歴史とドラマをめぐる冒険

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桃崎有一郎さん「京都を壊した天皇、護った武士」の感想文

2021-04-13 | 天皇制
「京都学」の本です。もう少し書くと、京都学、歴史学、天皇制学の本です。京都とは何か。日本とは何か。天皇とは何か。天皇制とは何か。日本文化とは何か、の本です。筆者は高千穂大学の教授です。歴史探偵にも出演なさっていました。他の本を読むと分かりますが、もの凄い博識で、中世の礼制と法制の専門家です。

「非常に読みやすい文体で、言いたい放題、目次が細かく目次を見れば内容が予想できる読みやすさ優先の本」なので、筆者の「本当の意図」が見えてこない場合もあるかも知れません。でも私が一番気になったのは、筆者の「動機」です。それは前書きとあとがきにきちんと書かれています。

「封筒を開くと憂鬱になる健康診断書が、根っこでは健康長寿を願う愛情に基づいているように、私も京都愛をそのような形で表明することにした」

これを言い換えるとこうなります。私が考えた言い換えです。
「天皇の行為についての憂鬱な史実の報告が、根っこでは天皇制、日本、日本文化への愛情に基づくと考え、京都愛(日本愛、歴史への愛、日本文化への愛)をこのような形で表現することにした」

そう考えるなら、筆者の異常ともいうべき「後醍醐帝への毒舌」が、どうして語られたかを理解できます。なお「武士が護った」というのは「忘れてくれるな」という「限定的な意味」だが、誤解を恐れず「主張してみた」としています。「わざと主張した」という意味です。これが分からないと筆者の術中にはまります。

「屈折しているなー」が感想です。筆者が「屈折させて」と書いているので、これは批判にはならないと思います。「なるほどね」と思いました。「あの有名な後醍醐帝、後鳥羽上皇は、京都を破壊する行為をしていたんだよ。知ってる?知らないでしょ。知らないなら天皇制や京都や日本文化をもっとまじめに考えようよ。」ということです。

戦国本にも京都愛、天皇制愛に満ち溢れたものはあります。しかしあまりに愛しているために、叙述が詳細になり、ひたすら細かいだけの叙述になってしまうこともしばしばです。そういう本は「こんなに儀式をしていたのだよ」と主張します。しかし大方の歴史学者の反応は冷淡で「凄いよね。でも戦国だよ。量より実効性でしょ。お祈りをして何になるの?武力から京都を守れるの?」で終わりです。私自身、そういう本を読み進めることはできず、さっとななめ読みして終わり、あとは歴史学者の「書評」を見るというのがいつものやり方です。

そういう本と比較すると「屈折した愛情に基づくこの本」は、確かに読ませる本になっています。京都に多少の興味がわいてくることも確かです。ただ私の場合は東京育ちで、京都愛は希薄なため、筆者が語る京都の変遷部分は、どうしても「さっと読み」になってしまいました。そして後醍醐、後鳥羽への「毒舌部分」、三種の神器への「毒舌部分=偽物だ」、明治維新への「毒舌部分」だけが耳に残ります。「毒舌が正確な歴史の叙述、評価になっているか」は、確かめてみたいと思います。確かめるとは他の歴史本と照らし合わせるということです。

京都を考えよう、日本文化を考えようとこの本は言外に主張しています。「日本文化」は面白そうです。ただ京都については、東京なので勘弁というところだし、京都を「そこまで詳しく考えなくても」日本史を考えることは可能だと思います。とにかく筆者が京都愛に満ち溢れて、そのあまりに毒舌になっていることは理解しました。頭がいい人は過剰な部分をみんな持っているようです。上から目線で不快でしょうが、桃崎さんの本は、他の本も含め、この二日ずっと読み込んでいたのです。やっと意図が分かりました。それに免じて許してください。

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