はせがわクリニック奮闘記

糖質制限、湿潤療法で奮闘中です。
パーキンソン病にはグルタチオン点滴を
癌には高濃度ビタミンC点滴も施行中です。

新型スバル・インプレッサ と アイサイト

2016年12月31日 | 自動車
最近T君が上記の新車を購入しました。
2000ccの4WDというハイエンド車種で、支払総額は軽く300万を超えたそうです。







一昨日に、それを運転させてもらいました。

スタートさせた第一印象は、静粛性とサスペンションの滑らかさであり、ジャンルとしては高級車の部類に入るなというものでした。
アクセルを踏み込んでいくとCVTに特有な、エンジンは即反応して回転数を上げるけれども、トルクの発生が遅れるという現症がでました。
トルクよりも燃費を尊重した駆動システムなのです。

さて、助手席のT君の指導でアイサイトをオンにしてみました。
自動追跡装置が始動して、アクセルもブレーキも踏む必要が無くなりました。
前の車が停止すると、追突することも無く、自分も停止します。
当初はアイサイトを信用できず、右足でいつでもブレーキを踏めるように準備していましたが、無駄な用心でした。
ただ、個人的には車間距離が不足していると思いました。
車間距離はある範囲で設定できるのですが、MAXでも不満でした。

次に高速道路に乗ってみました。
最高速を100Kmに設定して、自動追跡装置を使ってみました。
やはり、車間距離が足りません。
アイサイト自体が、その追跡装置を維持できる車間距離に限界があるのかと疑ってしまいました。
ただし、私はもともと車間距離を長めにとる癖がありました。
T君は、” 僕の車間距離は、いつも大体これくらいです。 ” と言っていました。
高速で感心したのは65Km以上で使えるようになるという、車線認識装置です。
ハンドルに手をかけているだけで、自動的にその車線をキープしていきます。
わざと左右どちらかの白線の方にハンドルを回すと、警告の音声が流れます。

これで、両足は全く使わずにフロアに置いていて、ハンドルも自分で回す必要が無いという、自動運転が完成しているのです。
これには感動しました。
ロングドライブ時の負担が劇的に減ることは確実です。

一瞬ですが、チョッピリ、物欲に駆られました。

深作秀春・視力を失わない生き方

2016年12月18日 | 医学


深作先生の新刊です。

前作に引き続き現在の日本眼科学会を痛烈に非難しており、大学病院の実態を研修病院に過ぎないと切り捨てています。

糖質制限を認めようとしない糖尿病学会、
湿潤治療を認めない形成外科学会、
既往歴がない高齢者に対しても140以下の血圧を推奨する学会、
依然としてコレステロール悪者説にしがみついてスタチンを投与し続ける医者、
医者が医者を信用できない世の中になってきました。

眼科学会よ、おまえもか、というところでしょうか。

話は変わりますが、最近安倍首相がプーチンと会談しました。
平和条約を締結して、経済協力を餌に、あわよくば北方領土を返還させようという作戦でしょう。

私は昔から不思議でなりません。
なぜ、日本人はロシアに対して、 ” 恨み言 ” を言わないのでしょう。
終戦間際になって一方的に日ソ不可侵条約を破棄して中国の日本軍、日本人に襲いかかり
抑留した日本人にシベリアで過酷な強制労働を強いて、数十万人を死亡させたのです。
そして北方4島を火事場泥棒みたいにかすめ取ったのです。

パールハーバー、南京事件、慰安婦問題など、各国は何のためらいも無く日本に対して恨み言を口にします。
私たちは敗戦国として恨み言が言えないような教育を受けてきたのでしょうか。

火事場泥棒のロシアといまさら平和条約を結ぶことに、何の意味があるのでしょうか。
シベリアで殺された抑留者の遺族や、北方4島を追い出された島民はどう思うでしょうか。
最低限、ロシアは、日ソ不可侵条約の破棄とシベリア抑留を謝罪して、北方領土を返すべきでしょう。
平和条約を締結するのはそれからでしょう。

ロシアが北方領土を返還する可能性は無いと思います。
歴史的にも国境が動くのは戦争によってだけなのです。

安倍首相自身は、本気で返してもらえると思っているのでしょうか?

