はせがわクリニック奮闘記

糖質制限、湿潤療法で奮闘中です。
パーキンソン病にはグルタチオン点滴を
癌には高濃度ビタミンC点滴も施行中です。

ビートたけしのTVタックル

2013年12月29日 | 糖質制限食
”新しい創傷治療”というサイトで、「傷は消毒するな、乾かすな。」という、いわゆる、”湿潤療法”を10年以上も提唱されている、夏井睦という先生がおられます。
そう、つい先日、”炭水化物が人類を滅ぼす”を上梓された、練馬光が丘病院の形成外科医です。
2年前に自ら糖質制限を開始されて、そのことを自分のサイトにアップしたところ、糖質制限者が殺到するようになりました。
江部康二先生の糖質制限をブレイクさせた、影の火付け役とも言われています。

その夏井先生に、テレビ朝日の、”ビートたけしのTVタックル”から「糖質制限・是か非か」という討論バトル企画への出演オファーが来たそうです。
そこで夏井先生はバトル相手として、日本糖尿病学会の理事長である門脇孝教授と、「糖質制限は危険」という本を執筆されている
岡本卓教授、そして名前は覚えてないけれども、「糖質制限すると心筋梗塞死が増える」と新聞の取材に答えていた某教授をピックアップされたそうです。
一人で、大学教授3人でも10人でも相手をしますと、プロヂューサーに連絡されたそうです。
楽しみですよね。

ところが以前にも、「火傷(ヤケド)は湿潤療法で治すのか、皮膚移植で治すのか」という討論番組の企画を、夏井先生はTV東京からオファーされたことがありました。
夏井先生は多数の大学病院形成外科の教授や、ヤケド治療で有名な先生方に、かたっぱしから出演を依頼されましたが、誰一人として応じる者はいませんでした。
そんな中、ただ一人だけ出演に前向きな先生がおられました。
茨城県の土浦協同病院皮膚科の盛山吉弘先生です。
盛山先生は、いろんな所で、「湿潤療法なんてダメだ」と言いふらしたり、論文を投稿されている方です。
しかし、直前になって「都合が悪いので出演できません。」とのドタキャンだったそうです。
夏井先生はこれを敵前逃亡と評し、以下のような記事をアップされています。

ヤケドに対して皮膚移植で治すのが正しいとテレビ視聴者に主張できる絶好の場を私は提供しました。
それなのに日本熱傷学会の先生方も大学病院形成外科の教授たちもその機会を放棄しました。
彼らはそんなに後ろめたい治療をしているのでしょうか?
正しい治療だと信じて行っているのなら、それを堂々と主張したらいいじゃないですか。
湿潤療法より植皮治療が優れているって主張すればいいじゃないですか。
正々堂々と討論するのが苦手なんですか?
そんなにしてまで隠しておきたい治療、治療結果を秘密にしたい治療をしているんですか?


今回も、不利を悟っての無視や、敵前逃亡が行われそうな予感がします。
特に門脇理事長の出演は、まるで期待できないでしょう。
日本中の糖尿病患者に、自分たちがこれまで指導してきた食事療法が間違っていたこと、
あるいは、少なくとも糖尿病に対する違う治療の選択枝を隠されていたことが知れることになるからです。

赤鼻のトナカイ

2013年12月24日 | 時事ネタ
”真っ赤なお鼻のー、トナカイさんはー♪”は
”Rudolph the red-nosed reindeer had very shinny nose♪”を訳したものです。
直訳すると、”ルドルフという赤鼻のトナカイは、とっても輝く鼻を持っていた♪”となります。
この赤鼻のトナカイの名前がルドルフであることは、アメリカ人ならほぼ全員が知っています。

今日はクリスマスイブにちなみ、このルドルフが誕生した素敵ないきさつを、様々なネットサイトを参考にアップします。

サンタクロースが、8頭のトナカイにソリを引かせて、煙突からクリスマスプレゼントを配って廻るというストーリーを創ったのは、
ニューヨークの神学者であるムーアで、1822年に、”聖ニクラウスの訪問”という著書で発表しました。
このストーリーはアメリカでブレイクして、8頭のトナカイの名前までも、みんなが暗記するところとなりました。
左側の列の先頭から、ダッシャー、ダンサー、プランサー、ヴィクセン、
右の列は逆に後ろから、ドンダー、ブリッツェン、キューピット、コメット です。

さて、ムーアから100年後の1930年頃、シカゴにロバート・メイという男がいました。
彼は通販会社で宣伝原稿を書く仕事をしていましたが、大恐慌が、確か1929年でしたから苦しい時代ですよね。
貧乏な家庭に生まれて進学できなかったロバートも、安月給で毎日遅くまで働かざるを得ませんでした。

そんな彼でしたが、彼には2つの宝物がありました。
それは若い妻のエヴェリンと生まれたばかりの娘バーバラでした。
しかし、バーバラが2歳になった頃から、エヴェリンは寝込むようになりました。
癌に冒されていたのです。
ロバートは治療費を得るために手を尽くしますが、得られた金額は僅かなもので、少しあった蓄えもたちまち底をつきました。
ロバートの想いも空しくエヴェリンの容態は日増しに悪くなり、とうとうベッドから起きることも出来なくなりました。

そんなある12月の夜のことです。
4歳になっていたバーバラが、ふとロバートに尋ねました。

「ねえ、パパ。私のママはどうしてみんなのママと同じじゃないの?」

バーバラは子供らしい無邪気な好奇心で、寝たきりの母親のことを尋ねたのでした。
毎日の暮らしも、もうギリギリの状態であり、何と娘に答えてよいか分からないまま、ロバートはバーバラを抱きしめました。

せめて、この子を幸福な気持ちにしてやらねば・・・・。
何かを言ってやらなきゃ。
幸せな気持ちになれるような何かを。
けれど何を? どんなことがある? いったい何を言えばいい?

