歴史とドラマをめぐる冒険

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どうする家康?・大河の中の徳川家康

2022-07-14 | どうする家康
大河ドラマにおいて徳川家康が「単独で主人公」になったのは1983年の「徳川家康」のみです。「葵徳川三代」も「主人公」と言ってもいいでしょう。しかし「秀忠」も同じぐらい重要な主人公でした。「家光」はたいして描かれてはいません。

大河「徳川家康」は山岡荘八原作で「非の打ちどころがない家康」「聖人君子」です。これは無理な設定で、家康の「わが子殺し」や「妻殺し」を、「聖人君子と矛盾なく」描くのに苦労していました。「悩んで悩んで、逃がそうと思ったが、逃げてくれなくて、泣く泣く斬る」という感じです。その他矛盾だらけなのですが、その矛盾を楽しめば「偉人伝」としては、つまりウソを楽しむフィクションとしては成功していました。ちなみに山岡さん原作だと大河「春の坂道」にも山岡家康は登場します。この時は権力闘争の時代で、俳優も政治性があり、「こんな家康ウソだ」とストライキをしたことで有名です。

司馬遼太郎さんの「家康」(小説)は、おそらく山岡荘八への「反論」として描かれたもので、「我執が強いくせに、その我執がないように、虚を演じることができた」という点を評価しています。簡単に言えば「俗物のくせに芝居がうまかった」ということです。「城塞」では「ほとんど犯罪者」とまで書いています。司馬さんには「関ケ原」「城塞」「覇王の家」などの作品があります。

皇国史観では、源頼朝、足利尊氏に比して「悪人」とされていません。皇国史観のパンフレット「国体の本義」に書かれています。この本は江戸時代に水戸学が起こった、と江戸時代を評価しているのですね。山岡さんはこの皇国史観の考えを、バージョンアップして「聖人君子」にまでしたわけでしょう。山岡さんの家康は不自然なぐらいの「勤王家」です。

まあそういういささか政治的な人物評価対立も、最近では「ソフト」になり、今は「等身大の家康」を描くことが主流です。「真田丸」などがそうだと思います。

研究でいうと、柴裕之さんの「徳川家康、境界の領主から天下人へ 」などは去年書かれたのかな。これまた「等身大」です。いささか矮小化されている感じすらする。あまり知的好奇心は喚起されませんでした。まあ人によって評価は違うと思います。

大河「どうする家康」は、一国衆から身を起こして、ちまちまと「境界での争い」をしながら、信長の配下となって働く。やがて本能寺の変が起きて、たなぼたでそれなりの大名となる。が秀吉に圧迫される。その後も「天下なんて狙っていないのに、いろいろ偶然が重なって、気が付いた天下人になって、自分でも驚く」という感じになると思います。「忠義の三河武士の否定」も描かれるでしょう。

これは予想で、なんの資料も持ってはいません。「どうなる家康」というところです。

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