Former Kinehara School, Iida City, Nagano Pref.
さてさて、「杵原学校の枝垂れ桜」で有名な飯田市にある杵原学校を訪れたワタクシ達ですが、
見応えがあったのは枝垂れ桜だけではありませんでした
。

杵原学校には今も歴史ある木造校舎が残っています。この校舎は昭和24年に山本中学校として建築されました。
村の将来を担う青少年のために独立中学校を建設しようとする村民の熱意によって、山本中学校は開校したそうです
。

建設にあたっては先ず婦人会が、一人二羽ずつの兎を飼いその収益金を建設費に申し入れ、敷地はその大半を地主が無償提供し、
区は古くから親しまれてきた産土の神の森木を売り払って建設資金に充て、村民は藁・竹・縄等を持ち寄り提供したそうなんです。
村の将来のために「人材育成」に力を注いだ住民たちの熱意には驚かされます
。

しかし、昭和60年に生徒減による統廃合によって山本中学校は廃校となりました。
校舎もそのまま扉を閉ざし、手付かずの状態で取り残されてきたそうなんですよ
。

平成17年5月、地元住民の提案によって杵原学校応援団が結成され、20年ぶりに校舎が開放されました。
住民が集って大掃除を行い、そして地域のこどもを集めての子ども教室、大人のための講座や、農業体験などの活動が始まりました。
同年、校舎は国登録の有形文化財に指定されました。新制の中学校舎では全国初の指定だったそうです
。

ワタクシは廃校になった学校の校舎を訪ねるのが好きで、旅先にそういった校舎があると必ず見学に出かけます。
ここ杵原学校にくる時も、枝垂れ桜と同じくらいに校舎を見学するのが楽しみでした
。

昔の校舎を訪れると、校舎の建築費用は地元出身の実業家が故郷のために私財を投げ打って建設したとか、
地元の商売人たちが資金を出し合って建設したとか、ここ杵原学校のように住民たちが土地を無償提供したという記録をよく目にします。
「地域の発展には未来を担う人材育成が不可欠だ」という思いを、先人達は強く感じていたのでしょう
。

一方、今の学校の現状は目を覆いたくなるばかりです。とりわけ深刻なのは、教員を志望する人材が極端に不足していることです。
今や「教師はブラック企業だ」という報道が相次ぎ、優秀な若者達は教員になることを敬遠します。
かつては人気の職業であった教師という仕事は、「給料は安く」「残業手当もつかず」「年休も取りにくく」
「部活などで休日も出勤させられ」「保護者から理不尽なクレームをつけられ」「生徒をキツく叱れば体罰だと批判される」仕事だとされ、
希望者が激減する一方です。これでは日本の教育の未来は暗いとしか思えないんですよ
。

この枝垂れ桜には、学校という場所が明るく輝いていた時の記憶がいっぱい残っているのでしょうね
。
使用したカメラ:8枚目はFUJIFILM X-T30、他はFUJIFILM X-Pro2
昔の校舎を訪れると、感心することがあるんです。それは学校に保存されている昔の子供達が残した作文、絵画、版画などの作品です。
もちろん優秀な作品だけを保存しているのかもしれないのですが、作品のレベルの高さが尋常じゃないんですよ。
特に作文などを読むと、文字と文章の美しさに感動すら覚えます。その背景には厳しい指導があったのかもしれませんが、
教員の質が高かったんだなと思わずにはいられません。
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さてさて、「杵原学校の枝垂れ桜」で有名な飯田市にある杵原学校を訪れたワタクシ達ですが、
見応えがあったのは枝垂れ桜だけではありませんでした



杵原学校には今も歴史ある木造校舎が残っています。この校舎は昭和24年に山本中学校として建築されました。
村の将来を担う青少年のために独立中学校を建設しようとする村民の熱意によって、山本中学校は開校したそうです



建設にあたっては先ず婦人会が、一人二羽ずつの兎を飼いその収益金を建設費に申し入れ、敷地はその大半を地主が無償提供し、
区は古くから親しまれてきた産土の神の森木を売り払って建設資金に充て、村民は藁・竹・縄等を持ち寄り提供したそうなんです。
村の将来のために「人材育成」に力を注いだ住民たちの熱意には驚かされます



しかし、昭和60年に生徒減による統廃合によって山本中学校は廃校となりました。
校舎もそのまま扉を閉ざし、手付かずの状態で取り残されてきたそうなんですよ



平成17年5月、地元住民の提案によって杵原学校応援団が結成され、20年ぶりに校舎が開放されました。
住民が集って大掃除を行い、そして地域のこどもを集めての子ども教室、大人のための講座や、農業体験などの活動が始まりました。
同年、校舎は国登録の有形文化財に指定されました。新制の中学校舎では全国初の指定だったそうです