ロバートは娘の小さな体を抱きしめたまま考えました。

やがてロバートは呼吸を整え、顔を上げました。
そして自分の中から、ありとあらゆる想像力と勇気を集めました。
それから、娘に向かって、ゆっくりと話をし始めたのです。

いいかい、むかしむかしのことだよ
ルドルフっていう世界にただ一頭しかいない不思議なトナカイがいたんだよ。
なぜ不思議かっていうと、ルドルフはとてもでっかくて真っ赤なお鼻をしていたからなんだよ。
だからあだ名はもちろん”赤鼻のルドルフだったんだ。


たとえほかの人や動物と違っていても、神様に創られた生き物なのだからいつかきっと奇蹟が起こり、幸せになることができる。
ロバートはそれを幼い娘に伝えるつもりでした。
娘のために、病と闘っている妻のために、そして自分自身のために・・・・

でもね、ルドルフ自身は幸せだったと思うかい?
ルドルフはね、そのお鼻のことでいつもとっても悩んでいたんだよ。
だって、みんなは自分を見て大笑いするし、そればかりか、お父さんやお母さん、それに妹たちにまで馬鹿にされてたんだもの。
ルドルフは、いつも悲しくて悲しくて仕方がなかったんだよ。


バーバラにロバートの本当の気持ちなど分かるはずもありませんでしたが、それでも彼女は父の話を瞬きもしないで静かに聞いて
いました。

ところがねと、ロバートは声を明るくして続けました。

あるクリスマスイブのことなんだけど、サンタがソリを引くトナカイのチームを迎えにきたんだよ。
知ってるだろう? ダッシャー、ダンサー、プランサー、ヴィクセン、ドンダー・・・・・クリスマスの夜に世界中を駆け巡る有名なトナカイ達だよね。
チームに入っていない他のトナカイのみんなも全員集まって、この素晴らしいエリートトナカイのメンバーに惜しみない歓声をあげて
お祝いをしたんだ。
ところが、いざ出発という時になって、突然霧が広がり始めたんだ・・・・・
サンタはとても困ってしまった。
どうしてかっていうと、霧が深いとエントツを探すことができないって分かっていたからなんだ。

その時ふと、突然! サンタの頭にルドルフのことが浮かんだんだ。
サンタは実はね、ルドルフのことをよく知っていたのさ。
そう、その真っ赤なお鼻のこともね。
サンタがあたりを見回すと、見送りの群れの後ろの方にルドルフがいるのが目に入った。
そして、その時のルドルフの鼻は、なんと、いつも以上にきらきらと輝いていたんだ。
サンタはすぐさま決心して、黙ってルドルフに近づくと、彼をいざなってソリの先頭に立たせたのさ。
ルドルフはサンタが何をしようとしているのかが分かって、もう夢を見ているような気持ちだった。
そのルドルフの耳にサンタの力強い声が聞こえてきたんだ。

”さあ行こう、仲間たち! 世界の空へ! 子供たちの夢へ!”

トナカイたちはいっせいに身を躍らせた。
ルドルフの鼻がひときわ明るく輝きだした。
そしてそれは、もうまばゆい光になっていたんだ。

9頭のトナカイは鈴の音とともに空へ駆け上がっていった。
霧の中にルドルフのお鼻の輝きが、すうーっと線を描いて消えていったんだ。

後に残ったトナカイたちは、ずーっとそれを見送っていた。
みんな恥ずかしいような、苦しいような、それでいてとてつもなく嬉しいような、いろんなものが混じった不思議な気持ちに
包まれていたんだ。

その夜、ルドルフはサンタのソリを立派に先導したのさ。
霧も雪も吹雪もルドルフがついていたから平気だった。
どんな家も、どんなエントツも見落とすことはなかった。
だって、そのお鼻は灯台のように輝いていたんだからね。

そうしてこの時から、ルドルフは最も有名で、みんなに愛されるトナカイになったんだ。
ずっと昔、恥ずかしいので隠してしまいたかった真っ赤で大きなお鼻は、今ではみんなから一番羨ましがられるものになったんだ!


