はせがわクリニック奮闘記

糖質制限、湿潤療法で奮闘中です。
パーキンソン病にはグルタチオン点滴を
癌には高濃度ビタミンC点滴も施行中です。

牛飲馬食

2013年06月29日 | お酒
昨夜は妹が帰熊したので、由真の国体出場決定のお祝いも兼ねて、焼き肉屋”大盤振舞”に行きました。
T君と、近所に住むB社のNさんも参加して来ました。
私は例によって、ラム肉2Kgを持ち込みましたが、全員でみごとに完食し、さらには、タンやホルモンやセセリなどを追加注文しました。
飲み物は、ビールで乾杯した後に、前回飲み残したジョニ黒1000ml瓶の半分と、新たに700ml瓶1本を用意したのですが、
これも途中で飲み上げてしまいましたので、それぞれが、焼酎やワインに走る必要に迫られました。
まさに、”牛飲馬食”と表現せざるを得ないような状況でした。

由真ですが、私達と、隣のテーブルの常連客達に、”国体出場オメデトウ!”と拍手されて、照れくさそうでした。
由真と妹に背比べをさせたのですが、由真の勝ちでした。165cmに到達したようです。
体重は、測るまでも無く、妹の圧勝でしょう。

2年前の6月に初めてゴルフに連れて行った時には148cm、38Kgでした。
ここまでは、身長もゴルフスコアの伸びも順調です。

父子鷹

2013年06月28日 | 読書


私が中、高校生の頃、テレビで”オヤコ鷹”という連続時代劇ドラマが放送されました。
少年期の勝海舟とその父親である勝小吉が主役でした。
内容は覚えておりませんが、とても面白かった記憶があります。

この本の、”氷川清話”は勝海舟が、序盤では、その生い立ちや、幕末から明治維新までの活躍の自慢話を書いたものです。
中盤以降は、自分が接した多くの人物(50名以上)を上から目線で評価しています。
さらには、会ったこともない歴史上の人物まで評価しています。
実践的な行動力に優れていたことは確かでしょうが、自慢が鼻につきました。
ただ、江戸っ子のべらんめえ調の文章は、口語体で、楽しめました。

しかし、なんといっても面白かったのは、勝小吉の自伝である、”夢酔独言”です。
42歳になった小吉が ”男たるものは、決して俺がまねをばしないがいい。
孫やひ孫ができたらば、よくよくこの書物を見せて、身のいましめにするがいい。”
 という考えから著した自伝です。

6歳の時に旗本勝家の養子となり
7歳の時に他家の子供との喧嘩の罰として30日間座敷牢に入れられます。
13歳で最初の家出するも3ヶ月で帰宅。
20歳で再び家出し、帰宅後は座敷牢に2年以上入れられます。
柱に細工をして、いつでも脱走できる状態でありましたが、心機一転を計るため、あえて留まり、読書にふける毎日を過ごします。
その後、剣術や柔術の腕っぷしと、弁がたつことを活用して有名人になっていきます。
なんというか、清水の次郎長的な、頼りにされるし、世話も焼くという人物像が頭に浮かびます。
小吉と海舟に共通する才覚は経済に明るかった点です。
小吉は青年時代から刀剣の目利きとなり、売買で儲けていきます。
とにかく破天荒な少年が、そのまま大人になり、才覚を発揮していく様が正直に書かれていて、感動しました。

上通りレンガ亭

2013年06月25日 | 木曜会




昨夜は木曜会がレンガ亭で開催されました。
ヒレステーキ200gにセットメニューを付けて、私はチリ産の赤ワインを頂きました。
店は月曜日にもかかわらず満員で、人気の高さが窺えました。
私にとって200gはチョットきついかなとも思いましたが、結果は楽勝でした。
おいしい肉を、おいしくいただけるようになって幸せです。

二次会は先月と同じく、”クラブ春さくら”という、きれいなオネエチャン達の店に行きました。
先月、私に付いた娘を覚えていたので、Mちゃんを指名、久方ぶりに同伴出勤の約束を交わしました。

その後、かなりの泥酔状態でしたが、なんとか、”KON’S”まで辿り着きました。
しかし、記憶は虫喰い状態です。業界用語では、”まだらボケ”と言います。
ジャズではないBGMが流れていたことくらいしか覚えていません。

