はせがわクリニック奮闘記

糖質制限、湿潤療法で奮闘中です。
パーキンソン病にはグルタチオン点滴を
癌には高濃度ビタミンC点滴も施行中です。

13ポンド

2013年05月29日 | ボウリング
昨夜はラウンドワン田崎店でボウリングの練習しました。
この日は、新たに練習用として作った13ポンドの球をデビューさせました。
右肩を野球のピッチャーのように開く、”オープンバック”という投げ方を練習するためです。
当然ながら、コントロールはバラバラで1ゲーム目は130に終わりました。
それでもめげずに、大きなスイングで走らせるという目標に向かって努力を続けました。
4ゲーム目から15ポンドにチェンジして、5ゲーム目からはメカテクターも装着しました。
13ポンドを伸び伸びと投げたおかげで、スイングが大きくなり、タイミングも安定して、球が走るようになりました。
5ゲーム目、6ゲーム目を、それぞれノーミスの、246、231と打ち上げて終わりました。

今後も、最初の3ゲームはフォーム調整の練習とし、後半の3ゲームだけは点数にこだわるというパターンでいくことにしました。

冷蔵庫の入れ替え騒動

2013年05月28日 | 日記
昨日クリニックの2階に置いてある冷蔵庫が壊れました。
10年以上使ってきた物でしたので買い換えとなりました。
そして今朝、搬入作業が行われたのですが、大変でした。
階段が狭いうえに、手すりが両側に設置されているせいで、冷蔵庫が入りません。
スタッフが総出でネジ回しに奮闘し手すりを外し始めました。
(手すりは7年前に私が酔っぱらって右の腓骨を骨折した時に設置した物です。)
途中で、手すりを設置した工務店からの応援を仰いで、一気に取り外しが終了しました。
電動ドリルの威力と必要性を思い知らされました。

ようやく作業が終了した後で婦長が、”冷蔵庫の交換はこれで最後にしたいですね。”と言います。
私は、”大丈夫。冷蔵庫の方が俺の寿命より長いから。”と応えました。
冷蔵庫の寿命は10数年でしょうから、微妙かも知れません。

一昨年に、私の冬物のコートが虫に喰われて廃棄処分となりました。
26歳の時に購入した、ウールの一枚仕立ての上物で、35年間愛用したことになります。
そのコートの買い換えを考えたのですが、今度こそ、人生最後のコートとなることが確実ですので、なんとなく踏ん切りがつかず、
いまだに購入していません。

昨夕、婦長にVISAカードとヤマダ電機のポイントカードを渡して冷蔵庫を買いにやらせました。
帰ってきて保証書とVISAカードとポイントカードを彼女が私に返すのを他のスタッフも目撃していました。
しかし、昨夜からVISAカードとポイントカードが私の財布から消えてしまったのです。
保証書は院長室のコルクボードに貼ってありましたので、そこら辺で無くなった可能性が高いのですが、ありません。
財布をひっくりかえし、引き出しをチェックし、カバンをチェックし、診察室の机も調べましたが見つかりません。
婦長に受付け付近も探すように命じましたが、もちろんありません。
事態は、もう探す場所すら無いという深刻なものとなりました。
その時、私は、ふと、ひらめいて、婦長の白衣の右ポケットをチェックしました。
以前から婦長には何でも右ポケットに入れる癖があって、私のボールペンが無くなった時には、かなりの確率でそこから出てきました。
しかし、残念ながら今回は出てきませんでした。
婦長は怒鳴りました。”私を疑ってどうするんですかっ!先生こそポケットに入れてるんじゃないでしょうねっ!”と。
私は仕方なく両手でズボンのポケットと半白衣のポケットをさぐってみせて、そこに何も入っていないことをアピールしました。
さらに右手で左の胸ポケットをさぐったのですが、その瞬間、私は凍りついてしまいました。
婦長は目ざとく察知して、”あったんですかっ!あったんでしょっ!”と私に迫ります。
私は小さな声で、”すいません。ありました。ごめんなさい。”と応えるしか有りませんでした。


修猷館同窓会総会

2013年05月27日 | 同窓会
25年度の総会が5月25日の土曜日に、博多のホテル日航で開催されました。









去年で慣れてはいたものの、1300人近くがワンルームに集まると、やはり壮観です。

今年は趣向として、合唱部OBが壇上に勢揃いして、チョッピリマイナーな応援歌を歌いました。
その時に音頭をとられたのは90がらみの大先輩だったのですが、その凛として迫力のある声量には感動させられました。

