はせがわクリニック奮闘記

糖質制限、湿潤療法で奮闘中です。
パーキンソン病にはグルタチオン点滴を
癌には高濃度ビタミンC点滴も施行中です。

一日も休まずに練習へ

2016年09月21日 | ゴルフ
8月29日から今日まで、24日間一日も休まずに打ちっぱなしに通っています。
8月は暑さに負けて、ゴルフクラブにさわらずに終わりを迎えてしまいました。
しかい、その間、すばらしいスイング理論の解説書に出会い、没頭して読みふけりました。



私は昔からフェース面の開閉を極端に使うスイングを続けていました。
当たれば飛ぶのですが、引っかけや押し出し、下手するとシャンクもでるような不安定なものでした。
インサイドからハンドファストに下ろしてきて、コンタクトまではフェースを開いたままにして、そこからクルンとフェースを閉じるような打ち方でした。
自分なりに、これを、” クルン ” を使った打ち方と命名していました。
実際、プロは100%クルンを使っているように見えました。

しかし、このクルンについて解説するレッスン書は皆無でした。
クルンは自然に発生するものであって、手を返してはいけないという教えが多かったように記憶しています。
100歩譲って、その通りだとしても、どのようなスイングをすればクルンが発生するのかという説明書はありませんでした。

この指南書は初めてクルンこそがゴルフスイングの根幹であることを説明してくれました。
作者はクルンではなくて、” ピストンスナップ ” と名付けていますが、素晴らしいと思います。
クルンはクラブフェース面の開閉を意味するにすぎませんが、ピストンスナップはそのためのリストワークや、
ハーフウェイダウンからクラブが遊園地の、”誘導円木 ” のような動きをすることを意味します。

このスイングはフェース面を開いてコンタクトすることが肝です。
フェース面が開いていることがハンドファーストにインパクトを迎えられている証拠なのです。
右手の背屈をキープしたまま、勇気を持って誘導円木を、左足のズボンの折り目の左先まで引っ張って、
45度くらいに開いたフェースでコンタクトするのです。

練習が楽しくて仕方ありません。

注:コンタクトとはクラブフェ-スが最初にボールに触れる瞬間です。
  インパクトとはボールがフェースにコンタクトして、つぶされ、フェースに乗ってスピンをかけられ、離れていくまでだと定義しています。
  つまりクルン全体がインパクトであり、インパクトの開始点がコンタクトです。

囲碁

2016年09月15日 | 日記
きっかけは忘れたのですが、私が囲碁を覚えたのは大学時代です。
安物の折りたたみ碁盤と碁石を購入してオフクロの指導を受けました。
オフクロは幼い頃に彼女の父親から碁を習っていたそうです。
振り返れば当時のオフクロの棋力は6級くらいだったのでしょうが、私は全く歯がたちませんでした。
そこで囲碁の指南書を買い込んで勉強を始めました。
それでもオフクロに勝つようになるには2ヶ月を要しました。

さて私に負け始めたオフクロは意外な行動にでます。
なんと近所の囲碁教室に通い始めたのです。
そこで定石や手筋を覚えてきては私よりも優位に立ちます。
しかし私も、やがては、その手筋に慣れて、”その手は桑名の焼き蛤”とばかりに不利な展開を回避できるようになりました。
勝って喜び、負けて悔しがるという麻雀みたいな囲碁を繰り返し続けていました。

そんな私でしたが、20代の終盤に転機が訪れます。
ふとしたことから、長崎県の佐世保市で整形外科を開業している10歳先輩の岡先生と知り合いになりました。
そして毎年のGWには、先輩のお宅へ泊まりがけで遊びに行くことが恒例になっていた時期がありました。

先輩の父君は歯科医で、”岡歯科”を開業しておられました。
その近所にはライバルである、”歯科田中”がありました。
その二軒の看板がならんで立ててあるポイントがあったのですが、
地元の人たちはそれを、”岡歯科ばってん歯科田中”と読んでいたそうです。

先輩には弟さんがおられて、やはり歯科医でしたが近所に住まわれており、夕食時には奥さんと二人の子供たちを伴われて現れました。
両親と岡先生ご夫婦と、その4人の子供たち全員で夕食を食べます。
総勢12人のにぎやかな夕食です。
3人での母子家庭に育った私にとっては不思議な眺めでした。

さて、食事が終わると、先輩と父君と弟さんとで囲碁が始まります。
3人とも熱心で、毎月プロを招いて講義を受けるとのことでした。
(このプロは当時としては未だ無名でしたが、若かりしころの彦坂直人九段だったのです。)
そして、私はその3人の対局風景に驚かされました。

とにかく上品で優雅です。
穏やかで、互いに相手を認めて、” なるほど、そういう手がありましたか。”などとつぶやきます。
普段、オフクロと切った張ったの喧嘩みたいな囲碁に慣れきっていた私は反省させられました。
それ以来、先輩たちに憧れをいだいた私は、それをまねているつもりです。

オフクロは私が開業してからも、午後になると、しょっちゅう押しかけてきては囲碁を打ちました。
おそらくは10年近く前までは来ていましたので、80歳を越えていたと思われます.....