父の話を聞き終えて、バーバラは輝くような笑みを浮かべました。
しかしそれからのロバートは大変でした。
毎晩バーバラにねだられて、ルドルフの話を繰り返ししてやらねばならなくなったのです。

やがてロバートに素晴らしいアイデアが浮かびます。
その話を本にして、バーバラへのクリスマスプレゼントにしようというものです。
ロバートは毎晩、娘が眠ってから、遅くまでルドルフの話を詩にし、綺麗な本に仕上げる作業に没頭しました。

ルドルフの本も、もう最後の仕上げの段階だという時、悲劇がロバートを襲います。
妻のエヴェリンが亡くなったのです。
昔の楽しい暮らしを取り戻したいというロバートの望みは打ち砕かれました。
もう、ロバートの宝はバーバラだけになってしまったのです。
悲しみにつつまれながらも、ロバートは毎晩、がらんとしたアパートの机に向かい、バーバラのための「ルドルフ」を作り続けました。

そしてバーバラがロバートの手作りの「ルドルフ」を見て歓声を上げた数日後、ロバートは会社のクリスマスパーティーに呼ばれました。
ロバートは気が進みませんでしたが、彼の会社の組合が、それを強く要請していました。
仕方なくパーティーに出席した彼は、余興として自分の書いた詩を持って行き、それをみんなに読んで聞かせました。
はじめはガヤガヤしていた仲間たちは、その詩を大笑いしたりして聞いていましたが、次第に話し声が聞こえなくなってきました。
・・・・・会場は静まり返り、詩を読むロバートの声だけが響きました。
そして、詩が終わると同時に、いっせいに拍手が湧き起ったのです。

このロバートの物語は1938年に起こった実話です。
そしてロバートの詩は1939年に「ルドルフ・ザ・レッドノウズドゥ・レインディアー」として出版され、250万部のベストセラーとなりました。



この本は1946年にも再販されて350万部を売り上げました。

現在の曲ができたのは1948年のことだそうです。

Rudolph the red-nosed reindeer had very shinny nose ♪

英語の歌詞をカタカナ表記しておきます。

ルドッフ ザ レッドゥノウズ レインディアー   ハッドゥ ベリ シャイニー ノウズ ♪










注目されての投球

2013年12月19日 | ボウリング
昨夜もボウリングに行きました。三日続けて行ったことになります。
15番、16番レーン 使用球:ブラック・ウィドウ・バイオレント
上がり3ゲームの結果:213,227,226 TOTAL:666 AVE:222でした。
ストライクに34回トライして19回成功。ストライク率:55.9%
スペアに15回チャレンジして14回成功。
スプリットはありませんでした。したがって、オープンフレームは、3,6,10を払いそこねた1個だけでした。

昨夜も15,16番レーンをもらったのですが、行ってみると13,14番レーンに、一人で投げている男性がいました。
NBF(日本ボウリング連盟)のユニフォームを着た50代半ばくらいでしょうか、初めて見るオッサンでした。
投球フォームは私の目からは難点が目立つ物でしたが、不思議と球のキレが良いのです。
ポケットをヒットした時には、素晴らしいストライクが生まれていました。
ただし、コントロールが甘く、ポケットヒット率は80%くらいですし、10ピンも簡単にミスしていました。

私も幼稚な対抗意識を持ち上げて、最初からピンを倒しにいきました。
508Aを使ったのですが、右のレーンで、割れ、割れ、薄目で8本、7番残り、10ピン残りと、一度もストライクがきませんでした。
左のレーンでは4回続けてストライクのあとに10ピン残りだったのですが、入りが甘いように感じました。
そこで2ゲーム目からはブラック・ウィドウにチェンジして、右足22.5枚目からの10枚目膨らましでポケットを突きまくりました。
最初こそ173でしたが、その後は224,225,213,227,226と、安定して打ち上げることが出来ました。

普段は一人で、傍目を気にすることも無く、淡々と投げるだけですので、注目されると投げがいが出てきます。
たまに、初心者のギャラリーが出現することも有りますが、いいところを見せてやろうと普段よりも頑張りますし、結果もついてきます。
歳をとっても、この幼稚さは消えないものなのですね。

さて、昨日のブログの続きを書きます。

マイボールはゲットしたものの、スコアはハウスボールを投げていた頃よりも落ちてしまいました。
週に3日ほど練習するようになりましたが、なかなか上達しませんでした。
そんな中、私がストライクを出した時に、”ナイスボール!”と声をかけてくるオッサンが現れました。
I さんといいますが、私よりも18歳年上でしたので、当時は60代前半だったのでしょう。
私よりも少しだけ背が高く、筋骨隆々とした体躯に、精悍な顔つき、鋭い目つきですので、最初はヤクザ関係かなと疑いました。
それに、初心者の私から見れば、簡単に200AVEを打つ、雲の上の先輩ボウラーでした。
この、I さんとの付き合いが、私のボウリングと人生に大きな影響を与えることになります。

私のボウリング歴

2013年12月18日 | ボウリング
昨夜もボウリングに行きました。
ラウンドワン田崎店 15番、16番レーン 使用球:508A、ブラック・ウィドウ・バイオレント

様々な投球を試してみましたので、ピンを倒しにいったのは、最後の3ゲームだけでした。
結果:245,202,190 TOTAL:637 AVE:212、3 でした。
ストライクに32回チャレンジして18回成功で、ストライク率56.3%でした。
スペアは8回トライして1回だけ失敗。スプリットは4回でした。