今回もT君と一緒に来て、一緒に帰ったのですが、計画的にではなく、偶然でした。
私は、総会が7時からだと思い、4時頃の新幹線に乗れば楽勝だろうと考え、バスに乗り込みました。
私が乗るバス停は本数も豊富で、すべて熊本駅に行きます。
一方、T君が乗るバス停は本数が少ないので、待ち時間を嫌うならば、一駅歩く必要に迫られます。
ざっと、最初に来たバスに乗り込んだ私ですが、なんと、そのバスにT君が乗っているではありませんか。
彼は、前もって新幹線の往復切符(びっくりつばめ)の指定席を購入しており、どのバスに乗れば間に合うのかも把握し、一駅走って、
やっとそのバスに間に合ったのだそうです。そして総会は7時ではなく6時からでした。
T君は酒や糖質制限はユルユルなのに、こうした旅行の計画や時間には、何故か几帳面なのです。
私のアバウトすぎる点を、さんざん指摘されてしまいました。

そういえば、昨年ですが、私は東京からの帰りの便に乗り損なった経験があります。
羽田に着いた時には、私が予約した便は、とっくに飛び立っていました。
私が、出発時刻の14時半を4時半と勘違いしていたのです。
数時間の待機と数万円の追加料金を余儀なくされました。

さて、新幹線に乗り込む時に、T君は500mlの糖質ゼロビールを、私は250mlのお茶を買い込みました。
T君はつまみも用意していましたが、チョコビスケット系とカカオ75%のチョコレートでした。
ビールだけを糖質ゼロにする意味があるのでしょうか?
さらに、最初の停車駅である玉名に着く前に、500mlの糖質ゼロビールは空になっていました。
彼の辞書にはペース配分という単語が欠落しています。
一方、私は博多駅に着いた時点で、一口分のお茶を残していました。

総会が終了した後は、T君の同級生の紹介で、住吉のスナックへ行きました。
きれいなママが一人でやっている感じがよい店でした。
T君はブレンドウィスキーをロックで、私はアイラ島のシングルモルトを生で飲みました。
かなり酩酊してきてヤバイなと思った私は、T君に、”タイムキーパーをまかせるから、汽車に乗り遅れないように頼むぞ。”と言いました。
T君は、例によって、”大丈夫です。まかせて下さい。”と言い切りました。
しかし結果的には、私達が、予約した列車に乗り込めたのは、出発の1分前で、滑り込みセーフでした。
途中で、タクシーをすぐに拾えたし、そのタクシーがUターンしてくれたし、缶ビール選びもすぐに新製品に決定できたし、
つまみもゴチャゴチャとは買いませんでした。
そのうちの一つでも狂っていたならば乗り遅れていたはずです。
すぐに動き出した列車の中で、この奇跡的な滑り込みセーフを祝って、私達が乾杯したことは言うまでもありません。



オヤクソク

2013年05月23日 | T君ネタ
昨夜はB社主催の勉強会がホテル日航で開かれ、私もT君と出席してきました。
新しい抗凝固剤(血栓ができにくいようにする薬)がテーマでしたが、ワーファリン一辺倒の時代は終わりを告げようとしています。
この手の勉強会終了後には、隣室にバイキング料理が用意されているのがオヤクソクです。
いつもですと、乾杯をすませて、そそくさと居酒屋などに出かけるのですが、昨夜は、作戦として、バイキングをしっかりと食べて、
直接スナックへ繰り出そうということになりました。
私も満足するまで食べたのですが、目標とした、概算での1000キロカロリーには、まるで達していなかったでしょう。
ところがT君の食べ方には迫力がありました。久しぶりに”歩くポリバケツ”の実力を全開にしたのです。
途中でにぎり寿司に手を出すという反則技も交えて食べ続け、最後には山盛りのステーキを持ってきました。
私は、”大丈夫か?”と心配したのですが、なんなく完食したようです。
概算での1500キロカロリーを余裕でクリアーしたと思われます。
その実力は、よく知っていたはずだったのですが、久しぶりに再確認し、新鮮に感動しました。

その後、”KON’S”でゴルフの段取りを決めて、これまた私達のオヤクソクである、”ガウディ”にメタしました。
(メタとは癌が転移することなのですが、河岸を変えることを、私達の業界用語で、このように言います。)
そして、”ガウディ”に行った時のオヤクソクで二人とも泥酔して、お開きとなりました。