誰の詩だったかは忘れましたが、
” 間抜けなロバが夢を見た ” を思い出しました。

( グーグルで検索したところ
三好達治の ” 駱駝の瘤にまたがって ” という詩でした。
間抜けな驢馬が夢を見た という一文が出ています。 )

藤沢周平・蝉しぐれ

2016年12月16日 | 読書


私が藤沢周平という名前を、他人の口から初めて聞いたのは平成7年の春でした。
当時の私は現在のクリニックを開業する準備段階として、前年の秋から菊陽台病院という救急病院に勤務しておりました。

その春に大阪からF先生が菊陽台病院に赴任して来ました。
年齢は私の2歳下でしたので、40をチョット越えたくらいだったでしょうか、おかっぱ頭に口髭をたくわえ、黒縁メガネというミュージシャン然とした風貌でした。

F先生は大阪で長年小児白血病の治療に携わってこられました。
最近とは違って、当時の白血病治療による寛解率は悲惨なものでした。
たくさんの子供たちの最期を看取っていく人生に疲れ果ててしまったのです。

F先生は私に、” 誰かがやらなければならない仕事だということは、ずっと承知していた。しかし、あまりにも消耗しきってしまった。
大阪から逃げ出すことを決意して、とりあえずは家内の出身地である宮崎県で就職を探したが見つからず、
隣県ということで熊本に来てしまった。 ” と事情を説明されました。

F先生はまじめで優秀なドクターでした。
菊陽台病院の診療は5時15分で終了するのですが、F先生は居残って10時近くまで研究をされていました。
私が、当時としては未だ珍しかったMRIの写真を医局のシャーカステンに貼り付けたところ、F先生は初めて目にするとのことで
昼休み中、それを注意深く眺めていました。
そして夕方になっても帰らずに、夜遅くまで、釘付けになっていました。

酒も飲まず、ゴルフなどの運動もせず、奥さんや子育ての話も聞いたことがありません。
私が、” じゃあ、先生の趣味は何ですか? ” と尋ねたところ、帰ってきた答えは、” 時々レーザーディスクを買うことと、藤沢周平を読むことです。 ” でした。

藤沢周平という名前はもちろん聞いたことがあったのですが、時代劇小説に興味のない私は、おかしな趣味だなと思っただけでした。

忘れてしまったエピソードだったのですが、今回蝉しぐれを読みながら、まざまざと思い出してしまいました。
F先生自体ががこの小説の主人公のような生き方を貫いていたからです。
F先生は、妥協するだとか、融通を利かせる、というようなことに背を向けて生きていました。
当然、患者さんやスタッフとの衝突も避けられず、時々問題が持ち上がっていました。

私が覚えているのは、ある患者の生活保護への診断書を毅然として断った事件です。
やくざ太りの中年男性が診察室でわめきちらしました。
” 前の先生には書いてもらってたのに、なんでダメなんだ! ”
F先生は一歩も引きません。” 前の先生は知らない。あなたには働けない病気など無い! ” と一喝しました。
結局、その男性は他の病院に流れたそうです。

F先生が医局の流しに立って水道水を飲む姿が懐かしく思い出されます。
お茶を勧めても、断って水道水を飲んでいました。
後で分かったことですが、F先生は熊本の水道水の美味しさに感動していたのだそうです。
” こんなに美味しい水を、お茶にするのはもったいない。 ” ということでした。
大阪では水道水のまずさにも消耗させられたのでしょう。

さて、” 蝉しぐれ ”ですが感動しました。
池波正太郎の痛快時代劇とは違って、深い文学性を感じさせられます。
主人公が少年から大人へと成長していくストーリーは、その内面的な成長も書き記さねばなりませんので、どうしても文学性が要求されるのかも知りません。
読後の満足感は半端じゃ無かったです。
若者風に言えば、” パネー! ” でしょうか。
100% お勧めの小説です。

糖質制限が子供を救う・三島塾

2016年12月15日 | 糖質制限食


北九州市で定員40名の小さな学習塾を経営する三島学塾長は私と同じ65歳です。
さらに私と同じく60歳の時に江部康二先生に影響されて糖質制限を始め、自分自身の糖尿病コントロールに成功されました。

スリムでパワフルになった塾長の糖質制限に塾生たちが興味を示し始めます。
当初は質問してきた塾生や親たちにだけ、糖質制限のコンセプトを説明するというスタンスでした。
ところが、その効果が広範囲で劇的であったために、塾長は勉強と糖質制限をセットで教えることにしたのです。
この本には多くの成功した症例が紹介されています。

列記すれば、
居眠りがなくなって集中力の持続が可能になった。
反抗期が解消された。
学習障害(LD)、多動性注意力障害(ADHD)が治った。
キレる性格と、鬱が治った。
身長が急速に伸びた。
アトピー、蓄膿が改善した。
不登校が治った。
結果として偏差値の大幅なアップにつながった。
などです。