ワタクシは廃校になった学校の校舎を訪ねるのが好きで、旅先にそういった校舎があると必ず見学に出かけます。
ここ杵原学校にくる時も、枝垂れ桜と同じくらいに校舎を見学するのが楽しみでした



昔の校舎を訪れると、校舎の建築費用は地元出身の実業家が故郷のために私財を投げ打って建設したとか、
地元の商売人たちが資金を出し合って建設したとか、ここ杵原学校のように住民たちが土地を無償提供したという記録をよく目にします。
「地域の発展には未来を担う人材育成が不可欠だ」という思いを、先人達は強く感じていたのでしょう



一方、今の学校の現状は目を覆いたくなるばかりです。とりわけ深刻なのは、教員を志望する人材が極端に不足していることです。
今や「教師はブラック企業だ」という報道が相次ぎ、優秀な若者達は教員になることを敬遠します。
かつては人気の職業であった教師という仕事は、「給料は安く」「残業手当もつかず」「年休も取りにくく」
「部活などで休日も出勤させられ」「保護者から理不尽なクレームをつけられ」「生徒をキツく叱れば体罰だと批判される」仕事だとされ、
希望者が激減する一方です。これでは日本の教育の未来は暗いとしか思えないんですよ



この枝垂れ桜には、学校という場所が明るく輝いていた時の記憶がいっぱい残っているのでしょうね


使用したカメラ:8枚目はFUJIFILM X-T30、他はFUJIFILM X-Pro2
昔の校舎を訪れると、感心することがあるんです。それは学校に保存されている昔の子供達が残した作文、絵画、版画などの作品です。
もちろん優秀な作品だけを保存しているのかもしれないのですが、作品のレベルの高さが尋常じゃないんですよ。
特に作文などを読むと、文字と文章の美しさに感動すら覚えます。その背景には厳しい指導があったのかもしれませんが、
教員の質が高かったんだなと思わずにはいられません。
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警察と消防、そして教員の給与は、高いものでなくてはなりません。今の教員不足は、そのツケが回ってきたモノと言わざるを得ません。教員の世界は、どうあがいても「やっぱりブラックだなぁ」って思います。
教員一人一人の意欲や志だけにすがるような政策では先が見えています。モンペ問題も、行政がちゃんと対応しないと教員一人では背負いきれる訳ありません。
村の将来のためには、人材育成が必要と
分かってたんですね。
素晴らしいです。
教師の知人がいますが、なかなか過酷な
お仕事のようです。
でも、教師の仕事が好きだそうです。
きっと、いい先生なんだろうな。
凸
木造校舎は風情がありますね。
今もこうして残されているのは
素晴らしいことですね。
孫娘は幼児教育の道に進み大学に進みました。
子供たちに慕われる先生になってほしいです☆~
ことに小学校は大事ですものね
こうして残された校舎はほかにもたくさんありますがこちら船坂の木造校舎も大事に使われています
先生になり手がないんです
ハードですものね
💻:お越し頂き心温まるコメントを有難う御座います;感謝&✌で~す!
@('_')@今日の「昔懐かしい木造校舎・ブログ」を照会して貰い有難う御座いました;👍&👏で~す!
*👴;welcome☞私は今朝もGooブログで投稿してますので遊びにお越しをお待ちしてます!
🔶それではまたお伺いします;👋・👋!
杵原学校、廃校になっても取り壊されることもなく
そのまま保存されてて良かったですね
木造校舎は、板張りの廊下や教室
風情があります
私の子供時代は
先生は雲の上の人みたいに思えていて
先生の言われることが正しいと信じていたような気がします
でもそれではいけないのですよね。
私の母の家系はほとんどが教員で、私も中・高校の教員免許を持っています。
教育実習に行った際、学校は自分の働く場ではないと感じ、違う形で教える仕事に就きました。
これは長く残しておきたいですね〜
私の母校はもうなくなりました。
街中だとすぐ壊されて新しいビルが建って
ます。懐かしい母校に行ってみたいけれどないのですね〜凸
毎日バケツで雑巾習って廊下拭いてた記憶
今の子は掃除もないとのこと
その時覚えたであろう雑巾をしぼる
今の子はタオルも絞れない子も結構いるとか
丸めて押さえてたり振り回したり これから先どうなるのでしょう
一本桜
絵になっています。