佐藤佐太郎の『短歌を作るこころ』(角川選書)より↓ (<自戒のためにメモ)
「物を見るには、固定した観念にとらわれず、先入観を持たずに、ありのままを見ることが大切である。自分だけの眼で見るということが作歌の出発点であり、同時に到達点である。しかし、自分だけの眼で見るということはやさしいようで、実はなかなか難しい。常に注意して、ありのままに、直接に見るということを追究してゆくのが作歌の道である。」(「自分の眼で見る」)
「すぐれた作品を読むことによって、物の見方を悟ることが出来る。また短歌の調子というものを悟ることが出来る。調子は理窟でどうこういってもわかるものではない。何度も読むことによって胸で感じとることが出来るであろう。そういう努力によって、つまり、作歌と平行してすぐれたものを読み、読んで得たものを作歌に実行するという努力を積み重ねて、物の状態を確実にいい当てた歌、輝きと響きとに満ちた歌が出来るようになるのである」(「修練」)
*
この本を買ったのは、もう十年ぐらい前のこと。当時ざっと読んでいたのだが、今読み返してみると、また新たに見えてくるものがある。
「物を見るには、固定した観念にとらわれず、先入観を持たずに、ありのままを見ることが大切である。自分だけの眼で見るということが作歌の出発点であり、同時に到達点である。しかし、自分だけの眼で見るということはやさしいようで、実はなかなか難しい。常に注意して、ありのままに、直接に見るということを追究してゆくのが作歌の道である。」(「自分の眼で見る」)
「すぐれた作品を読むことによって、物の見方を悟ることが出来る。また短歌の調子というものを悟ることが出来る。調子は理窟でどうこういってもわかるものではない。何度も読むことによって胸で感じとることが出来るであろう。そういう努力によって、つまり、作歌と平行してすぐれたものを読み、読んで得たものを作歌に実行するという努力を積み重ねて、物の状態を確実にいい当てた歌、輝きと響きとに満ちた歌が出来るようになるのである」(「修練」)
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この本を買ったのは、もう十年ぐらい前のこと。当時ざっと読んでいたのだが、今読み返してみると、また新たに見えてくるものがある。