他人の上着

2013年05月21日 | 木曜会


昨夜は馬肉専門店、”馬桜”で木曜会が開催されました。
牛肉専門店にあるメニューのすべてが馬バージョンであります。
馬ヒレステーキ、馬サーロイン、馬タン、馬シャブシャブ、馬肉ハンバーグ、馬ホルモンなど、何でもありです。
牛肉と違って、脂質で、”うっ”とこないので、たくさん食べることができました。
ガンガン食べて、飲み放題の2400円をつけて、支払いは8500円でしたからリーズナブルです。

もう慣れましたが、木曜会のメンバーの食べっぷりは、相変わらず豪快です。
毎回、一次会の店のスタッフには、”あのグループはジジイのくせに、よく喰うなー!”と思われていることでしょう。
最近では、私も、その戦力の一員として貢献できるようになりました。

二次会は、”クラブ春さくら”で、久しぶりにきれいなオネエチャン達と会話しました。
そこで散会となったのですが、私は更に今藤先生を誘って、”KON’S”へと足をのばしました。
そこでも楽しく飲んだ記憶があるし、それほど酩酊してはいなかったと思います。
ところが、今朝、目を覚ますと、他人の上着を着て帰ったようなのです。
上着の中にあった名刺入れを頼りに、おそるおそる電話したところ、犯人は私でした。
その方がKON’Sから帰ろうとした時に、彼の上着は見あたらず、私の上着が残されていたそうです。
謝って、今夜、KON’Sに返しておくことを約束し、電話を切りました。

私は、どんなに酔っぱらっても、それほど失敗せずに、きちんと帰宅し、犬を散歩させ、シャワーを浴びて眠れるのが自慢でした。
この類の失敗は初めてです。
考察すれば、最近は犬がいないので散歩の必要がありません。
シャワーを浴びずに寝ることも、チョクチョクあるようです。
これは失敗というよりも、耄碌(もうろく)かも知れませんよね。

今月の血液データ

2013年05月20日 | 健康
5月17日の昼食はK製薬の勉強会で、十徳や弁当でした。
今回の採血は、それを完食した直後に実施しました。

まずは正常値を羅列します。
総タンパク:7.6 アルブミン:4.9 総ビリルビン:0.64 GOT:28 GPT:22 γ-GTP:33
ChE:333 CPK:112 中性脂肪:143 クレアチニン:0.72 尿酸:5.1 Na:145 Cl:103 
K:4.12 Ca:9.8 赤血球:443万 白血球:5000 血色素:14.4 血小板:19万 CRP:0.05
血糖値:124 インスリン:13.7 TSH:1.87 FT-3:2.9 FT-4:1.54

次に異常値を列記します。
総コレステロール:256 LDLコレステロール:187 尿素窒素:26.4
尿素窒素についてはクレアチニンが正常ですので腎機能障害では無く、肉(アミノ酸)の摂りすぎでしょう。

次に、総コレステロールの計算式を紹介します。

総コレステロール=HDL+LDL+1/5中性脂肪 なのです。

この式に今回の数値を当てはめると

256=HDL+187+(1/5)×143 ですので、

HDL=51となります。

一般的にはHDLを善玉コレステロール、LDLを悪玉コレステロールと呼びます。
HDLの下限値は40であり、LDLの上限値は139です

私のHDLはギリギリクリアーしていますが、悪玉コレステロールが高すぎます。
原因はケンタと唐揚げかと思われますので一ヶ月間、その二つをやめてみようと思います。

2013年05月19日 | 昔話
Mは高校2年の時の同級生でした。
身長が180cmを越える、がっちりとした体型で、私と彼がクラスでの体育委員の座や、通知表の体育の点数のトップを競い合いました。
私と彼とは親友というよりもライバルといった関係だったかもしれません。
記憶に残っているのは、その年の体育祭です。
二人で400m走に出たのですが、陸上部所属のスーパースターが優勝することが確実なレースでした。
ところが、スタートで飛び出したのは谷という秀才でした。(実際、彼は現役で東大に進学します。)
谷はスーパースターに臆すること無く、堂々と勝負を仕掛けたのです。
それを、”スゲーな”と他人事のように眺めながら、私は3位をチンタラと走っていました。
すると第3コーナーでMが、”コイッ、長谷川っ”と叫びながら私を追い抜いていったのです。
我にかえり、あわててMの背中を追いかけた私でしたが、追いつくことはできませんでした。
そして、そのレースは谷がスーパースターの猛追を振り切って優勝したのです。
谷やMと比べて、私には、”気迫”が足りなかったことを反省させられるレースで