今朝は、自分でも分かるくらいに酔っぱらっていました。
おまけにステーキのニンニク臭付きです。
久しぶりにブレスケアのお世話になりました。

今12時過ぎですが、完全にシラフに戻っています。
毎度のことですが、頭痛も吐き気も無く、ただただハイテンションがしぼんでいくという形態で醒めてしまいました。
今夜はボウリングですが、T君が参加して来たならば、一杯やって帰ることになるのかも知れません。

日曜当番医

2013年06月23日 | 仕事
今日は8ヶ月から10ヶ月に一度回って来る日曜当番医です。
朝9時から午後の5時までですが、とにかく暇です。
今午後の3時過ぎですが、まだ12人しか診察していません。
インフルエンザと感染性胃腸炎が5人ずつくらいでしょうか。
暇を利用して、アマゾンのmp3ショップに”softly as in a morning sunrise"で検索をかけて、1000曲以上をざっと試聴して
9曲をダウンロードしました。
これで、私は49人が演奏する同曲をストックしたことになりました。
最近はi-Tuneから曲目別の詳細検索ができないので(スキルが無いだけかも知れませんが)、アマゾンに鞍替えしました。

お昼前から小雨が降り始めて、2時頃にはシトシトとした降り方に変わりました。
朝は降っていませんでしたので、ゴルファーは皆スタートしたはずです。
途中でレインウェアを着ることを余儀なくされたでしょう。
内心、今日が当番日で良かったと思っています。

今、4時で、16人目の診察を終えました。
実は、朝から、スタッフと、患者さんが何人来られるのかの賭をしています。
13,14,15,16,18人に、それぞれが掛けました。
私は16人に掛けましたが、もう無理かも知れません。

おっさん達の酒盛り

2013年06月21日 | お酒
昨日はこれといった理由も無く、T君と、B社のNさんと、O社の I さんとの4人で、焼き鳥の、”たば鳥”に集まって酒盛りを始めました。
T君は10Kgの減量に成功したとはいえ、181cmで76Kg。
Nさんも6Kg減量したとはいえ178cmで77Kg。
Iさんは183cmで73Kgと、皆、堂々たる体格の中年おっさんです。
その体格の酒飲みおっさん4人が乾杯して飲み始めました。
私が用意したジョニ黒1リットルも順調に空になり、三岳の一升瓶を追加でキープして、全員が気持ちよく酔っぱらいました。
焼き鳥も全員が10数本を食べました。
私もワリカン負けをせずに、最後まで食べきりました。

Nさんは会社の上司と、この、”たば鳥”には何度か来たことがあるそうです。
さらに、この前、私が、”KON’S”に行ったところ、そこに偶然Nさんが居合わせました。
そしてNさんの住まいは尾ノ上で、由真の父親が経営する焼き肉屋、”大盤振る舞い”にも行ったことがあるそうです。
世の中が案外狭いということは承知していましたが、これほどマイナーな店でカブルのは考えられません。
もしかして、Nさんは、見さかい無く様々な店に出入りしているのかも知れません。

最初に、”これといった理由も無く”と書きましたが、撤回します。
理由はちゃんと有りました。
それは、全員が、”すこぶる付きの酒飲みだ”というものです。

誕生日

2013年06月20日 | 日記


昨日は私の62回目の誕生日でした。
せっかくですので、いただいたバースデーケーキを少しだけ食べたのですが、そのチョコレートと砂糖の甘さは甚だしく、
こんな物を常食していては健康でいられるはずも無かろうと実感しました。
90分後に低血糖による空腹感に襲われましたが、想定の範囲内ですので、唐揚げを食べてクリアーしました。
私は死ぬまでケーキが食べられなくても全く問題有りません。

最近、世の中から消えてしまっても構わないと思っている店を列記します。
そば屋、うどん屋、ラーメン屋。
パン屋、ケーキ屋、万十屋。
カレー屋、牛丼屋、パスタ店。
菓子屋、あられ屋、せんべい屋。
寿司屋、果物屋、定食屋。

糖質制限が必要な、お年寄りの患者さんには、パンやケーキは食べないけれども、万十や果物をやめられないという方が、
多数見受けられます。
そういう患者さんに私は、こう言うことにしています。
”いろんな種類の万十が売ってあるけど、万十に名前は要りません。みんな毒万十です。”
”くだらない物ばかり売ってあるから、くだ物屋です。”

祝・村上由真・国体出場決定!

