重くならないため、なるべくリラックス文体で書きます。たぶん重くなるけど。
後醍醐天皇ぐらい「アゲられたり」「サゲられたり」「異形の王権にされたり」、まー評価がコロコロ変わる人物はいません。同時代の評判はすこぶる悪いんです。お仲間の公家も批判してます。なぜって「新しいことをやったるぞ」と言ったから。朝廷は「超先例主義」ですから、「新しいこと」は生理的に無理なんです。「やったるぞ」はいいけど、「仕組みを作らない」から日本がカオス状態。武者にもその他市民にも、すこぶる評判が悪い。明治になってからすら、公家である岩倉具視は悪王としています。先例を破った後鳥羽と後醍醐は悪王。岩倉は公家の感覚をよく継承しています。
ところが昭和、戦前。今の皇室は北朝なのに、南朝を正統としてしまったから、後醍醐天皇を上げざる得なくなっちゃった。悪名高い皇国史観ね。好きな人もいるけど。
皇国史観といえば、布教者は東大教授の平泉澄。ないことないこと書いて歴史を捻じ曲げたくせに、最近は「見直そう」という人がいて、私は大反対。同時代にボロクソ言われた後醍醐を散々持ち上げ「聖君」とし、足利尊氏を「大悪人」に仕立てあげた。ついでに「北条の小四郎義時」も悪人。「大悪人じゃない」から、小四郎はさほど有名にもなりませんでした。トホホ。皇国史観のせいで、一体何人の人間が死んだのか。殺したのは軍隊だ、東条だ、という向きもあるかもしれませんが、実際の政治装置より、イデオロギー機構のほうが恐ろしいことがある。それは歴史の教訓です。
「天皇の歴史」「寺社の歴史」を詳らかにすることには無論反対しない。しかしそのツールとして皇国史観の旗手であった平泉澄を利用するのは、極右言論人ならいいとしても、「学者」には慎重であってほしい。そう願います。
さて、読んだ本の中では、伊藤喜良「後醍醐天皇と建武政権」が一番バランスよく後醍醐を論じている。「それなりに評価」してるんですね。「それなり」だからバランスがいい。桃崎有一郎氏などは「京都を壊した天皇、護った武士」の中で、まーボロクソ毒舌を書いている。実は「同時代の評判をまとめた」だけなんだけど、当時の史料を紹介すると「それだけでボロクソの悪口に」なる(笑)。それが後醍醐。桃崎氏はTVで見る限り温和な坊ちゃん顔なんだけど、やっぱり平泉史学、皇国史観の「復権」(というか天皇の美化)に危機感を持っているのでしょう。だから言葉がきつくなる。歴史探偵の平安京ダークゾーンに出てた人。英雄たちの選択の「足利義満」にも出ていた。「天皇の権威という言葉を安直に使う学者がいなくなれば、日本史学も少しはましなものになって、ビシッとしてくる。内部改革は無理だから、読者、国民の厳しい目が必要だ」と「いうようなこと」を書いています。
じゃあ伊藤氏がどう「それなりにアゲて」いるかというと、「東アジアで普遍的な君主独裁官僚制を目指した」というアゲ方。ところが失敗。なぜなら東アジアにはいない武家と公家がいたから。
しかも高い家格の公家にそっぽ向かれ(先例主義じゃないからが理由)、官僚制を担える人材がいなかったから、結局君主独裁だけが残って、綸旨を乱発。滅茶苦茶なことになった。「後醍醐天皇と建武政権」は画期的な視点に満ちていると思います。天皇制を解体して中国風の君主官僚制にしようとした後醍醐が、戦前「天皇制の鑑」とされ、歴史は実に皮肉であるとか。検討しがいのある説です。
私にとっては皇国史観の象徴が後醍醐天皇だから、あんまり勉強する気にもなれなかったのです。でも伊藤氏の本を読んで考えが変わりました。これから少しずつ勉強するつもりです。