子供たちの様々な障害の原因が糖質の過剰摂取にあったことを、世に喧伝するために、この本を執筆されたのです。

この原稿を江部先生は10社近くの出版社に持ち込みましたが、すべて断られたそうです。
大人はともかくとしても、成長期の子供たちに糖質制限を勧めるのは、世間の反発を買うと判断されたのです。

そこで江部先生は、日本糖質制限医療推進協会から自費出版することにしました。
そこに、京都の大垣書店の協力があって、この本は日の目を見たのです。

私は普段、アマゾンを利用して本を購入するのですが、だめでした。
楽天でやっとオーダーできて入手しました。

今後は経済力では無く、糖質制限を理解する親に恵まれた子供が、学力の向上と健康の両方をゲットできるようになるかもしれませんよね。

包丁研ぎと鏡面仕上げ

2016年12月14日 | 日記
昨日は昼休みに包丁を研ぎました。



包丁は4本あるのですが、大体2ヶ月ごとに自分で研ぎます。

さて今回もちゃんと研ぎ終わったのですが、初めて鏡面仕上げにチャレンジしました。

刺身包丁を選んで磨き上げていきます。



サンドペーパーの1000番、2000番、4000番、8000番を準備して、その順番で磨いていきました。
最後に車磨きクリームのつや出しで仕上げます。

You-Tubeの指導では所要時間は1時間でしたが、根性に欠ける私は30分で終えてしまいました。
結果は、それなりに輝きはしたのですが、顔が映り込むまでのレベルには達しませんでした。

来年はもっと執念深く磨いてみるつもりです。

ところで、このブログに対する昨日の訪問者数が400人近くありました。
アクセス解析の結果は、なんと ”星野源・蘇る変態” から入ってくる人たちが70人以上もいたのです。
2014年の6月28日に私がアップした記事です。
”蘇る変態” でグーグル検索をかけると、”はせがわクリニック奮闘記” が1ページ目の4番目にありました。

観たことも無いし、観ようとも思いませんが、星野源は最近テレビドラマでブレイクしているらしいのです。

振り返れば、星野源が脳動脈瘤破裂によるクモ膜下出血で倒れたのがちょうど4年前の12月でした。
この回復とブレイクは嬉しいですよね。


スタッフだけでの忘年会

2016年12月12日 | 飲み屋
例年はホテルニュー大谷の一室を借り切って、派手に開催していたのですが、
今年は熊本地震の復興も未だ道半ばであるということで自粛しました。

はせがわクリニックのスタッフだけを刺身の店 ”天草” に集めて、内輪だけで飲みました。



まあ、このメンツだと飲み会というよりも食事会に近いものになってしまいます。
刺し盛り、穴子の照り焼き、鯛のあら炊き、ガラカブの唐揚げ、馬肉のにんにく炒め、揚げ出し豆腐、オデンなどをいただきました。
スタッフの中に、酎ハイを次々とお代わりをして、残った料理を残飯処理のごとくたいらげていく娘がいました。
写真のなかでもっともふくよかな娘です。
糖質制限を一年以上も指示しているのですが効果は限定的です。
その晩の彼女の食べっぷりを見ると、摂取カロリーに問題があるようにも思えました。

海賊とよばれた男

2016年12月11日 | 映画






今日は小川のシネコンで上記を観ました。

この作品は2013年に本屋大賞をとった百田尚樹の原作を基にしており、
私も同年の8月8日に書評をアップしています。



小説では主人公である出光佐三に対して周りの様々な人々が、”意気に感ずる”というのでしょうか、
男気に惚れて協力し、それぞれの人生を豊かにしていくというストーリーでした。
読んだ直後の第一感は、”これほど女が出てこない作品はめずらしい。”というものでした。
彩りが欲しかったのでしょうか、映画では綾瀬はるかを最初の妻として登場させますが、子供ができなかったという理由で離婚します。
”2年子無きは去る。”なんていう言葉があったような時代ですから、綾瀬はるかが離婚を求めたようです。
逃げるように綾瀬はるかは実家に帰って行き、一生を独身で過ごします。

ところがラストシーンでは亡くなった綾瀬はるかの親戚が、彼女のアルバムを主人公に届けます。
そのアルバムには主人公に関する新聞記事の切り抜きが膨大なボリュームでストックされていました。
つまり、彼女は逃げたのではなく、生涯主人公を愛し続けたというオチなのです。