2013年06月19日 | 由真ネタ
国体の熊本県ジュニア代表を決める試合が6月15,16日にグランドチャンピオンゴルフクラブで開催されました。
熊本県男子ジュニアの指定強化選手8人が3名の枠を争いました。
由真は初日の降りしきる雨の中を、フルバックからのロングディスタンスを物ともせず、75にまとめて、トップタイで終えました。
ところが2日目に試練が待っていました。
OBもありましたが、ドライバーのナイスショットが、名物ホールのフェアウェーセンターにある木の真裏に止まるなどの不運が重なって、
前半で7オーバーを叩いてしまいます。
そこで、一旦は、あきらめたのですが、後半はなんとかパープレーでしのぎ、終わってみれば79でした。
そして、二日間のトータル154で、なんと最強の中学生ライバルであるシンチャンに1打差をつけて3位に滑り込んでいました。
みごとに熊本県代表の座をゲットしたのです。

次は九州・沖縄地区予選です。
7月の17,18,19日に福岡県の名門、古賀カントリークラブで開催されます。
8県の代表24人が集い、ベスト5に入れば、決勝開催地である東京への切符が手に入ります。
おそらく23人は高校生で、中学生は由真だけだろうとのことです。

村上由真、身長164cm、体重46Kg、14歳の夏、輝いています。

ただの人

2013年06月18日 | 糖質制限食
2ヶ月ほど前からB社のNさんが糖質制限に参加してきました。
そして6Kgの減量に成功したそうです。

先週末に血液検査を施行しており、今日は結果を尋ねて来院されました。
結果ですが、ケトンは正常値の下限に近く、全く増えておりません。
中性脂肪も180台と高いので、糖質制限を実行しているとは、とても思えないようなデータです。
肝機能、腎機能、コレステロール、糖尿、貧血など、すべて正常で悪くはないのですが、糖質制限中のデータではありません。
私は彼に、”悪くはないけど、ただの人だ。糖質制限を実行していない、ただの人だ。”と言いました。
自信満々で来院したNさんは、あわてふためいて、天ぷらがいけなかったのかな、ハムカツかな、ビールかななどと、思い当たる点を次々に列挙し始めました。

そんだけ喰ったら、ケトンは増えていかないよと指摘しましたが、Nさんは、”でも、6Kg痩せたのは事実です。”と食い下がります。
結局、痩せたのは、糖質をユルユルではあるが制限したせいで、総カロリーが減った結果だという結論に達しました。

Nさんよ、今まで、どんだけ糖質を摂取していたんだっ!

82cm

2013年06月17日 | 健康
私は2年前にはウエスト88cmのズボンを、窮屈そうに履いていました。
そして糖質制限によるダイエットに成功して、昨年すべてウエスト85cmのズボンに買い換えました。
さらに今年はすべてのズボンをウエスト82cmの物に買い換えつつあります。
体重は64Kgから65Kgで安定しているのですが、ウエストだけが細くなっていくのです。
原因はゴルフ練習を始める前の準備運動にあります。

私は水泳部出身ですので、昔から、ボウリングやゴルフなどの運動前には必ず入念に準備運動を行う習慣がありました。
昨年の秋頃から、ストレッチに加えて、ロングブレスダイエットと軽い筋トレもセットでするようにしました。
その結果、ウエストの脂肪が胸や腕の筋肉に置き換わっていきつつあるようです。
還暦を過ぎても肉体改造が可能だということが分かってきました。
半年以上もかかっての緩やかな変化ですが、持続していきます。

ユニクロのCMで錦織圭選手が着ていたポロシャツが気に入って、ゴルフの練習用にと、同じ物を3着購入しました。
ユニクロのLサイズのポロシャツは、私のために作られたのではないかと思うほど、ジャストフィットです。
ただし、このシャツを着て、ゴルフや飲み方に行く気にはなれません。
誰かが同じ物を着てくる可能性が高いからです。

カミサンも、このシャツを着た私を初めて見た時に、”あっ、錦織圭だっ!”と叫びました。

老化防止

2013年06月15日 | 勉強会
昨夜はホテル日航で開催されたN製薬の勉強会にT君と出席しました。
新潟大学の循環器科教授である南野徹先生の講演で、テーマは”老化防止”でした。

ヒトの遺伝子染色体の端っこにテロメアと呼ばれる部分があります。TTAGGG3’の構造です。
細胞が新生するときにはテロメアはコピーされずに、消費されて短くなっていくそうです。
テロメアは再生されることも無く短くなっていき、やがては遺伝子を束ねる力が失われて、細胞の新生がストップするそうです。
このことからテロメアは命の回数券とも呼ばれています。