その後、Mは立命館大学に入学し、ボクシング部のキャプテンになります。
Mが一度だけ熊本に遊びに来たことがあるのですが、真っ先に連れて行けと頼まれたのは九州学院高校でした。
最近は知りませんが、当時はボクシングの強豪校だったのです。
練習中だったボクシング部員に対してMは先輩のフリをして、リングを空けるように命令しました。
そして私にスパーリングをするぞと提案してきました。
”打つのは長谷川だけで、俺は防御だけだから大丈夫。”と言うのです。
生まれて初めて練習用の大きなグラブを付けてみたのですが、その軽さには驚かされました。
そしてMに向かってパンチを繰り出していったのですが1発も当たりません。
私はMに、”よけるな!打たせろ!”と叫びました。
するとMは私のパンチを顔で受け始めました。正確には顔では無くオデコです。
オデコにパンチを受けてもダメージは全く無いようでした。
1分で息切れし、1分半であれほど軽かったグラブが鉛のように重く感じられ、両手が下がってきます。
その時Mのジャブが私の顔面を捉えました。
”防御だけと言っただろうが!”と抗議したのですが、Mはジャブをやめません。
仕方ないので防御しようとしたのですが不可能でした。
何の前ぶれも無くジャブが伸びてくるので、避けようとした時にはMのグラブが私の顔面に張り付いているのです。
両手でガッチリとガードするしか無いのですが、こんどは防御の上からワンツーが打ち込まれてきて、吹っ飛ばされます。
結局、3分持たずにTKO負けとなりました。
この体験は貴重で、以後、ボクシングの試合でスタミナ切れで手数が減ったボクサーに同情を覚えるようになりました。

立命館を卒業したMは、一吉証券に入社しますが、そこに留まらず、海外青年協力隊に入り、アフリカへと旅立ちました。
私が知っているのはそこまでです。
修猷館の同窓会名簿などで調べるつもりですが、Mの消息をご存じの方があれば、是非、教えて下さい。

楢原元庸

2013年05月18日 | 昔話
楢原元庸(ナラちゃん)と私は中学高校を通じての同級生でした。
互いに母子家庭ということもあり、将棋を通じて仲良くなりました。
また、互いに3つ下の妹がいるだけの二人兄妹という共通点もありました。実際、互いの妹は修猷館で同級生となります。

ナラちゃんの祖父は内科の開業医でした。
西新界隈では有名で、九州場所の開催中に、当時の横綱であった大鵬から往診の依頼を受けたことがありました。
祖父は、”相撲取りならば体力があるから来れるはずだ。往診など必要無い。”と断ったそうです。
私も診察を受けたことがありますが、気骨あふれる紳士でした。

ナラちゃんの祖母は中学生相手に英語の塾を開いていました。
明治生まれの女性で、英語塾を開くスキルをどのようにしてゲットしたのか、私は興味を持ちましたが、聞くチャンスは逸しました。
私はナラちゃん家に行く度に、”まだ、ボケもせずに、元気に生きているんだ。”と常に感動させられました。
正確ではありませんが、80代後半まで英語塾を続けたはずです。

ナラちゃんの母親は実家でピアノ教室を開いていました。
音大受験を目指す生徒さん達が多く、レベルの高い教室だったようです。
ピアノのレッスンは実家の敷地内に建てられた防音教室で行われていました。
この防音教室を利用して、ナラちゃんは高校生のときにドラムセットを買い込み、ヤマハドラム教室に通い始めました。
私も足繁く防音教室を訪ね、ナラちゃんにドラミングの手ほどきを受けました。

ナラちゃんは中学の模試で、福岡県全体の2番になった程の秀才でしたが、高校では目立たず、一浪して九大の工学部に入りました。
私達の一つ上の学年は東大入試が中止になるくらい、学生運動が盛んな時代でした。
学生運動がらみで、退学する者も珍しくはなかったのですが、ナラちゃんの場合は、JAZZ喫茶に入り浸って、進級できずに、結局中退してしまいました。

