Zen禅

心理学に基づく坐禅の研究-心の風景を眺め、流れていく気持ちの音を静かに聴く(英訳)

Ratio of brain & body脳と体の比率

2021-07-20 | 坐禅

脳が体を支配するのか。

Does the brain control the body?

体が脳を支配しているのか。

Or the body controls the brain?

 

その境を明確にしたいと思っているのだが、

簡単ではない。

It is not easy for me to distinguish the line in between

although I want to.

 

私はこの2~3ヶ月の間、

体の運動神経を覚醒させることに集中している。

For these couple of months,

I have been focusing on awakening the motor nerves of my body.

究極的に、思い描いたイメージを体が正確に再現できることを

目標においておこなっている。

The alternative goal is to be able to replay accurately

the image I draw in my mind.

 

不思議なことに、体の筋肉が伸びる切って、

それ以上伸びる余分が無くなると、

考えを断ち切ることができることだ。

Curiously, when my body muscles are fully stretched

and there is no length to stretch out,

I become able to cut off my thoughts.

 

その境地は坐禅を行う際に、

雑念を振り払った後の

真に無念になった瞬間に極似している。

The sequence is extremely resembling the moment that

reaching the status of non-thinking

by cutting off useless thoughts

when performing Zen meditation.

 

勿論、私は未だに

全ての体の筋肉を伸ばし切るまでは程遠いレベルだが、

簡単に動かせる腕の筋肉だけの例を取っても

その類似体験ができるから、

まさに体は不思議だと感嘆している。

Needless to mention,

I am not able to stretch out all the muscles of my body yet

but still, I am astonished at the wonder of the body

because you too can have a similar experience

by using arm muscles which easy to move to take an example for it.

 

人の中では病気や疾患などで

体の使いに不自由している人がいる。

Some people are physically handicapped

due to illness or disease.

そのような体の運動神経が不自由に制限された人でも、

指の筋肉とか手の裏の筋肉を極限に伸ばす試みはできる。

Even those people whose body motor nerves

are unfree and limited to move

can try to stretch maximum

the muscles of their fingers or palm of the hand.

 

もし、ある人が手や足も自由に使えない状態なら、

目のあたりの筋肉とか口のまわりの筋肉を

最大限に使う努力はできる。

If someone is unable to use hands or feet freely,

even though he or she can make an effort

to maximize muscle mobility around the mouth and eyes.

 

自分の体で『今できる』ことを探し、

部分であっても、その部分の運動量を最大限に

伸ばそうとする努力をすれば

私が言っていることに共感できるだろう。

If you look for 『what you can do now』with your body

and try to maximize the quantity of the muscle movement

even it is part of the body,

then you will sympathize with what I am saying.

その過程で、多少の痛みや怪我の恐れは付きものだが、

それらにめげずさらに挑戦すると、

筋肉最大限の伸び感を持てる。

In the process, there is a risk of injury get some pains

but if you overcome afraid and challenge further,

you can feel the fully stretched muscles.

 

その境地に辿ると、

坐禅の目指す無念の状態を

体に覚えさせることができる。

When you reach this point,

you will be able to let your body memorize

the state of non-thinking level that

Zen meditation is aiming for.

 

体を頻繁に使えていない人は

その使えていない分の余分なエネルギーが

考えや想いに割り合っていく。

For people who do not use their bodies often,

the left-over energy without being used in the body

changes to the proportion to think or longing for something.

そのエネルギーが新たな創造に向いていないと

過去に有ったことや解決されてないトラウマなどに

執着することになる場合がある。

If that energy is not toward creating a new,

sometimes it happens to stick with episodes that

happened in the past

or the PTSD that unfinished business.

 

そのように、脳が優先的に働くと

脳の中での運動量が増えて考えが先走る。

In that way, when the brain works priority

and mobility energy increases,

the thinking goes ahead.

なので、雑念を切ろうとすればするほど、

さらなる考えを増やすはめになる。

Therefore, the more you try to cut off useless thoughts,

the more thoughts you need to think in advance.

 

考えは考えで断ち切ることはできない。

Thoughts cannot be cut off by the thought.

幸せな想い出も辛いトラウマでも

脳の中だけでは巡回するだけだ。

The happy memories and painful PTSD,

they just go around in the circle in the brain.

 

体は今を生きていながら、

脳だけ過去に住んでいるような状態だと

言えるかも知れない。

It is likely to say that

the body is living in the current present,

but the brain only lives in the past time.