さて、最近テロメネースというテロメアを助ける酵素の研究が進んでいます。
そして、以下のことがらがテロメネースを活性化させることが分かってきました。
エストロゲン(女性ホルモン)、運動、禁煙、スタチン製剤(コレステロールを下げる薬)、ARB(血圧の薬)、アスピリン、などです。

また、インスリンが脂肪を老化させることも分かってきました。
脂肪細胞が炎症を起こすので心不全のリスクが高くなるそうです。

サーチュインという長寿遺伝子あるいは抗老化遺伝子とも呼ばれる遺伝子があります。
このサーチュイン遺伝子を活性化させるトランスレスベラトロールという物質が注目されるようになりました。
赤ワインに含まれるポリフェノール中にあります。
フランス人はチーズなどの脂肪分を大量に摂取するのに心筋梗塞で死亡する率がアメリカ人の1/3しかないそうです。
1990年ころフレンチパラドックスと呼ばれ、ポリフェノールを大量に摂取することが原因だと思われて赤ワインブームがまきおこりました。
マウスの実験では老化防止が観察されましたが、その実験で投与されたトランスレスベラトールの量は、人間の体重に換算すると
赤ワイン100本分だったそうですので、現実的には無理です。
また、フレンチパラドックスの正体は、フランス人がワインの飲み過ぎで、心臓病で死ぬ前に、肝臓病で死ぬからだと言う人もいます。

サーチュイン遺伝子は長寿だけでは無く、記憶にも関連していることが分かってきました。
レスベラトール製剤(サプリメント)は山田養蜂場、資生堂、ワダカルシウムなどの会社から販売されています。
記憶力が急速に失われつつある私は、ワラにもすがる想いで、ワダカルシウムに発注をかけてみました。
効果が確認できたならば報告します。

勉強会の演題は、もう一つあったですが、その序盤でT君に、”面白くないから、早引けして飲みに行きましょうよ。”とそそのかされ、
即、賛成してしまいました。
居酒屋”二貝”で私はジョニ黒を、T君は種子島の焼酎である、”三岳”をガブ飲みしました。
どうやって帰ったのか、全く記憶がありません。
次回は、赤ワインのガブ飲みで、記憶がどうなるのか試してみます。


日向鈴子

2013年06月13日 | 読書


ミヤコ蝶々の本名は日向鈴子で、昨年、テレビの連続ドラマで、”鈴子の恋”として、その半生が放映されました。
私も、連ドラ予約で録画して楽しく視聴しました。
ミヤコ蝶々が南都雄二と二人で司会をするテレビ番組であった、”夫婦善哉”は私も子供の頃よく観ていました。
糖尿病の末期で、やせ衰えた南都雄二の姿も、よく覚えています。
”夫婦善哉”の放送は私が24歳の頃まで続いたようです。

ミヤコ蝶々は親の指導のもと、7歳で旅回り一座の座長となります。
小学校に通うことはできませんでしたので、蝶々はひらがなの読み書きがやっとで、漢字は読めませんでした。
後年、台本を読む必要に迫られた時には、弟子である鈴夫君に、”これ、何という字?”と何回も聞かねばなりませんでした。
それを見ていた周囲の人達が、鈴夫君の名前が、”ナントユウジ”かと勘違いしたことから、鈴夫君の芸名が南都雄二になった
そうなのです。

蝶々の母親は継母でした。
実の母親は離縁された後に再婚しますが、また離縁されたそうです。
そのことをふまえて、蝶々は以下のように書いています。
娘の私も、またしかり。いわば『捨てられ筋』とでもいいましょうか。あまり、いい筋とはいえません。が、なにかの因縁ごとだと思われます。
蝶々も最初の結婚相手の三遊亭柳枝にさんざん浮気されたあげくに離婚します。
そして二人目の夫となった南都雄二にもさんざん浮気をされ、女に子供ができたことから、離婚を余儀なくされます。
この時の南都雄二の言葉が秀逸でした。
「あんたは、捨てられっぷりのええ女や。男が安心して出て行ける。不思議な人やなァ・・・・・・・
そもそも女は、俺が捨てたら、この女、どうして生きて行くのやろ、と男がどことなく気になって捨てにくい、つまり、か細い女でなくては・・・・・・色気と女の憐れさがないなァ」



I さんのベスト更新

2013年06月12日 | ボウリング
ラウンドワン田崎店9番レーン
まず1ゲーム目は、13ポンドの球でサムレス投法(親指を入れない投げ方)にチャレンジしました。
ガター1、ガター5,ガター1、ガター8で始まり、結局はガター5回で75点でした。
2ゲーム目はやはり13ポンドの球でローダウン投法(回転数を上げる投げ方)にチャレンジしまし、結果は184点でした。