後醍醐天皇ぐらい「アゲられたり」「サゲられたり」「異形の王権にされたり」、まー評価がコロコロ変わる人物はいません。同時代の評判はすこぶる悪いんです。お仲間の公家も批判してます。なぜって「新しいことをやったるぞ」と言ったから。朝廷は「超先例主義」ですから、「新しいこと」は生理的に無理なんです。「やったるぞ」はいいけど、「仕組みを作らない」から日本がカオス状態。武者にもその他市民にも、すこぶる評判が悪い。明治になってからすら、公家である岩倉具視は悪王としています。先例を破った後鳥羽と後醍醐は悪王。岩倉は公家の感覚をよく継承しています。
ところが昭和、戦前。今の皇室は北朝なのに、南朝を正統としてしまったから、後醍醐天皇を上げざる得なくなっちゃった。悪名高い皇国史観ね。好きな人もいるけど。
皇国史観といえば、布教者は東大教授の平泉澄。ないことないこと書いて歴史を捻じ曲げたくせに、最近は「見直そう」という人がいて、私は大反対。同時代にボロクソ言われた後醍醐を散々持ち上げ「聖君」とし、足利尊氏を「大悪人」に仕立てあげた。ついでに「北条の小四郎義時」も悪人。「大悪人じゃない」から、小四郎はさほど有名にもなりませんでした。トホホ。皇国史観のせいで、一体何人の人間が死んだのか。殺したのは軍隊だ、東条だ、という向きもあるかもしれませんが、実際の政治装置より、イデオロギー機構のほうが恐ろしいことがある。それは歴史の教訓です。
「天皇の歴史」「寺社の歴史」を詳らかにすることには無論反対しない。しかしそのツールとして皇国史観の旗手であった平泉澄を利用するのは、極右言論人ならいいとしても、「学者」には慎重であってほしい。そう願います。
さて、読んだ本の中では、伊藤喜良「後醍醐天皇と建武政権」が一番バランスよく後醍醐を論じている。「それなりに評価」してるんですね。「それなり」だからバランスがいい。桃崎有一郎氏などは「京都を壊した天皇、護った武士」の中で、まーボロクソ毒舌を書いている。実は「同時代の評判をまとめた」だけなんだけど、当時の史料を紹介すると「それだけでボロクソの悪口に」なる(笑)。それが後醍醐。桃崎氏はTVで見る限り温和な坊ちゃん顔なんだけど、やっぱり平泉史学、皇国史観の「復権」(というか天皇の美化)に危機感を持っているのでしょう。だから言葉がきつくなる。歴史探偵の平安京ダークゾーンに出てた人。英雄たちの選択の「足利義満」にも出ていた。「天皇の権威という言葉を安直に使う学者がいなくなれば、日本史学も少しはましなものになって、ビシッとしてくる。内部改革は無理だから、読者、国民の厳しい目が必要だ」と「いうようなこと」を書いています。
じゃあ伊藤氏がどう「それなりにアゲて」いるかというと、「東アジアで普遍的な君主独裁官僚制を目指した」というアゲ方。ところが失敗。なぜなら東アジアにはいない武家と公家がいたから。
しかも高い家格の公家にそっぽ向かれ(先例主義じゃないからが理由)、官僚制を担える人材がいなかったから、結局君主独裁だけが残って、綸旨を乱発。滅茶苦茶なことになった。「後醍醐天皇と建武政権」は画期的な視点に満ちていると思います。天皇制を解体して中国風の君主官僚制にしようとした後醍醐が、戦前「天皇制の鑑」とされ、歴史は実に皮肉であるとか。検討しがいのある説です。
私にとっては皇国史観の象徴が後醍醐天皇だから、あんまり勉強する気にもなれなかったのです。でも伊藤氏の本を読んで考えが変わりました。これから少しずつ勉強するつもりです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます