で異常者である事の証となりうるのを把握し、問題を回復できないようにしただけに終わった。
幼少期から成人になるまで、
「自分が好きになる人の事を考えてみれば人の気持ちがわかるでしょ」
と親や先生に言われた時に、明らかに相手のイメージと異なる人間を自分が思い浮かべていた事が解っているが、それが解釈が離れて取り返しがつかない場合がある原因の様な気がする。
そこに対して相異や疑問を呈するのはコモンローの精神を持ちえないことと同義であって、それが発生すれば精神異常のカテゴリーに収まってしまう。
青空文庫のアイヌ神謡集で有名な知里真志保の「えぞおばけ列伝」には以下の物語がある。
えぞおばけ列伝
知里真志保編訳
樺太に,「トイポクンオヤシ
(9)」(地下のおばけ)というのがいて,名のとおり地下にひそんだまま決して姿を見せない.簡単に「トイポクンペ
(10)」(地下の者)ともよぶ.林野を女が歩いていると,行く手に
忽然として地中からキノコ
様のものが現われて,ホタリホタリ
(11)している.その時すこしもあわてず前をまくって,
エアニ パテッ お前さんのだけが
チイ エコロ? 立派だというの
チョーカイ カイキ わたしのだって
ポッ チコロホ
負けないわよ!
エオチウルスイ チキ したいのなら
ウコオチウアン
しましょうよ!
と言って,その所作をまねると満足して退散する.これは相手が男性のトイポクンペの場合だが,相手が女性のトイポクンペなら,カラス貝
様のものだけ地表に露わして,オヘッラヘラ
(12)させているものだという.その場合は多少文句を変えて,
エアニ パテッ おや,すばらしい
ポッ エコロ? しろものだな
チョーカイ カイキ だが,俺のだって
チイ チコロホ
負けやせんぜ
エオチウルスイ チキ やりたいなら
ウコオチウアン
やらかそうじゃないか
と言いながら,その所作をまねると,大いに満足して退散するという.
今やると変態行為の様だが、その当時のアイヌはそれほどには悪くないもののように感じているようだった。
人は場所や場合によって考えが違っていることがどのくらいまで許されるのかわからないが、確かに違うことは事実であって、同じである前提が人間の感性として広く正しいのも事実であり、広く許されることはほとんどないとみるべきだと思っている。
最近思いついたのだが、成人の20人に1人は不眠症であって、100人に1人は統合失調症や躁うつで、40人に1人はうつ病であるとき、不眠症の人のうちの半分以下くらいが心療内科や精神科に行くわけで、もし、精神科に行った時に統計データに合致するように診断するとしたら日本のかつての診療では精神疾患の症状にはあるが単体での病気のないことになっている不眠症というものに新しい治療の研修を熱心に受けに行っているわけではない医者が診断してくれる可能性は皆無だと思った方が良いのではないかと最近思っている。
新型うつという病気もほとんどありえないと思った方が良いと感じる。
かなり多くの医者のように情報が連絡できずに、そのまま状態が温存されているような状態は友人関係やお見合いの習慣などに数多くあるが、気がついて独自に解消を試みた人物というのはかなり少ない気がするのだがそういう報告を時々聞いてみたい。
最近、数学の問題と素因数分解の関係を少し考えてみたくなっていて、ある程度の簡単な規則や定理を使う問題でも、量や使う組み合わせが増えると制限時間内に解答を書ききれなくなる場合がある可能性というのがあると思う。
スーパー四川省というゲームで自分が測ってエクセルにまとめてみようと思っているのだが、初級の問題で3分52秒から1分12秒まで開きが出ており、自分のも他人のもテストが時々怪しく感じてしまう。