原作に全く無いラブストーリーを本線に据えたあげくに
こんな陳腐なオチを最後に持ってきて、観客が感動すると踏んだのでしょうか?
”なめるなよ。”と言いたくなりました。

本の面白さを10とするなら映画は2くらいでしょうか。

先に、この映画を観たとすれば、この本を読む気にはならなかったでしょう。
残念な映画でした。

余命19年

2016年12月10日 | 日記
今日はパソコンで私の平均余命を検索してみましたが、答えは19年でした。
つまり私は19年後くらいに死ぬようです。
おそらくは正規分布曲線でしょうから、その前後で死ぬということなのでしょうが、
視点を変えれば、後19年くらいは生きていられるということなのでしょう。

私と同じ昭和26年生まれは214万人でした。
昨年の10月の時点で生き残っているのは189万人です。
つまり25万人が死んでしまったのです。
死亡率を計算してみると11.7%ということで、10人に1人以上が死んでしまったことになります。

残された人生には限りがあると考え始めたのは60歳を過ぎた頃からでしょうか。
65歳になった今では、ゴルフを何歳までできるのかという心配が最も切実です。
練習できる体力があるうちに練習しておこうという悲愴ともいえる考えが、毎日の打ちっ放しを続けさせるのです。
しかし、そのことが私のゴルフ寿命を延ばしてくれるかもしれません。

”残された毎日を抱きしめるように生きる。”という言葉を聞いたことがあります。
 
せっかくの残された日々を、怒ったり、悔やんだり、恐れたりして消費するのは馬鹿げています。
ここまで書いて、以前にアップした修猷館の先輩である中村天風の言葉を想いだしました。

今日一日を
怒らず、恐れず、悲しまず
正直、親切、愉快に生きる。


素晴らしい言葉ですよね。

私ですか?
私は、毎日愉快にゴルフして、毎晩愉快に酔っぱらう自信があります。

池波正太郎・剣客商売

2016年12月09日 | 読書


先日、街中のTSUTAYAが規模を拡大してオープンしたので、ぶらりと立ち寄りました。
これまでは文庫本コーナーが出版社別だったのですが、今回は作家の、あいうえお順だけに統一されていました。
私自身は時代劇小説を読んだ経験はほとんど無かったのですが、その日の朝に読んだ新聞記事にチョッピリ刺激されていました。

とりあえず、記事推薦である藤沢周平の”蝉しぐれ”と池波正太郎の剣客商売の第一巻を購入しました。

剣客商売はテレビドラマ(藤田まこと主演) で何回か観ていましたので、容易にストーリーに入っていくことができました。
第一巻が面白かったので、即、全巻を中古でまとめ買いしました。

内容は痛快時代劇というのでしょうか、読み出すと止まらなくなり、漫画本を読むようなノリで16巻を6日で読んでしまいました。
主人公の小兵衛は第一巻に59歳で登場しますが、41歳も年下の女中と結婚するほど元気です。
その後、様々な事件を解決していくのですが、その間に、一人息子は田沼意次の妾腹の娘と結婚し孫ができたりして、
16巻で最後の活躍するときには67歳になっており、TIA(一過性脳虚血発作)らしき目まいにもみまわれます。
活躍はここまでで、93歳まで生きるのですが、75歳の時には34歳の妻である ”おはる”と静かに暮らしたようです。
そのおはるも48歳で主人公よりも早く死んでしまいます。

池波正太郎がこの小説を書き始めたのは48歳の頃でした。
巻がが進むにつれ、作者は徐々に主人公の年齢に近づきます。
そして16巻が刊行された翌年に亡くなられたのですが、年齢は奇しくも67歳でした。

剣客商売を私は65歳で初めて読みました。
レアなケースだと思います。
しかし、この小説を読むのにはベストな年齢であったような気がします。
勇気付けられもしますが、老いを受け入れていくことも覚悟するべきでしょう。

最近のことですが、テレビで遊園地の紹介があっていました。
そのジェットコースターには年齢制限がありました。
なんと、65歳以上はお断りなのだそうです!
受け入れるしかないでしょう.....

さて、8月29日にゴルフの練習を再開して100日が過ぎましたが、練習をさぼったのは2日間だけです。
ゴルフについてはあきらめるつもりはありません。
毎日練習できる体力があることに感謝して、老いを受け入れずに努力を続けます。

”私のゴルフスタイルが確立したのは奇しくも67歳の時だった。”なんて記事をアップしたいものですが....