はせがわクリニック奮闘記

糖質制限、湿潤療法で奮闘中です。
パーキンソン病にはグルタチオン点滴を
癌には高濃度ビタミンC点滴も施行中です。

古希

2021年06月19日 | 日記
本日6月19日で70歳の誕生日を迎えました。

70歳を古希というようです。
唐の詩人である杜甫の一句、 「人生七十古希稀な」に由来するそうですが、
杜甫と言えば「春望」という五言律詩が代表作でしょう。

国破山河在
城春草木深
感時花濺涙
恨別鳥驚心

烽火連三月
家書抵万金
白頭掻更短
渾欲不勝簪

国破れて山河在り
城春にして草木深し
時に感じては花にも涙をそそぎ
別れを恨んでは鳥にも心を驚かす

烽火山月に連なり
家書万金にあたる
白頭掻けば更に短く
渾て簪に勝へざらんと欲す

最後の一行は、すべてしんにたえざらんと欲す と読み
白髪頭が短くなってカンザシを挿せなくなったという意味です。

私自身は、この5年間で前髪が次第に無くなっていき、昔ながらの髪型をキープするのが困難になってしまいました。
そこで、今年の3月から、ほとんどボウズ頭に近いようなジジイカットに変更しました。
勿論、カンザシは挿せません。

70のジジイとして開き直って、堂々と人生の終盤戦を生きていく所存です。






梅と桜を、まとめて花見

2018年03月23日 | 日記
今年も遅咲きの梅と早咲きの桜がバッティングしてしまいました。





毎日犬の散歩でお世話になっている梅林公園で、今日の昼休みにクリニックの花見を開催しました。

モモとランのアップは



今日は朝の気温が2度と冷え込んだのですが、晴天のせいか気温がどんどん上昇し、公園に着いた頃には上着は不要になっていました。

さて、先週の土曜日は久し振りに妹と慎ちゃんが熊本に遊びに来ました。



T君も呼んで、まずはステーキの島崎でジョニ黒と赤ワインをいただき、
以前に、” 居酒屋二貝 ” を経営していた二貝さんが2月にオープンさせた
スナック、” プリズナー ” にまわりました。

翌日曜日は、妹夫婦と中九州ゴルフクラブをラウンドしました。
私は久々のゴルフでボロボロだったのですが、妹と慎ちゃんも不調で泥仕合となりました。
それでも私は120くらいを叩いて最下位でした。
なんだか、ゴルフを始めて1年目くらいの頃のスコアに戻ってしまいました。

それでもあきらめること無く、ゴルフにしがみついて、努力を続けていきます。
ゴルフに限らず、健康に生きていくためには、色んなことをあきらめずに、必死にしがみついていくことが必要な年齢なのです。






35年ぶりの再会

2018年01月15日 | 日記
学生時代に味噌天神に住んでいた時代がありました。
近所に ” 水仙 ” という居酒屋があり、私はその店の常連でした。

ある日、その店に学生さんらしき男が一人で入ってきてマスターに尋ねました。
” 日本酒は一杯いくらでしょうか? ”
これが私と中川君との初めての出会いでした。
中川君も医学部の学生だったのですが、敬虔なクリスチャンで、飲み歩いた経験は無いとのことでした。
しかし、一緒に飲んでみると意外に強く、穏やかで優しい酔いっぷりを見せてくれました。

中川君には、やはりクリスチャンであるミホちゃんという彼女がおり、毎晩12時ごろになると飲み屋から彼女の部屋に必ず電話を入れていました。
内容は、いつも、” 大丈夫だ、飲みすぎないように気を付けて帰る。 ” というワンパターンなものでした。
(後年、私も水仙のマスターも、この二人の結婚披露宴に出席することになります。)