私はオフクロと数千局もの碁を打っています。
では、オフクロ以外とはどうかといえば、10人にも満たないのです。
妹とも、せいぜい数十局しか対戦していません。
つまり、わたしの囲碁の99%はオフクロとの対局だったのです。



今回、このソフトを購入して、はまってしまいました。
棋譜は記録に残せるのですが6月27日に始めて既に212局も打っています。
相手の強さを指定できるので、4級から始めてすぐに2級までいきました。
2級でもほとんど勝つのですが、勉強になるので、しばらくは、このレベルで修行を積むつもりです。

オフクロ相手の退屈な囲碁を続けていた私にとっては夢のようなソフトです。

内田樹と姜尚中の対談。

2016年09月13日 | 読書


まあ、私が尊敬する内田樹先生の対話ですので、読後感は痛快の一言に尽きます。
例によって素晴らしい日本語が展開されていきます。
浩瀚だの簇生だの読めない漢字も出てきます。(答えはコウカンとソウセイです。)
退屈することも無く、楽しく読み終えることができました。

内容ですが、私が新たに得た知見を一つだけ紹介します。

それは、内田樹はフランスを第二次世界大戦の敗戦国とみなしているということです。

内容を私なりに要約してみます。

1939年に大戦が始まって間もなく、フランスはマジノ線をドイツ軍に突破されて休戦協定を結んだ。
その結果、フランス北部はドイツの直接統括、
南半分が敗れたフランスのペタン元帥率いる対独協力のヴィシー政権の支配下となった。

ヴィシー政府は連合国に宣戦布告こそしなかったが、大量の労働者をドイツに送って軍事工場で働かせた。
また国内ではレジスタンスを迫害し、組織的にユダヤ人狩りをしてアウシュヴィッツに送り込んだ。
( 以前私がアップした映画 サラの鍵の背景です。)
事実上の枢軸国だったのです。

このヴィシー政権がどのようなことをしてきたのかは、戦後ほとんど検証されることはありませんでした。
そのような恥ずべき戦争犯罪に荷担してきた国には、戦勝国を詐称したり国連の常任理事国になったりする倫理的権利がないとも言われます。
戦後のフランスの迷走は自分たちの戦争犯罪と敗戦の事実を隠蔽して、
汚れた手を「 白い 」 と言い張って国民的欺瞞を演じたことに由来すると内田樹は考えているそうです。

さて、私の近況ですが、約束通り月曜と木曜を休肝日として、飲む日もウィスキーを250mlくらいに抑えています。
ゴルフの打ちっ放しも一日たりとも休まずに15日間継続しています。

順調ですが、一つだけ困った趣味に目覚めてしまいました。
それはパソコンに、あるゲームソフト購入してインストールしたことに端を発します。
毎日数時間を費やすという重症のゲームマニアになってしまったのです。
この件については次回アップします。

ドンクサい駄馬

2016年09月05日 | 日記
先日の往診の帰りに、私は自分が運転する車に乗り込み、スタッフを待ちました。
やがてスタッフも乗り込んで来たので、シートベルトを装着しようとしました。
ところが、ベルトがなかなかつかめません。
ふと気づくと、すでに装着していたではありませんか!
私はスタッフに気づかれないようにシレーっと発進しましたが、後で聞けば、バレバレだったようです。

この夏はゴルフから遠ざかっていましたので、車のトランクのゴルフバッグは部屋の中に回収していました。
高温になるトランクルームにバッグを放置すると、グリップの接着剤が溶けて劣化するからです。
さらには、新たに練習場用のゴルフバッグを購入しました。



これだと軽いので、毎日部屋まで運びやすいのです。
で、満を持して打ちっぱなしに出かけました。
そして練習場に到着して唖然としました。
なんとバッグを積み忘れていたのです。
片道20分以上もかかる場所ですが、往復を余儀なくされました。
そして、その翌々日に、またもや同じ失敗を繰り返してしまったのです。
対応策として、バッグは、以前通りにトランクに積みっぱなしにすることとしました。
そろそろ涼しくなってきたし....などと言い訳ををつぶやきながら....

私は毎朝洗顔するときはパジャマの上を脱ぎます。
パジャマの襟を濡らす癖があるからです。
昨朝も、いつものとおりに洗顔を終えて、パジャマの上を手に持ち着替え場所にいきました。
パジャマの上をハンガーに掛けました。
パジャマの下を脱いで、ズボンに履き替えました。
そしてその後、なんと、パジャマの上を再び着てしまったのです!
私の目から鼻に抜けるような明晰な頭脳?は、どうやら錆び付いてしまったようです。

老いては麒麟も駄馬にも劣る  という言い回しがあります。
麒麟であったかどうかは怪しいものですが、
私は鈍臭い駄馬に成り果てていきつつあるようです。