
ミヤコ蝶々の本名は日向鈴子で、昨年、テレビの連続ドラマで、”鈴子の恋”として、その半生が放映されました。
私も、連ドラ予約で録画して楽しく視聴しました。
ミヤコ蝶々が南都雄二と二人で司会をするテレビ番組であった、”夫婦善哉”は私も子供の頃よく観ていました。
糖尿病の末期で、やせ衰えた南都雄二の姿も、よく覚えています。
”夫婦善哉”の放送は私が24歳の頃まで続いたようです。
ミヤコ蝶々は親の指導のもと、7歳で旅回り一座の座長となります。
小学校に通うことはできませんでしたので、蝶々はひらがなの読み書きがやっとで、漢字は読めませんでした。
後年、台本を読む必要に迫られた時には、弟子である鈴夫君に、”これ、何という字?”と何回も聞かねばなりませんでした。
それを見ていた周囲の人達が、鈴夫君の名前が、”ナントユウジ”かと勘違いしたことから、鈴夫君の芸名が南都雄二になった
そうなのです。
蝶々の母親は継母でした。
実の母親は離縁された後に再婚しますが、また離縁されたそうです。
そのことをふまえて、蝶々は以下のように書いています。
娘の私も、またしかり。いわば『捨てられ筋』とでもいいましょうか。あまり、いい筋とはいえません。が、なにかの因縁ごとだと思われます。
蝶々も最初の結婚相手の三遊亭柳枝にさんざん浮気されたあげくに離婚します。
そして二人目の夫となった南都雄二にもさんざん浮気をされ、女に子供ができたことから、離婚を余儀なくされます。
この時の南都雄二の言葉が秀逸でした。
「あんたは、捨てられっぷりのええ女や。男が安心して出て行ける。不思議な人やなァ・・・・・・・
そもそも女は、俺が捨てたら、この女、どうして生きて行くのやろ、と男がどことなく気になって捨てにくい、つまり、か細い女でなくては・・・・・・色気と女の憐れさがないなァ」
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