中川君にはパチンコの必勝法を教えてやり、よく二人で飲むようになりました。
ところが、ある日の朝方5時ごろに中川君から電話が入りました。
” 水仙にいるんだけど、メガネが見つからないので助けて欲しい。 ” という内容でした。
水仙に駆けつけて店の戸をガラリと開けたのですが、店内はたくさんのテーブルや椅子や植木鉢が倒れて、箸や灰皿やコップなどが散乱していました。
畳敷きの部分に中川君と、酔いつぶれかけたマスターが座っていました。
どうしたんだ?と尋ねると、” 相撲を取った。 ” とのことでした。
マスターは骨太で、大きなゲンコツの持ち主でした。
中川君も柔道部出身のがっちりした体格ですので、この二人が相撲を取ると、ただでは済まないことが容易に想像できました。
相撲を取った理由については最後まで分からずじまいでしたので、泥酔していたのでしょう。

中川君が卒業して大阪へ行ったことは知っていたのですが、それからは連絡を取り合うこともなく、35年が経過しました。

ところが最近熊本に顔を出すとの連絡が水仙のマスター入り、飲み方がセッティングされたのです。
街の料理屋に中川君とマスターと私、それに、やはり水仙の常連であった熊日新聞関係の方が集まって乾杯となりました。
中川君は髪の毛に白いものが混じりチョッピリ太っていましたが、昔の面影は十分残っていました。
そして何よりもその穏やかで優しい話し方に全く変わりがないことに感動させられてしまいました。
近畿大学で腫瘍学の教授をしているそうですが、偉そうなそぶりは皆無でした。
2次会まで痛飲したのですが、中川君は最後は寝落ちしそうになりました。
酒だけは弱くなったのかな?
それとも、こちらが強くなりすぎたのでしょうか?

花岡山で花見

2017年04月07日 | 日記
水曜日の昼休みはスタッフと患者さんを連れて近所の花岡山に登りました。
その頂上には昔インドのネール首相から寄贈された仏舎利塔がありますが、桜の名所としても有名なのです。
もちろんランとサラも同行しました。



思い起こせば、平成7年の暮れにクリニックを開業した翌春に、当時2ヶ月くらいの仔犬だったワンとクロを連れて
やはりスタッフや患者さんと昼休みに、この地で花見をしました。
21年ぶりの花岡山花見ですが、ランとサラが昔を再現してくれました。
再現とは言っても、私以外はすべて、人も犬も変わっていますが.....





21年前だと私は44歳だったはずです。
当時の記憶は確実に劣化し続けており、鮮明に思い浮かべることは不可能になっています。
それでも当時の自分の人生の雰囲気だけは、なんとなく覚えています。
多忙で、困難で、欲張りな人生を送っていたような気がします。

現在ですか?

暇で、イージーで、欲はゴルフだけの人生です。


今年も2月の禁酒生活をスタートさせました。

2017年03月08日 | 日記
一昨年は15日間、昨年は3週間の禁酒生活をクリアーしました。
今年は作戦を変えて、毎週5日間の禁酒を続けることとしました。

2月12日からの3週間は簡単にクリアーできました。
基本的には家飲みを止めたのです。
勉強会や木曜会などの外飲みだけをOKとしました。
このプランだとエンドレスに実行可能なようにも思えます。

家では、例のごとく鹿児島産の黒酢を炭酸で割って飲みます。
これが私の禁酒のコツで、脳がだまされるのか、満足してしまいます。
酔わないことだけがネックですが、飲み始めると不満は全く無く、アルコールに手を出す心配はありません。

ゴルフは3ヶ月以上もラウンドしていません。
練習は続けていますが、冬眠状態が続いています。

ボウリングは一年以上も投げていません。
昨年、右の脇腹を痛めて以来、怖くてトライできません。
年齢的に引退するべきかと思われます。

振り返れば、このブログを立ち上げた5年前のサブタイトルは、”酒とゴルフとボウリング、そして時々診察” でした。
当時は5年後も同じような生活が続くものだと思っていたのですが、寄る年波には勝てないようです。
唯一変わらずに続けていけたのは糖質制限だけのようです。
これだけは死ぬまで続ける自信というか信念があります。

じゃあ診察はどうなのかと言えば、75歳までは続けようと思います。
その先はどこかでリタイアせざるをえないでしょう。
しかし、75歳まで仕事を続けられるということは、 ”幸せ” という人生の一項目にカウントできると思います。

