はる風かわら版

たかぎはるみつ の ぼやき・意見・主張・勝手コメント・コラム、投稿、原稿などの綴り箱です。・・・

日本列島の地質的問題を無視するな。

2013-11-05 14:59:01 | 徒然なるままに・・
◆日本列島の地質的問題を無視するな。

毎週金曜日の夕方に全国各地で脱原発のデモは一時ではないにしろ、今も続いているようです。泊原発訴訟も「生存権」を持って裁判が続いています。しかし、政府は再稼働を目標とし、安倍政権は原発プラントの輸出に前のめりになっています。
  
私も一度だけですが、札幌のデモに参加しました。道庁の周りを歩く参加者はごく普通の市民ばかりでした。つい先日は東京で反原発スーツデモというサラリーマンが中心となったデモもあったようです。原発推進派が左翼と名指し対峙している反核・平和運動の人もいるでしょうが、参加者の多くは、原子力発電=放射能汚染の心配から、再稼働を反対する脱原発社会を望む人達でしょう。

民主党政権下で、圧倒的な多数の「脱原発社会を望む」パブリックコメント等の結果により原発ゼロ社会への模索がやっと政府レベルでも開始される「気配」が出てきました。しかし、民主党政権は、その場限りの迎合的な対応だったのか、原発推進・電力業界の圧力??によって、「脱原発社会への実現」は、明確に閣議決定もされず、長い時間をかけ国民から集めた意見は、今後のエネルギー政策を考える上の「参考」と位置付けられてしまいました。原子力規制委員会や規制庁の重要ポストもこれまでの推進派と目される人々が占め、さらに、建設凍結だった大間原発の建築再開を経産相が認め、産業界はこぞって原発推進を国や原発立地自治体へ表明をし始めました。そして、その中での衆議院が行われ、民主党は壊滅的大敗をきし、自民党が大勝し、政権は自公へ戻ったのでした。

昨年の日本の経済指南役と言われる竹中何某の、「貧乏の自由、貧乏をエンジョイしてもいいが、(経済発展に精力を注いでいる人の)足は引っ張らないで欲しい」との発言にはびっくり仰天しました。日本の産業と政治構造は明治以来、「経済富国」を目指すだけで、なんら変化することができないのでしょうか。

 電気エネルギーの生産は、国と電力会社が進める国策的事業として国民は黙って供給を受ける側であり、消費者でしかありませんでした。しかし、東日本大震災による福島第一原発の過酷事故は、原子力発電の危険性を国民の多くにわからせました。しかし、電力会社は放射漏れの原因が想定外の高さの津波によって冷却装置が故障したことによるとの主張を変えず、各地の原発の防波堤の嵩上げが始まっています。実際の地震の揺れによる故障や破壊の検証は全くされていないと言っていいでしょう。日本は地震が多発する地殻プレートの境界に生まれた列島であり、これからも巨大地震が発生し続けることは、今では子どもでも知っています。

 そもそも、日本は原発によるエネルギー社会を作るべきでなかった。

プレートテクトニクス論が科学的に説明される以前に原発を中心据え既定路線化された長期的エネルギー戦略が間違っていたことを、今、しっかりと政府だけでなく、国民が広く認め、新しい社会の構築を目指さなければなりません。しかし、その新しいエネルギー戦略を組み立てることもとても難しい。が、そのスタートは切らねばならない。

原発頼みの経済再建ってなんなのでしょう・・・・。 新しい産業の構築ができない経済構造は既得権益のほかならない。今こそが、新しい科学技術の開発、資金の投入、頭脳の結集だと思います。 一方、新しい産業や経済、暮らしの在り方を模索する段階では、当然、さまざまな社会的な痛み、雇用・経済の大転換が伴います。その痛みを取り払うのが政治の役目でしょう。

◆エネルギー問題は経済の問題か?

福島の農産物が売れないことや観光客が途絶えていることを「放射能の風評被害」と消費者側を非難する報道の姿勢が目につきます。スポット汚染ははっきりと現象化しています。放射能数値は明らかに高い地域に人々は何事もなく暮らしており、食糧生産も続いている。そして、福島第一原発は今も壊れたままで放射能が放出され続けているのです。その報道はTVも新聞も現在では皆無です。「今も続いている現実」から国民の目をそらそうとしています。 明日にでも大きな余震が起これば、未回収の使用済み核燃料が暴走する危険性のあるままの状況下に日本はあります。

また、すべての食品の全量検査などは到底無理なわけですから、サンプル検査だけで出荷される産物が安全と言い切れるはずがありません。風評被害で片付ける問題ではありません。売れない原因は、放射能という目には見えない危険な物質が事故により相当広範囲に相当量放出され、今現在も放出され続けていることにあります。この不安が払しょくされない限り「被害」はなくなりません。

原発はリスクが高いエネルギーです。

一度過酷事故が起こると周辺何百Kmに及ぶ被害を長い期間に渡り及ぼし、その地域の生活も産業も破壊してしまうことについて、私達はもっと直視しなければなりません。原発のリスクと経済はリンクさせて論じるべきことです。

 しかし、今の政権は、経済発展と原発エネルギー問題がリンクして議論されています。電力利用が減少する、原発開発がなくなると経済も減少する、国の経済力が落ちると生活レベルも落ちる、だから安定した電力供給が必要であり、そのために原子力発電は不可欠だと、私達は刷り込まされて来ました。確かに両者には相関関係があるでしょう。しかし、ちょっと立ち止まって考えてみたいものです。

 「原子力発電のコストは本当に安いのか」
 「放射性廃棄物の処理は未来永劫続く課題である」
「片付けることができない放射性の廃棄物を増やし続けていいのか」
「私達は必要以上に電気を使っているのではないか」
「日本は地震が多発する地域である」
 「猛烈な人口減、少子高齢化社会に突入している状況での電力需要予想は?」

それでも、経済成長のために原子力発電を続けるべきなのか・・・、

これから原発とどう向き合うかは、国民ひとりひとりが「自分の暮らし方」の問題として捉え考える必要があります。ましてや後志に住む我々は、原子力発電所を事実抱えています。たとえ廃炉になったとしても、電源開発の恩恵を直接受けて来た地域の振興、放射能汚染廃棄物の処理の問題と難題がなくなるわけではありません。

今、後志に住む私達は、これからの「生活・暮らし方」を考える絶好な立ち位置にいます。

 原発の可否を現状経済の成長とリンクさせて考えるべきではありません。

原発の可否は、私達大人が子ども達へ、未来の新しい暮らし方の模索を始めるスタートラインを切るか、切らないかを示せるか否かの問題だと思います。

某竹中氏が、「貧乏の自由、貧乏のエンジョイする者は経済成長の足をひっぱるな」と迫る、なチャチな発想とはかなり性根が違いますな・・・。

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