1ゲーム目はフォースからスペアをはさんでまたフォース、10フレこそ割れてしまいましたが上々のスタートでした。
2ゲーム目も順調なターキースタートだったのですが、4フレで大失敗をやらかしてしまいました。
なんと、4番7番ピンのスペアを左側にミスってしまったのです。”初心者かっ!”と怒鳴られそうな恥ずかしいミスです。
このミスで一挙にテンションが下がってしまいました。
3ゲーム目は薄めに行ってのスプリットオープン2つを、2つのダボで消すのがやっとでした。
10フレの2投目はダボのチャンスだったのですが、このゲーム3つ目のスプリットで終了してしまいました。

背筋痛の影響でゴルフの練習に行くことができませんので、いきおい毎晩ボウリングに行くことになります。
何にせよ、スキルが上がった時って楽しいですよね。
ボウリングの上達の仕方は、一次関数では無くて階段状なのです。

私の青春時代は、日本のボウリング全盛期とオーバーラップします。そう、あの、”ナ・カ・ヤ・マ・律子さん!”の時代です。
親がかりでマイボール、マイシューズを買ってもらい、週に一回、一年間ボウリング場に通った経験があります。
そのおかげで、立つ位置やスパットの使い方などの基本が身に付いたので、その後、ハウスボールにハウスシューズでも
170AVE近くは打てるようになっていました。

それから20年以上経過した40代半ばのことですが、スポラというボウリング場での初心者ボウリング大会に出場しました。
ハウスボールにハウスシューズの初心者限定イベントでした。
2ゲームのトータルピン勝負だったのですが、運良く190AVEを打つことができて優勝しました。
その優勝商品がボウリングボールだったのです。
ボールを手に入れると、シューズやバッグもということになります。
そこから、私のボウリング人生が始まりました。(明日に続く)

スキルアップ

2013年12月17日 | ボウリング
昨夜もボウリングに出かけました。
ラウンドワン田崎店 15,16番レーン 使用球:508A、ブラック・ウィドウ
結果:186,193,172,158,269,256,223 
7ゲームTOTAL:1457 AVE208.1 ストライク率:53% でした。

1350円で投げ放題ですので、気楽に練習できます。
まずは、メカテクターをはずしての投球から開始しました。
最近の課題は、トップで内側に引きつけて、いかにインサイドからスイングできるかという一点です。
インサイドを強めるのに比例して、球が指に強くかかるようになります。
すると球の回転も走りも良くなって、威力が増します。

最初は508Aを使ったのですが、メカテクを装着しても、どうも入りが良くありません。
仕方なくブラック・ウィドウに持ち替えて、内側の板目に狙いを変えました。
そして4ゲーム目からピンを倒しにいったのですが、大失敗に終わりました。
右足25枚目から12枚目を膨らませてポケットに集めたのですが、このアングルですと、ちょっとした薄めでも、割れてしまいます。
スプリット3つにテンピンミスもあって158というロースコアに終わりました。

そこで右足22.5枚目から10枚目を膨らませることに変更したところ、ジャストポケットが続きました。
そこからは、お祭り騒ぎで、ラスト3ゲームを、TOTAL:748 AVE:249.3 と打ちまくることが出来ました。
ラスト3ゲームに限って言えば、
ストライクを狙った投球は35回で、そのうち24回を成功させており、ストライク率は68.6%でした。
スペアに10回チャレンジして、失敗は1回だけでした。



明らかなスキルアップを自覚できました。
この歳で、ボウリングが上手になれたことには幸せを感じます。

今年はだめでしたが、来年こそはゴルフのスキルアップを自覚したいものです。


平成25年の忘年会

2013年12月15日 | お酒


昨夜はホテル・ニュー大谷で、はせがわクリニックの第18回目となる忘年会を開催しました。
例によって最初は全員が神妙な顔つきで記念写真に収まっています。



少しづつ酔っ払ってきて



この夜は、婦長が暴走してしまいました。
誰彼構わずにチューをし始めて、あげくの果ては女性スタッフ全員にディープキスを強要して回りました。
私は、なんとか被害を免れたと思いますが、定かではありません。

酔いどれた婦長を帰して、二次会はスナック、”安楽”を利用しました。
私は勝手にリクエストされたサザンの、”スキップ・ビート”を歌わされる羽目に陥ってしまいました。
そのせいで、今朝は低音のガラガラ声になっていましたが、それくらいで済んだのですから上の上でしょう。
毎年、はせがわクリニックの忘年会が終わると、年末最大の難関を突破したように思えて、ホッとします。


ケーゲル社のカストーディアン

2013年12月14日 | ボウリング
昨夜もボウリングに繰り出しました。
ラウンドワン田崎店、11、12番レーン 使用球:508A、ブラック・ウィドウ

結果:202,233,204,198,204,185、TOTAL:1226 AVE:204.3 ストライク率:49.3%
ストライクを狙った投球は67回あって、33回成功しました。
スペアに24回トライして23回成功しました。
スプリットは7回あって、1回だけクリアーできました。

とにかく難しいレーンコンディションでした。
7回ものスプリットが、それを物語っています。
出しすぎると、逆に戻りすぎて厚めに入ってしまうというパラドキシカルなレンコンだったのです。
さらに、10枚目の内側を使うと、球は滑って行って戻りません。
苦しくても7枚目から10枚目を使うしかなかったのです。

このようなパターンが2回続いています。
次回は違うオイルパターンのレーンを試してみようと思います。

まてよ、今、気づいたのですが、1番レーンから10番レーンまでが40フィートのショートオイル。
11番から18番までが43フィートのロングオイルになっています。

これまで、私たちが1番、2番レーンを使用することは有り得ませんでした。
オイルはコンピューター制御されたマシーン(ケーゲル社のカストーディアン)で1番レーンから次々と自動的に撒かれていきます。
スタートの1番、2番レーンでは、未だオイルの出方が安定していないので、難しいレンコンになってしまうからです。

最近の11番、12番レーンがロングオイルの撒き始めになっていることが難しいレンコンの原因になっているのかもしれません。
そういえば、最近は常に11番、12番レーンばかりを使用しています。
そして11番ではブラックウィドウをを、12番では508Aをと、使い分ける必要に迫られています。

次回は15番、16番レーンを試してみます。

選曲の偏り

2013年12月13日 | ジャズ
スナック、”KON’S”に提供するJAZZのBGMを収めたUSBの最新編集版を聴きながらブログを書いています。
KON’Sの客にはJAZZファンは少数というか、マニアはほとんどいないと思われます。
したがって、彼らの邪魔にならないような選曲が求められる訳で、普通にマイルスやコルトレーンを流すわけにはいかないのです。
メロディーラインが美しくてスイングする曲を選んだところ、著しい偏りが出てしまいました。
82曲7時間をUSBに収めたのですが、曲目数にすると28曲にすぎないのです。
何故かと言えば以下のように、同じ曲で演奏者が違う物を多く収めてしまったからです。

Softly As In A Morning Sunrise:13曲
Autumn Leaves:12曲
Summertime:8曲
You And The Night And The Music:7曲
Dear Old Stockholm:7曲
Birk's Works:5曲
I Will Wait For You:5曲
You'd Be So Nice To Come Home To:4曲
Bohemia After Dark:2曲

これら9つの曲目を合計すると63曲にも達します。
つまり他の曲目は82から63を引いた19曲しか無いのです。
その19曲も列記してみます。

No Problem、Lover come back to me、Hash-A-Bay、Besame Mucho、Five spot after dark、Love your spell is everywhere、Take Five
Big Bertha、Beautiful Love、Lullaby of the Birdland、It's don't mean a Thing、Morning of the Carnibal、Recad Bossa Nova
Song for my father、The Cape Verdean Bluse、It's allright with me、Left alone、Holy Land、Charade、Full Houseです。

このことから分かることは、私が普通のJAZZのメロディーを、いかに嫌っているかということです。
普通のJAZZのメロディーは100%近くがメジャーコード(長調)なのです。
私はメジャーコードが嫌いです。ということは、ほとんどのJAZZの楽曲が嫌いであるということになります。
私が選んだ曲は、映画音楽、シャンソンや、コール・ポーター、ジョージ・ガーシュインなどのミュージカルを
JAZZにアレンジした物ばかりで、その殆どがマイナーコードです。
ちなみに、コール・ポーターは、You'd be so nice to come home to や、It's allright with me を、
ガーシュインは、Summertime を作曲しています。

というわけで、スナックのBGMとしては秀逸な選曲ではなかろうかと思います。
JAZZファンも退屈させない選曲だと、自己満足の世界に浸っております。
宣伝モードになりますが、スナック、”KON’S”はクラブ通りの武蔵ビル1階にあります。
下通アーケードよりも駕篭町通り側の、酒場通りに通り抜けられる1階の通路途中にあります。
JAZZファンにかぎらず、どうぞ聴きにきて下さい。
TEL:096-354-4367 です。

今回、新たにアマゾンからダウンロードした曲に、掘り出し物の絶品があったので紹介します。
Brian Dee の I will wait for you (シェルブールの雨傘)です。
鳥肌物の名演奏です。
ブライアン・ディーについては英国のピアニストらしいのですが、詳細はわかりません。

村上春樹 イエスタデイ

2013年12月10日 | 読書
今月号の文藝春秋に掲載された上記作品を読みました。
主人公というか、語り部は、芦屋の出身で東京の大学に出てきて2年目の学生です。
このセッティングは村上春樹が読者に、主人公は若い頃の自分自身の投影ですよと表明しているものだと思います。
この物語の登場人物は3人だけです。
主人公と同じ年で2浪目のバイト仲間と、その幼馴染でもある彼女です。

バイト仲間は生まれも育ちも田園調布なのですが、一生懸命に英語を勉強するように関西弁に取り組んで、完璧にマスターしてしまい
日常会話を100%関西弁で通しています。
彼が作ったビートルズのイエスタデイの奇妙な関西弁訳が紹介され、そこからこの作品のタイトルができました。

面白かったのは、村上春樹が、作品の中で当時の自分自身を以下のようにみなしているという点です。
誰かにすぐ大事な相談をもちかけられてしまうことも、僕の抱えている問題の一つだった。