この夜はN社の I さんが参加されました。
当初の計画では最初の3ゲームは、様々な練習投球に使い、後半の3ゲームだけは点数を取りにいく予定でした。
しかし I さんの隣で、いつまでもチンタラと投げるのも気がひけますので、3ゲーム目からメカテクターを装着し、
15ポンドのボールにチェンジしてピンを倒しにいきました。
4ゲームの結果は、231,226,222,231、TOTAL:910 AVE:227.5
ストライク率は29/45で64.4%、ミスは1回、割れが4回(1回はクリアー)でした。
なかなかの結果ですが、9番レーンだけを使用したヨーロピアンですので、参考記録でしかありません。

どうにも調子の上がらなかった I さんですが、最終ゲームに事件が起こりました。
私も I さんもストライクスタートだったのですが、私の2フレ目はスペアに終わりました。
そこで私は I さんに言いました。
”ストライクが出たからと安心してはダメですよ! 私は、ヨシッ、ダブルにするぞと思って投げてるんですよ!”と。
I さんの2フレ目はストライクでした。そこで私は更に言いました。
”ストライクが続いている時は、もうイッチョ来い、もうイッチョ来いと欲をかき続けて下さい。”と
I さんのストライクは5フレまで続きました。
私は I さんに過去のベストスコアを尋ねたところ、200チョイとのことでしたので、ベスト更新の大チャンスです。
”どこまでも欲をかいて、ストライク欲しさのスケベ顔で投げて下さい。”と私は言いました。
I さんの6投目も、なんとストライクでした。1フレからの6連発です。
I さんは、7フレこそスプリットオープンにしたものの、8フレできちんとスペアを拾い、9フレから更にダブルを持って来て、
終わってみれば243というハイスコアでした。
私も3フレからの6連発で一旦は逆転したのですが、9フレのスプリットで追いつかれ、 I さんの9フレからのダボで
逆転されてしまいました。
それでも10フレでダボを打てば再逆転のチャンスだったのですが、果たせませんでした。

マイボール、マイシューズを購入して、半年くらいでの243は立派です。
今後が楽しみですし、7月に開催される当院のボウリング大会でも期待できそうです。


 

修猷館対済々黌の野球定期対抗戦

2013年06月10日 | 同窓会




6月8日の土曜日に済々黌のグラウンドで開催されました。
二十数年前に始まった定期戦ですが、毎年、この時期に、互いのホームグラウンドを一年ごとに訪れるという形式で開催されます。
三塁側の応援席には博多から駆けつけた修猷生の父兄30名ほどが、お揃いのTシャツを身にまとい声援を送ります。
そのTシャツには修猷館のロゴと、修猷館の徽章である六光星がプリントされています。
私達が現役の頃には、父兄の応援など殆どありませんでしたので、私には異常な光景のようにも見えますが、最近では当たり前
なのだそうです。
私と、前会長の今村潔先輩は、熊本修猷会の法被を着用して応援しました。
卒業年度と名前もプリントされている代物ですが、父兄に珍しがられて、写真撮影のポーズをとらされる羽目になりました。
その修猷館の野球部OB会の会長は、なんと、一年後輩の眞鍋治彦君でした。
熊大医学部出身ですので、学生時代からよく知っている男です。
現在は北九州市立医療センターで副院長をしているそうですが、麻酔科を専門とし、熊本にも講演などで時々来るようですので、
一緒に飲みに行くチャンスを狙ってみるつもりです。

さて試合の方ですが、済々黌の先発は昨夏と今春の甲子園でおなじみのエース大竹君でした。
初回の修猷館の攻撃は3者3振だったのですが、内容が悪く、3人とも大竹君の球をバットにかすらせることもできませんでした。
6回まで終わって、フォアボール1個にデッドボール1個だけのノーヒットに押さえられました。
しかし修猷館のエースもピンチはあったものの6回まで0点に抑えましたので、なんとか接戦という形には持ち込むことができました。
そして7回に修猷館待望の初ヒットが生まれました。
それまでは、三振かボテボテのゴロかポップフライの山で、まともな当たりは皆無でしたので、ノーヒットノーランを心配していたのです。
しかし結果的には、このヒットがこの日の唯一のヒットであり、唯一の、まともな当たりでした。
済々黌は7回に連打で2点を入れて試合を決しました。
2対0という結果以上に、実力差を感じさせられる試合でした。