ゴルフは今度の日曜日がデビュー戦です。
いい歳をこいても胸が崇まります。
もちろんゴルフも幸せの一項目です。

冬眠していたブログも再開します。
宜しくお願い致します。

包丁研ぎと鏡面仕上げ

2016年12月14日 | 日記
昨日は昼休みに包丁を研ぎました。



包丁は4本あるのですが、大体2ヶ月ごとに自分で研ぎます。

さて今回もちゃんと研ぎ終わったのですが、初めて鏡面仕上げにチャレンジしました。

刺身包丁を選んで磨き上げていきます。



サンドペーパーの1000番、2000番、4000番、8000番を準備して、その順番で磨いていきました。
最後に車磨きクリームのつや出しで仕上げます。

You-Tubeの指導では所要時間は1時間でしたが、根性に欠ける私は30分で終えてしまいました。
結果は、それなりに輝きはしたのですが、顔が映り込むまでのレベルには達しませんでした。

来年はもっと執念深く磨いてみるつもりです。

ところで、このブログに対する昨日の訪問者数が400人近くありました。
アクセス解析の結果は、なんと ”星野源・蘇る変態” から入ってくる人たちが70人以上もいたのです。
2014年の6月28日に私がアップした記事です。
”蘇る変態” でグーグル検索をかけると、”はせがわクリニック奮闘記” が1ページ目の4番目にありました。

観たことも無いし、観ようとも思いませんが、星野源は最近テレビドラマでブレイクしているらしいのです。

振り返れば、星野源が脳動脈瘤破裂によるクモ膜下出血で倒れたのがちょうど4年前の12月でした。
この回復とブレイクは嬉しいですよね。


余命19年

2016年12月10日 | 日記
今日はパソコンで私の平均余命を検索してみましたが、答えは19年でした。
つまり私は19年後くらいに死ぬようです。
おそらくは正規分布曲線でしょうから、その前後で死ぬということなのでしょうが、
視点を変えれば、後19年くらいは生きていられるということなのでしょう。

私と同じ昭和26年生まれは214万人でした。
昨年の10月の時点で生き残っているのは189万人です。
つまり25万人が死んでしまったのです。
死亡率を計算してみると11.7%ということで、10人に1人以上が死んでしまったことになります。

残された人生には限りがあると考え始めたのは60歳を過ぎた頃からでしょうか。
65歳になった今では、ゴルフを何歳までできるのかという心配が最も切実です。
練習できる体力があるうちに練習しておこうという悲愴ともいえる考えが、毎日の打ちっ放しを続けさせるのです。
しかし、そのことが私のゴルフ寿命を延ばしてくれるかもしれません。

”残された毎日を抱きしめるように生きる。”という言葉を聞いたことがあります。
 
せっかくの残された日々を、怒ったり、悔やんだり、恐れたりして消費するのは馬鹿げています。
ここまで書いて、以前にアップした修猷館の先輩である中村天風の言葉を想いだしました。

今日一日を
怒らず、恐れず、悲しまず
正直、親切、愉快に生きる。


素晴らしい言葉ですよね。

私ですか?
私は、毎日愉快にゴルフして、毎晩愉快に酔っぱらう自信があります。

ゲーム中毒

2016年10月25日 | 日記
ブログをアップしなくなって1ヶ月が経過しました。
きっかけは、囲碁ソフトでした。
いつもの時間にブログを書き込もうとするのですが、ついつい囲碁ソフトを始めてしまうのです。
ずるずると数時間もゲームに熱中するという日々が続きました。
ジジイでもゲーム中毒に罹患するのですね。

さらにまずかったにはこの本の感想をアップしようとしたことにありました。



面白かったのですが、石器時代の初代と、アウシュビッツで殺される2代目の生まれ変わりとして、
現在の東京に住む青年を主人公とするこのストーリーを説明するのは、私のキャパを超えているようで、挫折してしまったのです。

ゲーム以外に何をしていたのかと言えば、ゴルフの練習です。
8月29日に練習を再開させて以来、昨日まで一日も休むこと無く、
打ちっ放しかラウンドに行くという生活を続けています。
当初は暑さもあって、30分の練習で音を上げていたのですが、
最近では90分の打ち放題を、休むことなく軽くクリアーできるようになりました。
妹夫婦との対決が11月27日に設定されていますので、それまでは休まずに続けるつもりです。