決めの台詞を口にしすぎることも、僕の抱えている問題のひとつだ。

でも自分が二十歳だった頃を振り返ってみると、思い出せるのは、僕がどこまでもひとりぼっちで
孤独だったということだけだ。


ネタバレを避けるためにこれ以上アップしませんが、なかなか楽しめる作品でした。

9ゲ-ム連投

2013年12月10日 | ボウリング
昨夜は5時半の閉院後すぐにラウンドワンに行きました。
システムが変わって投げ放題1250円です。
これまでは6ゲームの年寄り割引で1500円でした。
投げ放題と言われても年寄りには6ゲームがやっとじゃないかとも思いましたが、9ゲームにチャレンジしました。
早く帰宅しても8時半までは飲めないからです。

11番、12番レーン 使用球:トラック社の508A、コロンビア社のブラック・ウィドウ・バイオレント
結果:234,201,224,194,192,234,213,172,226
   TOTAL:1890 AVE:210 ストライク率:54% でした。
   ミスは5回、スプリットは6回(1回はクリアー)でした。

9ゲームですと腕力で投げきるのは無理です。
もともとプッシュアウェーからのダウンスイングで、少し腕力を加えてインサイドに引き込む癖がありました。
それを中止して、外に上がっても構わないとして、アバウトにトップまで持っていき、
そこから右手を体幹に引きつけながら時計回りに外旋して球を拾ってやるという投げ方を練習しました。
嬉しいことに、完全な脱力投球をすることができましたし、球にも縦回転がかかりやすくなりました。
球にフリーな振り子運動をさせて、そのタイミングにシンクロさせたスィングで球を拾ってやるだけの投法です。

久し振りにボウリングのスキルがちょっとだけアップしたような気がしました。

アクティブスピーカー

2013年12月09日 | パソコン


JBLのアクティブスピーカーCAS-33を15000円で購入してセッティングを終了しました。
アクティブスピーカーというのは、アンプが内蔵されたスピーカーのことです。
本来ならばUSBDACからアンプを経由してスピーカーに継なぐのが常道なのですが、アンプの機種選定は楽ではありません。
10万円以上、おそらくは20万円を超えるような出費が予想されるからです。
とりあえずは安価で簡易な形式を選択しました。

配線ですが、もちろんこの製品は、USBDACへの接続など考慮されていませんので、ヤマダ電気に行き、接続ケーブルを探しました。
どのようなケーブルが必要なのかが分かってきました。急速にスキルが向上しつつあります。
とりあえずは試しですので普通の価格のケーブルを買い求めました。(880円)
配線を終えて曲を流してみたのですが、スピーカーからは全く音が出ません。
あせって、色々チェックしたのですが、何とスピーカーにボリューム機能が付いていてゼロになっていました。
アンプ内蔵が成せる技でしょうが、スピーカーにボリューム調整ダイヤルがあるなんて、想像外でした。



無事に音が出ましたので、近日中に高級なケーブルと取り替えるつもりです。
PCオーディオにおいては、ケーブルの種類によって、随分と音が変わるそうなのです。
さて、音質ですが、販促品のミニスピーカーでは出なかった低音が響きますので、迫力があります。
念の為に、ミニコンポと比べてみましたが、まるで違う曲のように聴こえます。
とにかく解像力の差が決定的で、少しですがKON’Sの音に近づくことが出来ました。

指南書に書いてありましたが、PCオーディオは終点の見えない世界だそうなのです。
努力をすればするほど、金をつぎ込めばつぎ込むほどに音質は改良されていくのだそうです。
したがって、どこの時点かで、これで十分だと割り切る必要があるそうなのです。
今、JBLのスピーカーは Phill Woods の Dear Old Stockholm を素晴らしい音質で吐き出しています。
なんだか、これで十分なような気もしますが、やがては物足りなくなるのでしょうね。

アルコール性肝機能障害?

2013年12月08日 | お酒


今月の血液データで、糖質制限を始めて以来初の肝機能異常値が出ました。

GOT:44、GPT:45、γ-GTP:52
ALP:124、LDH:199、ChE:278、CPK:138、
総コレステロール:209、中性脂肪:126、悪玉コレステロール:145
尿素窒素:22.2、クレアチニン:0.63、尿酸:3.8、
Na:140、Cl:100、K:4.69、Ca:9.7、血清鉄:76、血糖値:99
白血球:5600、赤血球:476万、ヘマトクリット:45.1 でした。

スーパー糖質制限は続けているし、中性脂肪も正常値ですので、アルコール性でしょう。
最近は、家飲みでも、普通にボトル3/4は空けてしまいます。
下手すると、殆んど1本空けることも珍しくはありません。
その原因は、飲み始める時刻が早すぎることにあります。
ゴルフの練習を昼休みに済ませる日が増えたので、夜は早くから飲めるようになったのです。