ナラちゃんも私もかなりの読書好きでしたが、ナラちゃんが読むジャンルに文学は一切ありませんでした。
将棋の参考書、物理化学関係の理論書、様々なハウツー物(カッパブックス)、インド哲学(バグアン・シュリ・ラジネーシ)、などでした。
とくにカッパブックスのジャンルは幅広く、米国で書かれた物の翻訳本が多かったせいか、キリスト教の影響が強く、成功哲学、ヨガ、などが印象的でした。
ナラちゃんは3つに分類される人間の精神の働きに序列をつけて、まず、”意”を第一に、”智”を第二に、そして
、”情”については重きを置かないというスタンスでした。私とは真逆です。

その後ナラちゃんは京都大学の物理学部を目指して京都で浪人生活を送りますが、結局かなわず、博多の実家に戻って学習塾を開き生計を立てました。

私も何回か博多に行き、ナラちゃんと飲みに出ました。
大して酒に強くないナラちゃんが、ビール一杯で顔を真っ赤にしながらも、人生論などを挑んできて、私もそれに応戦しました。

そんなナラちゃんを突然死が襲います。
知らせを聞いた私は取る物もとりあえず博多に急行しました。
脳卒中でした。
前の晩は何事もなく就寝したそうです。朝、起きてこないので家族が見に行ったところ、ベッドで冷たくなっていたそうです。
僕たちが50歳の秋でした。

今、もう死んでしまったナラちゃんからの手紙を私は読んでいます。
今、もう死んでしまったナラちゃんへの手紙を私は読んでいます。
不思議な感覚です。
とても不思議な感覚です。
私の意識の深い底が時間を止めてざわついています。
パンドラの箱を開けたのかも知れません。

パンドラの箱

2013年05月17日 | 昔話
昔の手紙類を小さなボストンバッグにしまって保管していました。
中学2年生から30歳くらいまでの頃の物です。
開けたことは無かったのですが、最近、押し入れの大掃除の際に邪魔になるので整理する気になりました。

ポケベルも携帯も無かった時代ですので、文通は比較的ポピュラーな文化でした。
もらった手紙を、ざっと読み返してみましたが、そういうこともあったのかと驚くくらいで、特に感動はありませんでした。
ところが、感動は、手紙とともに保存されていた、私自身が書いた手紙の下書きにありました。

ガールフレンドに宛てた手紙の内容は、すぐにでも舌を噛んで死にたくなるような恥ずかしいものでした。
必死に文学性を持たせようとあがきまくった文章は、”陳腐”の二文字で片付けられるレベルでした。

ただ、面白かったのは高校の同級生であった楢原元庸と宮崎信夫への手紙です。
それぞれと、数年間に渡り、数十通の手紙をやりとりしています。
これらの手紙は、まじめに、そして真剣に全力で書いていました。
印象としては、”完全に時間を止めている。”ということでしょうか。
立ち止まって、文学、孤独、恋愛論、詩、花鳥風月、JAZZ、煙草、酒などについて徹底的な分析を加え、自分の考え方を表明しています。
殆どは無駄かもしれませんが、それでも、すざましいエネルギーが費やされています。

振り返って、最近では時間を止めることなど全くありません。
AならばB、CならばDという風に自分の思考回路が固定されているからです。
時間は毎日、淀むこともなく流れ続け、一年があっという間に過ぎていきます。
そして、様々などうしようも無い問題に出会った時は、斜に構えて皮肉を述べることでやり過ごします。

ところで、残された下書きには次のような文章がしたためられていました。作者不詳の一文です。

”考え深い者はニヒリストまでは、皆、辿り着く。しかし、そこを越えるのは難しい。信じがたい程難しい。”

まるで数十年後の自分を予見したような文章です。(続く)

T君に圧勝

2013年05月13日 | ゴルフ
昨日は由真の練習ラウンドを兼ねて不知火カントリークラブをT君と3人でプレーしてきました。
由真はフルバックから、私とT君はフロントティーからのプレーでした。
結果ですが、由真は、めずらしくも引っかけてのOBが有り、78をたたきました。
このコースは距離が無いので、由真の腕前ならばパープレー近くで回らなければ不満でしょう。
5月13日の試合での爆発を期待します。
最近の由真ですが、5月6日の全九州選手権の熊本県予選に出場しました。
グリーンヒルで開催されたのですが、フルバックからですので420を越えるようなミドルや、
200を越えるショートがいくつもあるという超難関コースでした。
そこに熊本県の男子中高校生80人が集まった中、由真は37、39の76で回り、みごと第2位に輝き、強化指定選手の座を不動のものとしました。