”ノーヒットノーランでなくて良かった。”というのが本音です。

亜鉛欠乏症

2013年06月05日 | 医学
今日はネットで、”亜鉛欠乏症のホームページ”を開いて勉強しました。

長野県の民間診療所に勤務する倉澤隆平医師が2002年に或る患者に出会ったのが、そもそもの始まりでした。
元来、精神発達遅延の73歳男性です。
ベッド上に寝たきりで、周囲に全く無関心で意識レベル低下、拒食のために胃瘻(いろう:腹に穴を空けて、食物をチューブから直接胃に流し込む手技)設置、
難治性の褥瘡(床ずれ)など、意識ある植物人間とでも言うべき状態でした。

拒食に対して倉澤医師は亜鉛不足による味覚障害を疑い、亜鉛が含まれた胃薬であるプロマックDを朝、夕に1錠ずつ処方しました。
また、血中亜鉛濃度を定期的に調べてプロットしていきました。
2週後に褥瘡が治癒。
5週後に、徐々に食事を摂取し始め、
2ヶ月で食事をどんどん摂りだしたので
2ヶ月と10日後に胃瘻を抜去、きざみ食を全量摂取
3ヶ月後には元気度も改善、表情も出てきて精神的にも落ち着き、簡単な会話も可能になり、歌も歌い始めました。

この症例から倉澤医師は、亜鉛欠乏症を改善させてやると味覚障害だけでは無く、様々な症状が回復するのではないかと推理します。
その後、数回にわたり長野県内のいくつかの地域で、住民の血中亜鉛濃度を調べて、様々な疾患との関連性を考察しました。

分かったことは、長野県民の血中亜鉛濃度の平均が基準値よりも低いということでした。
そして、亜鉛不足は高齢者になるほど増えてくることも分かりました。

以後現在に至るまで、亜鉛欠乏症が疑われる患者250人に倉澤医師はプロマックDを処方しました。
その結果、明らかな著効が得られた病名を頻度順に列記すると、
食欲不振、褥瘡、元気度の低下、味覚障害、舌咽頭症状、水疱性皮疹、アフタ性口内炎、角化性皮疹、口角炎、貧血、慢性下痢、嗅覚障害などです。

私も、上記のような疾患や、不定愁訴が多彩な患者さんに遭遇した時には、プロマックDを試してみるつもりです。
ただし、問題点もあります。
プロマックDは胃潰瘍以外の病名では保険適用にならないのです。
倉澤医師は長野県側と話し合って、亜鉛欠乏症の病名でプロマックDを保険適用にすることに成功しました。
しかし、日本では長野県だけのローカルルールです。
一錠が37円の安価な薬ですが、どうしたものでしょうか?
この薬だけ実費で売ることは、混合診療となるので許されないのです。

泥仕合

2013年06月03日 | ゴルフ
昨日は阿蘇グランヴィリオを、妹と、T君と、KON’Sのママの吏菜ちゃんとの4人でラウンドしました。
全員が絶不調の泥仕合でしたが、結局、妹が優勝、2打差で私が2位、さらに2打差でT君が3位、さらに3打差で吏菜ちゃんが最下位でした。
スコアですが、妹から、見苦しいのでアップするなという指令が入りましたので、従います。
見せ場らしきシーンもありませんでしたが、しいて言うならば、10番での吏菜ちゃんのティーショットでしょうか。
ビールを補給して開き直ったのか、素晴らしいドローボールで240ヤード近く飛びました。
短いミドルですので残りは100ヤードくらいです。
しかし、残念ながらそこからグリーンに乗せるのに3打を要し、結局は、4オン2パットのダボに終わりました。
この日の吏菜ちゃんのズタボロ状態を象徴しています。
昨日はT君の車(トヨタのプラド)一台に4人乗りで行ったのですが、帰りは、”大盤振る舞い”に寄りました。
健軍自衛隊のそばの尾上にある由真の父親が経営する焼き肉店です。
行くと由真が店を手伝っていました。
ジョニ黒の1リットルボトルを2本用意しておいたのですが、なんと4人で1.5リットルを飲んでしまいました。
私達3人が大酒飲みであることには自覚がありましたが、思いがけなかったのは、吏菜ちゃんも同じ穴のムジナであったことです。
いつも、酔っぱらってKON’Sに押しかけて、そこでベロベロに酔うということを繰り返していましたので、なんだか、ホッとしました。
また、このメンツでリベンジマッチを行うことを約束して、楽しかった一日が、お開きとなりました。