昔は、ゴルフ練習から帰って風呂に入ると、8時半を過ぎることが多かったのです。
そこで決意しました。
8時半になるまでは、家飲みを開始しないことを誓います。

ところで、私の行きつけであるディスカウント酒屋は、私のクリニックとは反対側である熊本市東部の郊外にあります。
レシートに千円単位でスタンプを押してもらい、ある程度の点数に達すれば、ウィスキーなどの景品と交換出来ます。
そこで、レシートは全て保管することになります。
今年の分のレシートから、どのくらい購入したかを調べたところ、以下のような結果が出ました。
ジョニ黒700mlボトル:78本
ジョニ黒1000mlボトル:52本
払った金額は2180円×78=170040円と3180円×52=165360円を合わせた335400円でした。
もちろん、他の店で購入することもありますし、患者さん達からの中元は、婦長の喧伝のおかげで、その殆どがジョニ黒です。
335400円を11で割ると3万円です。
概算ですが、毎月3万5000円ぐらいは、家飲みでジョニ黒を消費しているようです。
700mlのボトルに換算すれば16本になります。
毎晩家飲みしたとしてもボトル半分ですか。週に2,3回は外飲みしますので、メチャクチャですよね。

写真はネットで注文したジョニ黒のダース買いです。
夏場は阿蘇でのゴルフ帰りに東部の酒屋でジョニ黒を買って帰ったのですが、寒くなってくると阿蘇には行きません。
そこでネットの安売りに走ったのですが、こんなことをやっている場合ではありませんよね。


ハイレゾ入門

2013年12月06日 | パソコン






今年の夏に、スナック”KON’S”のオーディオシステムが変更になり、USBが挿入できるようになりました。
さらに、スピーカーも、一般人が知る由もないマニアックなレーベルの物に交換されました。
私はジャズ80曲くらいをUSBに入れて、店に提供していますが、その音質の良さには毎回打ちのめされてしまいます。
自分が何度も聴いた曲なのに、まるで聴いたこともない曲のように聴こえるのです。
ですから、そのマニアックなスピーカーに、沸々と物欲をたぎらせておりました。

ところが、最近では2013年が、”PCオーディオ元年”と言われ始めたということを耳にしました。
以前から音響メーカーが細々とした需要に対して、細々とした供給を続けてきた分野なのです。
それでもSACD(Super Audio CD)がリリースされるなど、少しだけ注目を浴び始めた分野なのです。

そして9月には、このマイナーな分野に、なんと、天下のソニーが参戦してきたのです。
普通のCDは44.1kHz/16bitのコンテンツですが、もともとのマスター版は48kHz/24bitや96kHz/24bitなのです。
このような、コンテンツのボリュームを増やした音源を、”ハイレゾ音源”と呼びます。High Resolution の略です。
せっかくのハイレゾ音源を普通の高級コンポで再生しても、”猫に小判”なのです。
パソコンからのデジタル信号をアナログ信号に変換するUSB-DAC(Digital Analog Converter)が必需品なのです。
こいつを使用することにより、CDの3倍から7倍の情報量を引き出せるのです。
ソニーはウォークマンシリーズやDAC内蔵のヘッドフォンをはじめとして、8カテゴリー18機種を一挙に発売しました。
さらに、”mora"というウェブサイトを立ち上げて、そこでハイレゾ音源の曲を販売し始めたのです。
この小さな市場の将来性に賭けたということでしょう。

私も、まずは、”KORG”というメーカーのUSBDACをネットで注文しました。送料込で39000円でした。
今日届いたので早速組み立ててみたのですが、なかなかうまくいきません。
USBDACのドライバーをウェブからダウンロードするのですが、それだけではダメなのです。
まず、ZIP形式のファイルを解凍する必要があります。
そして、たくさんのファイルの中身から、setup.exeというのを見つけ出して、そいつを開くことで、ようやくインストールが始まるのです。

3時間もの苦闘の末に、ようやく音が出ましたが、かなりの達成感を味わうことができました。
T君ならば10分で立ち上げるだろうと思いますが、この達成感でチャラ?でしょう。

スピーカーは以前に販促品として某薬品メーカーからいただいたPC専用の物です。
普通のコンポのスピーカーをパソコンに流用することは禁忌なのです。
価格に関わらず、ちゃんとPC用のスピーカーを利用せねば期待する音質は得られないのです。

今、PCから流れるJAZZを聴きながらブログを書いています。
音質ですが、これまでとはまるで別物です。ポータブル蓄音機がHi-Fiステレオに駆逐された時代を思い出してしまいました。
テレビに例えるならば、解像度が上がったと表現するのでしょうが、多くの楽器の音がそれぞれクリアーに聴こえるのです。
音源は普通のmp3であるにも関わらず、音質が向上するのです。
これでハイレゾ音源をゲットして鳴らしたならば、どんな音質を味わうことになるのでしょうか?ワクワクします。

あとは、スピーカーをじっくりと吟味して購入すれば、私のハイレゾ入門は一応成功に終わるはずです。

これまでの私は、それほど音質に神経質になることはありませんでした。
しかし、今回の経験で、少し目覚めてきたのかもしれません。
”私のハイレゾ入門は一応成功で始まった。”と言うべきかも知れません。
まさに60の手習いですよね。




好きなオイルパターンを選べる!