さて、私とT君との泥仕合ですが、99対110で私の圧勝でした。
勝因は私の寄せがうまくなったことにあるようです。
失敗は一度だけでしたし、その失敗もカラーの外から2パットで上がれましたので、深手を負わずにすみました。
T君の敗因はバンカーに度々入れたことと、バンカーショットの失敗を重ねたことにあるようです。
一発で脱出できないことが多く、ホームランもありました。
不思議なことに、その日の私は一度もバンカーに入りませんでした。

インスタートだったのですが、盛り上がったのは後半の7番ロングでした。
グリーン手前ラフからの私のAWでの20ヤードの寄せは、足を使って、みごとカップの左5cmに止まり、OKパーとなりました。
T君も同じく15ヤードの寄せを残していました。
私はT君に、”寄せ返せるかな?”とチャチャを入れたのですが、T君のパターでの寄せは不思議なことに、
私と全く同じく、カップの左5cmに止まり、これまたOKパーとなりました。

最終の9番ホールに来たときに、私が100を切るためには、このホールを最低でもボギーで上がるのが必要条件でした。
しかし、このホールはハンディキャップ1の名物ホールです。
230ヤードのショートホールですが、ものすごい打ち下ろしですので、170ヤードくらい打つとグリーンに届くそうです。
届いてもちょっとでも引っかけるとグリーンの左は5ヤードくらいのスペースしか無く、すぐにOBです。
私は絶対に届かない7番アイアンでティーショットを打ちました。
チョット引っかかったのですが、私の球は余裕で花道に落ちました。
そこからの25ヤードの寄せはプレッシャーがかかったのですが、無事にピンの右手前ワンピンに乗りました。
そして、そこから手堅く2パットのボギーで上がることができました。
このホールの攻略?が、この一日を象徴しているように思えました。

実は、ゴルフの前の晩に、T君と焼き鳥屋で飲みました。
そして、お互いに翌日のゴルフに対する意気込みを吐露しあいました。
さらに、どのような結果になろうともブログにアップするという約束がなされたのです。
いきおい私のゴルフはドライバーも3回しか使用せず(1発はOBでした。)、石橋を叩いて渡らないというものになりました。
そのおかげで、OBも2回で済みました。
この謙虚なゴルフを続けてみるつもりです。




メカテクター禁止

2013年05月08日 | ボウリング
昨夜は久しぶりにボウリングに行きました。
これまではメカテクターを付けて曲がりを出すという投げ方だったのですが、限界が見えたし、飽きてきたので、自分的には当分、”装着禁止”としました。

ラウンドワン11番レーン。(練習ですのでヨーロピアンにしました。)使用球:BLACK WIDOW VIOLENCE 15P
結果:164,228,180,180,225,231 TOTAL:1208 AVE:201.3 ストライク率:50%でした。

ミスは3回だけで、すべて3ゲーム目にやらかしましたが、それ以外のゲームはノーミスでした。
ただし、スプリットが8回と多すぎました。
曲がりが少なくなった分、ポケットヒットの幅が狭くなったことも一因です。
しかし、縦回転を掛けやすいし、手首の角度もアレンジできます。さらに腕の振りがよくなってスムースなスイングになります。
練習して、回転数を増やしていきたいと思います。

医者に殺されない47の心得

2013年05月02日 | 医学


筆者は慶應義塾大学医学部放射線科の現役の講師です。1948年生まれですので64歳でしょうか。
アメリカ留学で見聞した乳癌の摘出術における乳房温存療法が日本では殆ど実施されていないことに異を唱え、
1988年に文藝春秋に、”乳がんは切らずに治るー治癒率は同じなのに、勝手に乳房を切り取るのは、外科医の犯罪行為ではないか”
を発表しました。
その時点で著者は、もう医療界での出世は望めないし、院内では村八分だろうと腹をくくったそうです。

この本はベストセラーになっており、医療関係者専用サイトである、”m3.com”でも様々なドクター達の意見が寄せられています。
そのほとんどは、”まともに相手して本を買うのは著者を利するだけだ。”というものでした。
しかし、一つだけ面白かったのは、”この著者は、例えば自動車会社の社員が『自動車なんか乗ってはいけない』と言っているのと同じですよね。
世間の常識では、こんな人は『クビ』ですよね。”というものくらいでした。

私の読後感は、私自身がうすうすとオカシイナと思ってきたことが明確になり、とても興味深いものでした。

この本の内容については、少しづつ紹介していきたいと思います。