アルコールはといえば、かなり節酒しています。(変換キーで摂取が先に出てきたので笑ってしまいました。)
メラトニンを早めに飲んでの早寝を心がけています。
飲酒時間が短縮されますので、結果として酒量が減るのです。

この一ヶ月で深酒したのは5日前の木曜日だけです。
その夜はT君とホテルでの勉強会に出て、その後、飲みに行こうという約束でした。
ところが、当日になってT君が勉強会をドタキャンしてきました。
ただし、2次会からは合流するとのことでしたので、私は一人で勉強会に出席しました。
9時に終了した後に隣室のバイキングで腹ごしらえをして、KON’S に行き、T君を待ちました。
T君が来たのは9時45分くらいだったのですが、シャックリをしながら登場したのです。
私は、” どうしたの? ” と尋ねますが、” いや、別に....” と要領を得ません。
しかし、会話を始めると徐々に原因が分かってきました。
なんと、T君は泥酔していたのです。

その夜は、近所の大病院からの接待があったとのことで、T君は早い時間から飲み始めていたのです。
私もお代わりのピッチを上げて、T君に追いつこうと努力しましたが叶いませんでした。
T君はヘロヘロとなり、会話が支離滅裂になってしまったのです。

さすがにあきらめて11時にタクシーを呼んでお開きとしました。

ところが帰宅しても私はナマ酔いです。
その状態からジョニ黒を400も飲んでしまい、翌朝はアルコール臭を漂わせてしまいました。
深く反省 m(_ _)m

囲碁

2016年09月15日 | 日記
きっかけは忘れたのですが、私が囲碁を覚えたのは大学時代です。
安物の折りたたみ碁盤と碁石を購入してオフクロの指導を受けました。
オフクロは幼い頃に彼女の父親から碁を習っていたそうです。
振り返れば当時のオフクロの棋力は6級くらいだったのでしょうが、私は全く歯がたちませんでした。
そこで囲碁の指南書を買い込んで勉強を始めました。
それでもオフクロに勝つようになるには2ヶ月を要しました。

さて私に負け始めたオフクロは意外な行動にでます。
なんと近所の囲碁教室に通い始めたのです。
そこで定石や手筋を覚えてきては私よりも優位に立ちます。
しかし私も、やがては、その手筋に慣れて、”その手は桑名の焼き蛤”とばかりに不利な展開を回避できるようになりました。
勝って喜び、負けて悔しがるという麻雀みたいな囲碁を繰り返し続けていました。

そんな私でしたが、20代の終盤に転機が訪れます。
ふとしたことから、長崎県の佐世保市で整形外科を開業している10歳先輩の岡先生と知り合いになりました。
そして毎年のGWには、先輩のお宅へ泊まりがけで遊びに行くことが恒例になっていた時期がありました。

先輩の父君は歯科医で、”岡歯科”を開業しておられました。
その近所にはライバルである、”歯科田中”がありました。
その二軒の看板がならんで立ててあるポイントがあったのですが、
地元の人たちはそれを、”岡歯科ばってん歯科田中”と読んでいたそうです。

先輩には弟さんがおられて、やはり歯科医でしたが近所に住まわれており、夕食時には奥さんと二人の子供たちを伴われて現れました。
両親と岡先生ご夫婦と、その4人の子供たち全員で夕食を食べます。
総勢12人のにぎやかな夕食です。
3人での母子家庭に育った私にとっては不思議な眺めでした。

さて、食事が終わると、先輩と父君と弟さんとで囲碁が始まります。
3人とも熱心で、毎月プロを招いて講義を受けるとのことでした。
(このプロは当時としては未だ無名でしたが、若かりしころの彦坂直人九段だったのです。)
そして、私はその3人の対局風景に驚かされました。

とにかく上品で優雅です。
穏やかで、互いに相手を認めて、” なるほど、そういう手がありましたか。”などとつぶやきます。
普段、オフクロと切った張ったの喧嘩みたいな囲碁に慣れきっていた私は反省させられました。
それ以来、先輩たちに憧れをいだいた私は、それをまねているつもりです。

オフクロは私が開業してからも、午後になると、しょっちゅう押しかけてきては囲碁を打ちました。
おそらくは10年近く前までは来ていましたので、80歳を越えていたと思われます.....