2013年12月05日 | ボウリング
昨夜は3週間ぶりにラウンドワンに行ってきました。
すると大幅なシステムの変更が施されていました。
料金も、曜日によっては投げ放題になるなどチョッピリ安くなっていましたが、それだけではありませんでした。
なんと、レーンのオイルパターンが3通り作られていて、好きなレーンを選べるようになったのです。
これは私にとっては夢のようなできごとです。
よほど混雑していない限りはロングオイルの速いレーンで投げることができるからです。

すぐに、43フィートまでオイルが入れられたパターンを選択しましたが、いつものアメリカンではなく、ヨーロピアンとしました。
すなわち、11番レーンのみを使用して投げました。
昨夜は某企業の、80数名が参加するボウリング大会で賑あっていましたので、一人で2つのレーンを使用するのが憚られたからです。

使用球:トラック社の508A 15ポンド
結果:196,211,200,201,212,254 TOTAL:1274、AVE:212.3、ストライク率:56%でした。

1ゲーム目は練習のために15枚目を通すと決めていました。
速いレンコンで心配だったのですが、球はちゃんとフックしてポケットを突きました。
しかし、さすがに幅は無く、チョットでも出しすぎると薄めに行って割れてしまいます。
結局2つの割れをダボとターキーでカバーして終わりました。

2ゲーム目は10枚目を通して、全球ポケットヒットに成功しました。
不運なセブンテンもありましたが他は、テンピンが残るかどうかという単純なゲーム運びをパンチアウトで締めくくりました。

3ゲーム目も10枚目を使ったのですが、順調なターキースタートでした。
ところが4フレからストライクが来なくなり、なんと9フレまで、6フレーム連続でスペアかスプリットでした。
しかたなく、8枚目に狙いを変更です。
いつもなら、外から、次第に内側のスパットに変更していきますので、真逆の進行です。

最後の6ゲーム目は開き直って7枚目をスピードボールで通しました。
頭から6連続ストライクで、7フレスペアの後、8、9フレとダブルでしたので、またまたセミパーフェクトかと思いましたが
10フレの7本カウントで尻すぼみに終わりました。

ともあれ、毎回好きなレンコンを選べるならば、300点が近づいたようにも思えます。

悪魔のような提案

2013年12月02日 | ゴルフ
昨日は一ヶ月半振りにラウンドしてきました。
城南カントリークラブで、同伴者はT君と、以前にアップした医者仲間で、4月4日生まれのHです。
結果は私が102打の33パット、Hが100打、T君はボロボロの大叩きでした。
T君の何がボロボロだったかと言えば、ドライバーとバンカーショットです。
それぞれで10打以上のスコアを失ったと思われます。
Hが100を打つのも珍しいことでした。
飛ばないけれども、手堅いゴルフで、寄せとパットの名手ですので、私は彼が100を打つのを目撃した記憶さえありません。
私はと言えば、前半のインこそ、新ドライバーがボロボロで55を叩いたのですが、後半はドライバーを捨ててスプーンを使用し
47にまとめました。
見せ場は後半のアウト4番ショートホールでしょうか。
ピンまで145ヤードでしたが、私の8番アイアンでのショットはピンの右2mにつきました。
ボール1個分のフックラインを読み切ってのナイスバーディーでした。

さて、そもそも私が38歳でゴルフを始めたのは、Hの勧めに因るところが大きかったのです。
始めてはみたものの、ろくに練習もせずにコースに出ては140台を叩き、戦意喪失で、数ヶ月もクラブに触らないということを
繰り返していました。
それでもスコアは何とか120台までは到達しましたが、そこで低迷してしまいました。
そんな年の正月明けですが、二人で飲んでいる時に、Hと私は、ある約束を交わしました。
それは、その年のゴールデンウィークが終わるまでに110の壁を切れたならば、Hが1万円を差し出すという物でした。
もちろん、切れなかった場合には、私が1万円を支払わねばなりません。
そこから私の猛練習が始まりました。
1月15日にラウンドして以来、一日も欠かすこと無く、練習場に行くかラウンドするという日々を4月の末まで続けたのです。
粉雪が舞う中、貸切状態の練習場でひたすらウェッジを打ち続けた夜もありました。
ネットが下ろされていたせいで、ウェッジ以外のクラブ使用が禁止になっていたからです。

さて、GWまで1週間となったタイミングで、Hと飲みに出ました。
その頃の私のスコアといえば、120を切ったり、越えたりの繰り返しで、115も切れてはおりませんでした。
そこで、その晩Hは新しい提案を私に突きつけてきました。
”長谷川さん、もう2週間しか残ってないので、110を切るのは、もう無理ですよ。だから今夜払ってください。”
私は言い返しました。
”馬鹿な。まだ数回ラウンドするのだから、十分チャンスはある。”
するとHは悪魔のような提案を持ち出したのです。
”今夜払うのならば、8000円にまけますよ。”
悪魔にそそのかされた私は、その夜8000円を払ってしまいました。
思い出すたびに自己嫌悪にかられる哀しい記憶です。
悪魔に魂を売り渡したようにも思えるからです。

で、実際にGW終了までに110を切ることはできませんでした。
しかし、5月の末に突然105がでました。
そして6月には、いきなり96という好スコアで100を切ったのです。

そのことで学習したことは、練習の成果が現れるには数ヶ月のタイムラグを要するということです。
つまり、目先の勝負に対して努力するよりも、数ヶ月先を目指して練習するべきだということでした。
しかし、最近の自分を振り返ってみれば、ずっと、何年も努力は続けているのです。
もしかしたら、哀しいことに、年寄りは数年?のタイムラグを覚悟せねばならないのかもしれません。