 

理想的には、脳を使う比率と体を使う比率の均衡が取れて、

バランスを保つ状態が健康的で実利的だと思う。

Ideally, take a balance between the ratio of using brain and body,

will bring profit and mental health.

 

脳と体がどちらも優先的な優位を取らず、

体がやろうとすることを脳が導き、

脳がやっていることを体が再現できる、

この状態を目指すことが人にとっての尊厳性かなとも思う。

I guess human dignity would be,

the aspiring such as brain guides body

to accomplish what the body tries to do

and the body replays what the brain ordered,

neither the brain nor the body dominates the priority.

 

 

 

 

 


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22 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (朱夏)
2021-07-20 11:03:45
我々はどんな神秘の糸で繋がっているんでしょう。
これは、まさに私が求めてた問いの答えです。
なぜ「これを表現しよう」と踊るほど、その表現から離れていくのか。
そして、「無心に動くだけでは、なぜ表現が足りないのか」。
すばらしいダンサーは、体を極限まで使って、そこに表現が生れています。
(体が鍛え上げられている、ということが前提条件ですが)
私がどこまでできるかは、私の人生そのものです。
いつもありがとう。あなたの深い洞察と豊かな知性に感謝します。
返信する
Unknown (ZIP)
2021-07-20 12:47:42
人が歩こうとするためには足を前に踏み出す必要があるわけですが、それより以前に、先ずバランスを崩さなければ足は前に踏み出せないわけです。
普通ならバランスを崩すことを敢えて意識はしないでしょうね。
バレエや武道も足元の地面が水平であればこそ意識しないでバランスが崩せるわけですが、もし足元が水平で無ければ意識してバランスを取ろうとするはずです。

さて坐禅はどうでしょうね。
返信する
Unknown (夏さんへ)
2021-07-20 12:53:31
>体を極限まで使って、そこに表現が生れています<
それが私が言いたくても、あえて書かなかったことです。
イメージの始発点が私と同じですね。
さすが、
来月が舞台ですよね。
燃えているのでしょう、きっと。
返信する
Unknown (ZIPさんへ)
2021-07-20 12:57:37
物理的なコメントですね。
均衡は不均衡でないと成立しませんよね。
バランスとアンバランスの間
それに、『息、生きる、間』があります。
それを動かすのが、舞いなのです。

坐禅は『息、生きる、間』を休止状態にする動きだと思います。
アンバランスをバランスにもっていく、ことですかね。
返信する
Unknown (閑斉)
2021-07-20 15:24:34
自分で考えていると思っても、それは脳が考えた結果で自分ではないという思いがあります。
自分の行動は脳の指令によるというのがゾンビ哲学というらしいです。
若い時分から、人間の思念ってどこでえ生まれているんだろうと思ったいます。
こんなことを考えようと思わないでも勝手に脳が考えている場合があります。

体の筋肉を一杯に伸ばすと無念の境地になって脳が勝手に考えることもなくなる、ということでしょうか。
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Unknown (ZIP)
2021-07-20 22:56:48
余計なお世話でしょうけど、敢えて坐禅を噛ませるのであれば、記事のタイトルは concept of brain and body の方が良さそうですね。
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Unknown (ZIPさんへ)
2021-07-21 13:25:55
FacebookでもControl でなくConductのほうが合っているとのコメントがありました。
Conceptもそれなりに合っていますが、
なにせ、題名は間接的な要素なので、不具合ですが、
そのままおくとします。
それにしても、少し無理して坐禅を噛ましたことは
もうバレバレでしたね。
返信する
Unknown (閑斉さんへ)
2021-07-21 13:34:38
ゾンビ哲学もあったのでしたね。
面白そうですね。

というか、一本の筋肉が伸びる限界があって、
それが最大値に達した瞬間に
脳の神経伝達物質がその筋肉に注意を向けるようになり、
その結果、脳があっちこっち飛ばし、飛んでしまう運動量が減るということです。
それが体の大きな面積の筋肉だと、まあ、考えが止りましたね。
あくまでも個人の体験ですので、あてにならないと思います。

なのに、ブログに取り上げたのは
考え方の他の視点、もあるとのことですかね。
返信する
Unknown (ZIP)
2021-07-21 19:03:34
【Ratioid】id quod apprehendit intellectus de significatione alicuius nominis
返信する
Unknown (Unknown)
2021-07-21 22:32:26
訂正
【Ratioid】→【Ratio】
返信する

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