私はオフクロと数千局もの碁を打っています。
では、オフクロ以外とはどうかといえば、10人にも満たないのです。
妹とも、せいぜい数十局しか対戦していません。
つまり、わたしの囲碁の99%はオフクロとの対局だったのです。



今回、このソフトを購入して、はまってしまいました。
棋譜は記録に残せるのですが6月27日に始めて既に212局も打っています。
相手の強さを指定できるので、4級から始めてすぐに2級までいきました。
2級でもほとんど勝つのですが、勉強になるので、しばらくは、このレベルで修行を積むつもりです。

オフクロ相手の退屈な囲碁を続けていた私にとっては夢のようなソフトです。

ドンクサい駄馬

2016年09月05日 | 日記
先日の往診の帰りに、私は自分が運転する車に乗り込み、スタッフを待ちました。
やがてスタッフも乗り込んで来たので、シートベルトを装着しようとしました。
ところが、ベルトがなかなかつかめません。
ふと気づくと、すでに装着していたではありませんか!
私はスタッフに気づかれないようにシレーっと発進しましたが、後で聞けば、バレバレだったようです。

この夏はゴルフから遠ざかっていましたので、車のトランクのゴルフバッグは部屋の中に回収していました。
高温になるトランクルームにバッグを放置すると、グリップの接着剤が溶けて劣化するからです。
さらには、新たに練習場用のゴルフバッグを購入しました。



これだと軽いので、毎日部屋まで運びやすいのです。
で、満を持して打ちっぱなしに出かけました。
そして練習場に到着して唖然としました。
なんとバッグを積み忘れていたのです。
片道20分以上もかかる場所ですが、往復を余儀なくされました。
そして、その翌々日に、またもや同じ失敗を繰り返してしまったのです。
対応策として、バッグは、以前通りにトランクに積みっぱなしにすることとしました。
そろそろ涼しくなってきたし....などと言い訳ををつぶやきながら....

私は毎朝洗顔するときはパジャマの上を脱ぎます。
パジャマの襟を濡らす癖があるからです。
昨朝も、いつものとおりに洗顔を終えて、パジャマの上を手に持ち着替え場所にいきました。
パジャマの上をハンガーに掛けました。
パジャマの下を脱いで、ズボンに履き替えました。
そしてその後、なんと、パジャマの上を再び着てしまったのです!
私の目から鼻に抜けるような明晰な頭脳?は、どうやら錆び付いてしまったようです。

老いては麒麟も駄馬にも劣る  という言い回しがあります。
麒麟であったかどうかは怪しいものですが、
私は鈍臭い駄馬に成り果てていきつつあるようです。

コラッ!

2016年07月17日 | 日記
先週の火曜日ですが、意味もなく飲み過ぎてしまいました。
ただただ、自室で独り飲み続けたのです。

翌朝、院長室から降りてきた私は、クリニックの受付を通りながら、スタッフ達からの、” お早う御座います! ” との挨拶を受けました。
いつもならば私も元気よく、” お早う。 ” と返して一日をスタートさせるのですが、
その日は酔っぱらっているのがバレないように、もごもごと小声になってしまいました。
勘の良いスタッフは、” 先生、酔っぱらっているんじゃないでしょうね。 ” とたたみかけてきます。
私は返事もせずに、シレーッと診察室に逃げ込もうとしました。
その時です、私の背中に向かって、” コラッ! ” という声が放たれたのです。....婦長でした。

黙って診察室に逃げ込んだ私は、別のスタッフに、ブツブツとグチをこぼしました。
” この歳で、コラッと怒られるなんてありえない。だいたいコラッていうのは目上が目下に向かって使用する言葉だ。”
” 熊本市の院長で、コラッとスタッフから怒られるのは俺だけかもしれない。 "
"うちは上下関係のけじめがルーズすぎる。 ”

しかし、そのスタッフはすぐに熊本弁で自分の意見を述べました。
” 院長は怒られるガタしかなかです。 ”

標準語に訳せば、” 院長は怒られるだけの値打ちしかないです。 ” でしょうか。
熊本弁の方が、より強く胸に刺さります。 sigh.....

電氣館Cafe・restart

2016年05月12日 | 日記
先週の土曜日に電氣館が復活しました。
そのことはネットで確認していたので、コーヒー豆をゲットすべく、早速押しかけました。
驚いたことに多くの客で混雑していました。
皆、待ち焦がれていたようです。
普段ならば半分も埋まらないような映画も8割の入りだったそうです。
5階建てのビルの2,3,5階がシアターなのですが、しばらくは2階だけの、
それも昼間だけの興業となるようです。

震災以来街には未だ出ていません。
そろそろ、様子を見に出かけてみようと思います。

今春みすみすまた過ぐ

2016年04月28日 | 日記
右脇腹の痛みで3月はゴルフもボウリングもできませんでした。
4月に転倒して顔面を負傷し、その傷が癒える頃に熊本地震が発生しました。
結局、これほど何もできずに過ごした春は記憶にありません。

そこで、" 今春みすみすまた過ぐ " という一節を思い出してグーグル検索をかけてみました。

杜甫の五言絶句でした。
この句と出会ったのは高校時代でしょうから、50年近い年月が流れています。
その中の一節を、ふと思い出すわけですから、人間の記憶力って不思議ですよね。
最近の出来事はすぐに忘れるくせに.....

江碧鳥逾白
山青花欲然
今春看又過
何日是帰年


江みどりにして鳥いよいよ白く
山青くして花燃えんと欲す
今春みすみすまた過ぐ
何れの日にかこれ帰年ならん


看という字は、目の上に手をかざして見る、つまり、注意深く見るという意味で、そこから看護婦という単語が発生したと習いました。
ところが、この句では看過ごすという意味で使ってあります。
この句の日本語訳にみすみすを持ってきた人は天才ですよね。
もともとは、" みすみす獲物を逃がすのか? " などのような使われ方をしていたのでしょうから、
" 手をこまねいて " というニュアンスがあるようです。

例文を作ってみます。

" 3月は仕方なかったとしても、4月は、やろうと思えばできたはずのゴルフ練習のチャンスを、
手をこまねいて、みすみす逃してしまった。"


桜トンネル

2016年04月04日 | 日記
土曜日は植木の歯医者で治療を受けた後に、大津まで足を伸ばしました。
目的は桜トンネルです。
大津町の菊池バイパスにミルクロードへショートカットをする道があります。
1.5Kmくらいですが、片側一車線の道路で両側の桜が握手するようなトンネルになっている部分があるのです。









わたしと目的を同じくする車のせいで渋滞していました。
しかし、渋滞のおかげで、運転しながら写真を撮ることができました(^^♪

その帰り道ではヤマダ電氣に立ち寄って、歯医者に以前から強要されていた電動歯ブラシを購入しました。
使用感は最悪なのですが、トリセツには、" 慣れる " と書いてありました。
それを信じるしかありませんが、宗教的な、" 妄信 " を強制されているような気もします。






故障者リスト入り

2016年02月29日 | 日記
アルコール解禁日の25日木曜日は、午後休診を利用してボウリングに行き、8ゲームほど練習をしました。
そして、夜は既にアップしたとおりに、街で久し振りに飲んだくれました。
ところが、翌朝、強烈な右の脇腹痛を発症していたのです。
咳もできないほどの痛みですし、クシャミをすると大声で呻いてしまう始末です。
翌日は安静を保って、土曜日のボウリング大会に臨んだのですが、練習ボールを数球転がしただけでギブアップしてしまいました。
今日で4日目ですが、痛みは全く改善しません。
右の第4肋骨に圧痛点がありますので、骨折の可能性が高くなってきました。
バストバンドを装着して仕事をこなしている状況です。

故障の原因はボウリング以外に考えられないのですが、プレー中や、夜の飲み方では痛みを感じませんでした。
妙な投げ方をしたわけでもないので疲労骨折でしょうか?
結局、原因は加齢によるものと診断すべきでしょう。

トホホな故障者リスト入りとなってしまいました。